58.たとえ甘いと言われても
ここから数話、かなり重い話が続きます。
(割と重い時は重い作風ではありますが……)
学園は本当に広くて、敷地内、厳密に言うと校舎裏に小さな山がある。
つまり裏山って言えば良いのかな? そんな場所が存在する。
わたしがフィールドワークの授業を終えて学園に戻っていると、その先にヴィオレッタ様がいた。
『ど……どうして?』
ヴィオレッタ様が裏山に来る理由はない。
なら……多分、待ち伏せされてたんだと思う。
見つかる前にこの場を立ち去ろうとしたんだけど、当然、逃げられなかった。
『ルバート様。あなたのせいで、わたくしの計画は台無しになりましたの』
『計画?』
鋭い赤紫の瞳。
美しいそれはどこか、狂気に染まっていた。
『当然……責任を取って頂けますわよね?』
それは何なのかを考える間もなく、いつの間にか、わたしの周囲には人だかりができていた。
集まっているのは間違いなく、ヴィオレッタ様が連れてきた人たちだ。
しかも、わたしと同じ講義を受けていた人たちはいなくなっていた——人払いを、されたのかもしれない。つまり、わたしの味方はどこにもいない!
『嘘……』
早く逃げなきゃ……! でも、どうしたら良いの?
完全に、包囲されている。どこを見たって、抜け道なんてものは存在しない!
『い、嫌……っ』
ここで捕まったら何をされるのか分からない! 怖い……!!
助けて、誰か……!!
『——大地よ! 彼の者たちの足を絡め取れ!』
空から、声が聞こえた。
木の上から、誰かが飛び降りてきたみたい。
……長い金色の髪が、それが誰なのかを教えてくれた。
『スネアクレイ!』
周りにいた人たちの足が、地面に沈む。
不意打ちで身動きを封じられて、バランスを崩して転んでいる。
バセットさんは、その隙にわたしを包囲網の外に引っ張り出してくれた。
彼は、少し呆れた様子で口を開く。
『あーあ、僕がもっと強い魔法使えたら恰好良かったんだけどねぇ』
『ば、バセットさん……』
『だから気をつけなって言ったのに。こんな場所でひとりで動いてちゃ『狙ってください』って言ってるようなものじゃんかぁ』
確かに。
確かに警告はされてた。
これは、わたしの落ち度だ。
『まったくもう……』
それでもバセットさんは、困ったようにわたしに笑いかけてみせた。
『今回は自作自演でもなんでもなく、ちゃんと助けにきたよ』
本当に、怖かった。
安心して、涙が溢れそうになった。
『助けにきてくれて、ありがとうございました……』
『どういたしまして。……とりあえず、逃げよっか。不意打ちだったからどうにかなったけど、この人数相手に耐久戦やれる気がしないし』
バセットさんはウインクして、わたしの手を引いて走る。
後ろからヴィオレッタ様の怒鳴り声が聞こえた。それでも構わずに、走る。
その途中で、オルフェウスさんとアリオーソさんに出会った。
『セレナ……!?』
逃げているわたしたちと、後を追うヴィオレッタ様。
それを見たふたりが、わたしたちの身に何が起こったのかを察するのは、そう難しいことでは無かった。
『ヴィオレッタ! 貴様……っ!!』
『……』
オルフェウスさんが怒りをあらわにして、アリオーソさんも警戒態勢に入る。
ヴィオレッタ様は、彼らの姿を見て悲痛な声を上げた。
『あなたが……! あなたが悪いんですのよ!? どうして、この小娘のことばかり……!!』
『知ったことか! 貴様こそ、自分の胸に手を当てて考える努力をしたらどうだ!?』
『わたくしはあなたの婚約者です! 婚約者以外の女性を大切にされて怒るのは、当たり前のことでしょう!?』
確かに、そうなのかもしれない。
オルフェウスさんがヴィオレッタ様を蔑ろにしているのは事実だ。
だから、ある程度は仕方がないのかもしれない。でも……
『貴様は限度という言葉を知っているか?』
オルフェウスさんは、深くため息を吐き出す。
『そもそも最近の貴様は、僕を監視しているようにしか見えない。姿を見せずに僕を見ていたり、取り巻きの人間に僕を追い掛けさせたりしているそうだな?』
『そ、それは……!!』
ヴィオレッタ様はアリオーソさんを睨みつける。
彼は側近だから、そういう動きを機敏に察知してたんだろうな……。
『……』
睨まれてるけど、アリオーソさんは何も言わない。
オルフェウスさんの足が治っても、彼は相変わらず物静かだった。
『……ッ!』
分が悪いと思ったんだと思う。
ヴィオレッタ様は、今度はわたしたちを睨んで走り去っていった。
残されたわたしたちは、少し黙り込む。
そしてオルフェウスさんは、バセットさんを見て口を開いた。
『バセット。……すまなかったな』
彼は、静かに謝った。
バセットさんのことだから、飄々といなすものだと思ってた……けれど、
『すまなかった、で済むと思ってるわけ?』
彼が口走ったのは、明確にオルフェウスさんを責める言葉だった。
アリオーソさんの顔色が変わる。でも、バセットさんは引かなかった。
『あなたとアリオーソ先輩は爵位が高いから無事で済んでるんだろうけどさ。僕らみたいな下の人間がどんな目に遭ってるかを一瞬でも考えたこと、ある?』
バセットさんは掴んだままだったわたしの手を離して、その手をわたしの頭に持っていく。
