80話 海の終わりと無限の空
ゴルゴンゾーラが孵った後、あかりとペレゾは他のメンバーを起こしに行った。
小森は生まれたばかりのゴルゴンゾーラに与えるべき餌に10秒ほど悩んだ末、結局手元にあるリンゴを差し出した。
ゴルゴンゾーラはリンゴの匂いを嗅いだあと、口を大きく開けて丸ごと噛み砕いた。
口からたくさんの果汁をぶちまけながら、『きゅるる』と高い声を出して幸せそうにそれを咀嚼し、飲み込んだ。
それを10回ほど繰り返したあと、ゴルゴンゾーラはその場で目を閉じて静かになった。
他のメンバーが甲板に上がり、飛竜の存在に大声をあげようとするたびに小森は注意しなければならなかった。
「うおォッ……ど、ドラゴン!?」
「おいザルド、静かにな。こいつ今眠ってるから」
6人は眠っているゴルゴンゾーラから少し離れたところに樽を並べて椅子代わりとして会議を始めた。
船は風を受けて揺れ、海をかき分ける音が聞こえてくる。
凪は終わっていた。
「はっはぁ! おれたちが寝てる間に一気に動き出したみてぇだな」
「ゴルゴンゾーラのおかげだな」
「たまたまじゃねェのか?」
風は徐々に勢いを増している。空は相変わらずの快晴で、どこにも雲は浮かんでいない。
「進行方向はこっちで良いのでしょうか? もっと外側に進んでるなんて事ありませんか?」
「む、たしかに嬢ちゃんの言うとおりだ。おれは針路について、ようやくまじめに考える必要が出てきた。ちょいと待っててくれ。もうだいぶ明るいし、何か見えるかもしれん」
ジョンは軽快にマストを登っていった。
「本当なら、今夜には魔王城に着いてなきゃいけないんだよな」
「……もう無理でしょうね。はぁ。黒騎士が笑っているのがチラついて腹たってくるわ」
「クロキはあいつと知り合いなのか?」
クロキは基本的に寡黙だが、黒騎士の件になると感情的になっているようだった。
「ええ。私の元部下よ」
「部下? ってことは……」
「私が先代の黒の軍指揮者なの。あの下衆に蹴落とされたけどね。それでもまだ内通者がいるから、今回の件について嗅ぎつけたけど……その後がうまく立ち回れてなかったわね」
「あー、単に俺を助けにきてくれたわけじゃないのか」
「私はそうだけど、ザルドは軍と関係無いから。多分、純粋に小森くんを助けたくて着いてきたんじゃないかしら?」
「えっ」
クロキはにんまりと笑い、小森は気色悪そうにザルドを見た。
「オイクロキコラ! バカなこと言うんじゃねェよ!」
「ザルドすまん、俺にはヌーもあかりもペレゾもいるから……」
「死ね! 俺様はそんなんじゃねェよ! ハゲ! 殺す!」
「ふさふさなんだが?」
船が動き出したことで、5人に活気が戻っていた。
順風満帆で船は元気に揺れている。
船は追い風を受けて、真っ直ぐと突き進んでいく。
──少なくとも、5人はそう思っていた。
「おい! お前さんら! やべぇぞ! こいつはやべぇ……!」
マストの上で周囲を見渡していたジョンが叫んだ。
「なんだ? 何が見えたんだ? ジョン」
「船は進んじゃいねえ! 引っ張られてんだ」
「は? 何を言ってるのか要領を得ないぞ。どこの誰が引っ張ってるんだ?」
小森は船の前方に移動して、遠くを見てみたが、何かに引っ張られている様子はない。船首が海をかき分けて順調に前進しているようにしか見えなかった。
「そっちじゃねぇ! 後ろだ! 後ろに移動して確認しろ。海ごとだ! 海ごと引っ張られてんだっ!!」
「なんだって……?」
小森たちは急いで船尾に移動した。
そこから見えたのは、想像を絶する光景だった。
「ち、地平線が……」
「え? これ、どういう事ですか? え?」
地平線が明らかに近い。というより、現在進行系で近づいてきている。
海の終わりが、すぐそこまで迫っているのだ。
風はたしかにそちらから吹いているのに、船は逃げるどころからどんどんその終焉に差を縮められていく。
「あの先には何も無ぇ! ただ空みてぇのが上にも下にも広がってるばかりで、海が重力にしたがって滝みてぇに奈落に流れ落ちていってる! このまま行けば俺たちも空の中に落っこちちまうよ!」
「そうは言ったって、どうすりゃいいんだよ!」
風はごうごうと吹いている。
