63.その後の彼の話
シベリウスの愛馬、レランド。
若い雄馬で、磨き上げられた真っ黒な毛並みが輝いている——控えめに言っても、とんでもなく『美しい馬』だ。
元々は王国騎士団が保有する軍馬の一頭だったらしい。
しかし、彼は誰の言うことも聞かず、とにかく騎士団員を吹っ飛ばしまくって病院送りにしまくる暴れ馬だった。
騎士団員一同どうしたものかと思っていると、ある日、勝手に厩舎に侵入したシベリウス(13歳)と暴れ馬が仲良く戯れている様が目撃された。
そして言うことを聞かなさすぎる暴れ馬が第二王子の言うことは何故かこれでもかと聞くわ、その第二王子が暴れ馬を相棒に騎士団員顔負けの騎乗戦をマスターして見せるわ、3年後にその第二王子が暴れ馬を攫って学園に入学するわで、騎士団員一同は暴れ馬に頭を抱え……って、これはレランドじゃなくてシベリウスが暴れてないか? シベリウスに頭を抱えるべき案件じゃないか?
——とかなんとか考えていると、ラウダの悲鳴が聞こえた。
「あーあ……」
俺は20mくらい先でレランドに吹っ飛ばされて動かなくなったラウダと、その治療に走った奏音ちゃん、それに付いていった明里さんの姿を座って眺めていた。
ちなみに俺も30分くらい前に吹っ飛ばされた。
……普通に死ぬかと思った。
全員ご飯食べてないから良いけど、つまり胃の中に何かしら入ってたら違う意味でも大惨事になってると思う。
シベリウス以外は全員モザイク処理案件になってたと思う。
治療されるラウダと、彼を救出する最中にやらかして新たな犠牲者と化して動かなくなったアリオーソを見ていると、横から影が差した。
「オルフェウス殿下」
俺の20分くらい前に動かなくなっていたバセットが、俺の側にやってきて座る。
……結構痩せたなーって思うけど、何だか吹っ切れたようにも見えた。
「身体は大丈夫?」
「大丈夫です。最近はちゃんとご飯も食べれるようになったんで。……あと、レランド的な意味でも平気です」
レランドの報告は要らなかった。
要らなかったけど、まあ、触れとこう。
「えーと、レランドは……あれ、騎士団どうしてるの……? 掻っ攫ってきたんだよね?」
「そのー……厩舎に置いといても怪我人増やすだけなんで、もうこのままシベリウス殿下に飼っといてもらおうって話になってるみたいです。いざって時に、シベリウス殿下の足になりますし……」
騎士団の皆さん、本当にすみません。
「だ、大丈夫かな、シベリウスの元に置いといて……あの子、レランドを脅し文句に使ってるみたいなんだけど……っていうか、君は脅されてない?」
「えっ、脅され……?」
「あはは、良かった。君には言わなかったか。『来ないとレランドで吹っ飛ばす』って」
「うっわ、怖っ! そんなの、病院送り確定じゃないですか!」
レランドは本当に綺麗な馬だから、奏音ちゃんも乗りたそうにしてる。
乗りたそうにしてるけど、ひとりで乗ってはいけない。レランドは男女平等だ。
あの馬は男だろうが女だろうが、容赦なく振るい落として蹴り飛ばす。
奏音ちゃんが動かなくなったら誰も助けられない。
申し訳ないけど、乗るならシベリウスと一緒に乗って。
「……」
話題が、途切れた。
バセットは少し、言葉を探している様子だ。
だから、俺の方から急かすような真似はしない。
しばらく、待ってみる。さらさらと、風に吹かれた草が揺れる音がした。
「オルフェウス殿下」
バセットが、話し始める。
「本当に、ありがとうございました。……正直、こんな風に過ごせるなんて思ってなかったです」
バセットは命こそ奪われなかったものの、爵位剥奪に伴って社会的身分を失うことが確定していた。
財産の類も無く、身一つで、しかもたったひとりで放り出されるはずの人間だった。
