46.どうか、頼って
明里さんは、静かに口を開いた。
「裏ルートのことは一旦置いといて……セレナが原作プレイヤーだって、奏音ちゃんだって分かった時点で、手っ取り早く解決に持っていく方法はあったんです」
当たり前だけど、俺抜きで話し合いをすることもあったんだろうな。
でも、ふたりは高頻度で俺の近くにいたから、いつの間に話したんだろうなとは思いつつ……答えは、すぐに出た。
「オルフェウスルートのハッピーエンドかな?」
セレナの正体が分かる、1年前。
明里さんは、俺がセレナを口説くような真似はしないで欲しいと言っていた。
正直、それをするのは俺自身も嫌だった。
……だから、完全に抜け落ちていた選択肢だ。
そういえば、オルフェウスルートの詳細は聞いていない。
でもヴィオレッタの婚約破棄イベントがあって、その後、何かしらあって。
最終的にオルフェウスはヴィオレッタを、恐らくリュートと共に処刑し、セレナと結ばれる。
そんな感じの内容なのは、明里さんに聞かなくても何となく分かる。
「はい。肝心な部分がそこそこの割合で転生者間で解決しているので、嫌なことは流しまくって逃げ回る、みたいな手法がいけるんですよね」
要するに、基本はオルフェウスルートに沿うような形で表面をなぞっていけばいいのだ。
もしかすると断罪攻略破棄を避けることはできないかもしれないが、処刑まではしない。
そうすれば、明里さんを生かしたまま国外に逃がす等、やりようはいくらでもある。
奏音ちゃんに関してもそうだ。
あの子は年齢的に結婚に抵抗があると言っていたから、『オルフェウスの意思だ』と訴えながら結婚を先延ばしにしたり、どうしようもなければ明里さんと一緒に奏音ちゃんを国外に逃がしたりと、選択肢は多岐に渡る。
「その案、一度も出てないよね? つまり君たちの中で却下されてたってこと?」
正直、俺に相談してくれれば良かったのに、と思った。
裏ルートの可能性が濃厚となってしまった状況では取れない手段だが、その『裏ルートの可能性』が出てくるまでの間にはいくらかタイムラグがある。
それまでの間に、少なくとも案として一度くらいは出ていてもおかしくない意見だ。
でも、それをしなかったということは、何かしら理由があるんだろう。
案の定、明里さんはおもむろに頷いた。
「私も奏音ちゃんも、オルフェウスのハッピーエンド、その最後の方に入る文章が引っかかったんです」
「文章?」
「……うろ覚えですが『あなたと暮らしていく国を守るために、オルフェウスは革命の因子をすべて取り除き、平和な世を築き上げました』って感じの文章です」
——革命の因子をすべて取り除き。
「あ……」
「これ、私がゲームをプレイしていた時にも『リュートとヴィオレッタのことじゃないな』って思ったんです。リュートとヴィオレッタは、この文章が出る前に死んでいます。……その上で、すべてなんです」
背筋が凍るような感覚を覚えた。
そのフレーズだけで、どうしようもない恐怖心に襲われた。
「私だけじゃなかったんです。奏音ちゃんも、この1文で攻略対象大量処刑疑惑を抱いてたんです」
鳥セレは、かなり謎を残したエンディングを迎える。
それはハッピーエンドだろうがバッドエンドだろうが、変わらない。
恐らくオルフェウスルートのエンディングは、気味が悪いほどの不穏さを秘めたものなのだろう。
王太子筆頭候補であり、作中で王太子となる彼の立ち位置を考えると、納得だ。
——オルフェウスの立場なら、それができてしまうから。
「独裁はしなくても『国の平和』のために、オルフェウスは他の攻略対象を殺める可能性がある。もしかすると、避けられない形であなたに襲いかかるかもしれない。
どう足搔いたって、やらなければならない流れになってしまうかもしれない。あなたがそれを、命じる立場になってしまうかもしれない。……だから私たちは、この選択肢を真っ先に切ったんです」
明里さんは涙をこらえるように、奥歯を噛みしめる。
そして、俺の手をそっと包み込んだ。
「あなたにそんな真似を、して欲しくないから」
真っ直ぐに俺の目を見て、念押しするように、語り掛ける。
「そんな目に、遭って欲しくないから」
「……」
俺が何も返せなくなってるのを見て、明里さんは笑う。
毒気の無い、愛らしい笑顔だった。
「そもそも『致死率100%の悪役令嬢を生かす』っていう無理ゲーが私たちのスタートラインじゃないですか! ヴィオレッタ以外は生きのびる手段があるんです。このままの流れで、とにかく全員の命を救う方向に持っていけば良いんですよ!」
