日清戦争 -60 押し問答
改造病院艦 『操向』
「この病院船には疑義がある。病院船として認められない物資の積載だ。」
乗り込んできた清国士官が剣に手を当てながら声高に叫ぶ。
「ベットがたたまれているこれではすぐに傷病人を受け入れることができないではないか。それに病院船はこんなに食料を消費するのか!?」
確かにそれは問題だった。病人をすぐに受け入れられない病院船。それは病院船として認められるには厳しい条件だった。このような大量の積載は『病院船の運営に必要な量』としては過剰だった。
「これは医薬品です。」
「医薬品なわけあるか!!」
さらに青筋が清国士官に浮かぶ
「壊血病をご存じですが? 特定の食品を食べることで治る病気を。 前線では「特定の食品を食べることで治る病気」が流行っているのです。」
「このような量。何人流行っているのかそれを明かせ。そうでないとこの量を認められん。」
「軍規ですのであまり言うべきではないのですが現地で苦しんでいるのは2万人以上でしょうね。この物資は現地の病院に渡す物資でもある。」
「嘘を言うな!! 現地の日本軍の兵力は2万程度だぞ!!その全員が病魔に侵されているというのか!!」
「侵されているのは日本人だけではありませんよ。 あなた方が略奪して冬が越せないほど困窮している現地民もこの病に侵されているのです!!」
その瞬間、日本人の表情が嫌悪に染まる。
「貴様らの略奪で来年の春までに30万人が餓死の危機にある!!ここ最近の輸送船団はほとんど食料を積んでいる。彼らを救うために!!貴様らは何様だ!!貴様らの同胞のせいで苦しんでいる人間がいる。その現実を直視したまえ!!」
「病院船として認められない状況であることは確実だ!! 拿捕する。随行せよ。」
「病院船であることは事実だ。それが認められないのであれば、列強立会いの下、裁判を希望する。そのための随行なら拒否しない。しかし、拿捕は拒否する。それは病院船という聖域を脅かすものだ。」
「病院船として認められないのは事実なのだから祖国に回航するのは事実だ。」
「だからそれを我々の2者だけで決めるな。第3者を挟め。それを行う旨の書類を求める!!」
通商破壊艦隊旗艦 『済遠』
「なんともまあ面倒な条件を付けられましたな」
病院船の拿捕のために追撃範囲が制限された結果、戦果なく拿捕地点に戻る羽目になった『済遠』の中では戻ってきた士官と艦長兼通商破壊艦隊の指揮官である方伯謙は条件の突合せを行っている。
「拿捕は拒否、随行と裁判か。艦隊行動上は同じことだな。どちらにしても低速砲艦1隻を切り離して回航するしかない。しかし、問題は裁判だな」
艦長と副長の会話は冷静だ。
「列強がどのように判断するかわかりませんね。下手に撃沈したら日本側には病院船を撃沈したと騒がれましょう。何しろあちらは花火で信号のやり取りをしています。付近の日本船には臨検を受けていることはすでに伝わっています。」
副長の目線は『操向』を向いている。冷静な判断能力とそれを企図したあらかじめの準備、ある意味脱帽でしかない
「あの船が行方不明になれば撃沈の公算大、拿捕された場合、祖国は大々的に騒ぐ。裁判は避けられん。開放すれば日本の正当性を認めることになる。」
そしてそれは方伯謙も同様どの選択肢をとっても損が出る。さらに方は続ける
「アホな陸軍が焦土作戦なんてした。現地民を助けるための食糧。おそらく法的に拿捕や攻撃は許容範囲だが、世論は黙っていない。裁判で勝ててもそちらが問題になる。あとは損を最小限にする判断だな。」
「損を最小限?」
「通商破壊は続けなければならん。これは命令であり、主力艦が『済遠』『平遠』『広丙』『福靖(広丙の同型)』しか残されていないわが艦隊でできる唯一の仕事だ。やめるわけにはいかない。」
その眼には悪を背負ってでも戦う覚悟が見える
「撃沈は論外。開放も『清国は救民を認めた』とみなされかねない。これではほかの輸送船への通商破壊は事実上不可能になる。回航は唯一無二の選択肢だ。少なくとも艦隊に通商破壊の中止命令が届くまでは『救民の船』を沈めても国際法上は責められん…」
「裁判で負けたら…」
「積み荷ごと開放するだけのことよ。何。その場合は裁判しないと判断できないような積み荷を積んでいた日本も悪いと言って煙に巻けるさ。裁判してもこちらには損はない。拿捕の正当性は揺るがない。疑われるもの積んでいた方も責任がある。」
「そうですね。ではカッターを出します。」
「私、自ら赴いて署名はするか。悪を背負うにしてもその程度の善行は許されるさ。」
方の顔は久しぶりの笑みが浮かんでいた。しかしその笑みは乾いたものであった。
改造病院艦 『操向』
「確かに食事療法は壊血病には妥当だ。しかし、そちらの言う脚気が根本的に壊血病と同じ病気であるという証拠はない。この治験は見事だが、原因が判明していない以上、妥当性をここで確認することはできん。しかも主食でないが穀物。主食を浮かすために輸送している可能性も否定できん。回航は飲んでくれ。」
方伯謙は乗艦すると、断固としてそして、気さくな対応をする。当然、拿捕される側も黙ってない。第3国の裁判を求める。
「すまんな。艦隊司令の私ですら『裁判を受けさせること』を確約できん。私にできることは『裁判をさせる旨の要請』とその署名だ。」
双方が納得できるのはこの水準だった。海から陸上に声は届かないのだ。
「了解した。裁判が終わるまで、乗員と積み荷の保証を要求する。」
日本側は裁判が行われると確信している。列強からの圧力がある。『操向』が帰らない。臨検を受けている。これは拿捕されたということだ。日本は当然外交圧力で裁判を求める。
「では貴艦の無事を祈る。」
方伯謙は離艦前に声をかけるしかなかった。




