25.ゲームシナリオの強制力
夜。
震える奏音ちゃんの肩を抱き、明里さんは声も出せずに俺を見ていた。
「……」
覆面を被った侵入者を皆で見下ろしながら、俺は絶句する。
拘束した。だから無力化はできている。けれど——これは、そういう問題ではない。
「ねえ、アリオーソ。この学園内は『安全』なんじゃなかったのかい?」
「そのはず、だったんだが……」
このイベントにおける本来の犯人、バセットは月明かりの下でも分かるほどに顔を真っ青にし、酷く動揺していた。
「じ、自分は……何も……」
「分かってる。それどころか、君は僕らとずっと一緒にいただろう?」
これは、あのオープニングイベントから続く形で発生するイベントだ。
ヴィオレッタに蔑まれた後、セレナは悲しみを胸に抱きながら、友人を作ることさえできずに新入生オリエンテーションを受けることになった。
気晴らしのために図書室で時間を潰してから寮に戻ると、同室の男子生徒・シベリウスがぶつぶつと何かを呟きながら、小さく奇声を発しながら、弱々しく壁を引っ掻いている。
異常な状況に恐怖したセレナは、夜だというのに寮を抜け出してしまった。
そうして学園内に入り込んでいた侵入者が彼女を襲うのだが、間一髪のところで、たまたま外を散歩していたバセットが助けに入り、事なきを得る。
……しかし、ゲームを進めていくと分かる。
シベリウスが寮の部屋で奇妙な行動をするように彼の心を蝕み、侵入者を手引きしてセレナを襲わせ、バセットが助けにくる。
この一連の流れそのものが、バセットの自作自演だったのだと。
ゲーム本編において、彼はそこそこの頻度でマッチポンプ的な行動を起こす。
すべては彼が、自身と少しだけ境遇が似ているセレナの気を引きたいがゆえに。
確かにバセットは、入学前の段階でセレナの情報を持っていた。
あの時点で『ひとりだけ情報を持っていた』という事実が、こんなところで繋がるなんて思わなかった。
「……」
本人もそれを理解してしまったのか、バセットは声を震わせる。
「自分、天啓通りなら……本当にこんな真似、してたんすか……?」
今回、バセット本人からの要望で俺たちは彼を近くで見張っていた。
もしかすると天啓に引っ張られてしまうかもしれない、無意識に何か変な行動を起こすかもしれない。そんなことはしたくない……それは奏音ちゃんを思いやる、彼なりの優しさだった。
——結果的に、彼の優しさは容赦なく踏みにじられたようなものだ。
バセットを一瞥した後、ラウダは軽く息を吐き出す。
「そもそも、状況的に『本当に侵入者なのかどうか』ってとこから怪しいよ。学園内で何かしらやられたって考える方が妥当だから、バセット様が落ち込むのは早い気がするな」
「そうっすかね……?」
「それこそ、お金とか試験問題の事前リークとか。そういうので動く学生って結構いると思うし……あとは脅迫された、とかも普通にあると思うよ。学内では平等って言っても、そう簡単にはいかないケースだってあるんだからさ」
「……。すみません」
「あ……ごめん、無意識。気にしないで」
入学前の話ではあるけれど、ラウダの事情はバセットもある程度把握してる。
だから、ラウダに今の話をさせてしまったことに対して罪悪感を覚えてしまったらしい。
「……」
悲しげなバセットの顔を見たラウダは、横に右手を伸ばして細身の剣を顕現させた。
斬るわけじゃない。彼にとって剣は魔法発動に使う媒体のひとつだ。小型の杖ではなく剣を取り出した時点で、そこそこ——怒っている。
「流石に腹立つな。この上からさらに結界張ってやる。……軽く潰してやる」
憂さ晴らしのような形で、不審者が結界魔法に閉じ込められてしまった。
かなり重力が掛かっているのか、「ぐえ」と潰されたカエルのような声が聞こえた。
それを見たコラーレ兄弟は堂々たる様で不審者に近づき、覆面を剥ぎ取った。
そうして彼らは、顔を隠そうとする不審者を容赦なく眺める。
「何となく、学生……な、気がするな。ジェズアルド、見覚えは?」
「無い。その時点で第1学年な気がするな。我々の講義は第2学年以降でなければ取れないからな……未履修者かもしれないが、それにしたって見覚えが無さすぎる」
