73.それで良いの?
「……」
どっかの誰かさん。
アリオーソたちは適当なことを言っているわけではない。中身が違うと、確信している——ここで誤魔化すのは不可能だし、何よりも彼らに不誠実だ。
「俺は、日下部透。……透が名前で、日下部が苗字。2年前に、ここじゃない違う世界で死んで……気がついたら、オルフェウスの身体に入り込んでた」
信じられないと思うけど、とは言わなかった。
オルフェウスの中身が違うと分かっている彼らに、それを言う必要はない。
ただ、本人から『そうだ』と断言されるのはやっぱり辛かったんだと思う。
アリオーソの顔が、微かに曇った。
「透の方が年上なのは流石に分かってるんだが、今まで通りで大丈夫か?」
「構わないよ」
年齢的なものまで見抜かれるみたいだ。
空気が、重い。……当たり前だと思う。
だからこそ、俺から話し掛ける。
「いつ気づいたか、聞いてもいい?」
すると、アリオーソもシベリウスも、少し難しい顔をして口を開いた。
「……実質、最初から。『中身が違う』っていう結論に至るまではちょっとタイムラグがあるが」
「私もそうだね。最初からおかしいとは思ってたよ」
「最初から? 嘘だろ……?」
色々とやらかした自覚はある。
だからかなって思ってたけど……最初から?
俺は一切、誤魔化せてなかったってことか?
1年前にアリオーソが「違和感はあった」ってニュアンスのこと言ってくれてはいたけど、あれ、『全力の気遣い』だったの?
動揺する俺を見て、シベリウスは困ったように笑った。
「足に後遺症が残ってなかったとしても、中身が『兄さん』のままだったら。流れは変わってたかもだけど、結果的には天啓通りになってたんじゃないかな。……それくらい、違和感しかなかったよ」
「そう、なの……?」
「大体、私たちはさ。よりによって『リュートがやった』って時点で、もう終わったなって思ったんだ」
リュート。
リュート・ベリーニ・ラヴェル。
オルフェウスの記憶から探り当てたいけど、なかなか情報を引き出せない人物。
……そうか、俺が初手でリュートについて触れなかった時点で、違和感しかなかったんだ。
アリオーソは寂しげに、自嘲的に吐き捨てた。
「毒を盛られた時に関しては怪しいみたいだが、リュートのことを忘れたわけじゃない。でもリュートが毒を盛ったって話をされても、特に動じることはない。それが、何よりおかしいんだ。……もちろん、他にも理由はあるけどな」
「本当は、他の部分で気づきたかったけどね。リュートに対する反応じゃなくてさ」
多分、シベリウスもアリオーソも俺の『リュートに対する態度』で真っ先に異変を感じ取りたくはなかったんだろな。
それも、分からなくはない。
できれば自分自身への対応で気づきたかったはずだ。……付き合いが、長いのだから。
そんな彼らの複雑な気持ちを拭い去りたくて、俺は口を開いた。
「俺は、『オルフェウス』の記憶が覗き込めるんだよね。今までは、それでどうにかやってきた。……でも、限界があって」
オルフェウスからすれば、絶対に言われたくない話だとは思う。
でも、申し訳ないとは思うんだけど……話させてくれ。
「俺の想像が正しければ、オルフェウスが俺に見せたくない記憶は見えにくいか、そもそも見れない。リュートに関する記憶は、どっちにも該当したんだ」
「……」
「だから、咄嗟に対応することができなかった。演じるような真似もできなかった。毒を盛られた時のことは割と最近分かったんだけど、あれも多分、オルフェウスに頼み込んだから見せてもらえたんだろなって思ってる……相当に、残酷なことされてたからさ」
俺は、オルフェウスが毒を盛られた時の話をした。
彼らの反応を見て、察する——オルフェウスにとって、リュートがどれほど大切な存在だったのかを。
「……俺があと2時間くらい早く、生まれてたら良かったんだけどな」
アリオーソが、謎の言葉を口にする。
そちらに目をやると、彼は弱々しく笑っていた。
「その反応を見るに、透はオルフェウスが俺のことをどう思っていたか。その辺は詳しく分かってないんじゃないか?」
俺が今、持ってる情報って『詳しく』ないのか?
……分からない。分からないなら、確認するしかない。
「幼馴染で、親友で、リュートよりも親しかった存在。オルフェウスが君に対してどういう話し方をしていたか、逆に君がオルフェウスに対してどういう態度を取っていたかは分かってる。俺が把握してるのは、これくらい。……十分だと思ったんだけど、不足してるのかな?」
だから俺は、アリオーソに対して『今まで通りでいてほしい』と言った。
仲が良いなら、主従を前提とした態度を貫いていないのなら。それが正解だと思っていた。
「……」
そうじゃないっていう事実に気づくのは、容易だった。
「やっぱり、オルフェが俺を『弟』みたいに扱ってたのは、気づいてなかったか」
弟? アリオーソを?
