大狼4
転機は研究所を出た後にやってきた。
署へ戻るために再び小鹿の運転する車に乗り込み、数キロ走ったところだ。何を思ったのか、大狼が「そこのコンビニに停めてくれ」と停車を要求し、小鹿はそれに従った。コーヒーを買ってくる、と告げてコンビニに入っていった大狼を見送り、小鹿はさてどうしたものかと、この事件について自分の身の振り方を考えていた。
(このまま大狼さんに従って協力するべきか、否か)
過ぎる好奇心はよくない。大狼のように、すでに監視のある状況で、それでも何かを求めるのとは違う。小鹿は完全に巻き込まれた状態であり、今ここで手を引きたいと言えば、大狼は苦笑しながらも「すまなかったな、振り回してしまったようだ」と認めてくれるだろう。逆に、これだけ小鹿を振り回してくれたのは大狼からの期待の表れだ。どうにも、小鹿のことを買い被っている節のある大狼は、何かと小鹿を構いたがったし、積極的に助言をくれた。今回もその延長線上のことで……必ずしも小鹿が付き合ってやる必要は、ない。
(でもなあ)
大狼の様子は常と違って見えた。ずっと感じていたことで、当の本人からは軽く躱されてしまっているが、それが気にならないと言えば嘘になる。なぜこんなにも入れ込むのか……そもそも大狼の目的とは一体何なのか? 八生の件もあって、他の光犯課メンバーよりは大狼と仲の良い自覚があるだけに、真実を暴かないままでいる、というのも嫌だった。それで自分はこの先も大狼を信用できるのか? 問われて素直に頷けない。
はあ、と、ため息交じりにハンドルに頭をつけた。その時だった。
「あ?」
ふらり、と横から誰かが現れて、どん、と軽い音と同時に車にぶつかった。一般的な乗用車だが、ぶつかれば車体は揺らぐ。視線を外に向けると、運転席の扉より少し前あたりに、誰かがぐったり寄りかかっている。
「お、おい、大丈夫か!」
具合の悪そうな様子に慌てて扉を開けると、誰かは胡乱気にこちらを見て――小鹿は固まった。
「あら、あなたは……」
「この間の……」
顔面が蒼白で、今にも眠ってしまいそうなほど瞼が重たげだったが、その人は間違いなく、四日前に小鹿が話をした女性だった。先輩いわく逆ナンされた相手であり、目下のところ大狼が一番会いたがっていた人物である。
なぜここに? と考えるよりも、その様子に小鹿は戸惑った。四日前、話をした時も病的に肌が白いと思ったが、今日は一層青白い。食事ができていないのではと疑うほど痩せ細った体躯は、力なく車に寄りかかったままで。
「すみません、すぐ、どきますから……」
「具合悪いんでしょう、無理しないで。よければ車内で少し休んでいきますか?」
動こうとする彼女を制し、小鹿はその手を取った。申し訳なさそうに下がった眉を横目に、後部座席の扉を開ける。本当に大丈夫です、と伝えたいらしいが、どうやら本当に眠ってしまいそうな彼女の呂律はうまく回らず、言葉と裏腹にぐ、と小鹿に体重がかかる。それで、問答無用で後部座席に寝かせた。
(一見すると誘拐くさいな、これ)
大丈夫だろうか、と、少しだけ不安に思って周囲を見渡す。目撃者は一人しかいなかった。
「見ていたぞ、小鹿くん。妙齢の女性をどうするつもりだ?」
俺というものがありながら、と、少し茶化し交じりに大狼がやってくる。片手にビニール袋を抱えていて、中には缶コーヒーと、それからなぜか熱さましシートの箱が見えた。
「とか言って、大狼さん最初から見てたんでしょう」
それで、小鹿は袋の中身を示してみせる。大狼はひょいと肩をすくめると、後部座席に横たわる女性の額に手を当てた。
「あんまりフラフラだったので、熱があるのではと思ったが……杞憂だったようだな」
