大狼3
光化症研究所、とは、簡単に言えば未知の病である光化症について、国が研究・調査を進めるための機関である。七年前に隕石が墜落してから比較的すぐ設立された機関は、設立当初医学界の重鎮や宇宙学に詳しい専門家などで構成され、当時すでに「重度」と診断された患者数名を被験者として迎え入れた。
八生は最初期に迎え入れられた被験者の一人である。といっても、研究所の設立から実際の稼働までは一年あまりのブランクがあって、八生に光化症が発症し、その特殊な能力がいよいよ制御できなくなってからのことだったが。
光化症、が認知されてからすぐ整備された施設ということもあって、現存するすべての光化症外来はこの光化症研究所から認定登録を受ける必要があり、診断した内容は些細なものから重度のものまで、すべて研究所への報告が義務付けられている。といっても、個人情報の管理が厳しい昨今、患者を特定できる情報はすべて伏せた上で、あくまで診断内容のみが報告されている。
大狼と光化症研究所のかかわりについて、正直なところ、小鹿はその詳細を知らなかった。八生が研究所の所属である以外に、大狼は個人的に研究所へ通っているようだったし、恐らくはともに情報の共有、研究を行っているのだろうと思っていた。何せ大狼は幼い風貌とは別に、光化症研究の第一人者であり、その類稀な頭脳をすべて光化症研究に注いでいるような男である。そもそもの設立時に関わっていたとして、何らおかしなことではなかった。
「のに、なんで気づかなかったんですか」
小鹿は助手席に座る大狼を横目に見た。大狼は珍しくバツが悪そうな様子で、「すまない」と小さな声で謝罪する。小鹿が光化症研究所について提案した日から四日後。その日は時間的に難しいだろうと日を改めたのだが、お互いのスケジュールを合わせた結果、少し間が開いてしまっていた。
第一、普段の大狼ならば最初に気づいていただろう事なだけに、なおのこと小鹿には不思議だった。そもそも、小鹿は大狼が研究所のデータを調べたうえで話を進めていると思っていたのだ。むしろデータなしによくあれだけの推理ができたものだと感心するが、大狼らしからぬミスに首はどんどん傾いでいく。
「大体、いつもこんなに入れ込まないじゃないですか。入れ込むっていうか、光犯課に来て光犯研究室に協力願いが出てからじゃないと動かないのに、今回はやけに積極的ですね」
別にそれ以外の仕事を撥ねている、というわけではないけれど。大狼は気が向けば光犯課にやってきて、それぞれが抱えている案件に一言二言口出ししては解決に導く手伝いをしている。だが、今回のように光犯課に回ってすらいない案件について、積極的に嗅ぎまわり解決しようとはしていなかった。そこまで手を広げたら、大狼一人では対処できない。今や日常の些細な事件に光化症が関わってきていることを、小鹿でさえ実感していた。万引き事件然りだ。光化症能力者自体はまだまだ一般的ではないとしても、そもそもの光化症患者数が増えてきているのだ……絶対数が増えれば、能力発現が増えていくのもおかしくはない。
「入れ込んではいない。前も言っただろう。純粋な知的好奇心だよ……まあ、確かに今までの事件より集中していることは否めないが……」
大狼は言いにくそうにそれだけ答えると、「別に解決したいわけではないのだよ」と付け足した。
「解決したいわけじゃない?」
それこそおかしな話だ、と、小鹿は思う。小鹿が担当した万引き事件と違って、こちらは殺人である。野放しにはできないし、先日のニュースを見る限り、いよいよ光犯課に情報が回ってくるだろう、案件。だというのに、解決したいわけじゃないとはどういうことなのか。
言葉を間違えた自覚があるのか、大狼は小さく肩を竦めて「忘れてくれ」と続ける。
「個人的な話だ。個人的に、犯人の持つ能力に興味があった。それで事件解決に至れば万々歳だが、俺の主としての目的は解決ではない、ということだよ」
「えーっと、よく、わからないんですけど……能力を解明したいのであって、事件解決が目的じゃないってことですか?」
小鹿が問い返すと、大狼は苦笑気味に「そう」と頷いた。解決できればそれが一番だが、解決に至らずとも能力が解明できれば満足できる――要はそういうことなのだろう。
「なんか、やっぱり大狼さんらしくないですね」
なんとなく納得できなくて、小鹿は軽くむくれて見せた。三十近い男がむくれたところでかわいくはないだろうが、大狼ははは、と軽く笑うと「むくれるな」と言った。
「俺だって正義の味方じゃないからな。目的のためにどんなことだってする、とまではいかないが、より興味の強いほうに惹かれることだってある」
続けた大狼の声は少しだけ堅かったが、小鹿はそれ以上追及することをあきらめて、「そうですか」と口中で同意するのにとどめた。
信号を右折して、少し直進すると研究所が見えてくる。大きな白い建物は頑丈な柵と塀で囲われており、敷地内に入るためには門のところで警備員に身分証明する必要があった。
今日の訪問で言えば、大狼は研究所の常連で、小鹿とて何度か足を運んだことがあるので問題はない。というより、大狼は研究所の所員証を持っているらしいので、それを提示すれば終わりだった。