……そうか。
肝心なことを、原点を忘れていた。
悪役令嬢ヴィオレッタを生存させる——それが、俺たちの始まりだった。
俺たちがこの世界でゲームシナリオに抗うと決めた、そのスタートラインだった。
「スタートラインのこと、思い出しました? 絶対に忘れてましたよね?」
「……忘れてた」
「やっぱり!」
明里さんが、俺の顔に手を伸ばす。
両頬に触れて、彼女は困ったように眉尻を下げた。
「流石にリュートだけは無理だと思いますけどね。革命ぶちかます気満々のリュートを生還させるのはもはやご都合主義も良いところですし……冤罪じゃないのは確定してて、しかも一度脱獄してる時点で、もう……良くない考え方なのは、分かってますけど」
「リュートに関しては、国と天秤掛けだから、俺もそう思う……」
リュートを生かして、国を存続させる。
そんなことは、不可能だ。流石の俺も、彼に関しては諦めている。
——いや、そもそも彼に関しては本当に『生かしてはならない』と思う。
「ただ、相当に思うところはあるんだけどね。……俺が、というよりは『オルフェウス』が」
「……オルフェウス目線だと、リュートは親友ですからね」
「そうなんだよね。……辛かっただろうなっていうのは、最初から思ってて」
申し訳ないなと思いながら、そっと記憶を覗いてみる。
ちょっと苦労しつつ、情報を引っ張り出す。
リュートは1つ年上で、初めて会ったのはオルフェウスが10歳の頃。
歳が近いからという理由で顔を合わせるようになり、友人関係となり——事件が、起きる。
事件当時のリュートは在学中だったけれど、ゲームのタイミングでは卒業生。
通常ルートは卒業しても『オルフェウス殿下を見守る』的な役割を持って、定期的に学校に来るような存在だったんだと思う。その手の、特殊枠だったんじゃないかな。
それなら通常攻略対象じゃないのも頷けるし、アリオーソと同等の立ち位置にリュートがいないのも納得できる。……ゲームの設定的な部分もあるだろうけど。
「俺は客観的に記憶を覗き見ているだけだから、『仕方ないよな』で済むんだけど……オルフェウス的には相当キツいだろうなって。王族とはいえオルフェウスは当時16歳だし、申し訳ないけど耐えられるとは思えないというか。
……俺が今回、推定トゥルーでも誰かしら死なせる可能性に行きついて苦しんだように、現在進行形でオルフェウスは苦しんでるんじゃないかって思っててさ。もし、どこかで俺を見ているならっていう前提がつくけど」
「そう、ですよね……」
「ラウダに指摘されて、奏音ちゃんからも不思議がられた謎現象の『リュートに毒を盛られた記憶が無い問題』なんだけど、俺は正直、あまりのショックでその辺りの記憶が欠けてるんじゃないかってずっと思ってるんだよね」
オルフェウスって、とにかく『負の感情が関わってる部分』があまり見えないんだよな。
好きなもの、楽しかったものは分かるんだけど、後は機械的に何かを処理してる記憶。……だから『これは大変だったろうな』っていう俺の想像が溢れかえってるわけなんだけど。
強いて言えば、婚約者のヴィオレッタがとにかく嫌いだったことと、その関係で婚約者との関係が良好なシベリウスが羨ましかったことくらいしか分からない。
それこそ「もう、絶望的なくらいにヴィオレッタが嫌だったんだな」っていう感想を俺に抱かせるくらいには……。
「なー、オルフェウス……悪いけど、本当に悪いんだけど、もしそうなら事件のこと思い出してくれないかな……念のため……」
そうじゃないとミスリード疑いたくなるから、本当に勘弁してくれ。
メタ的に考えると『もうえげつない設定は容量的に入らない』だろうし、リュートルートの展開的に絶対にリュートが犯人と見ていいはずだ。
ていうか、確定だ。そうじゃなかったらリュートルートの結末が確実に変わってる。いくら鬱ゲーとはいえ、冤罪を晴らしてハッピーエンドになるだろ。
でも俺は、このゲームの万物を疑ってる。
何も信じない。本気で何考えてんのか分からない。
ずっと制作チームを呪ってる。
——俺、このゲーム本当に嫌い。
俺がどう足掻いてもいるのかいないのか分からない少年と嫌いすぎる制作チームに思いを馳せていると、明里さんに笑われてしまった。
「ふふ、久しぶりに話し掛け始めましたね? 本当に人前でやらないでくださいよ?」
「うん……」