この兄貴分を? どうして?
でも、とてもじゃないけど冗談を言っているようには見えなかった。
アリオーソは、どこか寂しそうに目を伏せる。
「幼馴染はともかく、親友、リュートより親しい、に関しては嬉しい話だな。……そっか、完全に弟ってわけじゃなかったか」
そして彼は、深く息を吐き出した。
ため息、というわけじゃなく、呼吸を整えていた。まだ、だいぶ息苦しそうだ。
会話を切り上げたいところだけど、これは流石に止まらないと思う。……止めちゃ、駄目だと思う。
「俺とオルフェの誕生日は同じ。生まれたのは俺がちょっと後。後だろうが先だろうが、俺がオルフェに仕えるのは確定だったと思う。多分、ここまでは分かってるな?」
「そうだね、分かってる」
「そか。まあ、今言ったのがすべての始まりっつーか……俺、めちゃくちゃ厳しくしつけられたんだわ。『本当にそこまでやらなきゃいけねぇのか?』って思うくらい。小さい頃は、毎日ってレベルで隠れて泣いてたな。できねぇから仕方ないが、叱られてばかりだったし」
その辺りは、ある程度はオルフェウスの記憶で分かってるし、バセット騒動の時に痛いほどに分かってる。でも、本人の口から聞くのは初めてだ。
「そうだな。アイツの前じゃ意地でも言わなかったが、俺が『なんで俺が王子に仕えなきゃならないんだ』って思ったことは、一度や二度ってレベルじゃない」
「……そうだと思うよ」
アリオーソの立場って、何も分からない小さな子どもが、大人の都合を無理矢理に押し付けられたようなものなんだよね。
だから、嫌になって捻くれずに、何もかも投げ出さずに、最終的に親や周りの期待に応えきった彼のことは素直に尊敬している。オルフェウスに対して、負の感情を抱いてる感じすらしないし。
でも、ふと思う。
これは『俺』の感想であって、『オルフェウス』の感想じゃない。
アリオーソは、話を続ける。
「多分な、オルフェは俺の境遇に同情してた。仕方ないことなんだって今なら理解できるんだが、両親も年の離れた兄貴も、とにかく俺に厳しかった。それを見て、代わりに『優しい兄』で居ようとしてくれたんだと思う。……自分の方が、早く生まれたからって」
「同情……」
「流石に表には出てなかったけどな。でもな、やられてる側は案外分かるもんだよ」
そして、彼は酷く寂しそうに笑った。
「あえて悪い言い方をする。あえて、嫌な言い方を選ぶ。アイツはどこか、俺を下に見てたんだよ。守ってやらなきゃいけない存在だって。……アイツが、主人なのにな」
先に生まれたから、可哀想な子だから。
だから、ちゃんと守ってあげないと。
——彼が言うように、それは何らかの形で自分が『相手より上』だと認識していなければ出ない感情だ。
俺が年下であるこの子たちに対して抱く庇護欲は、まさにそれだ。
下に見てるって言われるのは、かなり嫌だけど……じゃあ完全に否定できるかって言われたら、正直厳しい。
でも、オルフェウスとアリオーソは同い年だ。俺の状況とは真逆の環境だ。
幼馴染で、親友で、リュートよりも親しい存在だというのに、そこに庇護欲めいたものが入り込めば、どうしたって歪さは生じる。
対等であるべき場に入り混じる歪な感情を、アリオーソは感じ取っていたんだと思う。
……だから、
「言えるわけねぇだろ。……度胸試しの類が苦手だってことも、花ごときに負ける体質のことも。言っちまえば、どうにかこうにか俺から遠ざけようとしたのが目に見えてる」
アリオーソは、静かに目を伏せる。
そして悔しそうに、微かに声を震わせた。
「オルフェの態度に気づいた後は、なるべく強そうに見えるように振る舞ってみたさ。それでも、最初にできちまった癖っていうのは、どうにも抜けなかったんだろうな。結局俺は、オルフェが無条件に甘えてもいい存在には、弱音を吐いても良い存在には……なれなかった」
その言葉で、すとんと腑に落ちた。
「そうか……リュートって、そもそも年上だから……」
甘えて良い存在。弱音を吐ける存在。
もちろん、軽いものならアリオーソにも言えていたと思う。
でも、言語化できないような、湧き上がる不安のようなものを口にするのは難しかったんだろうな。
シベリウスは、おもむろに頷く。
「アリオーソが駄目なら、私も駄目だよ。だから、兄さんには本当に『リュートしかいなかった』んだ」
この子に関しても、オルフェウスは可愛い弟だと認識していたことは分かってる。
でも、『可愛い弟』と『頼れる存在』って、別問題だ。
シベリウス本人が言うように、アリオーソが駄目なら、この子は絶対に駄目だ。
ふたりに指摘されて分かったけど……オルフェウスの記憶を覗き見た時の癖が、見事に出てるな。
強いて言えば、自分の婚約者がアレすぎて、婚約者と良好な関係を育めているシベリウスを羨ましく思っていたくらいだろうか。