だから俺たちができる範囲で、悪目立ちしない範囲で何とかするつもりだった。
……でも、俺たちが何もしなくても。バセットの周りにいた人たちが、率先して動いていた。
彼は、困ったように笑う。
「実は未練的なものが無かったかって言われたら、嘘になるんです。……それでも、全部諦めようって思ってました」
最初に動いたのは、王国騎士団に所属する人々だった。
彼らはバセットの救済を求めて募った多数の署名を提出しただけでなく、中には彼を養子として引き取ろうとした者もいたらしい。
バセット本人は養子縁組を断るどころか退団を申し出たようなのだが、騎士団側は「休み休みで良いから」とそれを阻止したようだ。
「全部……諦める、つもりだったんですよ」
そして騎士団在籍継続に伴って、彼が学園に通い続けることも可能になった。
元々バセットは王国騎士団枠でこの学園に通っていたから、学費に関してはオフィクレイド男爵家に一切頼っていなかった。
この枠は騎士団員として働き続けることを条件として成立するものだし、騎士団だけじゃなく国も認めたから、制度上においても一切問題が無くなった。
それでも、どうやらバセット本人は退学を申し出ていたらしい。
……すると今度は、学園側が止めてくれた。
その理由は『実家が革命第二派に関与していた生徒全員を問答無用で辞めさせる必要はない』という国および学園の方針が出ていたことと、何より、彼が必死に頑張っていたことを誰もが知っていたからだ。
「どういたしましてって言いたいところだけど……僕は、何もしてないよ」
体育座りで、小さく縮こまっていた彼との距離を詰めてみる。
逃げられる可能性も考えていたけれど、そんなことはなかった。素直に、受け入れてくれた。
「全部、君が頑張ってきたからこそだよ。その評価が、表に出てきただけだよ」
この子の周りには、俺が思っていた以上に味方になってくれる人が大勢いたみたいだ。
よく考えたら、俺が見ていたのはこの子のほんの一部分だけに過ぎないし、しかも、ごく短い期間の付き合いでしかない。それでも、この結果には納得できてしまう。
裏に『オルフェウスを超えれば家族に愛して貰えるかもしれない』っていう思いがあったのも知ってるけど、そんなことでこの子の努力や頑張りが消えてなくなる訳じゃないしね。
「……っ」
うーん、耐えてるな。
これは素直に泣かせた方が良いのか、違うことを考えさせた方が良いのか。
……間を、取るか。
「あのさ、ずっと疑問に思ってたんだけど……君を引き取った人たちって、何者……?」
彼に手を差し伸べた人たちの中に、謎のご家族が混ざっていた。
騎士団関係者でも何でもない40代くらいのご夫婦とお婆ちゃんっていう、本当に謎でしかない人たちが混ざっていた。
俺たちが謎のご家族の存在を知ったのは、オフィクレイド男爵家が捕縛された日のことだった。
その日、ラウダに彼の実家から連絡が入った……と見せかけ、相手は実家の『ご近所さん』だった。
彼らは言った。
「バセットって子は大丈夫か」と。
——そう、ありがたいんだけど謎でしかないことを聞いてきた。
その後も定期的にラウダが連絡係を担っていた。
そして何やかんやあって、バセットは彼らの養子となった。
「とりあえず、ラウダの実家付近にある果物屋さんってことしか知らないんだよね」
そして、今回のピクニックであれやらそれやらをバセットに持たせて送り出した人たちでもある。
シベリウスのピクニックの準備に対する回答が「大丈夫っぽい」になった理由がこれだ。すべてが謎の人たち任せになったからだ。
ありがたいんだけど、ありがたいんだけど、本当に何者なのか分からない。
「ええと……そうですね……って、うわ……」
視界の片隅で、何かまたラウダが暴れ馬の被害を受けて動かなくなってた。
