15.信頼という名の補正
俺と明里さんだけじゃなく、同じ世界を生きている人間すら困惑する緊急事態が起きている。
……これは一体、何をどうしたらいいのか。
天啓という名の転生者補正もなければ、深い交流があったわけでもない。
ひとりだけ完全にアウェー状態になってしまったラウダですら、真っ白なノートを眺めている。
一番フラットな立場で物事を考えることができるはずの彼を真っ白にさせる時点で……本当に、おしまいかもしれない。
「た、多分……多分、オレが何か言った方が良い方が良いよね……えっと……」
それでもラウダは、どうにかこうにか考えをひねり出した。
この状況下で、頑張って口を開いた。
「アリオーソ様。そのー……結局のところ、バセット様はなんでオルフェウス殿下に執着してるわけ?」
——オルフェウスを超えることができれば、両親から愛して貰えるかもしれないから。
明里さんから話を聞いて、俺はあまりにも切ない理由を知っている。
だが、普通に考えれば「オルフェウスに執着する理由」は疑問でしかない。
ラウダの指摘に対してアリオーソは少し考え、口を開く。
「んー、そうだな。『乗り越えたい壁』、『何としてでも勝ちたい』、みたいな言い方はしてたんだが……」
何とも煮え切らない様子で、彼は目を伏せる。
「なんつーか、言い回しだけ見れば向上心の化身みたいな感じなんだが、俺から見れば、オルフェの『粗探し』をしているみたいにしか感じられなかった。だから、実を言うとあんま良い気はしなかったな」
「粗探し……?」
「まあ、俺は他の騎士よりも、誰よりもオルフェに近い位置にいるから、そう見えちまったのかもしれねぇけどな」
なるほどな、と俺は思った。
アリオーソの見立ては、かなり正確だ。
——冗談抜きで、制作チームはアリオーソの知識無双を防ぐために無口キャラにしてしまったのではないかと思う程度には。
だが、そんなメタ読みをしている場合ではない。
クレメンティ先生とジェズアルド先生が話し始めそうな様子を見て、俺はそっちに集中した。
「完璧な人間に欠点は無いのか、何か弱点は無いのか。……それが気になって気になって仕方がなくなって、最終的に粗探しをしたくなる気持ち。
それはわたしたちにも分からなくはないな。何なら、『完璧』だと自称するタイプの人間の粗探しをしたくなる気持ちも分かるよ」
「何なら、試すような真似もしたくなる。それどころか、我々は何度か試してみたこともある。……例えば『私は生徒も教員もよく見ています! 私の見立ては完璧です!』と豪語する教員の前にあえて名札を取り換えて突撃する、みたいなことは」
「……」
何をやってるんだ、この双子教師は——。
それで入れ替わって遊ぶようになったのかと言いたくなったが、今の彼らにとって入れ替わりは生命線のようなものだ。触れてはいけない。
彼らの狂気こと『ホルマリン漬けエンド』のことを知っている明里さんはともかく、同じく「言ってはいけない」と判断していると思しきアリオーソとラウダも触れない。攻略対象たちがびっくりするほどに優秀過ぎて助かる。
そして俺は、賭けに出ることにした。
「アリオーソ。君は『僕』に対して、違和感を覚えたことはないのかい?」
アリオーソと、シベリウス。
このふたりに関しては、いつどこで見抜かれても仕方がないと思っていた。
だからこそ聞かずにいたことに、踏む込む。
すると、アリオーソは微かな迷いを瞳に滲ませた。
そうして、軽く息を吐き出してから口を開く。
「……全く無いかと言われたら、嘘になる。俺もそうだが、シベリウスからも話は聞いてる」
「だろうね」
違和感はあった。
けれど、言わなかった。
——それが、答えだ。
「だが、まあ……天啓の影響だと、思ってるよ。余計なことを知っちまってる以上、少々振る舞いが変になるのは仕方がねぇだろうよ」
「……そっか、ありがとう」
恐らく、シベリウスに聞いてもまったく同じ回答が返ってくるだろう。
それは彼らが——。
「悪いけどそれ、昔から近しい人間に聞くべきじゃないと思うよ」
急に、ラウダがそう言い切った。
本人は力強く言ったつもりだろう。
けれど、微かに。
本当に微かに、声が震えていた。
「実際のところ、オレは相当に違和感があった。正直に言えば、『天啓があったから助けに来た』ってのを知らなかったら、未だに疑ってたと思う。……その、」
言葉が、途切れた。
隠そうとはしているが、震えている。
「気にしなくて良いから、続けて」
口を開く。
声が、出ない。
それを何度も繰り返した後、ラウダは小さく音を発した。
「無礼を承知で、今のオルフェウス殿下との関係性も無視して、当時の価値観だけで、話す、けど……」
彼は、両手を強く握りしめていた。
「……興味、無かったでしょ。オレのことなんて」
「……」
「助けてもらってすぐの時点じゃ、ありがたいって気持ちが強かった。でも、あの日の夜、からは……ずっと、あなたのことを疑ってた。だから早めに天啓の存在を聞けて……良かった」
その声は、酷く震え切っていた。
俺は彼のことを友人だと思っている。
どう頑張っても敬称だけは取れないが、恐らくラウダも同じように考えていてくれている……とは、思う。
それでも、王族と平民の壁は高すぎる。
口にすること自体、怖かっただろう。
だから俺も、正直に答える。
「これは否定する方が失礼だね。僕がラウダの存在を知っていれば、半年以上も君の問題を放置するような真似はしていなかっただろうからね」
——オルフェウスの記憶の中に、ラウダの存在はなかった。
興味が無かった。
ラウダの指摘は、何も……間違っていない。
「そうだね……ごめん。その通りだとしか、言えない」
オルフェウスには他にやらなければならないことが多くあったのは分かっているし、俺が第1学年で学年首位をキープできたのは、校内で上手く立ち回ることができたのは、全て彼が持つ知識のおかげだ。
上位クラスの人間の顔と名前は、全て分かる。
中位層もそれなりには分かる。
……いずれも将来、自分の側に来る可能性がある生徒だからだ。
後のことを考え、オルフェウスは彼らの顔と名前を頭に叩き込んでいたのだろう。
だが底辺クラスの在籍生徒となれば、話は変わってくる。
将来、オルフェウスと関わりがあるかどうかすら分からない、それどころか会話の必要すらない人間のために、時間を割く余裕は——間違いなく、ない。
逆に言えば、ラウダがオルフェウスを信頼するようなことは、何かを期待するようなことは絶対になかっただろうと言い切れる。
本人は隠しているつもりだろうし触れるつもりもないが、ラウダの根底には王族や貴族に対する恨みの感情が根強く残っている。
それを前提に考えると、オルフェウスに対してはかなり穿った眼差しを向けていたのではないだろうか?