船は相変わらず海をかき分け、帆はめいいっぱいに広がっている。
小森は理解した。
この風は高速で後ろに流されているから感じている風なのであって、船を前にすすめる風ではない。
この帆は背後に迫る『終焉』への小さな抵抗で、飲み込まれる速度を和らげてくれているのだと。
しかし、そんな事を理解したところで、この絶望を打開できるような何かが思いつくようなことはなかった。
「やべェぞ。どんどん加速してる」
「ペレゾ! なんか無いのか。なんかアーティファクトを……」
「もう何も持ってない。この先はどうなってるんだろうな……へへ」
頼みのペレゾも半ば現実逃避しているかのように、好奇心に身を委ねていた。
終わりの見えない落下の先など、ろくなことにならないのは誰でも分かる。
仮に地面があったとしても、船は大破して少なくとも小森とあかり以外は死ぬ。
地面が無かったら? もっと最悪だ。一生落ち続ける。
「もう、すぐそこまで来てます。ああ……本当に下にも空が広がってますね」
青々とした空の世界。陸も雲もない青一色の不気味な世界。
まるで、パレットの上に青い絵の具だけをひっくり返したみたいな、清々しいほどの青。
「クソッ! オイどうすんだ小森! オマエの怪力でなんとかしろッ」
「海ごと流されてんだぞ!? 無理に決まってるだろこんなの!」
『ピッ……ピギャァァッ!』
「ああ! ゴルゴンゾーラが起きちまったじゃねーか」
「そんな事言ってる場合かハゲッ」
「ふさふさだっつってんだろトカゲ野郎!」
がくんっ、と船が傾く。
船尾側が斜め下を指していた。
椅子代わりにしていた樽がごろごろと転がり、『終焉の空』に吸い込まれていった。
「くそっ……みんな、大丈夫か!」
それぞれがマストや船具に捕まり、落ちないように耐えている。
しかし、船の方が問題だった。ギシギシと船体は傾き、角度を鋭くしていく。
『ピギャッ!?』
「ゴルゴンゾーラ!」
そして、ゴルゴンゾーラが甲板を転げ、宙空に放り出され――。
『ピギャギャ……グルルルォォォォォォ!!』
激しいいななきとともに、金色の翼を背中から生やした。
それは己の身体より二回りほど大きな翼で、一度の羽ばたきで強烈な旋風を巻き起こしていた。
「ゴルゴンゾーラ! 俺たちを助けてくれ!」
『グルピギャァァァ』
小森は金翼の飛竜に向かって手を伸ばした。
しかし、ゴルゴンゾーラは小森たちの視界から姿を消してしまう。
そして、小森は嘆く間も無く次の衝撃に襲われた。
どすんっ!
いよいよ船が落下するのかと誰もが歯を食いしばった。
どすんっ!
しかし、一向に想定している自体は訪れない。
どすんっ!
それどころか、船は水平に戻っていた。
「なっ……何が起こってるんだ?」
小森が体を起こして船尾の方を見ると、奈落の方向からゴルゴンゾーラがふわりと浮かび上がった。
『ピュルルグォォォ』
「お前、押し上げてくれたのか!」
『ピュイ♫』
ゴルゴンゾーラはそのまま竜巻めいた風を纏いながら前方に移動して、船首の上部に取り付いた。
「お?」
『ピュルル♫ ピュルル♫』
一度羽ばたく度に、両翼から旋風が巻き起こる。その風は船の外部をすべるように流れ、後方に大きなしぶきを作り上げる。
新たな推進力を得た船は、今度こそ前方に向かって突き進み始めた。
「見ろよみんな! ゴルゴンゾーラすごくね!?」
「半端ねェなオイ……」
「わたしたち、助かったんですか! やったー!」
皆が無事を喜ぶ中、ジョンは再びマストに登って現状を確認していた。
「こりゃたまげた……凪だろうが流されてようが関係ねぇな。 どこへだっていけそうだ」
船を包む強風はジョンを吹き飛ばしたり船上を荒らすような事はなく、ただ船を前へ押し進めていた。
ジョンが後方を確認すると、いつの間にか船を飲み込まんとしていた終焉の地平線ははるか彼方に見えていた。
現在の太陽の位置は昼を過ぎたあたり。
どこを航海しているかはまだ判然としないが、このまま真っ直ぐ行けばどこかしらの陸が見えてくるという確信があった。
なぜなら、たった今、世界の外側から生還したのだから。その反対に進めば、世界の中心に到達するのは自明の理だった。




