大狼5
それから、他に何か身体的な異常が起きてないか検査をする、という大狼を残して、小鹿は一人署へ戻ることにした。署に戻って、次の変死体が発見されているかどうか確認する必要があったし、それに伴い光犯課への協力要請が下りていないか、見る必要があった。大狼はそう告げた小鹿に特に反論もせず頷き、「ならばそちらは任せよう」と一言だけ。女性を保護したことについて、公言してよいとも、隠してくれとも言わなかった。
車中で一人考える。大狼は何故そこまで、彼女の能力にこだわっているのか。
(強制的に成長を促進させる能力……憶測でしかないが、本当に彼女がそのような能力を持っているのだとしたら、大狼さんにどんなメリットがあるっていうんだ)
考えられる可能性は、八生のこと。大狼と八生の間にそびえる壁は高く、脱出不可能な迷宮のようだ。何か直接的な心情を示す言葉を一言、伝えればすぐに終わるはずなのに、伝えようとした言葉は迷宮の中に飲み込まれ、相手に届いたかどうかすらわからない。ややこしい兄妹だな、とは付き合い始めてからずっと思っていることだったが、今になってその異質さが浮き彫りになったような気がした。
(大狼さんが光化症研究を始めたのは、八生さんが光化症を発症したからだと、聞いた……)
大狼の経歴を、小鹿はそれほど詳しく知らない。光化症研究の第一人者、というからには、七年前の最初期から研究を始めているのは確かだろう。七年前といえば、大狼は二十代前半だったと思うのだが、当時から研究者として名を馳せていた、らしい。
らしいというのも、その当時のことを大狼自身詳しく話したがらず、知っている人間と知り合う機会にたまたま恵まれなかったためだ。ただ大狼の研究書や学術書が何冊も出回っているのを見るに、若くして天才ともてはやされた科学者だったことは間違いないだろう。
八生の光化症は、自分のそれと比べてもかなり特殊だ。
光線を浴びた直後には発症していたと聞く。その時から彼女の両足は光り輝いて、彼女は一番初めから重度の光化症患者だった。
(光化症の深度は、通常わずかなスパンでも軽度から始まり、必ず中度を経て重度に至る)
最初から重度の光化症、というのは存在しないはずであり、誰でも最初は軽度のはずだった。事実あの当時、光化症という診断名が使われるようになり、改めて深度計測をされた際、時折中度の者はいたけれど、重度の患者は全くいなかったのである。
だというのに、八生は初めから重度の光化症患者だった。光化部位の光り方が明らかに違う。光化範囲が広すぎて、両足すべてを覆っているのを見たとき、彼女の足は黄金の足なのだと思わざるを得なかった。実際、本当に光り輝いていたのである。両足が全体、いっそ黄金の足よりも輝いていた。
だからか、理由はわからないが。八生の能力発現は早かったと聞く。継続的な状態異常を代償とする能力は、八生の目から色彩を奪い、代わりに八生の足元から色鮮やかな植物を生んだ。八生を光化症研究所へ入所させるとき、その両足は包帯で何重にも巻かれ、その包帯の上から生い茂る緑が伸び生えてくるので、とうとう根の張らない鉄の檻に隔離して連れ込んだのだとは、当の八生から聞いた話である。
(もし、大狼さんが何か目的をもって光化症研究をしているのだとすれば)
それは間違いなく八生のためだろうと小鹿は断言できた。強すぎる能力のために、八生はひどい迫害を受けていただろうとは簡単に想像できた。小鹿とて、自分の左掌のせいで、平穏無事な生活をしてきたとは言えないのだから。
「考えても意味ない、か……」
結局のところ、すべては小鹿の推測でしかなく、大狼の真実は大狼しか知りえない。それはきっと、渦中にいるだろう八生でさえ知らないもののはずなのだ。
(明日、どうなったか聞いてみよう。この分だとおそらく、本当に光犯課に案件が回ってきているはずだろうし……俺が表だって動けるようになれば、大狼さんも少しは何か、目的を、教えてくれるかもしれない)
ハンドルを握る手に力を込める。車はまっすぐと、警視庁へ戻っていった。
結論から言えば、突然老化し衰弱死する、という件の事件は、光犯課預かりとなりあわただしく捜査は始まっていた。連続殺人事件、ともいえる事件について、大狼の推測とほぼ寸分違わぬ推理が展開されて、担当となった刑事はあちらこちらと情報を求めに奔走している。
「はずなんですけど」
小鹿はふてくされて、頬をぷくりと膨らませた。三十近い男がやっても全く可愛くないしぐさであったが、大狼は呆れたように肩をすくめると、「ふてくされるな」と軽く笑った。
大狼の研究室は、今日はいつもより資料であふれていた。ソファテーブルの上にまで積み上がった書類は、変死体事件のものだ。先ほど担当となった先輩刑事が重そうに資料を運んでいるのを見送ったばかりで、小鹿はその時からずっと、頬を膨らませ続けている。
「ふてくされだってしますよ! 俺担当になると思ってたのに。全然かすりもしねぇの」
「まあ、君の能力は短期記憶は得意だが、長期記憶は体に障るからな……いよいよ長期になってきた今回の件から外されるのは、わからなくもない」