そんな会話をしていると、ぽつぽつと、雨が降り始めた。
手の平に、雨粒が落ちた。
「……これは、もう解散かな」
「ですね」
……ああ、そうだ。
「明里さん」
「はい」
……これだけは、絶対に言わないとな。
「ありがとう。助かったよ」
自分でも思ってた以上に、堪えてたみたいだ。
正直、聞いてもらえたからこそ、切り替えられたんじゃないかって思う。
やれるって言っといて情けないけど、ひとりだったら無理だったかもな。
明里さんは目を細めて、少し恥ずかしそうに、笑う。
「もっと頼ってください。ていうか私も奏音ちゃんも、そこまでゲーム狂信者じゃないです! じゃなきゃ、どっちも初対面でガッツリ暴れてます!」
「あはは……そっか」
「ひとりで、抱え込まないでください。生き残るためにも」
柔らかく、優しく笑う彼女の身体に、手を伸ばしたくなった。
けれど、それは耐えた——絶対に駄目だ、と思った。
だから俺は、ただ笑うだけに留めた。
「……ああ、頼りにしてるよ」
◇
一緒に高位貴族寮まで行って、明里さんと別れた。
そして例の如く予習と復習を済ませて、明日に備えて寝支度を整える。
……相談してなかったら、普通に眠れなかった気しかしない。
そんなことを考えながら、ベッドに横たわった瞬間。
「あ……」
俺は……というより、『身体』が。
2年前に起きた事件のことを思い出した。
思わず、俺はベッドから飛び起きた。
——2年前。
全身が痛くて、苦しくて。生理的な涙で滲んだ視界で。
目の前にいる親友に、リュートに助けを求めて、手を伸ばす。
けれど、
『可哀想にな』
冷たい金の瞳で見下されながら、発された言葉。
それは蔑むような、驕るようなものではない。
他人事のようにしか聞こえなかった。
……意識が薄れていく中で、オルフェウスは強制的に理解させられた。
花壇の草を毟るような感覚で、まるで作業のような形で、親友に毒を飲まされたのだと。
きっと『親友』だと思っていたのは自分だけで、リュートには何の感情も抱かれていなかったのだろうと。恨みや妬みの感情すら、なかったのだろうと。
——彼にとって自分は、取るに足らない存在だったのだろうと。
あまりにも酷い結末に、吐き気がした。
動悸がする。どっと湧き出た冷汗が、頬を滑り落ちた。
「っ、ごめん……オルフェウス……」
通常ルートはともかく、裏ルートのオルフェウスは。
親友に裏切られたことに対して、
すべてが偽りであったことに対して、
その結果、後遺症まで負わされた現実に苦しみながら。
……それでも『王族としての義務感』の元に、これを証言したんだろう。
もう起きてしまった現実を受け入れるしかなかった。
事実として、口にするしかなかった。
絶望で、心が悲鳴を上げていようとも。
「ごめん……」
それなのに、リュートが処刑されずに逃げ出すような事態が起こった。
もう、耐えられなかった。本当に、本格的に何も、信じられなかった。
何も信じられないからこそ、全てをひとりで抱え込むしかなかった。
だからこそ、かつて愛していた弟のシベリウスに手をかけてしまうのだろう。
「思い出せなんて言って……ごめんな」
俺がオルフェウスの中に入ったのは、リュートに毒を盛られた事実を証言するよりも前だ。
……けれど、毒を盛られるよりも後だ。
オルフェウスは毒で苦しみながら、これを証言して『親友を自らの手で切り捨てなければならない』という事実に苦しんでいたんだと思う。
だから、今の今になるまで俺にも『見せて』くれなかったんだと思う。
オルフェウスは俺がどう動くか、分かっていたから。
リュートを助けてはくれないと、理解していたから。
そう考えると、罪悪感しかない——けれど、
「君の願いは、叶えてやれない。流石に、厳しい……ごめん」
胸元の服を、ぐっと掴む。
為政者としての立場に振り回されていたのは、『俺』だけじゃなかった。
「それでも、代わりに背負うことはできるから」
最初から考えてはいた。
オルフェウスは、どこかにいるんじゃないかって。
——その答えが、出た。
「ちゃんと『終わらせる』から。……そこまでは、頼って欲しい」
多分というか、間違いなく、明里さんたちには怒られると思う。
でも、これが正解だ。俺自身がどう思っていようが、そんなものは関係ない。
「オルフェウス」
これだけは絶対に違えてはいけない。
だからこそ俺は笑って、口にする——自分自身に、言い聞かせるためにも。
「……全部終わったら、帰っておいで」




