30.恐怖心
——演習場から、音がする。
剣と剣がぶつかり合う、甲高い音。
気になって気になって仕方がなくて、わたしはこっそりと中を覗き見た。
演習場の奥で、椅子に座って足を組んだオルフェウス殿下が、冷え切った眼差しを眼前のふたりに向けている。
「……」
そこで、髪の長い男の人たち——アリオーソさんとバセットさんが、全力で刃をぶつけあっていた。
一歩も譲らぬ攻防。
流派が違うみたいで、アリオーソさんは長剣、バセットさんは二対の短剣を使っていた。
どちらも剣に、ほのかに魔力を流しているのが分かる。
純粋な剣士じゃなくて魔法剣士って奴なのかもしれない。
昔はふたりとも騎士団に所属していたって聞いたけど、納得だな。
……でも、なんで辞めちゃったんだろう?
ばちり、とオルフェウス殿下と目が合った。
しまった、と思った。
でも、何も言わないでいてくれた。
わたしのため、というよりはアリオーソさんとバセットさんを見るのに忙しいんだと思う。
バセットさんは空中でくるりと身体を翻して、アリオーソさんと距離を取る。
そして、嗤った。
『あっははは! アリオーソ先輩、剣の腕が鈍っちゃったんじゃないのぉ?』
『……』
何も話す気はない。そんな様子だった。
けれど、アリオーソさんは一気に距離を詰めた後、目の前のバセットさんを叩き斬りそうな勢いで、腰を落として勢いよく剣先で軌跡を描いた。
『……っと、危ないなぁ!』
バセットさんの、綺麗な金の髪が宙を舞った。
それを見て、彼は奥歯を鳴らす。
『何するんだよぉ、髪の手入れって結構時間掛かるのにさぁ』
彼はアリオーソさんから距離を取って、オルフェウス殿下に視線を向けた。
『つーか、殿下もわざわざ呼び出しといて何なんだよ? なんで僕とアリオーソ先輩を競わせるんだよ』
どうも、主催はオルフェウス殿下らしい。
アリオーソさんは純粋に従ってるだけだと思うけど、確かにバセットさんからしたら意味不明だよね。
でも、オルフェウス殿下は深々とため息を吐き出すだけだった。
『ちょうど良いところに貴様が転がっていたからだ。他意はない』
『……。へぇ?』
どうして、かな。
何となくバセットさんが、悲しそうに見えた。
それでも彼は、嗤い続ける。
『だってさ、アリオーソ先輩。……先輩、信用されてないんじゃない? これって先輩の腕を確認してるだけってことじゃん!』
『……』
『先輩の剣の腕が鈍ったっていう僕の感覚、間違ってなさそう』
アリオーソさんは、何も答えない。
でもバセットさんは、続けて煽る。
『……ずーっと殿下の横にいれば、そうもなるよねぇ?』
『——ッ!』
アリオーソさんの顔色が、変わる。
握る刃に、明確な怒りがこもった。
そして——いつも黙って何も言わなかった彼が、不快感を露わにして声を荒げた。
『黙れ! お前こそ、遊び呆けているだけだろうが!!』
アリオーソさんは、バセットさんが構える双剣に、勢いよく剣を——。
◇
「ひ……っ!?」
バセットの手から、剣がこぼれ落ちた。
「!? バセット!?」
アリオーソは勢いよく叩きつけるはずだった剣をすんでで止めて、大きく横に薙ぐ。
そして持ち主に刺さりかけた双剣を、遠くに弾いた。
ただ……刺さる刺さらないの問題じゃなかったみたいだ。
バセットは崩れ落ちるように、その場に膝をついた。
「おい! 大丈夫か!? バセット!!」
「は……っ、は……っ」
彼は自身の両肩を抱き、俯いて震えている。
アリオーソの声は、多分届いていない。
不思議な魔法が掛かっているこの演習場で負傷した場合、ここを出た瞬間にすべての傷が癒える。その仕組みは分かっていた。
それでも、この状況を見て落ち着けるはずがない。
もう椅子に座っている場合じゃないと、俺は立ち上がる。
……ただ、俺よりも先に明里さんが動いた。
「アリオーソ様! 離れてくださいまし!」
そうして、彼女はバセットの前に座り込んで彼の両手を取り、詠唱を開始する。
「——彼の者を、安寧の理へと誘え」
ヴィオレッタは人の感情を動かす類の魔法が得意らしい。
本来はセレナを不必要に怯えさせたり、周囲の人間がセレナに対してマイナスの感情を抱かせたりするために使うそうだが、当然ながら明里さんがそんな使い方をするはずがない。
魔力が多すぎるオルフェウスとラウダに対してはかなり効き目が薄いみたいなんだけど、バセット相手なら彼女の魔法は通用する。
だからこそ俺とアリオーソは、明里さんの作業が終わるのを黙って待っていた。
「……」
しばらくして、バセットは顔を上げる。
申し訳なさそうに笑う彼の額から、冷や汗が伝い落ちた。
「す、すみません……その、びっくりしちゃって……」
「わり、本気出しすぎたか?」
「いや! すごいなって思いました! 迫力満点でしたもん!」
確かに、アリオーソの剣幕はすごかった。
びりびりと響くようなそれは近くにいた俺もだけど、例のごとく観客、しかも演習場に備えつけてある2階の見学席に現れてしまった人たちさえも圧倒していた。
それこそカットが入ると同時に見学席からスタンディングオベーションが起こりそうなレベルだった。
でも、彼らはバセットの状況を見て自重してくれたらしい。
俺は空気を読んだ観客たちに感謝すると共に、念のため台本を読んだタイミングでシベリウスとコラーレ兄弟にラウダの拉致を依頼しておいて良かったと思っていた。
申し訳ないけど、バセットがNGを出すレベルのアリオーソの剣幕に、ラウダが耐えられた気がしない。
バセットはへらへらと笑いながら、地面に刺さった剣を抜いている。
「アリオーソ先輩って演技の才能もあるんすね。これは自分も頑張らないと! もう大丈夫っす! すみません!」
——だが、果たしてバセットの言葉は真に受けて良いものなのだろうか?