この熱さましシートは小鹿くんに進呈しよう、と、大狼は缶コーヒーを除いた袋を押し付ける。思わず受け取ってから、袋の中に小鹿が愛飲しているカフェオレが入っているのを見つけて、ありがたく頂戴する。
「熟睡しているな」
大狼はポツリと呟くと、数瞬何かを考え込んで、それから無言で助手席に座った。
「小鹿くん、車を出してくれたまえ。署ではなく、俺の家に」
「……? 大狼さんの自宅、ですか?」
まさか大狼に限ってよからぬことはないだろうが、妙に思って問い返す。大狼は頷くと、早く、と小鹿を急かした。慌てて運転席に乗り込む。
「どうして、大狼さんの家に?」
「署だと不都合があるからだよ、小鹿くん。これは、代償睡眠だ」
小鹿の問いかけに大狼はそれだけを示してくれた。無言で車を発進させる。
(代償睡眠)
つまり、能力を使用した代償での、眠り。もし彼女が大狼の推理通り、変死体の殺人犯なのだとしたら。
(また、誰かが死んだのか)
少なくともこの近辺で、誰かが死んでいる。あるいは、死の淵にいるのだと思うと肝が冷えた。大狼はそれでも、被害者探しではなく、犯人と思しき女性のほうを優先させた。
(助かる見込みがないという考えなのか、それとも――)
不意に先ほど、車内で聞いた大狼の声が蘇る。俺だって正義の味方じゃない。そりゃそうだ、小鹿だって共感する。それでも納得できなくて、消化不良な思いが積もる。
大狼は何も言わなかった。後部座席の女性は、まるで眠り姫みたいに、目覚めることはなかった。
大狼の自宅は築十年の一戸建てである。その若さで戸建てに一人住まい、とは、何とも贅沢に思えるが、家自体は彼の両親の遺産と聞いた。大狼と八生の両親は、ちょうど五年前に亡くなったと聞く。
その家は、大狼が一人で住むには少しばかり大きすぎて、どこか持て余しているように感じられた。時折、大狼は光犯課の連中を数名連れ込み、ひっそりと飲み会をすることがあったが、どれほど人が増えても、にぎやかになっても、大狼とこの家はうまくマッチしていないように思えた。
今は車のない駐車場に車を止める。昔は大狼の両親の車があったらしいが、亡くなった後に処分したと聞いた。確かに大狼はペーパードライバーで普段運転をしない。車などあっても維持費がかかるばかりで、処分してしまったほうが楽だったのだろう。
大狼に促されるまま、女性を背負い家の中に入る。薄暗いリビングを通って、二階へ通される。今は亡き両親の部屋を大狼は客間に改装していて、小鹿もまた、泊まったことのある部屋だった。
「寝かせておいてくれ」
声を潜めることもせず、大狼は指示を出す。小鹿は言われたとおりにベッドに女性を横たえた。
「いいんですか、こんな、誘拐みたいな」
「構わん。第一、家へ送り届けたくても身元が何もわからないだろう。恐らく彼女は一定時間が過ぎるまで絶対に目を覚まさない。見た感じ仮死状態に陥っているような……肉体時間が停止しているといったほうが正しいか。とにかく特殊な状態だ。医療機関に連れて行くわけにもいかんだろう」
もっともらしい言い訳を並べて、大狼は一度部屋から出て行った。
小鹿はどうしたものかとうろたえる。眠っている女性と二人きり、しかも相手は、不可解な事件の殺人犯かもしれぬとあっては、落ち着いてなどいられなかった。大体にして、まず大狼の自宅へ連れてくるのがおかしいのだ。普段であれば間違いなく、大狼の根城である研究室へ連れ込むだろうに。
(なんだって、自宅なんかに)
