04.なあ、事件の影響デカすぎね?
「オルフェウス……君、マジで頭良いんだな……」
相変わらずいるのかいないのか分からないオルフェウスに話しかけながら、俺は自室のテーブルに沈み込む。
——正直、学園生活に戻るのが不安だった。
ただでさえ、オルフェウスにはブランクができてしまった。
それなのに俺自身がこの世界のことを理解していない。何も、分からない。
講義について行けるのか心底不安だったため、試しに教科書とノートを開いてみた。
すると全教科分、しっかり身体が覚えていた……結果、何の問題も無いことが分かった。
「君さぁ、学園行く必要あったのか? もしかして本当に社会勉強目的か? 学園行く前は家庭教師がいたみたいだし、教科書の内容、昔習った内容と駄々被りなんじゃないか?」
いずれにしても、オルフェウスの顔に泥を塗るような真似はしたくない。
他にすることがまったくないわけではないが、勉強の習慣はつけておこうと決意した。
少なくとも、予習と復習くらいは完璧にしておきたい。
「ほーんと、高校生の頃からこういう習慣つけとけば、なぁ……」
ひたすら賛否両論状態になっている推薦入試にかつて救われた身として、つくづくそう思う。
定期考査前に一夜漬け、とかではなく毎日勉強する習慣をつけておけば、本当の第一志望校を狙えただろうに。
「結構分厚い教科書ばっか、だけど」
一度勉学から離れた身だからか、それともオルフェウス補正なのか。
勉強自体はそこまで苦にならなさそうだ。教科書の内容が、普通に気になる。
それこそ、予習復習程度なら何の問題もないし、何ならもう少し頑張れなくもない気がする。
……というわけで、改めて一通りすべての教科書を開いてみる。
「……なるほどな」
魔法学や歴史学の内容は全く触れたことのない内容だからこそ興味深いし、商業系の内容は社会人知識である程度は戦える。
戦えない部分は勉学に励むしかないが、現状はオルフェウスの記憶で戦える。
「今はそれで良いとして……今後のこと考えたら、自主勉強の分野については要検討かな」
そのことを考えると、最優先で数理学関係に手を出すべきだろうか?
この世界特有のものがあるようで、どちらも俺自身の知識では戦えない分野だ。
今後オルフェウスの記憶無双が通用しなくなる可能性を考えると、早めに対処した方が良い気がする。
「俺、理数系苦手だったんだけどなー……誰か助けてくれる人、いるかなー……」
ふいにコンコン、と。
背後から控えめにノックの音が聞こえた。
「兄上、すみません。その……勉強を、教えていただきたくて……今、よろしいでしょうか?」
シベリウス・パルス・バルカローレ。
オルフェウスの、腹違いの弟。
アリオーソ以上に他人行儀になってしまった彼の声が聞こえてきた。
開けて入ってこいと言えば彼自身が指示通りに行動しただろうが、少し思うところがあった俺は返事をする前に扉の前に移動する。そして、俺の方から内開きの扉を開いた。
「良いよ。頑張るね? 学園入学は再来年なのに」
シベリウスは2つ年下の弟だ。
母親譲りの淡い栗色の猫っ毛を揺らしながら、青い瞳を丸くする。
「にい、じゃなくて、兄上……! も、申し訳ありません、ありがとうございます」
「大丈夫。気にせず入って」
俺は彼を部屋に通しつつ、近くにいた侍女さんに声を掛ける。
「ごめん、紅茶を2つお願いできる? シベリウスとのんびり話をしたいから」
「かしこまりました」
人を小間使いにするのは、正直慣れない。
慣れないが、こればかりは慣れるしかない。オルフェウスが舐められてしまう。
俺は静かに扉を閉め、中で立っていたシベリウスをテーブルの椅子に座らせた。
「座ってて良かったのに。じゃあ、分からないところ教えて?」
「いえ……ええと、こことここ、なのですが……」
シベリウスが示したのは、応用に応用を効かせた難問。
どうやら家庭教師が宿題だと言って残していった問題らしいが、明日が授業の日にも関わらず、解けなくて困っていたようだ。
商業系の問題だったから、俺でも解けなくはない気はする。
でも、ここはオルフェウスの知識無双の出番だ。
「まず、前提が違うかな。よく似てるけど、ここで前提にするのはこっちのパターン」
「な、なるほど……!」
