59.その箱の中身
冷や汗をかいていたのは分かっているから、上だけでも着替えさせておこうか。
覚悟を決めてここまでやっといてなんだけど、可能な限り死亡フラグは潰しておいた方がいいだろう。とりあえず、ジャケットは脱がせておこう。ポケットの中に何か入ってるかもしれないし。
「……。『オルフェウス』のだから、許してね」
肌着とシャツを用意して、タオルを濡らして、バセットの上半身を起こす。
ごめんと思いながら服を脱がすと、虐待の痕跡が露わになって目を覆いたくなった。
軽く身体を拭いてから服を着せて、もう一度寝かせる。
ちょっと微熱がありそうだと判断したから、違うタオルを冷やして額に乗せておいた。
「さて……」
流石にジャケットくらいは、漁っておこうか。
明らかに人に見せちゃ駄目な手紙を持ち歩くくらい平常心が欠落してたから、まだ何かしら持ってるような気がする。
「……うーん、ハンカチとかティッシュの類すらないな。普段なら持ってそうだけど」
びっくりするくらい何も入ってないな。鍵束の類しか入ってない。
追加の薬——毒薬の類は入ってなかった。今日、初めて渡されたのかな。
そうなると、俺がこの子に殺されるとすれば『刺殺』かな。
困ったな、バセットは俺たちと同じパターンで得物が簡易収納魔法に入ってるんだよな。
物理的に持ち歩いてないんだよな。急に得物がぬっと出てくるパターンなんだよな。
一番駄目なのが防げない。最初から分かってたけど。
「拘束とか、そういうのはしたくないんだよな……」
とんでもなく危機感が無いのは分かってる。
でも、このまま寝かせといてあげたい。起きるまでそっとしときたい。
……とか考えてたら、思いきり扉をノックされた。
「オルフェウス殿下! 開けて!!」
ラウダだ。
えっ、早くないか……?
仕方ないから、扉越しに話すことにした。
「……。君、強化魔法の類は使えなかったと思うんだけど」
ラウダも同時詠唱はできるし、浮遊魔法も使える。
でもオルフェウスと違って強化魔法と、さらにいえば索敵魔法は使えない。
だから俺を追ってくるにしたって、もう少し時間が掛かるものだと思ってた。
物理的に追いかけてくるのもそうだけど、探し回っていた感じがしない。
つまり、ピンポイントで居場所を探知されたとしか思えない。
ラウダはイラついた様子で、再び扉を叩く。
「ああもう! 色々掛けてもらって、場所も見抜いて貰って! それで追い掛けてきたんだよ!!」
「あー……対人強化使える子がいたのか……」
これはアリオーソだな。
あの子、自分が何を得意としてるのか黙ってたし。そっか、対人強化だったか。
随分と珍しい能力持ってたんだな。これは完全に失念してた。
そして対人強化魔法を前提に考えたら、想定案件が増える。
「ヴィオレッタの索敵魔法を対人強化で底上げして、居場所抜かれたわけだね」
ヴィオレッタが索敵魔法を扱えるのは知っていた。
彼女は原作で索敵魔法を使ってオルフェウスを追いかけ回すからだ。
ただ、そこまで索敵範囲を広げられないと聞いていた。それなら大丈夫だと思ってた。
「そうだよ。……他の人もすぐに来る。諦めて、ここ開けて」
これは駄目かな、と思って……俺は気づいた。
バセットが持っていた鍵束を掴んで、ほんの少しだけ扉を開けて、すぐに閉める。
「ちょっと!?」
「悪いんだけど、優先順位そっちで。……絶対になんかあると思うから」
これはこれで申し訳ないけど、背に腹は代えられない。
ここまで秘匿されてきたんだ。
バセットの部屋の中には、絶対に推定トゥルー案件が隠れてる。
「漁って来いってこと?」
「そうだね。僕はここで待ってる。……大丈夫、まだ起きる気配無いし」
首に、ヒヤリとした何かが当てられている。
それでも俺は、扉に手を当てて話し続けた。
「話聞いてる感じ、協力したらすぐに見つけて戻ってこれるんじゃない? 早く行って早く帰ってきて。僕は大丈夫だから」
扉の外が、廊下が、かなり騒がしくなっている。
これは全員やってきたなと思いつつ、俺は譲らない。
強行突破されたら、もうどうしようもないけれど——幸い、俺が提示した優先順位を受け入れてくれた。音が、遠くなっていく。