タイミングが悪すぎる。見なかったことにしよう。ごめん、ラウダ。
「その、おれ……今吹っ飛ばされた血筋的にヤバそうな先輩の護衛であの辺りに行ったことがあるんですけど……」
それは、ラウダの実家に変な手紙が届いてたことが判明した時の話だ。
さらっとあの子が『下手な貴族より放置するとヤバい平民』だと判明したせいで、バセットは自主的にラウダを実家まで護衛しに行っていた。そうか、あの時に縁ができたのか。
「……」
バセットは、急に言葉に詰まった。
そして、
「そ、そういえば……鍵の件ってどうなったんでしょうか? あの時はすみません。何というか、えと、おれ自身も革命に関与してるも同然だったんで、あんな重要なものに触れるべきじゃないって考えたら、パニックに、なっちゃって……」
「……。今じゃない、かな」
確かにあの時のバセットの様子は気になってたし、鍵に関する報告はまだ聞けてない。
けど、今は違うな。ちょっと話を変えて、誤魔化そうとしたな? そういうの良くないぞ。
「……ごめんなさい」
「話した方が楽になるんじゃないかって思った。違ったら、ごめん」
バセットは「そうですね」と呟き、困ったような、ちょっと辛そうな笑顔を浮かべた。
「あの時……ラウダ先輩、それとなく気遣ってくれたのか、かなり早いタイミングで「解散しよう」って言ってくれたんです。でも、念のため追い掛けたんです」
「……」
「先輩には伝えてなかったんですけど、おれは店の場所を知ってたんです。だから早めのタイミングで解散されたって、裏道の類使って逃げ回られたって……そもそもの場所を知ってたから、追い掛けるのは余裕だったんです」
分かってた。
これは俺だけじゃなくて、アリオーソも分かってた。
「あの人の家族、ラウダ先輩の顔を見た瞬間に察したんだと思います。髪が短くなったのは本人の意思じゃないって、誰かにやられたんだろうって……話題的な意味でも、物理的な意味でも、一切、髪に触れようとしなかったんで」
バセットにとっては、相当に酷な景色を見せることになるだろうと……分かっていた。
「だから、ただ……あの人が、元気に帰ってきたことに対してだけ……喜んでたんですよね」
これは、事実上の『答え合わせ』だ。
やっぱり、としか言いようがなかった。
……それどころか、俺たちが思っていた以上に残酷なことになっていた。
バセットは何とか笑おうとはしてたけど、微かに俺から焦点を逸らした淡い銀の瞳は、涙で揺らいでいた。
「分かってて付いて行ったくせに、思ってた以上に堪えちゃって。……ラウダ先輩のことを『羨ましいな』って思ってしまった瞬間に、耐えられなくなっちゃって。
もう、動けそうもなかったんで……気持ちが落ち着くまで、路地裏に引っ込んでようって思ったんです。ちょうど良いとこに、狭くて人目に付かない場所があったので」
声を震わせ、バセットは俯いてしまった。
少し、間が開いた。言葉が続くのは分かっていたから、急かさずに待つ。
「……」
顔を、上げてくれた。
そのまま彼は、目元に涙を浮かべたまま、笑った。
「そんなことしてたら、近くにあった果物屋さんに回収されちゃいました。それどころか、泊まっていけとまで言われちゃいました」
そう言って、バセットは短い金の髪に触れる。
「本当かどうか知らないんですけど……ずっと昔に亡くなった娘さんが、金髪だったらしいんです。同じ髪色の子どもが辛そうにしているのを見て、放っておけなかったんだって、言われました」
不思議な縁があるものだな、と思う。
……彼が嫌っていた髪の色が、新たな出会いを生んだんだね。
「それが、ヴィルレー夫妻かな?」
「……はい」
——バセット・ヴィルレー。
それが、今の彼の名前だ。
彼は処遇が決まって釈放された後、しばらくヴィルレー夫妻のところで過ごしていたそうだ。
