44.溢れそうな感情を
曇り空。
もうすぐ、雨が降りそう。
そんなことは分かっているけれど、教室に居づらくなったわたしは逃げるように学園の裏庭に来ていた。
『はあ……』
前の魔法演習の授業で分かったんだけど、定期的にヴィオレッタ様が精神操作魔法を使っていたみたい。
皆がわたしに対して不快感を覚えるように、「嫌いだ」って思うように、1回だけじゃなく、何度も強く掛け続けていたみたい。
それが無くなったから、皆のわたしに対する当たりの強さは随分と落ち着いた。
でも、その影響が変な形で残っちゃった。
皆、不自然なまでに近寄ってくるし、優しくしてくる。
多分、自分が酷いことをしたっていう自覚があるんだと思う。
ストレートに謝ってくる人もいたし、ただただ優しくしてくれる人もいた。
でも、基本的には『打算』だろうな。
他の魔法はともかく、わたしの治癒の力は随分と強くなったから。
ヴィオレッタ様の影響が無くなった今、わたしは卒業後、間違いなく国に必要とされる存在になるって読んでる人はいると思う。
だから、今のうちに仲良くしておこう、恩を売っておこうって考える人は多いだろうな。
『……』
色々あったから、特にクラスメイトのことは信じられなくなっちゃった。
ヴィオレッタ様の魔法の影響を受けていたのは分かってるんだけど、それでも『何か裏があるんじゃないか』って思っちゃう。
——仲良くしようとしてくれる人を、そんな風に考えるようになりたくなかったな。
すごく、落ち込んじゃう。
酷い人間になっちゃったなぁって、悲しくなっちゃう。
ここまでくると、逆に入学してから大きく態度が変わってない人の方が安心できる。
……全員が男の人っていうのは、流石にどうかと思うけど。
バセットさん。
アリオーソさん。
シベリウスさん。
クレメンティ先生。
ジェズアルド先生。
ラウダさん。
そして、オルフェウス殿下。
理由は聞いてないけど、あの人たちはあまりヴィオレッタ様の魔法の影響を受けてなかったみたい。
だから、わたしに対する態度が最初から変わらなかったんだろうな。オルフェウス殿下は、特に。
こんなこと言っちゃ悪いけど……オルフェウス殿下に関しては、悪い意味で変わってない。
でも、気持ちは分かっちゃうんだよね。
オルフェウス殿下は第1学年の頃に、親友だって信じてた人に毒を飲まされて、そのせいで足に後遺症が残ったんだって話は聞いてる。
王族だから後継ぎ争いとかそういうのに巻き込まれたんだと思うけど、そんな目に遭って辛くないわけがない。わたしだったら、耐えられない。
その影響を受けて、シベリウスさんが引きこもっちゃったり、アリオーソさんが時々辛い顔をしているのも知ってる。
でも、あのふたりがオルフェウス殿下を恨んでいる気配はない。どれだけ苦しくても、彼に恨みの矛先を向けることはない。
……誰も、悪くないのにな。
あの人たちのことを考えながら、わたしは裏庭を進む。
この先に行けば、ほとんど使われてないベンチがあるのは知ってる。
だから、わたしは時々この場所に逃げ込んでいた。
誰もいないだろうなって思ってたんだけど……今日は、先客がいた。
『オルフェウス殿下?』
『……っ』
酷く、息が上がっている。
怪我をしているのかな。思わず駆け寄ってしまった。
『っ、来る、な……』
『でも……』
『逃げてきた、だけだ……貴様も、知っている、だろ……』
逃げてきた。
確かに、それだけで分かる。
彼は、何かと婚約者のヴィオレッタ様から逃げ回っている。
とにかく「鬱陶しい」、「目障りだ」と追い払っている姿を何度も見てる——そして、最近は頻度もしつこさも上がっている気はする。
今日は側近のアリオーソさんもいなければ、杖も無い。多分、結構激しい逃走劇が繰り広げられたんだと思う。
『くそ……っ』
オルフェウス殿下は肩で呼吸をしながら、顔を青くしながら言葉を吐き捨てる。
『あの、女……よほど、僕らが色々、調べ回っているのが……、気に入らないんだろうな……っ!』
オルフェウス殿下の、毒殺未遂事件。
犯人は一度は捕まってたんだけど、脱獄して逃げ回ってどうにもならないみたい。
当たり前だけど、色んな人たちが調査をし続けてる。でも、じっとしていられないんだろな。
……そもそも調べてる人たちのことさえ、彼は信じられないんだと思うから。
オルフェウス殿下たちは黙々と、できる範囲で独自に調査をしてる。
調査中にたまたま出会うこともあって、わたしも何度か協力したことがある。
前に『光の聖女が学園創設に関わってる』って話は聞いたんだけど、何故かわたしが持ってる治癒の力に反応して開く扉とかあった。
だから、役には立ててると思う。……思いたい。
治癒の力。
嫌がられそうだけど、この場でさらっと使っちゃおう。
『——疲弊せし身に、安らぎを』
あんまり近づくと刺激しちゃいそうだから、近づかずに手だけ向ける。
オルフェウス殿下は知らないだろうけど、わたし、結構できること増えたんだから!