そして「ごめん、セレナちゃん」と言って頭を撫でてくれた。……どこか、弱々しい手つきだった。
『言っとくけど、悪い影響受けてるのはこの子だけじゃないよ』
謝られた理由はすぐに分かった。
彼が吐き捨てるように言い切った言葉が、わたしにとっても苦しいものだったからだ。
……わたしと関わったせいで傷ついてきた人たちの話を、今ここでオルフェウスさんに告げる気だからだ。
『クレメンティ先生とジェズアルド先生は大事にしてた温室を滅茶苦茶にされたし、ラウダ先輩に至っては殺されかけてたんだよ? 彼ら、平民だから何も文句言えないよねぇ? あの人たちが何されたって、あなたたちには関係ないってことかな?』
バセットさんは、乾いた笑い声を上げる。
『あと、この件とは無関係かもだけどさ。シベリウス王子は裏どころか本人に聞こえるような場所で好き放題に言われてるっぽいし、何なら、見えないところで何かされてても驚かないなぁ。……あなたと違って、結構手出ししやすいしね、あの人って』
かつて彼はシベリウスさんに色々と吹き込んで、彼を酷く不安定な状態に追いやったことがある。これは、バセットさんだからこそ言える言葉だ。
——そして彼は、呆れたように目を細めた。
『あの人に『ごめんなさい』だなんて、僕なら口が裂けても言えないなぁ。恥知らずにもほどがあるんじゃない?』
渡り廊下での会話。
それを……バセットさんは聞いていたんだ。
止める隙も無く発された、あまりにも残酷な言葉。
でも、全部事実だ。何も否定はできないんだ。
全部、オルフェウスさんが大好きなヴィオレッタ様と、その取り巻きがやったことだ。
そもそも、わたしに否定する権利なんてない……わたしだって、その原因なんだから。
『バセッ……っ!』
アリオーソさんがバセットさんに何か言おうとしたけれど、オルフェウスさんが止めた。
傷ついているのは、見たら分かる。何か言いたそうにしていたけれど、彼はそれを飲み込んだ。
そしてバセットさんに、問いかける。
『君も、何か被害に……?』
……そうだ。
バセットさんもこの学園においては、立場的には弱い。
何かされていてもおかしくない。
わたしは彼の横顔を見上げる。
——彼は、何の感情もこもっていない瞳でオルフェウスさんを見ていた。
『ノーコメント。あなたに話すことは何も無いよ』
『……』
バセットさんは重々しくため息を吐き出した。
『だーめだな。このまま君を連れ去ってしまおうかと思ったけど、モヤモヤしてどうにもなんない。当たっちゃいそうだし……おさらば、しようかな』
『ば、バセットさん……!』
わたしから距離を取って、彼は笑う。
『セレナちゃん、バイバーイ。今度からはちゃんと気を付けなよー』
◇
「……」
オルフェウスがヴィオレッタを突き放し続けたことで、セレナが危険な目に遭った。
それでも彼は最後までセレナのことしか見ず、ヴィオレッタだけを責めていた。
その態度に強い怒りを覚えたバセットは、オルフェウスに王族や上位貴族への嫌味を言うだけでなく、立場的に弱い人間が今、どんな目に遭っているのかを突きつける。
——この後、原作ゲームにおけるバセットはオルフェウスを殺害する。
このシーンだけを見ると、私怨とか正義感の暴走っぽく見えるし、台本に目を通した段階で俺もそれは指摘した。
でも、ここ以外のシーンも参考にしてしまうと、逆に『考え得る可能性が多すぎて断定できない』って話だったな。
今となっては、このイベントの後に発生するバセットのオルフェウス殺害は革命に関与していることが確定している。
そして現実のバセットも似たような状況に追い込まれている。
何がどうなっているのかは分からない部分も多いけれど……多分、葛藤しているんだと思う。そんなバセットに、これを演じさせるのは酷すぎる。
3日前。
改めて台本を読んだ俺は、この原作再現に待ったをかけた。
俺だけじゃない。明里さんと奏音ちゃんもやめさせようとしたし、出番のないラウダとコラーレ兄弟までバセットを止めた。
それどころか、バセットがボロを出すことを狙っていたシベリウスとアリオーソでさえ、やめさせる方向に動いた。……彼らですら、鬼にはなりきれなかった。
だから「病み上がりで動き回るのは辛いだろう」って、適当に理由を付けて俺たちは止めた。けれど、それでも彼は「やる」と言って譲らなかった。
セリフを覚える都合上、かなり前の段階で、バセットには本人のセリフだけが書かれた簡易台本が渡されていた。この子の役どころは『チャラ男』ってこともあって、とにかくセリフが多いからだ。
バセットに台本を渡していなければ、無かったことにして押し切れた。
でも、彼はこのシーンがあることを知っていた。だから、押し切ることができなかった。
……その上、しっかり練習していたんだと思う。
彼がNGを出すことはなかった。
チャラ男の姿では無くなった——優等生の姿に戻ったバセットは、心配する俺たちを見て困ったように笑う。
「だから大丈夫ですってば! その……えっと、ちょっと下してただけっす! 流行る類のだと良くないなって思って、部屋に引っ込んでただけなんで!」
それで誤魔化し切れると思ってるのか!?
