86.当て馬祭り
最近、シベリウスさんは渡り廊下にいることが増えた。
……というより、長い講義の合間は大体渡り廊下にいる。
シベリウスさんは渡り廊下って人が通る場所だし、何よりも色んな角度から見えやすいところだから怖いんだって言ってたけど……結構前に、『頑張りたい』って言うようになって。
その言葉の通りに自発的に行くようになって、今となっては当たり前みたいにいる場所になった。
だから、シベリウスさんに用事がある時は、わたしの方から行くようにしてる。
今日も彼に用事があるから、渡り廊下にやってきた。
『シベリウスさん!』
海みたいに青い、シベリウスさんの瞳。
その中に、わたしの姿が映っている。
『あの……寮の部屋を変更する手続きをしたって、聞いて……』
『ん? そうだね。私の存在が色んな意味で厄介だからって理由で君と同室になってたんだけど、普通に認められたよ。……そもそも、男女同室っていうのが間違ってるしさ』
わたしたちは何故か、男女同室になっていた。
今となっては当たり前のように感じていたけれど、実はシベリウスさんの自傷行為に対応できるように、傷を癒す力を持つわたしが同室に入れられてみたい。
同室になってた事情は知らなかったけれど……納得といえば納得、かな。
わたしの意見も聞いて欲しかった、とは思うけれど……。
『それは、そうかもしれないけど……』
同室になった事情も知らなければ、部屋変更のことも知らなかった。
何もかも、わたしは置き去りだ。
『ねえ、セレナ』
シベリウスさんは、真っ直ぐにわたしを見据えた。
様子がおかしい感じはしない。今は安定してるみたい。
『私はね、君のことが好きだよ』
『え……?』
どきり、と胸が弾む。
これはどういう意味だろう。友情的な意味、だよね?
『ひとりの女性として、好き。お付き合いしたいとか、結婚したいとか、そういう方向で言ってる』
急に、どうしたの……?
これ……なんて、返せば良いんだろう。
わたしはシベリウスさんのこと、そういう風には……。
『それと、大事なことだから言っとくね。私が王子だからって、遠慮しなくていい。断ってくれていい』
……どうして?
『わ、わたしが……わたしが断るって、そう思ってたんですか?』
『うん。そうじゃなきゃ、部屋を変えてくれなんて言わないよ。部屋が一緒なら、誰よりも長く一緒にいられるのに』
シベリウスさんが部屋の変更手続きをしたのは、わたしのためだった。
わたしが断るって分かってて、気まずくなっちゃうだろうから。
だから、先に部屋を変更するための手続きをしておいた——そういうことだった、みたい。
『ごめんね、困らせてると思う。私のこと、そういう風に見てなかっただろうし』
『……』
『今からそういう風に見て欲しいなんて言わないよ。安心して欲しいな』
どうして、この人はわたしが何も言わなくても、勝手に話を進めてしまうんだろう。
そんなんじゃ……何も言い返すことが、できないよ。
『でも、困らせるって分かってても、どうしても言いたかったんだ。私もさ、前に進みたいから。ずっとずっと、立ち止まってばかりだったから』
『シベリウスさん……』
『巻き込んで、ごめんね。……それと、来てくれてありがとう。無視することだって、できたはずなのに』
改めて、シベリウスさんはわたしの顔を見た。
少しだけ、顔が赤い。その顔を見ると、嘘なんて吐いてないんだって分かっちゃう。
でも、最初から嘘だなんて思ってなかった。
シベリウスさんはずっと、わたしに対して誠実だったから。
……だからこそ、ちゃんと言葉を返そう。
何も言わなくても終わらせてくれそうだけど、それでも、ちゃんと。
『ごめんなさい、シベリウスさん。ずっと、助けてもらってたのに……わたし、あなたの想いには、応えられないです』
『……うん』
付き合い始めてから好きになるっていう方法もあるんだと思う。
シベリウスさんはそんなこと言わなかったけど、そういう方法もある。
しかも、わたしは一応貴族なんだから、政略結婚みたいな真似もできたはず。
シベリウスさんは、王子だからって気にしなくて良いって言ってくれたけれど、この選択肢があることは分かってたはずなのに。
『わたしに選択権をくれて、ありがとうございます。……シベリウスさん』
『助けてもらったのは、私の方だよ。ありがとうは、私のセリフだよ。……だから、もうひとつだけ言わせてね』
シベリウスさんは微笑んで、軽く首を傾げた。
『今、誰かの顔を思い浮かべてって言ったら、誰のことが浮かぶ?』
『誰か……って……』
『口には出さなくて良いよ』
言われた通りに、してみる。
……なんで、だろう。