『レストア』
とんでもなく疲れてそうを通り越して苦しそうだったから、それを取り除いてみた。
オルフェウス殿下は、眉間にシワを寄せる。
『僕に対して、それを使うなと言わなかったか?』
このやり取り、何回やったかなぁ。
だってこの学園、管理体制が不安になるくらいに色んなことが起きるんだもん。
何度も、その『色んなこと』に巻き込まれた。
けれど、オルフェウス殿下は何度も助けに来てくれた。怪我させちゃったこともあるのに、それでも彼は来てくれた。
……だから、歯向かうことにした。
『何度も言われてますね』
『なら、どうして!』
『逆に聞きます。……どうして、そんなに嫌なんですか?』
オルフェウス殿下は、特に上級貴族を嫌っている。
彼の毒殺未遂事件に関わってた人間って貴族ばかりだったみたいだから、当然だと思う。
でも、わたしは元々孤児だ。
子爵令嬢の肩書きはあるけど、ミドルネームを与えてもらってない時点で、あまり良い扱いをされてないんだってことは分かると思う。
それでも、オルフェウス殿下の態度は、最初から全然変わらない。
『貴様に、教える必要はない』
相変わらず突き放すようなことを言って、彼はわたしから顔を背ける。
——その青紫の瞳は、動かない右足に向いていた。
『オルフェウス殿下』
『……なんだ』
『一度だけで良いです。わたしを、信じてください』
『……』
無言は、肯定と受け取る。
わたしはオルフェウス殿下に近づいて目の前にしゃがみ、彼の動かない右足に触れた。
『!? 何を……!』
左足で蹴とばされたり、殴られたりすることも覚悟の上だった。でも、彼は何もしなかった。
信じてくれたのかどうかは分からないけれど、この時間を無駄にはしない!
わたしは目を閉じる。
今はとにかく、目の前に集中する。
『——慈愛の力よ、穢れを払う聖なる灯よ。幾千、幾万の祈りを束ね、遍く命を照らし、救い導く光となれ。今ここに集いて、彼の者を包みたまえ……苦痛を鎮め、失われし時を越え、過ぎし日に刻まれた痛み、そのすべてを天へ還したまえ』
身体から、力が抜けていくのを感じる。
きっと何の訓練もせずに使ってたら、倒れてただろな。
でも、大丈夫。
今のわたしなら、できる!
『祝福の御名のもとに、我は命ず。……彼の者に、慈愛の光を。彼の者に、癒しの祝福を。その身に刻まれし傷よ、今こそ光となりて、消えゆけ』
白く輝く魔法陣が、わたしたちの真下に広がる。
奇跡よ起きろと——願う。
『セレナーデ!』
温かい光が、彼の身体に入っていったのが見えた。
魔法は、問題なく発動した。……後は、効果があるかどうかだ。
『ふう……』
思い切ってやってみたけれど、疲労感がすごい。
倒れるまでじゃないけれど、このまましばらく座っていたいかも。
流石に邪魔かな?
今度こそ、蹴とばされるかな?
そんなことを考えていたら、ベンチに座っていたオルフェウス殿下が、突然身を乗り出した。
「え?」と思う間もなく、ぐっと身体を引き寄せられる。
『わわっ!?』
背中に腕が回っている。
すぐ目の前に彼の身体があって、心臓の鼓動を感じた。
……そして、わたしの髪に触れた手は酷く震えていた。
流石にヴィオレッタ様の存在が脳裏を過ったけれど、抵抗はしない。
抵抗せずに、ただ、笑った。
『えへへ、成功したみたいですね』
わたしが彼と出会うことが多かった場所は『図書室』だった。
彼は事件の調査をしつつ、アリオーソさんからも離れて、ひとりで本を読みにくることがあった。
最初は純粋に、本が好きなのかなって思ってた。
でも彼が手にしているのは、医学書や薬学書。……難しそうな本ばかりだった。
「難しそう」だって思うのは、わたしだけじゃなかった。
オルフェウス殿下本人も、活字を追うことに苦痛を訴えていたのは明らかだった。
それでも彼は、必死に本を読み続けていた。
ひとりで苦しみながら本を読んで、救いがないことに、またひとりで苦しんでた。
『ねえ、オルフェウス殿下』
『……』
びっくりするくらい返事は無いし、離してもくれない。
どうしてそうなってるかは分かってるから、そこには触れない。
ただ脳裏を過るのは、彼が苦しみ抜いた果てに弱々しく触れた歴史書だった。
その歴史書の内容を、わたしは知っていた。何度も何度も、繰り返し読んでいたから。
『知ってたんですよ、わたし。……気づいてましたよ』
彼がわたしに力を使われたくなかったのは、期待したくないから。
これ以上、裏切られたくなかったから。
……彼を裏切らずに済んで、良かった。
『あなたが誰よりも、『光の聖女伝説』の存在に縋ってたんだって』
◇
俺はすっと、奏音ちゃんから離れた。
「大丈夫かな?」
「……は、はい」
台本通りに、彼女を抱きしめた。
俺はあまり気にしないようにしてたけど、奏音ちゃんの顔が赤い。……思春期の女の子には、刺激が強い気しかしない。
