第3節「暗躍する影(1)」
「クッッッソがああ!!」
空間筒によってロバーツ家の屋敷に戻ってきたジョサイヤは、苛立ちに任せて近くにあった椅子を投げる。
椅子は勢いよく壁に激突したが、壊れることはなかった。
獣人の屋敷の調度品はそう簡単には壊れないようになっているからだ。
そんなことはジョサイヤにもわかっているのだが、椅子が壊れなかったことが更に頭にくる。
怒りのままに、近くにあったもう一つの椅子に手をかけたところで、後ろから誰かがやってくきた。
「ジェス坊っちゃん、どうされたのですか?」
暴れるジョサイヤが振り返ると、そこには執事のリードが立っていた。
投げつけられた椅子を一瞥し、小さくため息をついてから、ジョサイヤへ視線を戻す。
ジョサイヤは思い通りにならないことがあるとすぐに暴れるため、リードももはやジョサイヤが少し暴れたくらいでは全く動じない。
「リードか……お前は知っていたのか?」
ジョサイヤは投げつけるために手をかけていた椅子の向きを変え、大きな音を立てて乱暴に腰掛ける。
「なんのことでしょう?」
ジョサイヤの問いに対し、リードは冷静にそう返す。
リードはいつでもポーカーフェイスを崩さないため、その無表情もいつもはなんとも思わないジョサイヤだが、今は気が立っている為か、その態度が頭にきた。
「なんのことでしょう? じゃねえ! あの女が人間の男と契約してたことを知ったのか、つってんだよ!」
ジョサイヤは椅子から立ち上がり、座っていたその椅子をリードへと力任せに投げつけた。
リードは涼しい顔で投げつけられた椅子を躱すと、相変わらずのポーカーフェイスで答える。
「なるほど、そんなことになっていたのですか……。申し訳ありません、まさかコリンズ様がそのような手段を取るとは、私にも予想外でした」
謝る気があるのかこいつは、と思うほど表情一つ変えずそう言って頭を下げるリードに、ジョサイヤは自分が怒っていることが馬鹿馬鹿しくなり、苛立つどころか落ち着いてしまう。
「はああ、まあいい。お前も完璧じゃない、ということか。もういい、今日は寝る。明日までに対策を考えておけよ」
呆れたようにそう言って、ジョサイヤは部屋を出ていく。
ジョサイヤがいなくなった部屋の中。
ジョサイヤが自室に入る音が聞こえた頃。
リードの影から一人の少女が現れる。
「ふふふ、お前も役者だな、リード?」
現れた少女は、亜麻色の髪を頭の両側で縛った、いわゆるツインテールと言われる髪型で、不健康なほど白い肌に漆黒のドレスを纏っていた。
「リリー、あれはなんのつもりですか?」
影から出てきた少女、リリーに詰め寄るリード。
しかしその歩みは、リリーの一歩手前で止まってしまう。
「良いではないか、お前の計画通りに進みすぎるのも面白くないしな」
踊るように軽やかにリードの懐へと迫ったリリーは、牙が覗いた口端を上げて楽しそうに笑う。
「くっ!」
顎を持ち上げられ、正面からその真紅の瞳を見せられてなお、リードはまぶたを閉じることもできず、うめき声を上げるのが精一杯だった。
「お~怖い怖い。まあそう怒るな、なんとかしてやるとも、それがお前と私の契約だしな?」
リリーはおどけてそう言うと、空気に溶けるように消えていく。
リリーが完全に姿を消すと同時に、リードの体に自由が戻った。
「……はあはあはあ、化け物め……!」
全く言うことを聞かない契約者に苛立つのは事実だが、だからといって、リードがどうこうできる相手ではない。
「でももう少し、もう少しで私の目的も達成される」
得体のしれない何かに魂を売ってでも、リードにはやり遂げなければならなないことがあった。
そしてそれはもう少しで、達成されるのだ。
リードは目的達成のために、ジョサイヤに言われた対策を考え始めた。
*
「ここは?」
確かに、ベッドに入ってすぐに寝てしまったはずなのだが、とジョサイヤは一番近い記憶を探る。
間違いない、自分は自室のベッドで寝た。
ではここはどこだ?
