27.馬鹿かよ
教室に忘れ物をしてしまった。
今日使っていたのは、3年生の教室だ。
……ヴィオレッタ様の、教室だ。
置きっぱなしにしていたら、何が起こるか分からない。
壊されるだけじゃ済まない気がする。
わたしは開いていた窓から校内に入り込んで、教科書と筆箱を回収する。
どちらも痛んでない。無事だった。
『良かった……』
——それにしても、随分と不用心だ。
学生寮が敷地内にあるとはいえ、流石に開けっぱなしなのはどうかと思う。
駄目元で来たのに、あっさりと校舎内に侵入できてしまった。警報装置の類も無かった。
それはそれとして、夜の学校は怖い。
使われていない教室から微かに、何かを引きずるような物音がした。
『っ!?』
思わず悲鳴を上げそうになった。
けれど、わたしが何か反応する前に、教室から男の子の声が聞こえた。
『そ、そこに……そこに誰か、いるの……?』
どうして、そんなところにいるんだろう。
でも、それが気にならないくらい、彼の声は、ひどく震えていた。
わたしは思わず、その声が聞こえた教室に近づく。
……けれど、
『来ないでくれ! 近寄らないでくれ!』
拒絶された。
それどころか、小さな嗚咽が聞こえてきた……泣いてるの?
『……』
ルバート子爵家での日々を思い出した。
わたしは陰で、ずっと泣いていた。
学園に入学してからもそうだ。
……ヴィオレッタ様が、怖い。
次は何をされるんだろうって、不安で不安で仕方がない。
夜はいつも泣いている。逃げ出したいのに、どこにも逃げ場がない。
——だから、放っておけなかった。
『わたし、セレナ・ルバートっていうの。大丈夫、何もしないよ』
どうか、怖がらないで欲しい。
わたしはその場に立ち止まったまま、男の子に声をかける。
『お、オレ、は……』
何か答えてくれそうだ。
そのことに安心していると、ガタガタと背後から物音がした。
慌てて、振り返る。
『え……?』
闇に溶け込む、黒い身体。
毛むくじゃらなそれは、巨大な猪のような姿をしていた。
赤く光る目が、6つ並んでいる——魔物だ。
その後ろには、巨大な魔物をなんとか従えようとしている男子生徒がいた。
『っ、言うこと聞けよ! 聞けったら! その子に、手を出すな……! お前は3年の教室に、潜んでれば……うわああぁ!!』
魔物は、男子生徒を振り払ってこっちに向かって駆け出してきた!
どうしよう、怖い! どうしよう!!
『あ、あぁ……』
魔物を連れ込んだ人は、腰を抜かしながら逃げ出してしまった。
このままじゃ危ない。けれど、足が床に縫い付けられたように動かない。
もう、悲鳴を上げることしかできなかった。
『きゃあああぁっ!!』
がらり、と。閉ざされていた扉が開いた。
『——白き雷、刃となりて邪を貫け……収束せよ!』
強い、魔力を感じる。
後ろを、見る。眼鏡を掛けた男の子が、杖を構えて立っていた。
『サンダーボルト!』
杖先から勢いよく飛んだ電流が、魔物の身体を焼き焦がした。
魔物は断末魔を上げて、床に転がる。
わたし、助かったんだ!!
『あのっ、ありがと……え?』
——距離が、遠い。
いつの間にか、男の子はとんでもなく離れてしまっていた。
男の子、というか。……多分、上級生だ。タメ口で話し掛けちゃった!
でも多分、彼はそんなことは気にしてない。
それどころじゃなさそう。
『……』
彼はすごく強かった。
一発で魔物を倒すくらい強かった、のに——どうしてわたしに怯えるの!?