どうにかこうにか嚙み砕きつつ、教えていく。
途中で紅茶と軽食が届く中、俺たちは少し盛り上がってしまった。
「教科書通りにやっていくしかないのは分かってるけど、実際は応用どころの騒ぎじゃないんだよね。……分かりやすい例だと、飢饉の対策が必要になるかもしれないし」
「あー……そうだよね。作物はいくらか備えに回さないとね。特に穀物系は保存が効くから」
「あとはお金関係もだよね。急に器具が壊れたり、馬や牛が病気になったりする可能性もある。この教科書はあくまでも全額投資を前提にしてるけど、シベリウスならどれくらい残す?」
「私は……6割は、手元に残すかな。それくらいは無いと不安かな」
「おっ、手堅いね? 僕は5割くらいかな。まあ、稼ぎがどれくらいあるかとか、税率とか、考えないといけないものはたくさんあるけどね」
「兄さんも結構手堅い方では……?」
「半分は残すべきかなって。変にギャンブルはしたくないよ」
「あはは、そうだね」
そうしているうちに、シベリウスの課題はあっという間に終わった。
少しだけ盛り上がってから、具体的に言えばシベリウスの口から何度か兄さんというワードが出てから、彼の口調が崩れてから。
俺は弟の綺麗な青い瞳を、真っ直ぐに見つめる。
「シベリウス。今まで通りで良いんだよ。変に距離も取らなくて良い。そりゃ、公の場じゃ、ちゃんとしないとだけど……僕は君がその調子だと、悲しいな」
彼はオルフェウスのことを兄上ではなく兄さん、と呼んでいたし、公の場でなければ口調も崩れていた。
何より、距離感はもう少し近かった。彼が変わってしまったのは、間違いなくオルフェウスの毒殺未遂事件がきっかけだ。
俺がシベリウスの態度を指摘すると、彼はきゅっと目を細めて俯いてしまった。
「兄さんは……どうして、私を疑わないの? 普通に考えたら、私か母が兄さんに毒を盛るように指示をしたと思うじゃないか。ラヴェル伯爵家は、私たちの指示に従っただけだと……そう、思うでしょ?」
返事は分かっていた。
それでも俺は、シベリウスの口からそれを聞きたかった。
「根拠は?」
「え……?」
「僕がそう考えないといけない根拠だよ。当然、それがあるんだよね?」
「それは……」
あるわけがない。
なにしろ彼は、彼の母も無実だ。出てくるはずがない。
しかも一斉摘発に成功している以上、後から偽装証拠が出てくる可能性も低い。
明里さんから事件の背後事情は聞いていたが、それが無くとも。
少なくとも証拠が出ていない今の時点で、俺はシベリウスを疑うつもりはなかった。
「根拠なんてないよ。でも……っ」
「僕に疑われたいの?」
これも、返事は分かっている。
シベリウスははくはくと唇を動かして、声にならない声を漏らして。
そうして瞳を潤ませて、音を発した。
「……疑われたく、ない」
「でしょ? だったら良いじゃないか」
手を伸ばして、柔らかな癖毛を撫でる。
シベリウスの目から零れた涙が、せっかく完成した宿題を濡らした。
「私は、兄さんの背を見て育ってきたんだ。これからも、そのつもりだよ……兄さんに憧れて、兄さんのようになりたくて……今があるんだ。だから……」
革命に利用されかけた、14歳の幼い少年。
宿題を理由にオルフェウスに会いに来るだけで、口から心臓が出そうなほどに緊張していたに違いない——ラヴェル侯爵家およびその関係者が一斉摘発されていて本当に良かったと、心の底から思う。
「僕を追いかけてるだけじゃ駄目だと思うよ」
「え……?」
「追い抜く努力はしてくれよ、僕も弟に追い抜かれない努力をするから」
「! うん……!」
俺は、笑う。
シベリウスも、安堵と歓喜の笑みを浮かべる。
血は半分しか繋がっていないかもしれないけれど、ちゃんと、兄弟だ。
元々が仲の良い兄弟なら、俺には彼の心を守る義務があるだろう。
いつの間にか、時間が経っていた。
紅茶を飲みながら談笑している最中に入ってきた老執事さんに「もう遅い時間です」と窘められてしまい、シベリウスは半ば無理矢理に自室に帰されてしまった。
◇
「し、シベリウスが……対人恐怖症の引きこもり、だと……!?」
「はい……町でバッタリお会いした時には、本気で驚きました……時系列的に、もう引きこもっているものだとばかり……」
あんなに可愛い弟なのに?
