37.NGの理由
魔法演習の授業。
訓練場の中で、わたしはパニック状態に陥っていた。
——どうしよう、全然できない。
今日は手の上で水の球を作る。ただ、それだけ。
上級生や一部のエリートの人たちみたいにそれを使って戦うだとか、逆に防ぐだとか、そういうのは必要ない。だから、座学で習った通りにやれば良い。
それなのに、どうしても魔力が形にならずに散らばってしまう。
まるで手ですくった水みたいに、指の間から抜けてしまう。
前にやった時は普通にできたのに。何の問題もなく、できたのに。
……どうして?
どうして上手く行かないの?
そうしていると、色んな所からくすくすと笑い声が聞こえてきた。
『へえ? 聖なる力を持ってるって言っても、大したことないんだね?』
『やっぱり孤児院出身の小娘にこの学園はふさわしくないんでしょ』
『あーあ、可哀想に。晒しモノじゃん』
嘲笑の声。
わたしは相変わらずひとりぼっちで、誰も近くにはいない。
誰も近くに来てくれない。……誰も、味方になってなんて、くれない。
本当は助けてほしい。
でも、それを願うことすらできない。
笑い声の間から、ヴィオレッタ様が現れた。
どうしても、身体がこわばってしまう。それを見て、彼女は愉しそうに笑った。
『先生? やっぱり、彼女には無理なのですよ。「できない」って自分で言うこともできない哀れな子を、いつまでもここに置いておくのは可哀想ですわ』
ヴィオレッタ様の後ろからやってきたのは、魔法演習の先生だ。
先生さえもわたしを見下して——出ていけ、と出入口を指した。
『そんな……っ』
『時間と場所の無駄だ。できないならできないと素直に言いたまえ。そうすれば、こうなる前に逃げ出す許可を出したのに』
あははは、と大きな笑い声が響く。
酷い……酷い、先生まで一緒になって、どうして……!?
『——其の理を断ち切れ。全てを無へと還し、終わりを迎えよ』
絶望の中で、微かな声が聞こえた。
笑い声で掻き消されかけているけれど、わたしの耳には届いた。
声の主を、探す。
少し離れた場所で、人の群れの向こうで——ラウダさんが、目には見えない何かに触れていた。
『ディスエンチャント』
バリン、と何かが割れるような音が響いた。
広い訓練場の中でさえ、大きく反響するほどの笑い声が消えた。
代わりに残ったのは、どよめきの声だった。
どうして、一体何が起きたの……そんな、声だった。
今なら、行ける気がする。
わたしは指先に魔力を集めてみる。
——ふわり、と。
手の上に、透明な球が浮かび上がった。
『やった……!』
それを見て、先生は目を丸くし、申し訳なさそうにはくはくと唇を震わせた。
力が抜けて崩れ落ちてしまいそうなのを懸命に堪えながら、彼はわたしの方に歩み寄ってきた。
『すまない。私は、どうかしていたようだ……おかしくなっていた……』
そう言って、先生はわたしに頭を下げようとする。
学生がたくさんいる場所で、そんなことをさせるべきじゃない。良くない。
わたしは咄嗟に、先生の目の前に水の球を持って行った。
『先生! これで大丈夫ですか? できてますか?』
謝って欲しいわけじゃない。
これを見て欲しい。
押し付けるように主張すれば、先生は目を細めて、感情をかみ殺して笑った。
『……。問題ない。それで、完璧だ』
悲しかったけれど、辛かったけれど。
——先生が言うように、『おかしくなっていた』んだと思う。
他のみんなもそうだ。憑き物が落ちたような顔で、わたしを見ている。
今、何を言おうか、どうやって話し掛けようか。
そんな感じで、悩んでいるように見えた。
でも、ヴィオレッタ様だけは悔しそうに身体を震わせ、わたしを睨んでいる。
『どうして? 一体、何が……!』
彼女は辺りを見回して——ラウダさんを、見つけた。
『さては、あなたね? あなたにだけは、わたくしの魔法が効いていなかった……そういうことでしょう!?』
怒り狂ったヴィオレッタ様と目が合ったラウダさんは、遠くから見ても分かるほどに怯えていた。怯えて、この場から逃げ出そうと踵を返した。
『待ちなさい! 平民ごときがわたくしに逆らうなんて、許されることではないわ!!』
いつものラウダさんなら、普通に逃げ切れたと思う。
わたしは、あの人が人から逃れる術に長けているのを知っているから。
でも、今回はそれどころじゃなかったのかな、足がもつれて、バランスを崩してしまった。
そんな彼の肩に、ヴィオレッタ様が——
◇
明里さんは、両手で顔を覆っていた。
「申し訳ありません……」