だから……彼の指摘通り、近しい人間に違和感の有無を聞く行為に、『意味』は存在しない。
そうなってくると、話を振るのはアリオーソではなく、コラーレ兄弟の方だろう。
「……」
話を振られるのを覚悟していたのだろうか。
彼らはどこか、弱々しく笑っていた。
「そうだな。近しい人間だとどうしても『信頼』という名の補正が入る。だから、わたしたちやラウダ君にその補正は入らない。
今の話を聞いて思ったが、バセット君もそうなのかもしれないな。彼は貴族とはいえ、男爵家だ。あまり関わりは無かったのだろう?」
「まあ、我々からすれば、ヴィオレッタ嬢の変化の方が気になるが……そういう問題ではないのだろうな。むしろ、ヴィオレッタ嬢が変わりすぎてオルフェウス君の変化が薄れているようにも思う」
「ところで、わたしたちにもその『天啓』について聞かせて欲しいのだが。他の教員ではなく、わたしたちに声を掛け続けた理由は恐らくそれなのだろう?」
そういえば、そうだった。
ヴィオレッタの件の説明にもなるし、ちょうど良い。
「そうでしたわ、申し訳ありません。わたくしたちの事情、なのですが——」
オルフェウスとヴィオレッタ、もとい俺と明里さんの事情を説明すれば、彼らはうんうんと頷いてくれた。
「要するにわたしたちは結託しなければならないし、ここでバセット君をどうにかこうにか捕まえないと、世界が滅ぶと」
「はい……」
天啓の話をした瞬間に、コラーレ兄弟の顔色が少し晴れたように見える——もしかしなくとも、彼らは俺たちが『追い回している』という事実に気づいた上で、恐怖心を抱いていたのかもしれない。
その答えは、何とも言えない表情をしているジェズアルド先生を見た瞬間に理解できた。
「我々が逃げ回っていたのも大概に危うかったことは分かった。……その、すまないね。立場に違いがあるせいで難しい時の方が多い気はするが……それでも、なるべく応じる。いつでも呼んでくれ」
「いや、あの……すみません……」
……本当に、すみません。
だが、彼らのおかげで答えは出た。
明里さんに視線を向ける。彼女はゆっくりと頷いてくれた。
「バセット様にわたくしたちの事情をお話しするべきですわね。ええと、アリオーソ様。バセット様は、わたくしのことを認知されていたのでしょうか?」
「いやー……多分、してねぇと思う。バセットは社交界には一切顔出してねぇというか、多分出させてもらえねぇんだろうからな。まあ、名前と振る舞いくらいは多少知っているだろうが……」
「残念ですわ。わたくしのことを知っていらっしゃったら、天啓の影響力に関する説明がしやすかったというのに」
「ヴィオレッタ嬢は本格的に別人だからな。つーか、開き直ってんじゃねぇよ」
「うふふふふ」
天啓を得た結果、もはや別人と化した。
確かに『ヴィオレッタ』という名の明里さんを見せつけた上で俺が顔を出すような形になれば、バセットも納得するしかなかっただろう。だが、今回その手法は使えない。
クレメンティ先生が言っていた『信頼』という名の補正。
その言葉に胸を痛めながら、俺はアリオーソに声を掛ける。
「君に頼りっぱなしで申し訳ないんだけど、一旦事情を説明する係を託しても良いかな? 多分、僕が初手で行くよりは混乱させずに済むと思うから」
「そうだな、任せとけ」
胸が、痛い。
アリオーソとシベリウスは、俺がおかしいと分かっていながら、何も言わずにいてくれた。
それを知ってしまったがゆえに……苦しい。
君たちのオルフェウスに対する信頼を利用するような形にしてしまって……ごめん。




