24.もうやだ
——入学式。
わたしは、ずっと憧れていた学園の門を潜った。
歴史ある、古い建物。
それでも洗練された趣に、わたしは思わず感嘆の声を漏らした。
『わぁ……っ』
わたし、セレナ・ルバートは孤児院で育った。……親の顔も、知らなかった。
けれど、なんでだろう。わたしは3年前、急に人を癒す力に目覚めた。
その力は『聖なる力』だって言われた。生命を司る力だって話だった。
不思議な力だけど、まるで元からあったみたいに馴染んで、すぐに使いこなせるようになった。
そして2年前、わたしはいつものように、走り回って頭から豪快に転んでしまったやんちゃな子の擦り傷を治していた。
そのタイミングでやってきたのが、ルバート子爵。
彼は急に「私が彼女の親だ」と名乗って、そのままわたしは引き取られた。
普通は、親ができたって喜ぶべきなんだと思う。
でも、わたしは喜べなかった。何度も「孤児院に戻りたい」って考えちゃった。
ルバート子爵が傾き気味だった孤児院に金銭的な支援をしてくれるようになったこと自体はありがたかった。それだけが、唯一の救いだった。
ただ、わたしの親だと名乗っておきながら無関心なお父様に、急に現れたわたしを汚い物のように扱うお母様。到底『家族』だなんて呼べない人たちと一緒に過ごす羽目になった。
そしてわたしは急に貴族の子として扱われて、厳しい教育を受けることになった。なかなか上手くできなくて、家庭教師やお母様に手を上げられることもあった。
毎日辛かったけれど、学園に行けるって聞いた時には素直に嬉しいと思えた。
だからこそ、これから頑張ろう。
期待を胸に、わたしはレンガで舗装された道を歩む。
その途中。
目の前に、濃い藍色の髪を風に靡かせる優美な女性が立っていた。
『あなたが、セレナ・ルバート?』
『は、はい! 初めまして!』
綺麗な人に向かって、わたしは子爵家で厳しく教わったカーテシーをした。
挨拶をする時はこうしなさいって習ったからだ。
……けれど、
『あらあら? 貴族の真似事かしら、みっともない』
『え……?』
『この学園は、あなたのようなドブネズミが来る場所ではなくってよ』
彼女は軽蔑の眼差しをわたしに向ける。
身体が、固まる。……どうして、そんなことを言われなければならないの?
学園は色々な人が集まる場所だけど、生徒はみんな平等な立場になるって聞いてたのに。
いつの間にか、彼女の周りには何人もの令嬢が集まっていた。
『本当ですわ。身の程知らずの可哀想な子』
『きっとヴィオレッタ様が、あの由緒正しいカデンツァ公爵家のお嬢様だってことさえ分からないのよ』
『無知なドブネズミは早く消え去りなさいな』
あまりにも、容赦のない言葉。
わたしは、拳を握りしめる。
涙が溢れそうになってしまった。
もう帰りたい。
でも、帰っちゃダメだ。帰れない。
義父様と義母様に、張り倒されてしまう。
……わたしに帰る場所なんて、ない。
そんな時、後ろで黄色い悲鳴が響いた。
『きゃーっ! バセット様ーっ!!』
振り返ると、胸まで伸びた金色の美しい髪が特徴的な男性の姿があった。
彼は流れるように、わたしたちに話しかける。
『新入生虐めちゃダメだよ、可哀想だろう?』
そして彼は、グイとわたしの肩を抱いた。
『きゃ……っ』
『怯えなくて良いよ、子猫ちゃん』
——こ、子猫ちゃん!?
ヴィオレッタ、というらしいお嬢様は、バセットさんに軽蔑の眼差しを向ける。
『男爵家、しかも下級クラスの人間が公爵家で上位クラスのわたくしにお説教? ……偉そうに』
そう言って、ヴィオレッタ様は奥義で口を隠す。
バセットさんは、困ったように笑った。
『あーあ、君は笑っていれば、本当に美しいのに。勿体ないなぁ』
『……』
『ほら、笑わないと。もうすぐオルフェウス殿下が来るよ?』
そうして少しの間が空いた後、カラカラと馬車が入ってきた。
——校内に、馬車?