……明里さんのNGは、初めて見た。
イベント再現自体、もうそこそこの回数やってるけど、本当に初めて見た。
けれど、今回の片割れというか、実質相方的ポジションになっていたラウダは明里さんを見て、顔をぶんぶん横に振っている。
「い、いや、これはオレのせいだし……本当にごめん……」
今回再現していたのは逃げ出そうとして失敗したラウダが、ヴィオレッタに肩を掴まれて罵られるのをセレナが勇気を出して助けに入る場面だ。
これはセレナが「ラウダのように勇気で人を救える人間になりたい」と固く決意し、ラウダの方も彼女に心を開くという、かなり大切なシーンなのだが……終盤になって、明里さんがいきなりやらかした。
……とはいえ、今回のNGは明里さんというよりはラウダの方に理由が存在する。
奏音ちゃんは受講生という名のエキストラという名の観客たちの周りを走り抜けて、ふたりの傍に向かった。
そして今回は天啓を授かった者扱いでエキストラに紛れていた俺も、彼女に着いて行く。
どうやら、奏音ちゃんは遠くから見ていて思ったことがあったようだ。
「ヴィオレッタ様が掴む場所は肩じゃなくて、ちょっと下にして腕にしません? その方が失敗しないと思うんですよね」
「なるほど……? そうですわね。捕まえることができれば良いので、それで行きましょうか」
改善策はできたが、ラウダがあからさまに落ち込んでいる。
俺はつい、彼の頭を撫でようとして——全力で、理性を働かせて止めた。
やばい。
明里さんがNGを出してでも回避したラウダの地雷を踏み抜くところだった。
実はラウダに対してはやってはいけない行動がある。
事前に本人からも、何なら明里さんと奏音ちゃんからも聞いていた——この子、どうも髪に触られること、特に『後ろ髪に触られること』に対する恐怖心がとんでもなく強いらしい。
明里さんはラウダの肩ではなく後ろ髪に、しかも死角から触れかけたせいで手を引いてしまった、というのが今回のNG理由だ。
俺は初対面の時に彼の髪に絡まった葉っぱを取っていたけれど、あれはラウダ目線で髪に触れられると分かっていたことと、後ろ髪では無かったから耐えてくれただけだ。
何より助け出すのが原作よりも早かったから、あの段階ではそこまで重症化していなかっただけだったみたいだ。
そんなこんなで彼は天啓再現プロジェクトが爆誕しなければ隠し通すつもりだったようなのだが、それができていたくらいには落ち着いていたようなのだが、「迷惑を掛けたくないから」という理由で彼の方から事前に話してくれたのだ。
大丈夫なんだろうと思っていた明里さんは、何なら奏音ちゃんも、彼のカミングアウトには相当に驚いていた。間違いなく原作だと、本人からは言わないんだろうな……。
ラウダはぺこりと頭を下げて、皆に謝る。
「本当にごめん……皆さんも、申し訳ありません……」
そんなこんなで、再び彼らは演者に戻る。
一応、ヴィオレッタの精神操作魔法が魔力量の多いラウダには一切効かないこと、そして広範囲展開の精神操作魔法は上から解除魔法をぶつけてやれば打ち消せる、という実演的なものは見せている——というのも現在、俺たちは1年生の生徒を対象にした『魔法演習』の講義に混ざっているからだ。
重要イベントを再現するためにありがたく使わせてもらったとはいえ、早いところ終わらせないと色んな意味でよろしくない。……主に教員の職権乱用的な意味でよろしくない。
でも、今度は大丈夫そうだ。
「うん、普通に終わりそうだな」
何とかNGは1回で終わりそうだ。
エキストラの人たち(教員含む)が優秀過ぎる。
……それはそれとして、明里さんと奏音ちゃんからラウダのヤバすぎるフラグ分岐について聞いた時には驚くを通り越して絶望した。
俺は皆から離れた場所で天啓再現を見ながら呟いた。
「確かに……確かに、初めて会った時も髪掴んで引きずり回されてたっぽいもんなぁ……それで、かなぁ……いや、多分それより前になんかあるんだろうけど……」
——どうも原作だと『ラウダの髪を触った結果、なんやかんやでバッドエンドに直行する』という衝撃の地雷選択肢が多々存在するらしい。
具体的な理由は明里さんにも奏音ちゃんにも分からないらしいが、通常ルートだろうが裏ルートだろうが、とにかくラウダの髪に触れるのはNGらしい。
逆に髪の長いアリオーソと髪の扱いが雑なコラーレ兄弟に関しては、髪に触れると親密度が上がるイベントが多々存在するらしい。
そこを含めて制作チーム、マジで手叩いて笑いながらラウダのプログラム組んだろ! 最低かよ!!