頭に浮かんだのは、オルフェウスさんのことだった。
あの人が初めて笑いかけてくれた日のことを、思い出してしまった。
『ふふ、良いセンスだと思う』
『ど、どうして……』
わたしが誰のことを考えたのか。
そんなことさえ、シベリウスさんはお見通しだったみたい。
『私はね、その人のことを心の底から尊敬してた。ううん、尊敬してる。……あの人が前を向いたからこそ、私も頑張らなきゃって思った部分だってあるし』
シベリウスさんは、笑う。
『でも、一番は君のおかげ。君がいてくれたからこそ、私も変わりたいって思えたんだ』
『……』
『最後に、もう一度だけ』
淀みのない綺麗な青い瞳を細めて微笑むシベリウスさんの頬を、一筋の涙が伝った。
『——大好きだよ。セレナ・ルバート』
◇
「当て馬ーっ!!」
——俺は、崩れ落ちた。
バセットの前に、いきなりシベリウスがぶちかましてきた。
まだセレナの中では固まり切ってなかったオルフェウスへの恋心を自覚させて、自分自身は身を引く。
立場的に強制することも当然だけど、自覚していない間にグイグイ行くような真似だってできたはずなのに。当たり前のように、そんなことはしない。
振り回され続けていたセレナの意思を、最後の最後にこれでもかと尊重してみせた。
——見事な……本当に見事な、当て馬だった。
「当て馬……」
もうやめて。俺を当て馬でしばかないでくれ。
崩れた俺の横にいた明里さんに、ポンポンと肩を叩かれた。
「次はラウダが行きます」
慰めてくれたのかと思ったら、追撃された……。
「死刑宣告しないで」
「締めでバセットです」
「なんでそういうことするの?」
バセットと、強いて言えばシベリウスは覚悟してた。
でも、他も来るとは思わなかった。なんでだよ。そういう感じしなかったじゃん。
「セレナは気づいてないだけで、みんなが彼女を助けるだけの理由はあったというか……そういう感じに行こうと思って……」
原作が乙女ゲームっていうのを隠していたこともあって、伏線はちょっと弱い。
セレナに対して好感を持ってはいても、恋心までは抱いてなかったんじゃないかって印象がある子も一定数いる。
それでも明里さんと奏音ちゃんは、この台本を頑張ってまとめきるつもりらしい——最後に攻略対象全面協力という強すぎる流れを組んだ上で、盛大な婚約破棄をするために。
「兄さーん」
シベリウスが元気に駆け寄ってきた気がするな。
でも顔を上げる気にはなれないな。辛い。
「兄さん……本当に駄目なんだね……」
「どうして僕はオルフェウスなんだ……当て馬を見ると、意味もなくヒーローの方をしばきたくなるのに……」
「もう自分をしばくしか……」
我ながら訳が分からないことを言っている自覚はある。
——オルフェウスには悪いけど、当て馬じゃない方を演じるのしんどい。
だからといって、当て馬の方をやれる気はしない。
あの儚くて切ない感じをやれる気がしない。
俺が嘆いている間に、観客が散った。
誰もいなくなったから、ということで呟く。
「ところでさ、君たちって『本能』とかその辺が関わってないところも上手いよね……? なんで……?」
アリオーソなんて『シベリウスに斬られて倒れる教員役』やったことあるし。
あれも別に変じゃなかった。ていうか普通にやれてた。……なんで?
今回の当て馬回もそうだ。
原作のシベリウスは、ここまで露骨な当て馬はやらないらしい。
それもそのはず、彼は油断すると剥製を作るくらいには変化を恐れる子だ。
そんな彼が、自ら変化を望むとは思えない——要するに今回の台本、ほぼほぼ原作関係無しに書かれた『アドリブ台本』らしい。
それでもシベリウスは見事にやりきった。
なんでだよ。才能どうなってんだよ。
「なんでって……」
シベリウスは目を丸くして瞬きしたあと、悪戯めいた笑みを浮かべた。
「慣れた」
「天才かな?」
慣れた、で涙を流せるの本当にすごいと思う。
この子の場合は仕事に生かせそうな能力でもあるから、結果的に良かったのかもだけど。
「透も結構慣れてきてる感じはするけどね。すごいね、ひとりだけゼロからスタートしてるのに」
「理不尽なことにさ、俺のとこには『ヘタクソ演技カムバック』っていうファンレターが相当数届くんだよ。匿名で」
「あははっ」
……酷い。
「まあ……頑張る。裏で嘆きながら……」
当て馬回はオルフェウスの出番が無さそうだから、裏で嘆きまくってても支障が出ないのは本当に助かる。
そんなことを考えながら、近くに来ていた奏音ちゃんに目を向ける。
奏音ちゃんは、何とも言えない顔をしながら俺を見ていた。
「なるべく、頑張りますね。当て馬シーンでオルフェウスが出ないように」
頑張りますね!?