奏音ちゃんからバセットの裏バッドエンドの話を聞いていただけに、つい穿った目で見てしまう。
俺は、明里さんと奏音ちゃんに目線を向ける。
ふたりとも、すぐに俺の視線に気づいて駆け寄ってくれた。
「このイベントの後って、何が起こるんだっけ?」
小声で、話しかける。
明里さんは、困ったように眉尻を下げた。
「このイベントが終わったタイミングで、近くの研究室にいた生徒がうっかり悪魔を複数体召喚しちゃうイベントが起こります。
爆発音に気づいて近くの教室から駆けつけたコラーレ兄弟、さらに隣の研究室に隠れてたラウダと共闘する流れになりますね」
「なんでこっくりさんくらいのノリで悪魔召喚しちゃうかなぁ……!」
ゲームだからですね、分かってます。
……問題は、割と発生する事件の規模が大きいことだ。
「んー、バセットの様子が変だから飛ばせないかなって思ったけど、その規模のが起きるなら不意打ち受けるのは嫌だな……もはや『起きない可能性に掛ける』段階じゃないし……」
必ずしも起きるというわけではないようだが、イベント再現をしなければ変な場所、変なタイミングで代わりの事件が起こるケースがある。
それはシベリウスが負傷した件だけでなく、実験的に飛ばした細々としたイベントで証明できている——つまりイベント再現行為自体が『意図したタイミングで重大事件を起こし、それを最低限の労力で対処する』という当初の目的に大いに貢献していた。
特に俺たちが見ていない場所で第三者が起こす事件の類はどうしても防ぎきれないケースが多い。
だから悪魔召喚騒動は、確実に対処ができるこのタイミングで起こしておきたい。
……でも、これは、
「自分は大丈夫っす!」
俺の迷いを打ち消すように、バセットが叫んだ。
「次は行けますから……もう一回、やらせてください!」
そう言って彼は、深く息を吐き出してから得物を構える。
「あんま舐めてもらっちゃ困ります! アリオーソ先輩も、容赦なく来てくださいね!」
バセットはやる気だ。
……それこそ、「負担になるからやめろ」だなんて、到底言い出せないくらいには。
俺たちは、黙る。
けれどアリオーソは、鞘に戻していた剣を抜いた。
「やるぞ。さっさと終わらせた方が良い。またバセットがやらかすようなら、再考だけどな」
またやらかすようなら再考。
それが、妥当だろう。
「……。そうだね」
幸いにも、バセットは次の1発で決めてくれた。
その直後に起こった悪魔召喚騒動も、問題なく鎮めることができた。
……ただ結局、彼は何も語らなかった。
彼はとにかく「アリオーソの勢いに怯えてしまっただけ」だとしか、言わなかった。
アリオーソの方もかなり気にしていたが、踏み込めば踏み込んだ分だけ距離を取られてしまい、これ以上は触れられないと判断したらしい。
『バセットはオルフェウスを殺害した後に自害しちゃうんですよね。それをどうにか止めたら、裏バッドエンドに行けるんだとは思います』
奏音ちゃんの言葉が、脳裏を過る。
『でも、バセットに関しては『どうしてオルフェウスを殺したのか』が分からないんですよ。想像がつきません。自害させちゃうと、その辺りの真相が分からないので』
真相が分からない。
それに関しては、現実のバセットも同じだ。
穿った目を向けてしまっているだけで、本当にアリオーソに押され負けただけなのかもしれない。
けれど、強引に隠し通そうとしているだけで、実は何か事情があるようにしか思えなかった。
バセットの淡い銀の瞳が、一体何に怯えていたのか。
俺は、それが気になって気になって、仕方がなかった。