「わたしもそう思う。とりあえず警備の者に引き渡すか。後は彼らにどうにかしてもらおう」
ラウダの指摘通り、今の学園は部外者が簡単に入れる環境ではないはず。
そしてコラーレ兄弟の判断が間違いなければ、不審者は侵入者ではなく学生だ。
それでも、バセットの気持ちは晴れないらしい。
その背を叩きながら、シベリウスは目を細めた。
「天啓内容を再現したら近い出来事が起こるって判断して良い気がするね。検証材料は足りないけれど、逆に考えようよ。皆が揃っている状態で襲撃事件が起きた。だから、誰も怪我することなく、安全に対処できたんだって」
天啓再現と襲撃事件の発生に因果関係があるのかは、まだ分からない。
因果関係があったと仮定する場合、天啓再現をしなければ奏音ちゃんが襲われるようなことは無かったのかもしれないし、逆にシベリウスが言うように、予期せぬタイミングで彼女が襲われていた可能性もある——まだ、どちらの可能性も否定できない。
現時点で俺たちはシベリウスのイベントをひとつ、意図的に飛ばしている。
シベリウスは壁を引っ掻くような真似をしていないし、そもそも実際の奏音ちゃんは彼とは別室だ。
そして、意図的に飛ばしたイベントに関連して発生するのは、シベリウスが突如として大量出血をしてしまい、保健室に運び込まれる事件だ。
彼は頭痛を堪えるようにこめかみを抑え、ため息を吐いた。
「明日は剣術演習の類もないし、何が起こるんだろう。……いや、明日じゃないかもね。でもどこかで起こる可能性がある。だから、みんな覚悟しといて」
俺は、シベリウスの左腕に目を落とす。
これに関してはそもそも、再現そのものをして欲しくなかった。
だから、俺たちは彼のイベントを実験に使うことを決めた。
……何も起きなければ、ここで終わりだ。
でも、俺はどこかで『それはあり得ない』と思いつつあった。
——そして、翌日。
老朽化していたのだろうか。
校舎内の窓ガラスが急に割れ、その破片がたまたま横を歩いていたシベリウスの左腕を切り裂くという大事件が起きた。
◇
慌てて、保健室に駆け込んだ。
シベリウスさんの制服は、真っ赤に染まっている。
養護の先生はいない。
勝手に保健室を使って申し訳ないなと思いつつ、ひとまずシベリウスさんにはベッドに座ってもらった。椅子でも良かったけれど、後ろに倒れてしまうかもしれないから。
『……』
昨日の夜、シベリウスさんの様子は随分とおかしかった。
……あの時、怖がって逃げずに声を掛けていれば良かった。
今は後悔する時間じゃない。ここで引いちゃ駄目だ。
わたしは、声を震わせた。
『すぐ、治しますから。じっとしててください!』
聖なる力が使えて良かった。
そうじゃなきゃ「どうしてこんなことをしたんですか」と強く責めてしまいそうだった。
シベリウスさんの左腕に刻まれた深い傷が、塞がっていく。
それでも溢れてくる血に眩暈がした。それでもわたしは、彼の淀んだ青い瞳を見上げた。
『……』
そうしてシベリウスさんは、ポツリと呟いた。
『……どうせ君も、いつかは変わってしまうんだろう?』
『え……?』
『いつかは、私のことを突き放すんだろう? その優しさだって、ずっとは続かないんだ……いつか、君は……君も……そうだ、君も……あははは』
『シベリウス、さん……?』
『……。どうせ……どうせ、みんな、いなくなるんだ。かわってしまうんだ。だったら……もう……わたしは……なにも……なにも……ははっ、だったら、いっそ……はやく……』
会話が成立しない。
シベリウスさんはぶつぶつと何かを呟き始めてしまった。
それでも、傷は無事に塞がった。
次は、血塗れの制服をどうにかしなくちゃ。このままじゃ教室には戻れない。
わたしが辺りを見回していると、忙しなく廊下を駆けてくる音が聞こえた。
その音は——2人分。
ガラリ、と扉が開く。
暗いアッシュブラウンの髪をした、そっくりなふたりの先生がそこに立っていた。
右目の下にホクロがある方の先生が、口を開く。
『すまない、大丈夫かい? 今日はわたしたちが保健室を託されていたのだけれど、たまたま授業が入っていて……』