そうだよな。
君たちだって、何だかんだ言いつつも非情にはなり切れないみたいだし。
今の状態で動けば問答無用になってしまうのは、全員分かってるだろうし。
そうして、扉の向こうの気配が完全に消え去った後。
「……あなた、何を考えてるんですか?」
後ろから、バセットの声がした。
首に当てられているものが何なのかは、当然分かっていた。
それでも、怖くはなかった。
「助けを求めたところで、君がそれを横に引く方が早いだろ?」
「……」
これは、現実的な問題。
首に刃物を当てられている時点で、おしまいだ。
何をどうやったって俺は殺される。逃げようがない。
……そして、
「何より、君は『やらない』って信じてるし」
これは、俺の願望。
でも、この会話をしている最中に刃を引かれなかったことが答えだと思う。
「……馬鹿なんですか?」
「馬鹿かもね。というより、愚かだって思ってるよ」
王太子の癖に。
何より、身体を間借りしてる人間の癖に。
扉に手を当てたまま、バセットと目を合わせないまま。
俺はただ、笑う。
「悪いけど、あの子たちが帰ってきたら流石にここ開けるよ。だから、それ隠してベッドに座っときなよ。いっそのこと、寝たフリしてても良いよ」
「……」
「君に、合わせるから」
本当にそのつもりだ。
ラウダが騒ぐ声で起きたんだろうけど、しんどいだろうから座るか寝るかして欲しい。
一拍の間。
酷く弱々しく、バセットは呟いた。
「……どうして」
彼が持っていた短剣が、消える。
「どうして、あなたは『嫌な奴』でいてくれないんですか……?」
嫌な奴でいて欲しかった。
……殺すことを躊躇わずに済む存在でいて欲しかった。
悲鳴のような言葉が、俺の耳に届いた。
「そっか。俺は君に、嫌な奴だとは思われてなかったんだね」
そういう風に思われていなかったことは嬉しい。
でも、だからこそ『彼を苦しませていた』という事実を理解してしまった。
「……ごめん」
「ッ、なんでっ、なんでそこであなたが謝るんですか……!?」
きっと、バセットルートにおけるオルフェウスの死亡フラグは、とっくの昔に折れていた。
現実のバセットは、すべての条件を成立させたところでオルフェウスを殺せなかった。
——もうオルフェウスを容赦なく殺すことが、できなくなっていた。
でも、殺されなければ良いって問題じゃない。
俺のせいで、この子は余計に苦しんだんだ。……俺が、この身体に入り込んだせいで。
「とりあえず、ベッドに戻って。あの子たちが、いつ帰ってくるか分からないから」
俺は扉の鍵に手を掛ける。
その手は、情けないほどに震えていた。
◇
案の定、と言えば良いだろうか。
バセットの部屋からは、白い箱に入った大量の手紙が見つかった。
読む前に、事前にシベリウスたちに忠告された。
……かなり、内容が酷いらしい。
だから念のため、コラーレ兄弟はこの部屋に人を近づけないために人払いをしてくれているそうだ。
絶対に誰にも聞かせてはならない、と判断したそうだ。
「……」
バセット本人を前にして申し訳ないが、俺は箱の中に入った手紙の内容を検める。
手紙が届き始めたのは彼が第1学年だった頃の末——2月頃から。
最初は、母親からの手紙だった。
……愛に満ち溢れた、優しい内容だった。
『本当はあなたを愛しているの。でも、お父さんたちの前では堂々と愛せなかった。弱いお母さんでごめんね』
『あなたは私の宝物よ。学園ですごく頑張っているって聞いているわ。来年も最上位クラスに入ることが決まったそうね。とても素晴らしいことだわ。心の底から、誇りに思うわ』
『大好きよ、バセット』
それなのに、今年の途中から文面が変わっていった。
突然、バセットを呪うような文言が並ぶようになっていった。
『あなたなんか、生むんじゃなかった』
『あなたが生まれたせいで、あの人は愛人と遊ぶようになったの。私のことなんて見てくれなくなった。あの人は婿養子なのに、私の両親もどっちつかず。全部私のせいだって、だから、ある程度の火遊びは見逃せって言うの』
『私はちょっと遊んだだけじゃない。何が悪いの?』
そして、
