日清戦争 -72 鴨緑江 弐
10月25日 朝。 義州(鴨緑江の朝鮮側の町) 第1軍本陣
鴨緑江の河口に近い地域では日清両軍の主力がにらみ合っている。しかし日本側は朝鮮半島内の治安維持の成功で治安維持兵力の削減に成功。史実の倍の2.5万人を布陣した。清国側はほぼ敗残兵。清国軍はすでに士気すら崩壊しかけている。
史実では佐藤支隊の渡河が24日に行われたがこの世界では23日に早められた。
「敵は佐藤支隊の攻撃と同時 24日に攻撃が開始されると思っているだろうが、その実は25日。さらに24日には遼東半島で第2軍が上陸した。その報が伝わっていれば敵は混乱しているだろうな…」
「性格悪いですね。」
田中についてきている新聞記者が田中の発言にドン引きしている。
なお、24日にも攻撃意図を偽造するために若干余裕のある弾薬関係(朝鮮系人夫に運ばせたもの) を使って散発的な砲撃を行っている。各門数発程度だったが。
「あれは何ですか⁉」
新聞記者が叫んでいる。
「来たか。」
田中が気球の指揮をとりながらつぶやく。
鴨緑江上流から来たのは浮き橋の一部だった。
「佐藤支隊の後衛が使った上流で組んだ複数の浮き橋をある程度分割して流して下流でつなげる。これなら1から前線で組み立てるよりは楽でしょう。」
「なるほど…」
史実ではこの浮き橋の敷設に時間がかかり、一部の兵士はここでもまた浅瀬を胸まで使って歩いて渡河するしかなかった。
この世界では若干マシのようだ。史実23日到着のために検品もせずに渡河作戦を開始したために浮き橋の舟艇の歪みなどが実際に組み立てるまで確認できなかった。しかしこの世界では後方の対策がなされたために、検品ができた。状態の悪いものは修繕に。よいものは佐藤支隊の渡河に利用して川下り。修繕完了済みの舟艇も渡河作戦に投入できる。
「我々も前に出ます。」
伝令兵の耳打ちを聞いた田中が新聞記者に言う。
「ど・どうしてですか⁉」
「我々部隊が移動形態のまま待機しています。今砲撃態勢を取っている部隊よりも我々のほうが早く動けます。それに上流に隠していた小舟の類ももうすぐ到着します。そこにはすでにある程度の物資が乗っています。」
「では我々も…」
「まだです。我々は高地にいてこそ価値が高くなります。あの山…敵軍が頑強に抵抗している山の山頂に布陣します。まだ落ちそうにありませんので。」
今回の戦のために編成された臨時気球隊は戦場新聞(人夫と軍人を顧客にするため一部新聞記者と田中が結託して作成された無料新聞。) による募集に対し、志願してきた人夫だけで編成されている。
その際の募集要項に『生死をかけること』を条件に掲げた以上、前線に投入しても問題はない。銃の扱いができずともそれ以外ならできようというわけだ。
さらには日本人の士気は高く、気球部隊の定員以上に人が集まる事態になる。彼らを使用して戦場弾薬補給班も編成されている。
だがむやみに危険地帯に弾薬補給班を接近させるわけにはいかない。
清国軍との組織化レベルの差がここでも如実に表れている。清国軍では部隊ごとの装備の差が激しい。部隊によっては前装式銃や前近代的な刀剣槍類も使用している部隊もいる。
「ならばなぜ前に出られるのですか?」
「我々も余剰人員を回して船への荷物の積み込みがあります。それだけで早く準備ができます。」
清国軍は部隊間による戦力差が大きすぎた。武装においては清国が輸入品の武装を使用しているので総数に限界がある。更に戦時に備え臨時でかき集めた兵士も多い。これは部隊によって十分な武器がいきわたらない状況を生む。
「思ったよりも厄介です。あの山。地形も敵兵も。ですが、あれだけ打てるのは精鋭部隊。おそらく左宝貴の元部下たちもしくはそれと同等でしょう。清国の重要な代物です。あれこそ戦争が佳境に陥る前に殲滅しなければのちの戦局に差し障るでしょう。戦場の女神に舞台に上がってもらいましょう。」
精鋭にこそそのような武装は配備される。だからこそ局地的には勝てるだろうが、大勢では不利に陥る。
「後方砲兵隊間接射撃を開始。弾着修正情報を後方に後れ!!」
前線では渡河した部隊が射撃戦をしている。その後方では木箱を戦場に放置して後退する人間。補給人夫だ。射撃戦をしていれば弾薬不足になる。
「さてとそろそろ清国軍も怪しくなってきたころかな?弾薬もつかな?」
敗残兵にも銃弾を分けた以上、精鋭部隊といえども戦闘継続能力は劣る。精鋭立てこもる山岳地を攻めるは第3師団。この時第3師団所属の佐藤支隊が抜けていたため若干の戦力低下があった。数度の突撃も損害を受けて後退している。しかし、射撃密度は先ほどよりも薄い。
その西側、清国軍精鋭部隊側背を叩こうとするは立見尚文の旅団。
その戦局を劇的に変化する存在が現れた。史実では間に合わなかった別動隊。佐藤支隊だった。この世界戦では別動隊の渡河開始が1日繰り上げられたがために本隊の交戦中に間に合った。
「第3師団前線より灯火信号符牒確認。第18連隊(佐藤支隊) 戦線到達。敵側面攻撃を開始」
上空の気球からの電話を取った伝令が駆け込んでくる。
「山縣閣下への伝令もよろしく頼む。立見少将への旗旒信号を変更してください。状況を知らせてください。この戦の趨勢は決しました。我々の勝利の可能性大です。」
周りから歓声が聞こえる。周りでは地面に描いた略図に敵軍を示す石ころを置いた簡易兵棋を見ながら新聞記者も喜びの声を上げる。
「勝ちましたね。」
「…あとは立見少将閣下の指揮にお任せです。」
佐藤支隊が襲撃した地域以外の側背を攻撃しようとする立見尚文少将がどれだけの戦果を挙げるか。である。ただし敵軍もそれがわかっていた。佐藤支隊の攻撃を受けた。これは山地の合間を縫ってきたからある程度の奇襲性がある。だが立見少将が向かってくることは山地に立てこもる敵精鋭には見えている。うまくいなさなければ精鋭兵の損害が馬鹿にはならないだろう。
「立見少将は敵の撤退を考慮して戦われるはずです。ですが、我々からは山が邪魔で見えません。今日の役割は終わりですね。」
田中がつぶやく。気球との直通電話に向かう。
「本日の作戦行動は夜間の影響でここまでと思われます。対岸に敵が覆せないような橋頭保ができたのですからこれで十分です。あとは明日です。今夜中に対岸山頂に移動しましょう。」
立見は電話で気球の人員に伝えると司令部への伝令を送ることと、気球を下すように命じた。
翌日。日本軍が進撃するが、鴨緑江の清国側には清国軍の姿はない。夜間のうちに撤退してしまったようだった。対岸の町・防御施設などはほぼ接収に近かった。
「敗北はそれを受け入れる者にのみ与えられる。受け入れられず滞り続ければ敗北を味わうことさえ不可能になる。」
逃げた敵軍に憤慨する新聞記者達(従軍記者が気球部隊を目印に集合した) の前で田中はつぶやく。
その声を聴く新聞記者の数は少なかった。