『ま、待って……! 待ってよ!!』
叫んではみたけれど、待ってなんてくれなかった。
彼はあっという間に、わたしの前から消えてしまった。
◇
——本当に学園内に魔物を連れ込んだ大馬鹿がいた。
事前に阻止できて良かった。
放置すれば、謎のタイミングで魔物が大暴れしていた未来しか見えない。
普通に負傷者が出ていた気しかしない。
そして大馬鹿はしれっと逃げ出そうとしていたけれど、アリオーソとバセットが一瞬で縛り上げていた。
流石騎士。手際が良い。その様子を横目で見ながら、俺と明里さんは奏音ちゃんの無事を確認する。
奏音ちゃんの手をふにふにしながら、明里さんは静かに息を吐く。
「ここで確保できたので、あの男子生徒が起こす厄介案件はすべて潰せたかと。あの男子生徒、定期的に魔物を連れ込んで暴れさせるイベントを起こすので……」
「馬鹿かよ」
「まあ、天啓通りに事が進むなら新手の男子生徒が出てくるかもしれませんが」
「嫌すぎるな、それ。……いや、学園の警備がザルすぎないか?」
「ゲームなので……」
「あ、ごめん……そっか……」
いや、ゲームにしたって前提事項がひどすぎるだろ。馬鹿かよ。
明里さんに言ったところで困らせるだけだから言わないけど。
とりあえず、奏音ちゃんは大丈夫そうだ。
「ただの『スパーク』じゃなかったな……詠唱早かった……」
廊下の向こうから歩いて戻ってくるラウダを見ながら、奏音ちゃんは呆然と呟く。
どうやらラウダがしれっとシナリオから逸れた行動を起こしてしまったらしい。
彼に「剣じゃなくて杖を使った上で、弱い雷属性を撃って欲しい」と雑に指示出ししたのが悪かったみたいだ。
「ご、ごめん……レベリング的なの、やりすぎたかも……」
俺もそうだけど、攻略対象たちは割とみんなレベリング的なものに励んでいる。
ゲームより強くなっている、とは聞いてたけど……普通に強くなりすぎているのかもしれない。
「強くなりすぎ、というか……」
言いかけて、奏音ちゃんはゆるゆると首を横に振った。
そうして、明里さんを見上げる。
「明里さんって、もしかして『鳥セレ』、完全にはクリアできてなかったりします? 何かエンディング取り逃がしてます?」
「ああ、うん。リュートルートが……」
この言い回しをする時点で、奏音ちゃんは全てのエンディングを見ている可能性が高い。
でも、俺たちがそれを喜ぶ間もなく、奏音ちゃんはぽつりと呟く。
「初手でリュートが居ない時点で、かなり嫌な予感はしてたけど……」
「え……?」
話の続きを聞きたかった。
けれどラウダが戻ってきてしまったし、アリオーソたちもこっちに来てしまった。
しかし、奏音ちゃんは小声で俺たちに語りかける。
「すみません。明日、どこかで時間取ってもらっても良いですか?」
あまり良くない事態が起きているらしい。
俺たちは無言で頷いた。
だが、仲間たちの不安を助長するわけにはいかない。
俺たちは何事もなかったかのように、皆と話す。
……その際にラウダが『寮ではまともに生活できない』という切実な理由で『第1学年の時に学園のマスターキーをしれっと複製して持っていた』ことが発覚した。
「オレ、3年の生徒からはあんまり被害受けてなくて。それなら見つかってもギリ逃げられるかもってことで、本当にこの教室に潜んでることが多かったんだ。
しかも3年の上級クラスの教室付近ってシャワー室とか被服室とか便利どころ多いし、次の日の時間割確認して、行けそうな日を狙ってよく入り込んでたんだ。屋上と違って雨風防げるし」
「……」
「天啓すごいね。条件的に、絶対オレはここにいたよなって思って笑っちゃった。えーと……その、うっかり存在忘れてただけだから、マスターキーは適当に処分しとく。責任問題になる前に雷撃当てて粉々にしとくから、安心して?」
何も安心できない。色んな意味で何も安心できない。
今回は何もしなくても鍵が開いていたわけだけど……多分、実際のゲームだとラウダが侵入した場所の鍵が開いてたんだと思う。セレナと魔物連れ込んだ大馬鹿はそれを見つけて入り込んだんだと思う。
間違いなくオルフェウスが毒殺未遂に遭う前の話なんだろうけど、学生にマスターキーを勝手に複製されるとか管理体制大丈夫かよ。
ゲームシナリオ的にラウダがそれできないと駄目だったのは分かるけど、実際のところは『ゲームなので』で済ませたら駄目なタイプの大失態じゃないか。馬鹿かよ。
ていうか、オルフェウスの件で外壁の類を整備した時に校舎の鍵も全部変えろよ! 普通はそっちも一緒にやるだろ!!
ラウダの生活保障的な意味じゃ良かったけど、管理体制的な意味だと絶望的におかしいだろ! 馬鹿かよ!!
学園がアレなのか、ゲーム制作チームがアレなのか——俺は改めて、万物が心配になった。