「別に、見れないわけじゃないのに」
「君が見れる、見れないの問題ではないのだよ、小鹿くん」
大狼はなだめるように苦笑すると、小鹿が見ても問題のない資料と、見てはいけない資料とに区分けしていく。大狼は研究室の人間であるから、どんな案件だって探ろうと思えば探れるし、堂々と調査に加わることができる。が、小鹿はそうではない。通常業務をこなす人員と、特殊な事件を追うチームとに編成されてしまった以上、自分の管轄外の任務に首を突っ込むわけにはいかなかった。変死体事件に人が割かれてしまった結果、通常業務でさえ忙しくなっているのは事実だ。
小鹿の持つ、記憶を読み取る能力は、確かに短期記憶のほうが得意だった。触れている間だけ記憶を読み取る、とは、触れている間だけ、直前の記憶からさかのぼって読み取ることができる、という意味であり、古い記憶を探ろうとすれば、それだけ長く触れている必要があった。
それだけならば問題はない。触れる環境さえあれば小鹿の能力は有力だった。問題は、代償のほうである。
「時間に摂取量が比例するのだ。君一人の問題ではないし、代償摂取中に食べ物がなくなってしまった場合、苦しむのは君だ」
触れている時間が長くなれば長くなるほど、その後やってくる代償の量も多くなる。この間は九十キロで済んだものが、象もかくや、という量になれば、いくら小鹿用に大きな食糧庫を持つ食堂でさえ、対応しきれない。第一小鹿は象ではないのだ、残飯を食べるわけにもいかないし、それだけの食糧を調達するのにも、調理するのにも時間がかかる。
大狼の言うことはもっともで、小鹿とて理解している。だがなんとなく腑に落ちなくて、腕を組んだままソファに沈み込んだ。
「……それで、大狼さんのほうは、どうだったんです」
矛先を大狼へ向けた。変死体事件、についての問答は踏み込めないかもしれないが、大狼のもとに保護した女性、の話ならば問題ない。大狼は肩を竦めると「逃げられてしまったよ」と端的に答えをくれた。
「は?」
「いや、言葉の通りだ。彼女が眠っている間に、一通り身体検査はさせてもらったからね、データを得ることはできたが、起きた彼女と話をすることはできなんだ」
「身元とか……」
大狼は首を振る。彼女の持ち物に身元を示すものがなかったことは、大狼の家に運び込んで最初に確認したことである。だからこそ、彼女が目覚めるのを待っていたのだが。
大狼のらしくない失敗に、小鹿はじっとその眼を見つめる。大きな釣り目はぱちりと普段と変わらぬ瞬きをして、小鹿を見つめ返した。
「眠気冷ましのコーヒーを淹れようと、一階に下りたうちにね。目を覚まして、逃げてしまったようだ。家中探し回ったんだがどこにもいないし、目覚めにしてはずいぶんしっかり動けるようだ」
「珍しいですね」
それで、思わず小鹿は問いかける。大狼はことり、と首を傾げたが、自分の失敗についてだと気が付いたのだろう、苦笑する。
「そうでもないさ。俺も人並みに失敗をするし、今回に限って言えば……むしろ逃げてくれたほうが都合がよかった、と言わざるを得ないが」
それから、ちらり、と大狼の視線が資料の山に向いたので、小鹿は口を閉ざした。確かに、大狼のもとに事件の協力要請が来ている以上、(小鹿と大狼の中では)有力な参考人である彼女の存在は大きかった。何の疑いも持たれず彼女の情報を受け取ってくれればよいが、なぜそんなデータを持っているのか、匿っているのではないか、と、あらぬ疑いをかけられるのは御免だった。
「とにかく、ようやく堂々と捜査できるんだ。小鹿くんが担当から外れたのは痛いが、君は君で、しっかりと職務を全うしたまえ」
「……腑に落ちないんですけど」
「仕方ないだろう」
何度目かになるため息をついて、小鹿は立ち上がる。確かにこの場所に居続けていても進展はしないし、今後、表だって協力できることもないだろう。大狼の言うとおり、小鹿は自分の職務に戻らねばならない。
「ちゃんと解決したら、俺にもいろいろ、教えてくださいよ」
その代わり、ねだるように言う。大狼はわかった、わかった、と適当な様子で笑い返したが、小鹿はしっかり頷き返す。
(事件のことだけじゃなくって……大狼さんの目的、とやらも)
言外に含めた意味をきっと大狼は気づかない。小鹿は部屋を後にした。
大狼の目的を知ったところで、小鹿に何ができるとも思っていない。そこまで深く、大狼に入れ込んでいるわけではなかったはずなのに。
(乗りかかった船なのに、俺だけ何も知らず、動かされるのは、いやだ)
今回のように、好奇心、なんて曖昧な言葉で本質を覆い隠して、使われるだけなんて御免だった。たとえそれが小鹿のためを思ってのことだったとしても、小鹿は納得がいかない。それはきっと八生も同じで、だから八生は、大狼のことを「大狼さん」と白々しく呼ぶのだ。
(俺だって、力になれるはず、なんだ)
大狼がどう思うのか知らないけれど。もう少しこちらを向いてくれてもいいのにと、思う。