顔色の悪さも、冷や汗が止まらないのも、目の下に隈ができているのも、君は全然隠せてないんだぞ!?
「……っ」
衝動的にバセットの肩を掴みたくなった。
掴んで、ふざけるなと怒鳴りたくなった。
でも、そんなことはできない。
それをするわけには……いかない。
空気が、重い。
そんな中でバセットは、何事も無かったかのように振る舞ってみせる。
「とりあえず、解散っすね。観客の人たちも帰っていきましたし」
どうにかこうにか、この場を切り抜けようとしている。
俺たちに「早く帰ろう」と言わんばかりの態度だ。明らかに、空元気だ。
どうしたものかと思いながら、俺はバセットに手を伸ばす。この様子だと、最後にひとり残りそうだからだ。
せめて寮に帰るところまでは見届けたいと思ってしまった。
「お、オルフェウス殿下……?」
「ほら、解散するんでしょ? 一緒に行こう?」
そのまま、近づく。
バセットは、首を横にゆるゆると振った。
……そして、
「ッ、離れてください! こっちに、来ないで……っ」
その淡い銀の瞳が、恐怖で染まったのを見逃さなかった。
酷く、息が上がっている。言葉にならない声が、彼の口から洩れている。
「バセット」
「い、嫌だ……っ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……っ」
「バセット!」
改めて、手を伸ばす。
その時はただ、後ずさりして逃げ出そうとする彼の手を掴みたいだけだった。
まさか、傾いた彼の身体を受け止める流れになるとは思わなかった。
「バセット! おい、バセット……!」
意識がない。
そんな彼が着ているジャケットの内ポケットから、封筒が滑り落ちた。
「え……」
消印を見た感じだと、今日の朝に届いたのだろうか。
封は切られている。中から、薬包みが転がり落ちた。
ぽつぽつと落ちてきた雨粒が、差出人の名前を滲ませる。
それでも、『誰』からの手紙なのかは容易に分かった。
差出人は、ディルク・サイラス・オフィクレイド。
……バセットの、父親だった。
名前と出てきた物を見て固まっている俺の前で、アリオーソが封筒の中にあった便箋を引きずり出して文面を読む。
「これ、は……」
彼が顔を真っ青にしている様子を見て——俺は、すべてを察した。
「……」
人の身体を間借りしている身で、愚かなことをしようとしているのは、分かってる。
俺はバセットの身体を隠すようにぐっと抱き寄せ、軽く息を吸った。
「——大地の縛を解き、天の理に抗え」
2つの魔法を、同時に詠唱する。
使うのは浮遊魔法と強化魔法。
この組み合わせが使えるのは、幸いにもオルフェウスだけだ。
何をするのか察した明里さんと奏音ちゃんが、驚愕した様子で俺を見ている。
シベリウスたちだって驚いてたし止めようともしてたけど……ふたりからしてみれば、もうびっくりどころの騒ぎじゃないだろうからね。
このイベントが起きた後、オルフェウスはバセットに殺される。
その事実を、ふたりは知っている。
それでも、俺は。
——意図的に、死亡フラグを踏みに行く。
「レビテーション」
伸ばされた手を躱して、地を蹴って飛び上がる。
人目を避けて、寮に戻る。俺はこの場所で、彼に殺される可能性がある。
しかも、雨まで降り始めた……もう、十分だな。
「……」
意識の無いバセットをベッドに寝かせて、頬を撫でる。
17歳に対して言うべき言葉では無いのかもしれないけれど、この子はまだまだ幼い子どもだ。
「……甘いさ。甘いだろうね」
たとえ、甘いと言われても。無責任だと指をさされても。
俺はこの子を、このまま死なせたくはなかったんだ。