出るかもしれないって!?
勘弁してくれ! 嫌だ!!
「ほんっと頼むよ!? 相方に泣き演技やらせたタイミングでNG出すの申し訳なさすぎて終わる!!」
嘆かなきゃ良いのにとは思うけど、無理なものは無理な自信がある。
特に鳥セレって攻略対象が全員不幸スタートだからこそ、恋愛面くらいは報われて欲しいって思っちゃうんだよなぁ。
セレナが分身しない限りは無理なんだけど……無理だから、通常ルートかつ初手で行く可能性が高い逆ハーエンドが未曽有の大事故なんだけど……。
シベリウスはくすくす笑って、俺に耳打ちした。
「現実の私にはフローレンスがいるし、透は自分のこと考えたって良いんじゃない?」
「!?」
そんなことを言われてしまうと、つい明里さんを見てしまう。
彼女は通信機能付き宝石で誰かと会話していた。……だからこそ、シベリウスは今言ってきたんだろうけど。
シベリウス、すごく楽しそうに笑ってるし——あれ、奏音ちゃんもニヤニヤしてる!?
「……。隠してるつもりだったんだけど、そんなに分かりやすかったか?」
「あははっ」
顔が赤くなってる自覚はある。
困ったなぁ……。
「まあ、色々……色々、落ち着いたら、ね……」
俺の場合、結局はそこに行きつく。
しかも俺の場合は、身体の問題もあるんだから。
……わざわざ言わないけどさ。
革命案件もあるし、それだけの問題じゃない。
この一連の流れを聞いていなかった明里さんが、俺たちの方を振り返る。
「アリオーソ君経由で連絡入りました。……ショーム地区、何とか抑えたって」
「えっ!?」
俺が嘆いている間に、リチェルカータ侯爵家の仕事が進んでいた。
もう、本当に申し訳ない。本当にありがとうございます。
「あと、演習場で訓練に付き合って欲しいって伝えてって言われました」
「シベリウス?」
「透さんに」
「えっ!? 俺じゃ訓練相手として成立しないぞ!?」
いざという時の戦いに備えてるんだろうけど、なんで俺なんだよ!!
俺が抱く疑問なんて察してたみたいで、アリオーソから事情聞いてたっぽい明里さんは不思議そうな顔をして口を開く。
「なんか……剣を使わないみたいです。棍を使うって言ってました」
「え?」
「その……それでも、棍使ってても、ラウダ君じゃ相手にならないって……」
——唐突にラウダが可哀想なことになった。
「分かった、行く。……そっか、バセットはヴィルレーさんのとこ帰ってたもんな、俺しかいないわけだな」
唐突に可哀想なことになったラウダこそ棍を使ってくれないかなぁと密かに思いつつ、俺は演習場へと向かった。
【Tips:通常ルートの逆ハーエンド】
ある程度全員と仲良くする方向、つまり『普通に』プレイすると行ってしまう、恐怖のバッドエンド。その仕様上、全プレイヤーが初手で引き当てる想定となっている。
一番好感度が高いキャラがセレナを殺害し、一番好感度が低いキャラが遺体をバラバラにし、その身体のパーツを各々が持ち去るというもの。
ちなみにどこを持ち去るかは毎回ランダムだが、どちらにせよ狂気。
恐怖でしかないが、一応全員が個別ルートに入るためのヒントを言ってくれる。
一番分かりやすいのがシベリウス(条件:彼以外の好感度を低めにする)で、彼は「私だけを見て欲しかった。私以外はどうでも良いって思って欲しかった」と言う。怖い。
裏ルート分岐の条件でもある。その際は全員ちょっとずつセリフが変わり、「もう一度、生きた君に会えたらな」的なことを言い出す。
それを見た後に周回プレイに入ると裏ルートに入るが、肝心の裏ルートが色々と『おしまい』なので特定の性癖を持つプレイヤー以外は恐らく発狂した。