……それにしても。
理由が分からないというのは少々厄介だ。
「どっかのタイミングで聞けたら聞いてみようかな。ていうかアリオーソが把握してたら楽なんだけどな……」
アリオーソはラウダと親しいし、結果的に現在同室だ。
同じ部屋なら色々話しててくれないかな、なんか知ってたら楽なんだけどな……。
「ん……?」
演習場を出たタイミングで、ラウダ……というよりはマドリガル家提供の宝石が反応を示す。
どうも俺と明里さん、そして奏音ちゃんが対象みたいだ。
何かしら理由があるんだろうな、と判断した俺たちは顔を見合わせ、ラウダだけを先に行かせた。
最近、ラウダはトラウマを乗り越えようとしているのか、落第しそうな学生たちの相談窓口になっている。
あの子はそのタイミングだけは確定で単独行動をするから、そこを利用してきたんだと思う。
彼が俺たちから離れて行ったのを見計らって、見学席にいたバセットがひょっこり顔を出しにきた。
「急に呼び止めちゃって、すんません。天啓に関わってる可能性があるんで、3人ともに声掛けさせてもらったんすけど……」
そして彼は、奏音ちゃんに声を掛ける。
「セレナ嬢。今の見てて、ふと思ったんすけど……聖なる力って、火傷痕にも有効っすか?」
急にどうした!?
奏音ちゃんは動揺を隠せない様子で首を傾げている。
「えっと……やって見なきゃ分かんないんですけど、そのー……」
一瞬、バセット本人の話だと考えてしまった。
アリオーソとコラーレ兄弟の情報漏洩を聞いたところ、バセットの身体には俗に言う根性焼きの痕が相当数あるらしい。
その手の傷を消したいのかなと思ってたけど……まあ、そんなことはなく。
「ラウダ先輩って、背中に広範囲の火傷痕があるっぽいんすよ。ちょっと前にまた追試対策に付き合ったんすけど、そもそも腕振り上げる動作が辛そうなんで話、聞いてみたんすよね。そしたら、火傷痕のせいで皮膚が突っ張って、動きにくいって話だったんすよ」
……は?
「もしできるんだったら、何とかならないかなって思ったんすよね。追試の常習犯になってるの、絶対に火傷痕の影響もあるでしょうし。そのー、デリケートなことを勝手に漏らすのもどうかなって思ったんすけど、放置するのも違うかなって。
それこそ、今日はガッツリ気にして見てたってのもあるんすけど……さっきディスエンチャント使う時も、微妙に動きおかしかったような気がしなくもなくって。相当に酷いんじゃないかって……」
もしかしなくても、ラウダが髪に触れられるのを怖がる原因って、それでは……?
俺たちは顔を見合わせて頷き、用事が終わって廊下に出てきたラウダをさくっと捕獲した。
【Tips:ゲームにおけるラウダ攻略】
理性が擦り切れかけているせいで難易度が跳ね上がっている攻略対象その2。
とにかく怯えているため、ひたすら庇い続ければ良いタイプの攻略対象に見えるが、その手の選択肢をずっと選び続けると「自分は頼るに値しないゴミなんだろうな」等と受け取って心が折れ、最後まで保ち続けた良心を失って殺戮魔王と化す。基本姿勢が寄り添い型の明里がラウダ攻略を失敗しまくった理由がこれ。
髪を触ると殺戮魔王化するのは恐怖心から魔力を暴走させてセレナを含む周囲の人間を傷つけたり、酷い自己嫌悪に陥ったりと終着点が『絶望』にしかいかないため。プレイヤーさえ絶望させてくるタイプの攻略対象。
なお、現実のラウダは物音に過敏だったり怒声に怯えたりすることはあるが、理性は普通に生きている。その関係で透たちの露骨に庇うムーブをありがたく感じることはあっても、勝手に絶望するような事態には陥っていない。




