45.屋上と曇り空
更新遅くなりました、すみません……。
明里さんに手を引かれて、俺は屋上へと連れていかれた。
鉄製の扉が、背後で静かに閉まる。
学校の屋上……というには、少し煌びやかな一角がある。
ベンチが置かれたその場所からは、学園全体が見渡せるようになっていた。
それこそ、天気が良ければ絶景なんじゃないかと思えた。
明里さんは俺をベンチに座らせて、息を吐く。
「ここ、ラウダの個別イベントがよく発生する場所なんですよね」
「えー……」
「厳密に言うとあの辺の、影になってるコンクリート貼りのエリアですが」
ラウダが屋上にいるのは、ちょっと、洒落にならないんじゃないかなー……?
俺の考えていることを理解した明里さんは、俺の横にすとんと座ってから遠くを見据える。
「よりによって感ありますけど、天気が悪いときに結構いるんですよ」
「天気が悪いときに?」
「はい。確実って言っても良いくらいに人が来ないので」
ああ、そうか。
今も天気が悪いから、明里さんは意図的にここに連れてきてくれたのか。
「……で、何か考えてますよね? 言って欲しいんですけど」
いきなりストレートに、聞かれてしまった。
どうやって返そうか。……どうやって、誤魔化そうか。
頭を悩ませる。
そうしている間に、明里さんは下から俺の顔を覗き込んでいた。
「私、声優オタクなんですよ。この『鳥セレ』って声優さんがかなり豪華なんです」
——いきなり何を言い始めた!?
「ほら、聞き覚えある声のキャラとかいません? 特にラウダとバセットの声優さんは詳しくない人でも分かりそうなレベルです。とんでもなく有名な方なんですよ?」
「……っ」
勘弁してくれ。
ラウダの個別イベント発生場所が『屋上』って時点で結構キツいのに、よりによってそのふたりを並べないでくれ。
……でも、多分。
今の俺がそのふたりの名前を聞きたくないってこと、明里さんは分かってるんだと思う。
間違いなく、反応を見られた。
その上で、彼女はそこには触れなかった。
「ふたり以外の声優さんもめちゃくちゃ豪華なんですよ? 例えば——」
彼女はもう、これでもかとアニメとゲームの名前を挙げてくれた。
普通に俺が知ってる作品がポンポン登場した。声優には詳しくないんだけど、それでも分かってしまうくらいには凄かった。
……ちなみに今の俺の声帯もめちゃくちゃ豪華だった。
声優さんって凄いな、声域どれだけ広いんだよ。あの人、こんな声出せたんだ。
「そして奏音ちゃんはジャケ買いみたいです。鳥セレの作画担当さんって、めちゃくちゃ有名な漫画家さんなんですよ? スチルとかじゃなくて、目の前で動きまくってるので分かりにくいですが。あとBGM担当されてるのも、すごく有名な方です! 色んな映画を担当されてる方なんです!」
「へ、へぇ……?」
そうか、ふたりとも最悪展開の鬱ゲーを求めて買ったわけじゃないのか。
鳥籠エンドが性癖ってわけじゃないのか。良かった……。
「パッケージを見ると、鬱展開とは書いてました。でも、まさかここまで徹底してるとは思わなくて……それでも、やり始めたら必死に進めますよ。
しかも私の場合は、私の好きな声優さんが出てるって気づいてくれた親が、わざわざパッケージ版を買ってきてくれたんです。……だからなおさら、途中でやめにくくて」
そう言って、明里さんは困ったように笑う。
……やっぱり、考えてしまうな。
彼女は人生のほとんどを、病室で過ごしていたんじゃないかなって。
「奏音ちゃんの方も似たような理由というか、詳しいことは話してくれないんですけど、途中でやめにくかったみたいなんです。要するに私たち、どちらもストーリーに深いこだわりがあるわけじゃないんです! もちろん好きなゲームでしたし、好きなところもたくさんあります。