敷地内にある駐車場に車を止めて、いくつかわかれている棟の、一番手前にある建物を目指した。実際の研究資料を保管する建物は、A棟と書かれた看板があって、小鹿は入ったことのない建物だった。
「基本的に研究所の所員じゃないと入れないからな、この建物は。俺は二、三度訪れたことがあるが、すべての症例、能力データが保管されている」
簡単に説明しながら、受付で小鹿の分の来館証を受け取った大狼は、目当ての部屋へと促す。
促された部屋は大きな書庫だった。カートを通すためだろう、幅のある通路の横に、可動式の書棚がいくつも並んでいる。通路側の側面のボタンを押すと棚が動いて隙間を作るようで、重たい書棚は床から天井までびっしりと書物を埋めていた。
「所蔵されている書籍は医学から宇宙学に至るまで。例の光線についての研究書なんかもある。基本的に関連書籍はすべて所蔵されているから、見様によっては眉唾物のものも含まれているな」
大狼は言いながら、通路の真ん中ほどまで行くと書棚のボタンを押して隙間を開けた。
「ここから先が、症例および能力データの棚」
光化症の症例については、部位ごとに詳しく分類されているらしく、頭から始まり目、鼻、口、口のなかでも唇から歯、舌と細かく分けられていた。迷いなく進む大狼を見ながら、ふと目についた「目」の症例データを覗き見る。頭部の光化は症例自体が少ないのか、細かく分類されてある割にスペースが狭く、とったファイルも薄かった。それだけに、ぱっと開いて目についた症例が知人のものだとすぐにわかる。
(有馬さんのデータだ)
両目が光化している先輩刑事の一人を思い出して、あわててファイルを閉じる。個人情報を盗み見るようで何とも言えない罪悪感にかられた。小鹿とて、自分の光化症について詳細に誰かに知られたいとは思わない。もっとも、現状光犯課の主治医となっている、大狼には別だったけれど。
「この辺からだな」
そういって大狼が示したのは、胴体のスペースだった。
頭部と比べて圧倒的にスペースが大きい。それは腕や足にも言えたが、存外胴体部分……肩や背中、胸といった部位が、部分的に光化している症例は少なくないらしい。「小鹿くんはそちらから見てくれたまえ」と大狼が指示したので、小鹿は素直に頷いた。自分は左端から、大狼は右端から。
胸、のあたりのファイルを探し出して、中身を読んでいく。開くページはどれも表面的な……皮膚上の光化ばかりだった。胸の下あたり、上あたり、全面、脇から胸にかけて。掌が丸々光化している小鹿としては、皮膚の途中から突然光化する現象が不思議なことのように思えた。もちろん、自分の光化とて不思議でないとは言えなかったが。
同時に、痣のようだとも思う。図解された光化部位を見る限り、その形状に法則性はなく、まだら模様であったり塊であったり人それぞれである。読んでいくと、光化部位が大きい人ほど、光化深度も高いことが分かった。
「あった」
見つけたのは大狼だった。
疲れたような吐息とともに声が上がって、小鹿はそちらを見る。大狼がちらりとこちらを見たので、手にしていた資料を書棚に戻し、大狼に寄る。ちょうど下段を見ていたのだろう、しゃがみこみ膝上に資料を乗せていた大狼に合わせ、小鹿もしゃがみこむ。ほら、と大狼はファイルをこちらによこした。
『胸部光化症――皮膚面での光化は見られないものの、左胸部から中心部にかけてぼんやりと発光を確認。胸部X線異常なし、心電図異常なし』
簡潔な診断結果だけが記されており、決定的なことは何一つ示されていない。ただ診断した医者の所見として、『内臓光化の可能性あり、光化症研究所への入所と精密検査を勧める』と書かれてあった。診断日は五年前、隕石が墜落してから丁度二年後である。
「基本的に、光化症外来もしくは外来が整う前の各医療機関で診断され、光化症研究所へ入所と至ったケースには、研究所での所属番号が明記され基本的なデータが追加されていく。が、このファイルにそれがないのを見るに、患者は研究所への入所はおろか、精密検査自体を断った可能性が高いな」
大狼は言うと、ぱたん、とファイルを閉じて書棚にしまった。
「だがまあ、診察した病院は特定できた。五年前のデータだが、今までの事件と照らし合わせると生活圏が分かるかもしれない」
念のため能力データも確認しよう、と、それから大狼は立ち上がる。能力データはこの棚の裏面、と言って歩き出したので、小鹿も同じく従った。
「結局、大狼さんは逮捕したいんですか」
それで、小鹿は聞いてみる。車中でも話した内容だが、やはり納得できるような、できないような。簡潔に言えば大狼の目的が見えなくて、消化不良の思いを抱えていた。目的の見えないことに加担し続けるのは、小鹿としても不本意である。
「どうだろうな」
大狼は曖昧な返事をしてから、棚のファイルを漁りはじめた。それからぽつりと、零す。
「逮捕したいというよりは……話をしてみたいと、思う」
だから小鹿くん、君が羨ましいよ、と大狼は軽く笑った。突っ立ったままの小鹿を見つめて、「可能性のある人物と話をしたのだから」と続ける。
「……彼女がそうだとは、限りませんし」
「それもそうだな」
小さく笑った大狼が、心底そう思っているのかどうか。小鹿には解せなくて、そのまま口を噤んだ。