あんなに無邪気に笑う子なのに?
数日後、城にやってきてくれた明里さんから衝撃の事実を聞かされ、俺は持っていたティーカップを落としそうになった。
「これもオルフェウス毒殺未遂事件に関わっているのですが」
「分かった、分かったぞ。黒幕疑惑掛けられて酷い目に遭うんだな?」
こくり、と明里さんは頷いた。
「シベリウスは慕っていた兄からこれでもかと疑われて、さらに周囲から陰口を叩かれて、人を怖がるようになってしまうんです。
母親は殺され、その後は城から追い出されて、学園寮に住むようになるのですが……同室のヒロインともなかなか会話ができません」
「え? 男女同室?」
「ゲームなので……」
「ごめん、続けて」
ヒロインは16歳らしい。
16歳の男女を同室にするのはどうかと思う。
どうかと思う……が、それを明里さんに説くのは絶対に違う。
俺は本来あるべきシベリウスについての情報を聞き出すことにした。
「シベリウスルートでも毒殺未遂事件の真相を解き明かす形になりますね。基本はオルフェウスルートと同じ流れで、途中で分岐します。
オルフェウスから「今まですまなかった」と謝罪を受けて、そこまで行ってようやくシベリウスは引きこもらなくなるんです。そこからがシベリウスの攻略がスタートします」
「まあ、デフォが引きこもりじゃ恋愛もなにもないだろうしな」
「シベリウスは元々優秀な部類なので、そこからの挽回はすごいのですが。まあ、病んでますけど……最初は婚約者のことを引きずっているので……」
「あ……そうか。ところで、シベリウスの婚約者ってどうなるんだ?」
オルフェウスの記憶によると、シベリウスは婚約者である公爵令嬢、フローレンスと清らかな愛を育んでいる。どうやら両家が決めた相手だとは思えないほどに良い関係性だったようだ。
ヴィオレッタと上手く行っていないオルフェウスは、それを羨ましく見ていたらしい。
……だが、
「本来はこの時点で相手から婚約破棄されてますね。第二王子とはいえ、黒幕濃厚だと思われていたので……シベリウスは婚約者を本当に大切にしていたので、その傷も深くて……」
「毒殺未遂事件の影響が大きすぎるな……ていうか、その流れだと絶対アリオーソにも影響出てる……あの子、本来はしっかりした兄貴分的なキャラじゃないだろ……」
アリオーソとは何度も会話をしているが、あの子は毎日剣の訓練に付き合ってくれるだけじゃなく、冗談を言い合ったり、くだらない話で盛り上がったりできる貴重すぎる存在だ。
——そんな存在が、事件の影響を受けていないはずがなく。
「その、本来のアリオーソは無口で警戒心が強い、常に目が死んだ感じのキャラです。なにしろオルフェウスがアリオーソのことさえも信用しなくなるレベルで病んでしまうので。……そのことに責任を感じて、アリオーソ本人も派手に闇堕ちしてしまって……」
「んんー!!」
オルフェウスを守ったことで間接的に可愛い弟と大切な幼馴染の心を守り抜いた。
そんな明里さんの存在に深く感謝すると同時に、またしても(原作的な意味で)深刻なキャラ崩壊が発生したことに気づいた俺は、思わず頭を抱えた。