でも、今となってはかなり思うところがあります。それこそ『ここまでやる必要あった!?』って裏でキレ散らかしてますし。……ほら、変に説得力つけてきてるじゃないですか。そりゃそうなるよねって。その『そりゃそうなるよね』が酷すぎません!?」
「そ、それは、まあ……」
明里さんは、語る。
俺が入ってしまったオルフェウスはさておき、実際に生きているシベリウスたちを見ていると『ゲームのようにならなくて良かった』と考えてしまうんだと。
突然始まった原作再現活動で好きなシーンを見られるのは嬉しいけれど、あの展開が現実として起きて欲しかったかと問われたら、「絶対に嫌だ」と断言できてしまうくらいなんだと。
「私も奏音ちゃんも、こういうゲームだからこそ、大団円のハッピーエンドがあるんだって信じてたんです。だから、とんでもないバッドエンドに振り回されながらも完全クリアを目指しました。……まあ、その前にどっちも死んじゃいましたけど」
「……」
「でも多分、私たちが信じてたものは存在しないんですよね……?」
「それ、は……」
「透さんは昨日、そんなものは存在しないんだって……色んな情報が出そろったタイミングで察しちゃったんじゃないですか? あなたの性格的に、そうだとしたら相当に追い詰められるだろうなって思ったんです。……違いますか?」
——この子は、本当に優しい子だ。
心配させたくない。
ただのサラリーマンだった『日下部透』としての記憶を、習慣を頼りに、俺は顔に笑顔を貼り付ける。
「俺はオルフェウスの身体と記憶に頼りまくってる。だから、だと思う。……急に為政者としてはどう動くべきか、どう判断すべきか。革命対策のために消し去るべき存在は誰か。……その手の発想が、浮かんだんだ」
言いたくなかった。
……でも、言わずにはいられなかった。
「少なくとも、ラウダは確定。あの子は革命因子になり得る存在だ。王族の立場からすれば、真っ先に摘み取るべき存在だと思う。……あの子の場合は、もう適当に罪を擦り付ければ早いし」
一度、口を開けば、もう止まらなかった。
「裏バッドエンドでオルフェウスを殺害してしまうバセットも、多分そうなる。理由はまだ分かってないけど、ここまで来たらろくなものじゃないよ。しかもあの子は貴族だから、一族連座処刑じゃないかな?」
言葉にしたから、だろうか。
昨日の段階では思い至らなかったことが、次々と出てくる。……嫌な発想が、連鎖する。
「下手したら特殊能力を根拠に革命に誘われてるコラーレ兄弟も。どっかのタイミングで状況が暗転するリスクを考えたら、シベリウスもだろうな。あの3人はスケープゴートにちょうど良すぎるから、王家が動かなくても革命軍側に名指しで切られそうだね」
息が、詰まりそうだ。苦しい。
……今まで、散々助けられてきたオルフェウスの記憶を、憎みたくなんてなかった。
「裏ルートだとしたら。いや……リュートが逃げ出している時点で、水面下で革命の準備が進んでいる可能性が高い。だから、為政者として判断するなら……事前に……」
——革命を防ぐために、『今すぐに彼らを消すべきだ』と頭の中で警鐘が鳴り続けている。
俺個人の感情としては、絶対にそんなことはしたくない。
それなのに『甘い考えは許されない』という声が耳元で囁き続けている。
そして『為政者としての責務を果たせ』と肩に重く、圧し掛かり続けている。
……こんなもの、明里さんには話せない。
だから、俺は笑う。
「大丈夫。気持ちを切り替えるのは得意な方だから」
「透さん」
「これでも社会人やってたからね。自慢じゃないけど、俺が勤めてたのって割と有名企業だったんだよ? その分だけストレスは凄かったし、ブラック気味だったんだけどさ。だからこそ、サクサク気持ちを切り替えていかないとやってられ——」
「透さん!!」
悲痛な叫びが、響いた。