『ええと、あなたは……?』
『クレメンティ・コラーレ。こっちは双子の弟、ジェズアルドだ』
ジェズアルド先生は、さっとシベリウスさんの傷跡……があった場所を見ていた。
『なんということだ!? 傷が、無い……! しかし、これだけの出血。こんなことは、おかしい!!』
そうして彼は、わたしへと視線を向けた。
『これが、君の力か!? 我々に、もっと詳しく教えてくれ!!』
◇
全力で演じ切った後。
シベリウスはただただ苦笑する。
「うーん、やられたね」
その間の抜けた態度を見て、俺は奥歯を噛み締めた。
「やられた、じゃないだろ……!」
「仕方ないよ。むしろ、周りを巻き込まなくて良かった。この手の案件じゃなきゃ禍根が残っちゃうから。これなら責任問題で大騒ぎしないように、学園関係者を王族権限で黙らせるだけで済むし」
シベリウスは変わらず、へらりと笑う。
「言わなかったけど、本当は次の剣術演習で来ると思ってた。でも私が周りを黙らせたとしても、斬りつけた相手の子に悪いなって思って。どうしたものかなーって、困ってたんだよね」
——原作ゲームでは、シベリウスは前日の夜に自傷行為をしていた。
その傷が深すぎて、止血しきれていなかった。
ゆえに翌日、急に傷が開いて大量出血してしまい、治癒の力を使えるセレナによって助けられる。
そしてセレナは、保健室でコラーレ兄弟と出会うのだ。
養護教諭の不在時にシベリウスが負傷した時点で、天啓の強制力が働いている。
そう判断した彼らは保健室に駆け込むと同時、咄嗟に演じ始めた。
演じることは、できた。できてしまった。
念のため、明里さんと奏音ちゃんが台本自体は作っていたから。……その『一応』が、役に立って欲しくなかった。
「……ッ」
だけど、俺はどうにも納得がいかなかった。
「兄さん」
そんな俺に向かって、シベリウスが声を掛ける。
「多分、他は大なり小なり変えられると思う。でも、ここだけは絶対に無理だって私は分かってた」
「ッ、なんで……!」
「セレナと先生方が出会う場面だから。襲撃事件が起きた時点で、私は覚悟したよ。細かい部分は強引に捻じ曲げてでも、起こり得るものもあるんだって」
意志の強い、青の瞳。
けれど俺は、引きたくなかった。
「だったら、そもそも最初の場面を演じていなければ……!」
「……兄さん」
シベリウスは、笑う。
「襲撃事件に、私の負傷。どちらも起きると分かっていたから対処できたんだ。今は2つで済んでるけど、積み重なったらきっと対処できなくなる。それこそ、絶対に再現できない天啓もあるって聞いてるよ」
「……」
「だから、やらなきゃいけなかった。幸い、出会いの場面で負傷するのは私だけだしね。ラウダの場合は魔物をちゃんと倒せればセーフだ。
彼だけでは厳しいなら、私たちが乱入すれば良い。大筋が合っていれば大丈夫なことは、分かっているからね」
「……そう、だね」
「私たちは、兄さんたちに救われてる。天啓通りになるくらいなら、これくらいどうってことはないよ。それを、忘れないで。……ほら、傷跡も無いし!」
ひらひらと手を振り、シベリウスは笑う。
彼の強さが、辛い。
そして「そんなことよりも」とシベリウスは目を光らせた。
「兄さんは次の自分の出番のこと考えた方が良いよ。セリフ長いし、しかもヴィオレッタ嬢とセレナ嬢を罵るような奴なんだから」
「う……」
「その結果がラウダとの出会いに繋がるんだから、失敗できないんだからね」
俺は「邪魔だ。どけ」すらまともに言えなかった人間だ。
シベリウスの『話題を変えたい』という狙い通りになってしまっているのは分かっているのに、急に、不安になってきた。
「ほら、練習付き合うから」
「ありがとう……」
お礼を言いつつもシベリウスの傷のない白い腕を伝って床に落ちた血に目が行ってしまった。
天啓通りになるくらいなら、どうってことはない。
——そうなのかも、しれない。そうなのかも、しれないけれど。
ただ、この子に痛い思いをして欲しくはなかった。
その覚悟を、決めて欲しくはなかった。……この子はまだ、16歳の子どもなのに。
もはやどうしようもない感情が、心の中で渦巻いていた。