わたしが不思議に思っていると、馬車は止まり、中から黒髪の背が高い男性が降りてきた。
すごく大人びた、独特な雰囲気を持つ人だった。
けれど、ここではない何処かを見ているかのような不気味な瞳をしていた。
『……』
彼はわたしを少し気にした後、馬車の中から降りてきた人に静かに手を差し出す。
中から、銀の髪を持つ丹精な男性が姿を現した。
思わず見惚れてしまうくらいに、とても格好良い人だった。
足が悪いのか、彼は杖を手にしている。
カツン、と杖が音を立てる。
黒髪の男性を押しのけるような形で、ヴィオレッタ様はその人に手を伸ばした。
『オルフェウス殿下! おはようございます! さあ、わたくしと一緒に行きましょう?』
『……』
ヴィオレッタ様は、その人が——オルフェウス殿下が大好きなんだって、すぐに分かった。
でも、オルフェウス殿下は冷え切った眼差しをヴィオレッタ様に向ける。
そして彼は、静かに口を開いた。
『ジャ……ジャ、マダ、ドケ』
◇
「カットー!!」
奏音ちゃんが叫ぶ。
横にいたアリオーソが盛大に吹き出す。
バセットは目を丸くし、明里さんは堪えきれずにくすくすと笑っていた。
——俺は、絶望した。
「……」
そしてバセットは、ちょっと怒っていた。
「じ、自分! 結構頑張ったのに!!」
そうだね、君はしっかりチャラ男だった。びっくりしたよ。
カツラまで被って、演技含めて君はめちゃくちゃしっかりやってたからね。
怒って当然だよね。いきなり変なNG出されたら、そりゃそうなるよね。
アリオーソは手を口で覆って俺から目を逸らし、肩を震えている。
「く……っ」
「君は黙って立っとくだけの役じゃないか! 羨ましい!!」
本当に、本当に羨ましい。
でもあのすべてを諦めたような暗い眼差しを真似できる気はしない。
明里さんは明里さんで、巻き込んでしまったご令嬢たちに手を合わせて謝っている。
「申し訳ありません! 申し訳ありません!」
「ヴィオレッタ様は悪くありませんわ!」
「そうです! それにしてもヴィオレッタ様、演技の才能もおありだなんて……!」
彼女たちは、エキストラ役だ。
なんか打ち合わせ中に集まってきちゃったから、試しに手伝って欲しいと声を掛けてみた。
快く引き受けてくれた。用事がある子だっていただろうに。
本当にありがとう。
ごめんなさい。
少し離れた場所でカンペを持っていたシベリウスが駆け寄ってくる。
彼に関しては、もはや笑うのを堪える気がない。
シベリウスはケラケラ笑いながら俺を見た後、エキストラの子たちに軽く手を合わせる。
「みんな、ごめんね? これでも兄さん、昨日の夜はすごく練習してたし、及第点までは行ってたんだよ?」
……本当に、すみません。
そして奏音ちゃんは、何とも言えない顔をしていた。
「その……オルフェウス様以外は、完璧だったんですけど……」
「ごめんね……」
俺たちはセレナ・ルバートの初登場シーン、要は『ゲームのオープニング』を再現していた。
ここで登場するのはセレナ、ヴィオレッタ、バセット、アリオーソ——そして、オルフェウス。
まだ登場しないシベリウスは監督補佐兼演技指導担当、ラウダとコラーレ兄弟は裏方に徹していた。
……そんなわけで、奥にいる残りの3人も陰で笑っている。
俺は、悲しくなった。
「むしろ! なんで! 君たちは! そんなに! 上手いんだよ! 特にバセット!!」
明里さんと奏音ちゃんは良い。
彼女らはオタクだ。ゲームを何周もしているタイプのオタクだ。
アリオーソは(雰囲気作りが完璧とはいえ)黙って立っとくだけの役だ。
まあ良いとする。彼らの演技力の高さは、ギリギリ納得できる。
……問題はバセットだ。
彼は自分でも不思議だと言わんばかりに、軽く首を傾げて口を開く。
「ほ、“本能”が、こうだって……」
「君は本能ですべての説明を放棄しようとしてないかい?」
全力で阻止したとはいえ、本来の彼は全力で病み散らかした攻略対象だ。
やっぱりチャラ男の因子が身体に組み込まれているのかもしれない。
これはもう、本格的にコラーレ兄弟の仮説を信じて良さそうだ。
……というか、信じるしかないと判断した。彼らの仮説は証明された。
「えへへ……」
バセットがオルフェウスに明確に勝てるものを見つけたせいで、ちょっと嬉しそうにしているのは見なかったことにする。
喜ぶ姿が年相応な感じで可愛いね。
本当に良かったね。嬉しいなら何よりだ。
俺はだいぶ微妙な心境だけどさ!!
そして奏音ちゃんは何とも言えない顔をして、口を開いた。
「こればかりは練習あるのみ、ですかね……オルフェウス様、結構出番多いんですけど……」
「だよねー」
流石パッケージのセンターを飾る攻略対象。
本当にやめて欲しい。
どうして俺はオルフェウスなんだ。
今回は本当に、絶望的なまでにいるのかいないのか分からないオルフェウスが役に立たない。
君は多分、自分をよく見せる演技をずっとしてたタイプの子だろう!? 助けてくれよ!!
俺が悲しくなっている間に、一通りエキストラの子たちとの話を終えた明里さんが近寄ってきた。
奏音ちゃんは、横にやってきた彼女と顔を見合わせる。
「困りましたわ。いっそオルフェウス殿下が出ないシーンから進めるべきでしょうか?」
「その方が良いかもしれませんね……」
そうして欲しい。
是非、そうして欲しい。
だが、アリオーソは静かに首を横に振り、小声で呟くように話す。
「いや、駄目だろ。俺らはお芝居やってるわけじゃねぇからな、一応」
それこそ今回のメンバーに関しては全員が普段と様子が違うせいでお芝居感が増しに増している。
だからこそ一定数、それこそエキストラ役を頼める程度には見学者が集まってしまったのだ。
そしてアリオーソは言葉を続ける。
「つーわけで、オルフェは馬車の中で練習な。お前は「邪魔だ、どけ」以外の台詞がねぇんだから頑張れよ。ヴィオレッタ嬢とバセットどころか、協力してもらったご令嬢たちより台詞ねぇんだから……」
「はい……」
苦笑しつつ、彼は奏音ちゃんを見る。
「んじゃ……もう1回、やるか?」
「そ、そうですね……」
絶望するしかない言葉が聞こえた。
俺はアリオーソと一緒に塀の外までドナドナされた。
……で、もう一度、問題のシーンに突入した。
『ジャ、ジャマッ、ジャマダ! ドドド、ドケ!』
「カットー!!」
もうやだ。早くも嫌だ。
むしろ何で明里さんたちはそんなに上手なんだよ!!
俺はひたすら駄目出しをされながら、何故かバセットのチャラ男演技がどんどん洗練されながら——10回は、やり直した。