「い、一発OKでしたね。これのために自傷されるとは思わなかったですけど……オルフェウス殿下こそ、大丈夫ですか?」
いくら奏音ちゃんがオルフェウス右足治療RTAをするための準備をしていたとはいえ、この回は彼女の負担が大きい。
彼女がセレナーデを使えることも分かっていたけれど、そもそも負傷していなければ魔法が発動しない可能性があると考えた俺は、事前に右足を壁に打ち付けて治療案件にした上で臨んでいた。
……まあ、怒られに怒られたけど。
そのことを思い出しながら、俺は涙を拭う。
「治るって分かってなきゃ、やらないよ」
「そうなんですけどー……」
実は『事前準備が必要だろう』ということで、少し前に台本を渡されていた。
それを読んだ結果、俺は普通に絶望した——頼むから。頼むから俺に泣きの演技を求めてこないでくれ、と。
しかも『雨が降る直前っぽい曇り空の日』に『静かに。すごく綺麗に泣け』だ。
なんで俺に縛りプレイを科した状態で上級テクニック求めるんだよ。
鬼かよって当時は思ってたんだけど、普通に行けた。
……タイミングが、良かったな。
俺は深く息を吐き出して、観客の方を見た。
今回ばかりは、観客も納得してくれる出来だったらしい。
普通に拍手してくれたし、泣いてくれた人もいた。……奏音ちゃんの治癒の力に感動したのかもだけど。
そして俺は、観客に紛れてじっとこっちを見ているシベリウスとアリオーソとジェズアルド先生、そして明里さんの視線が足に向いていることに気づいた。
「だ、大丈夫だよ! もう痛くないし!」
笑って手を振った……けど、信じてもらえてない。
信じてもらえてないどころか、ジェズアルド先生はさらっと俺の足を診察しにきた。
「……」
黙って一通り診察を終えた彼は、深々とため息を吐く。
「全く問題ないな。事前にラウダ君から『治癒の力は本物だ』という話は聞いていたが……自傷の話を聞いた時は、肝が冷えたぞ」
「はは……」
本当は、俺と奏音ちゃん以外は明里さんだけが付いてくる予定だった。
でも、シベリウスとアリオーソが普通に来てしまったし、さらには手が空いてたジェズアルド先生が駆け付ける事態になってしまった。
先生は呆れているのか、怒っているのか分からない感じの表情を浮かべて俺を見ている。
「クレメンティにもだが、ラウダ君とバセット君にも大丈夫だと伝えておけ。特にラウダ君は、最後の最後まで君のことを気にしていたぞ」
「はい……」
クレメンティ先生は都合がつかなかっただけで、ラウダとバセットは来ようと思えば来れる状態だった。
それを拒んだのは、俺の意思だ。
俺の、ワガママを通した。
……彼らがいる状態で、精神的に不安定な演技をする自信が無かったからだ。
本音を言えば、シベリウスとアリオーソにも来て欲しくなかった。
来て欲しくなかったけれど、彼らは決して引かなかった。
それも当然と言えば、当然か。
むしろ、ラウダが引いてくれたことが奇跡かもしれない。
「……」
今度は、顔をじっと見られている。
原因は分かってる。昨日の会議で俺が醜態を晒したからだ。
どうにかしたかったけれど、翌朝までに気持ちを切り替えることができなかった。
相当に酷い顔をしていたみたいで、今日のシーン再現も明里さんと奏音ちゃんに「やめときますか?」って言われた。けど、押し切った。
理由はただひとつ。
いっそ、溢れそうな負の感情を利用したい。
それだけだった。
『……っ』
ただ、利用したのは良いけど明らかに役に引っ張られている。これは、ちょっとキツい。
早くひとりになって、今度こそ気持ちを切り替えたい。
今日に関してはこの後、何かをする必要はない。
とりあえず、俺は彼らに笑いかける。……もう一度、顔に笑顔を貼り付ける。
「じゃあ、僕はこれで休ませてもらおうかな。また明日ね」
観客の間をすり抜けるようにして、静かに場を離れる。
幸いにも、誰も追い掛けてはこなかった。
——そう、思っていた。
「透さん!」
名を呼ばれ、腕を掴まれた。
でも、まだそんなに進んでいない。距離が取れていない。
まだゲームの登場人物たちに聞こえるかもしれない距離だ。
そんな場所で、その呼び名は駄目だろう。
振り返ると、到底『悪役令嬢』とは言えない表情をした明里さんが、赤紫の瞳を不安げに揺らしながら俺を見ていた。
「どうしたんですか!? 昨日から、変ですよ……!」
「そう、かな。……疲れてるだけだよ。だから、」
手を離して欲しい。
その言葉を言い切るよりも先に、白く細い指の力が強まった。
「離しません! こっちに来てもらいます!!」
「えっ!? な……っ」
無理矢理に振りほどこうと思えば、振りほどけた。
けれど、そんな気には到底なれなくて。
俺は明里さんに引っぱられるまま、流されるようにどこかに連れていかれた。