夢の中のようで、でもどこかそうではないような、不思議な感覚にジョサイヤは混乱する。
ベッドに上ではあるようだし、ジョサイアの得物も見えているので、おそらくジョサイアの自室であることは間違いないらしいが、それ以外のものが何も見えなかった。
「起きたか、ロバーツ=ジョサイヤ」
突然聞こえた声の方を向くと、そこには小柄な影があった。
十二、三歳といったとことだろうか?
声から判断するにそのくらいの年の少女だろう。
「誰だ、お前は?」
なぜか顔の見えない少女の正体を、ジョサイヤは考える。
この屋敷には、父のものまで含めれば、数え切れないほどの女がいる。
それは、マルダーフント族の文化がそういうものだからだ。
マルダーフント族は、個々の力が特段強いわけではない。
単体での強さで見れば、対立するヴォルペ族のほうが圧倒的に強い。
そこでマルダーフント族の祖先が考えた方法が、一部の男のもとにマルダーフント族の全ての女を集め、その男の所有物とする、というものだ。
このようなことをしているのは、獣人が身体強化魔法以外で唯一使える魔法である、婚姻契約の魔法の持つ効果に由来する。
つまり、一時的に婚姻者一方が、婚姻した者二人分の力を行使できる、という点を利用した戦術なのだ。
この婚姻契約の魔法は、契約がある限り、男に力が集まり、女の力はほぼなくなる。
詳しい原理はわからないが、マルダーフント族にはそういう状況を作る方法が伝わっていた。
女性が虐げられ、それが半ば常識化している獣人の中でも、マルダーフント族のそれは顕著だ。
なにせ、男がより大きな力を行使するために、一歩的に女性から力を奪っているのと変わらないのだから。
「ふふふ、考えても無駄だぞ? 私はお前の女でも、お前の父上の女でもないからな」
考えを巡らせるジョサイアの心を見透かすように、少女の影は楽しそうに笑う。
こちらからは相手の姿を捉えることすらできないにもかかわらず、あちらはこちらの考えていることまで読まれている。
流石にこの状況はまずい、とようやくジョサイアが危機感を持ち始め、ベッドの脇にあるはずの剣に手を伸ばそうとしたその時、影の少女の目が淡い真紅の光を帯びる。
「な、にを……し…………た…………」
剣に手を伸ばしたまま動けなくなったジョサイアは、なんとかそれだけ口にする。
「なあに、大したことじゃないさ。それに、お前が余計なことをしなければ、私だって何もしなかったぞ?」
少女の影は、呆れたように肩をすくめる。
(こいつ、本当に何者だ?)
心の中に湧いたジョサイアの疑問に、少女の影は
「何者か、かあ、素直に答えるわけにはいかんしなあ……。とりあえずリリー、とだけ名乗っておこうか」
とそう答える。
その事実に、ジョサイアは驚きを隠せない。
「そう驚くことではないだろう。そもそもお前が普通に話せば―――あっ」
そこまで言って、リリーと名乗った影は、瞳の光の消した。
「すまんな、そういえば私はお前の動きを止めていたのだったな」
「すまんな、じゃない。何なんだお前は」
体の自由が戻ったジョサイアだが、もはやリリーに抵抗するつもりはない。
正しい実力差を測れずエドマンドに斬りかかったジョサイアだが、そんなジョサイアでもはっきりわかる。
こいつには手を出さないほうがいい。
それほど、このリリーという少女とジョサイアの間には実力差があった。
「私が何者でもいいだろう? そんなことよりお前、力が欲しいんじゃないか?」
その得体のしれない少女も問いに、ジョサイアは―――。
読んでいただきありがとうございます。
さて新キャラです。
リリーちゃん。
何者かは、言いませんが、かなりヒントばら撒いたので、ほとんどの人がわかっているんじゃないでしょうか?
それと実は名前が使い回しです。
それに気がついた方は、私の作品をかなり読んでくださっている方、ということになりますが、いましたかね?
明日も読んでいただけると嬉しいです。
それでは。