それ以外は不自然なくらい、負の感情めいたものが見えない。
どれだけ仲が良くたって、普通は何かしらあるだろ。
これは、あまりにも不自然すぎる。
……つまり、それは。
「オルフェウスにとってリュートは親友とか、そういうのじゃなくって。王太子筆頭候補って言う立場を気にせずに甘えに甘えられて、それを全部受け止めてくれる存在、安心できる存在……だったんだね」
「そうだな。なのに、そいつに裏切られたんだ。だから、俺とシベリウス目線だと『絶対にオルフェは精神的におかしくなる』っていう結論が出たんだよ」
ちょっと、オルフェウスの気質が見えてきた。
この子、元々完璧主義な気はしてたけど、それって割と病的なレベルだったんだと思う。
完璧主義だったからこそ、俺に負の感情の類を見せたくなかったんじゃないかな。
完璧主義だったからこそ——『守りたい』と思っている子の前で、みっともない姿は絶対に見せられないって考えちゃったんじゃないかな。
残酷な話だけど……アリオーソもシベリウスも、間違いなく気づいてる。
自分たちが、オルフェウスに負担を掛けている場面があったんじゃないかって。
「俺が不信感持たれるのは、当然だったわけか。……確かに、何の反応もしなかったからね」
完璧主義な子が『守りたい』と思ってる相手の前で気を抜けるはずがない。
アリオーソもシベリウスも、俺が覗き見たオルフェウスの記憶に『親しい存在』として残っている時点で、常にガチガチに気を張り詰めているわけじゃなかったんだとは思う。
それでも、大なり小なりそういう思いがあることが問題だ。
だから、オルフェウスはリュートに依存じみた感情を抱いていたんじゃないかな。
裏切られたショックで、外からやってきた意味の分からない存在を受け入れてしまうくらいには。
——どこまでも『不器用な子』だったんだろうな。
そんな不器用なオルフェウスのことを、ふたりが求めているのは分かってる。
リュートに傷つけられて、どこかに行ってしまった彼のことを気にしているのは、分かっている。
「……ごめんね。俺の手で、『オルフェウス』を引っ張り出せれば良いんだけど」
多分、聞いてると思うんだよな。
この話、全部、分かってると思うんだよ。
「多分、今は身体の中で同居状態なんだと思ってる。反応は無いけど、記憶の見え方に不自然さがある時点で、中から本人に操作されてるようにしか思えなくて」
色々と話題が出てるけど、出てくる気配がない。
反応もなければ、追加で記憶が見えてくる感じもない。
「……」
シベリウスは、俺に対して怪訝そうな眼差しを向けた。
「引っ張り出せればって言うけどさ。それができた場合って、透ってどうなるの?」
オルフェウス、じゃなくて俺のことを気にしてるのか。
最初から気づいていた癖に、この場で俺がはっきり証言までしたのに。
それでも「どうでも良いからさっさと出ていけ」って言わない辺り……優しいな。
「どうなるんだろうね? でも多分、本来の俺って魂だけの状態だろうから、そのまま消えるんじゃないかって思ってる」
「……透は、それで良いの?」
胸が、痛い。
ストレートにそれを聞かれると、苦しい——でも、
「良いとか悪いとかじゃないよ。正しい形に戻るだけじゃないか。そもそも、俺がここに在ること自体が間違ってるんだから」
本来は俺の意思なんて、考慮されるべきじゃない。
消えたくないなんて、言ってはいけない。
「オレは、嫌だよ。……そんなの、絶対に嫌だ」
ずっと黙っていたラウダが、口を開いた。
小柄な少年に視線を移すと、黒い瞳が涙で潤んでいた。
「申し訳ないけど……それなら『オルフェウス殿下』に消えて欲しいとすら思うよ」
「ラウダ!?」
シベリウスとアリオーソがいる前で、その発言はいくらなんでも駄目だ!
そう思って、俺はラウダに手を伸ばした。口を塞いだ方が良いと、思った。
……でも、それでも。
俺から距離を取ってでも。彼は、止まらなかった。
「2年前、オレを助けてくれたのは誰?」
ラウダは酷く震えた声で、俺に訴えかけた。
「助けてもらったのに、仲間に入れてもらったのに……オレはずっと怯えっぱなしで、情けなくて、どうしようもない人間だったのに……っ、それでも突き放さず、寄り添い続けてくれたのは、誰だと思ってるんだよ……っ」
その黒い瞳から涙が零れ落ちるのを見るのは、いつ以来だろうか。
ラウダは首を横に振り、叫んだ。
「——オレにとっての『オルフェウス』は『あなた』なんだ! あなた以外を、受け入れられるわけがないじゃないか!!」
それはもう、周囲への配慮も、自分の立場も顧みず、なりふり構っていられないほどに。
ただ心の底から俺を求める、悲痛な叫びだった。