そんな時、シベリウスからピクニックに誘われているのを聞かれたみたいで……気づけば、こんなことになってたらしい。
彼も手伝ったんだろうけど、それにしたって、結構張り切った感じになってる。
……大事にされてるんだろうな。
「庶子だろうが何だろうが、おれが犯罪者の息子であることに変わりはありませんし、連座処刑を免れてる時点で告発者だってことはバレバレだと思うんです。だからこそ、おれを憎む人間って大勢いると思うんですよね」
今回の騒動で、爵位剥奪に至った家は多数存在する。
そもそも変なことに加担していたのが悪いのだから、バセットを憎むのは筋違いだ。
けれど、人間ってそう簡単なものじゃない。納得できずに、彼に敵意を向ける者も存在するだろう。
当然そのことを分かった上で、ヴィルレー夫妻は彼を引き取ることを選んだ。
「本当は誰も巻き込むつもり、無かったんですけど……拘留中に何度も面会に来ていただいてるうちに、最終的に……折れちゃいました」
「……そっか」
「ありがたいなって気持ちもあるのですが、何より申し訳ないなって思ってます。その……正直なことを言うと、あの人たちは、おれの素の性格知ってるから手を取りやすかったって言うのがあって……未だに思ってます。本当に甘えて良かったのかなって」
素の性格。
素の性格、か……。
こうやって面と向かって話してみると分かるけど、バセットはかなり大人しい子だ。
根が生真面目なのは間違いないけれど、この感じだと、本当は人前に立つような真似をするのは向いていない気がする。……新入生代表挨拶、結構無理してたんじゃないかな。
でも、表向きの彼はずっと『明るくて人懐っこい少年』を演じていただろうから、その姿しか見せていない相手の前だと我慢し続けなきゃいけないって考えているんだと思う。
どれだけ辛くても、どれだけしんどくても、ひたすらそのキャラクターを演じ続けなければいけないと思い込んでいるんだろうな。
自分自身の弱さを理由に、ヴィルレー夫妻の手を取ってしまった。
バセットはそこに罪悪感を持ってるっぽいけど、俺はそうは思わないよ。
「良いんじゃないかな、そういうのも。……ほら、縁って奴だよ。縁は大事にすべきだと思うな」
本当はそんなこと無いだろうし、彼の素の性格に気づいてる人間も大勢いたとは思うんだけど、長年かけて刷り込まれた価値観って、そう簡単には変わらないし、変えられないんだと思う。
だから今は、彼が少しでも楽だと思える環境で過ごせるなら、それが一番だ。
あまり無理をさせるのも違うだろうし、暗めの話はこれくらいにしとこうか。話題を少し変えよう。
……時間的にも、ちょうど良い感じだし。
「そろそろ、君が持たせてもらったお弁当、皆で食べる?」
「はい。えっと……玉子焼きが美味しいですよ」
「食べる」
家庭の味代表選手権やったら上位に組み込んできそうなのが出てきたな。
玉子焼きとか、王太子やってるとまず食べる機会ないし、懐かし——
「きゃああああああっ!!」
「!?」
俺とバセットが立ち上がると同時、明里さんの悲鳴が聞こえた。
空高く、打ち上がっていた。びっくりするくらい、打ち上がっていた。
「あか……っ、じゃなくて、ヴィオレッタ!?」
——どうして君が吹っ飛んでるんだよ!?
死亡フラグ100%の悪役令嬢が何をやってるんだ!?
フラグ全然関係ないところで死にに行ってどうするんだ!!
もうちょっとバセットと話そうかなって思ってたんだけどな……。
「ほら、オルフェウス殿下。婚約者さんが吹っ飛んでます。早く行ってあげてください」
「し、締まらないなぁ……」
「ふふっ」
……もう良いや、バセットが笑ってるし。
俺は全速力で明里さんたちのところに行って、暴れ馬と遊ぶのはやめてご飯にしようと訴えた。