『あなた、顔は良いのよね、腹が立つくらい。髪も目も、まるで宝石みたいね。本当にお父さんそっくりね』
『もうオフィクレイドにはいないんだけど、あなたのお父さんは庭師のターナーっていう人なのよ。その綺麗な顔も、髪も目も、全部全部、ターナー譲りなの』
『可哀想に』
——バセットは既に、自分が庶子であることを知っていた。
俺たちが止められない場所で、知らない場所で。
血の繋がった肉親によって、残酷な真実を告げられていた。
「……っ」
頭に血が上るというより、むしろ逆だった。妙に冷静だった。
胸の奥に、冷たい怒りが沈んでいた。
そっと、手紙の日付を見る。
この時期、自分たちが何をしていたかを思い出す。
確かオルフェウスに命じられ、アリオーソとバセットが剣を打ち合うシーンを再現していたのはこの時期のはずだ。
俺の記憶が正しければ、この手紙が届いて2日後くらいのタイミングでやっていたと思う。
あの時、バセットはアリオーソの演技に怯え、NGを出した。
今になって考えてみると、彼がNGを出したのはあの時が最初で最後だった。
そして、さっき見てしまったバセットの身体に残る痛々しい傷跡が脳裏を過る。
——恐らく、フラッシュバックだ。
怒鳴られ、暴力を振るわれたことを思い出してしまったのだろう。
最悪な手紙は、まだ続く。
貶され続けるのかと思いきや、急に優しい母としての言葉が綴られ始める。
……曰く、『今までの手紙はお父さんに命令されて書いたの』だと。
そうして、3ヶ月ほど前から。
今度は、父親からの手紙が届くようになっていた。
こちらも最初は、父親としての優しい言葉が綴られていた。
『2人の兄と容姿が違うお前を、どうしても受け入れられなかった。本当に申し訳ない。これは私の弱さだ。虐待だと騒がれても、仕方がないことだ』
『お前が家を出て、ようやくお前の大切さに気づいた。どうして私は、あんなことをしてしまったのだろうか。辛かったろう、苦しかったろう。謝ってすむことではないのは、分かっている』
『バセット。血は繋がらなくとも、お前は私の大切な息子だ』
手紙の内容がおかしくなるまでには、今度はそう時間は掛からなかった。
優しかったのは、たった数枚だけだった。
それ以降は破り捨てたくなるほどに、あまりにも残酷な言葉が並んでいた。
……これをバセット本人がすべて読んでいるという事実を、受け入れたくなかった。
そうして、再び内容が変わる。
『我が家の支援者は、この国を変えたいそうだ。素晴らしい意志をお持ちの方々だ。すぐに私たちは賛同した。オフィクレイドは新たな国の礎となるのだ。誇りに思うがいい』
『ありがたいことに、任務を授かっている。お前、王太子と仲が良いそうじゃないか。そんなお前に、ぴったりの任務だ』
もう、やめてくれ。
思わず、力が入ってしまった。紙に、シワが寄った。
『王太子オルフェウスを、殺せ』
——その後はもう、ただひたすらに『早く殺せ』という文字列が届き続けた。
バセットが引きこもっていた1週間の間にも、手紙は届き続けていた。
きっと、彼の両親は時間に追われていたのだろう。その手の約束をしていたのかもしれない。
そして今日バセットが受け取った手紙には。
彼が制服の内ポケットに入れていた手紙には、こう記されていた。
『毒で死に損なった王太子様だ。今度は、お前の手できちんと殺してさしあげろ』
こんな文言と一緒に、毒薬が届いた。
どうして……どうして、こんなにも、惨い真似ができるのか。
バセットは、届いた手紙を箱に入れてすべて取っていた。
愛の言葉が書かれた手紙も、罵詈雑言が書かれた手紙も、すべて。
この子は一体、何を思って。
……この箱を、埋めていたのだろうか。
泣くことだけは耐えろと、俺は自身に訴えかける。
それに必死で、力が入らなくて。持っていた手紙が手から滑り落ちた。
カサリ、と。
酷く乾いた音が、静かすぎる部屋の中で響いた。
そうしてバセットは、吐き捨てるように口を開く。
「もう、分かったでしょう?」
「……」
「疑う必要すら、ないでしょう?」
彼は、残酷なまでに美しく笑った。
「——おれのこと、さっさとしょっぴいてもらえませんか?」