ハッとして、彼女の顔を見る。赤紫の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れていた。
「ごめん……」
俺はベンチから立ち上がって、彼女の前に行く。
明里さんはスカートを強く握りしめて、俯いていた。
「ごめんね、泣かせる、つもりじゃ……」
「分かってます。分かって、ます……っ、でも、嫌なんです……嫌、なんですよ……」
彼女はぐしぐしと乱暴に涙を拭う。
それでも、涙は止まることを知らなかった。
「あなたが、私を助けるために。……今となっては、皆を助けるために頑張ってくれてるって、私は誰よりも知ってます。知っている、つもりです」
嗚咽を漏らしながら、俯いたまま。
彼女は必死に、必死に言葉を紡いだ。
「あなたは、ずっと人のことばかり考えています。……でも、分かってますか? 死んでしまったのはあなたも同じで、しかもあなたは全く知らないゲームの世界に入ってしまったんです」
そして明里さんは、顔を上げる。
「それだけでっ、本当はあなたが一番大変で、一番困ってて、一番辛いはずなのに……っ!!」
思わず、息を呑んだ。
一番大変で、一番困ってて、一番辛い——その発想自体が、存在していなかった。
明里さんはそのことを、どう考えていたのだろう。
言葉を選びながら、俺は彼女に事実を話すことにした。
「悪いんだけどさ、俺は、そこまで深くは考えてなかった。今言われて、やっと考えることができたくらい。別に俺は結婚してたわけじゃないし、彼女とかもいなかったんだ。仕事が忙しすぎて、友人の類とも疎遠になってたし」
職場内にも友人はいるにはいたけど、社交辞令混ざりの広く浅い付き合いだった。
だから友人っていうと学生時代の面々が浮かぶ。でも「社会人になると連絡が途絶える」って聞いた通りだなって、あの話は本当だなって思った。
……いっそ、俺の話は笑い話になってて欲しいなって思う。変に気にさせたくないし。
「父さんも母さんは元気に生きてる。そして頼りになる姉さんと、尊敬できる義兄さん。しかも可愛い甥っ子と姪っ子もいて。だから、実家を心配する必要すらなくて。……ごめん、君には酷な言葉だと思うんだけど、正直『俺で良かった』って思ったし、今でも思ってる」
「……」
「もちろん、死にたかったわけじゃない。後輩の指導は中途半端になっちゃったし、絶対に職場に迷惑を掛けることになるし……何より、家族を悲しませてしまっただろうなって。今は、その気持ちが何よりも大きい。
でも、俺の場合は死因が死因だからさ。もう『やらかしちゃったものは仕方ない』って早めに割り切れたんだ。だから、本当に深く考えたことがなかったんだ」
……ただ、
「『オルフェウス』として生きるのに必死すぎて、自分のことを考える余裕がなかったんじゃないかって言われたら、否定はできないけどね」
そこに関しては、これ以上追及されたくなかった。
あまり、触れられたくないと思った。
だから俺は、とりあえずベンチに座り直した。
「原作ゲームを知ってたら、もっと上手く立ち回れてたんじゃないかって思うことはある。でも悪いけど、原作を知っててもシベリウスとアリオーソに対しては絶対に同じことやってた。……俺、年下に弱くてさ?」
「……知ってます」
「あはは、バレてた?」
明里さんは深々とため息を吐き出した。
「あなたから見たら年上のコラーレ兄弟にも弱い気しかしないので、もはや年齢とかそういうレベルの問題じゃない気はしますけど」
「うーん、そうだね……」
自覚は、ある。
あのふたりが天然入ってるのが悪い。なんか、35歳の割には振る舞いが幼いし。
……割と行動にツッコミどころしかないし。
「正直、色々と聞いてみたい気持ちはありますけれど……」
今はそれをしている時間はない。
そして彼女は、まだ少し涙が残る瞳をこちらに向けてきた。
「……今後のこともあるので……話、戻しますね」