考えているうち、大狼がカートを引いて戻ってきた。およそ一般的な家庭にあるまじき、医療用機器を運搬するためのカートである。事実カートの上には何やらごちゃごちゃと機械が乗っていた。小鹿の素人目にはそれが何の機械か、一見して判断できないが、モニターがあってコードがあってパットがあって、となると、おそらく心電図の機械だろう。
「見たければ見ていてもいいが、見たくなければ出て行ってもいいぞ」
大狼はふと、そんな風に前置いてから、小鹿をちらりと見やる。何を問われたのか一瞬理解できず、答えぬ小鹿をそのままに、大狼が女性の服に手をかけたあたりで気が付いた。
心電図の機械、とくれば、もちろん心電図検査をするに決まっているのに。
「って、ちょ、ちょっとまって大狼さんそれはさすがに」
「だから出て行ってよいと言ったのに」
呆れた声を上げながら、大狼の手は止まらない。女性の来ていたカーディガンの前を開け、ブラウスを緩めていく。手際よく、それでいて下心の一切ない手つきで心電図をセットし終えると、機械に向き直る。小鹿が騒いだので、大狼は数瞬考えたのち、邪魔にならないようにそっと毛布を掛けた。
「えと、なんでこんな……」
「小鹿くんは医療知識に疎かったかな。見たまえ、今の彼女の状態を」
言われて、モニターの中を覗き込む。通常拍動に合わせて振れるはずのグラフが、一向に動かず平行を保っていた。言われずとも鼓動をしていないのだとわかる。鼓動をしていない――心臓は、止まっている。
で、だ、と、大狼は再び女性に向き直った。そっと、胸元の毛布をどける。思わず覗き見た小鹿の目にも、その胸部がぼんやり輝いているのが見えた。ちょうど心臓があるだろう部位、皮膚の内側から、何かが光っている。
「……今まで見たことのない光化の仕方です」
「だろうな、俺も初めて見た」
大狼は言うと、毛布を元に戻した。毛布の厚い生地に覆われてしまえば、光は外まで漏れてこない。なるほど、カーディガンを一枚上に羽織るくらいで防げたはずである。
「光化症診断を下した医師の判断はおおむね正しいだろう。光っている位置的にも、光化部位が心臓である可能性は非常に高い。輝きの様子から見て、目測中度から重度の光化症、といったところか」
「中度の可能性があるんですか?」
「内臓光化は俺も初めて見たからな。どれだけの輝きで外に漏れてくるのかが分からない。彼女はやせ形だから、余分な脂肪がなく、その分素直に光が見えている可能性も否めない。とはいえ、いかんせん内臓部だ、解剖でもさせてもらえれば詳細な診断が出せるだろうが、現状それは難しいだろう」
そりゃそうですよ、とは口に出さず、小鹿は微妙な表情を浮かべた。
それで、この女性をこの部屋に隔離して、大狼は何を企んでいるのか。
「何を企んでいるのか? という顔をしているな」
瞬間大狼が苦笑する。小さく肩をすくめて、「何も企んではいないさ」と続けた。
「でも、それならなおのこと、研究室に連れて行ったほうが、設備も何も整ってたんじゃないですか」
戸惑いつつも問いかけると、大狼は「まあ、そうだろうな」と頷く。
「そうだろうなって……」
「だが同時に、研究室に入れたら最後、俺は警視庁所属の研究者として彼女と対峙せねばならなかっただろう」
大狼はきっぱりと言い切った。なぜそこまでして? と疑問に思う小鹿を横に、ふるり、と大狼の頭がふれる。
「どのみち、現時点で彼女はまだ容疑者でもなんでもない。ただの人命救助だ。光化症能力による代償で、意識を失った彼女を保護した……それだけのことに、研究室を使う必要はない。そうだろう?」
まるで言い聞かせるように、大狼がこちらを向く。
小鹿は頷くことも首を振ることもできず、何かを問おうと口を開き――結局、何も問えずに閉口した。




