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79話 やかんの正体

 

 にやりと笑うペレゾに、全員が注目した。


「無事というか……あの室内農場のことなら、俺たちでほとんど食べちゃっただろ。残ってるのは木や蔓(つる)ばっかりで、食べられそうなところなんてもう無いぞ?」

「まあまあ。行ってみようぜ、小森。オレに考えがあんだ」


 ペレゾは小森たちの飛ばす疑問符をのらりくらりと避けながら、秘密の地下室を目指した。ぐちゃぐちゃになった船長室へ入り、その床下のはしごを降りると、相変わらずの煌々とした太陽灯が小森たちを出迎えた。

 小森たちが食べてしまったので当たり前なのだが、地下室は果実や野菜も綺麗さっぱりと無くなっている状態だった。


「お前さんら、大食いだなぁ……。一晩ですっからかんじゃねぇか。野菜も果物も綺麗に無くなっちまって」


 ジョンは残念そうというより、満足そうに小森たちに言った。


「おう、ごっそさんだったよ。次実るのに、どれくらいの時間がかかるんだ?」

「あー。早いので一ヶ月くらいだな」

「……絶望的だな」

「まぁ、おれは一ヶ月くらいなら水だけで凌げるがな。船室も深いとこにゃフナムシがいるだろうし」


 ジョンは大きな目玉をぎょろりとさせて笑った。


「オイ、ゲテモノ食い。飲み水も奪われたんだぜ? 忘れたのか」

「――ああっ! しまった。そうだった。水が無ぇ! 雲も流れてこなきゃあ、雨もふらん! 海水を汲むのは藻の化け物が恐ろしいし……くそう」


 ザルドの言葉に、皆よりワンテンポ遅れて絶望的な顔をする船長。自分だけは助かるという自信があったのだろうが、それはもはや打ち砕かれてしまった。


「水……水か。そういえば、俺たちには『魔法のやかん』があったよな」


 小森は『穴の世界』で手に入れたアーティファクトの事を思い出していた。いくつもある豪華な宝の中からヌーが選んだ、大容量の水が収納されている小汚いやかんを。


「あ、でもそれはヌーさんが……」

「ん? ここにあるぜ。ちょうど使おうと思ってたんだ。勘がいいな小森は。……しかし、やかん扱いなのか。これ」


 ペレゾはカバンから『やかん』を取り出した。相変わらずサビやシミで妙な色になっている。


「おお、ヌーから預かったのか? 早くそれをこっちに――って、おい! 水を無駄遣いするな」


 ペレゾはニヤニヤと笑いながら、プランターに水をこぼし始めた。


「こいつはじ(・)ょ(・)う(・)ろ(・)だぜ。ヌーから聞いてなかったみたいだな。んっふっふ」

「いや、例えじょうろだったとして、今プランターに水をやる必要が無いだろ! 毎日水をやっても食えるのは――んん!?」


 小森の反論は遮られた。

 めき、めき、というあまり聞き覚えのない音によって。


「なんだこりゃ……」

「ただのじょうろじゃねーんだって。『魔法のじょうろ』だぜ。特性は大容量の水の収納。そして、その水を成長促進の魔法の水に変えるってことだ」

「成長促進ってレベルじゃないだろ、これ……」


 プランターの植物が蠢いていた。めきめきと音を立てながら太い幹がうねり、しゅるしゅると音を立てながら、細い枝が踊る。

 小さな種子が見る見るうちに膨らみ、熟れる。そして、どさりと床に落ちた。


 ペレゾ以外の皆が口をあんぐりと開けながら一部始終を見ていた。それは1分にも満たない出来事だった。


「んー。ちょっとやりすぎたかな。腐っちまった」

「こ……こりゃすげぇ! これがあれば、食料に困ることはねぇぞ!」

「やるじゃねェか! さっそく量産といこうぜ」


 6人は活気付き、次々と水を与えては収穫を繰り返していった。

 とくに栄養価の高いリンゴが多く作られて、樽いっぱいに溜め込んだあとは小森たちの部屋に運び込まれた。


 作業は夜まで続いたが、その間に風が吹くことは一度もなかった。

 海面は相変わらず、不動の様相を呈している。


「食料がどうにかなっても、これじゃあな……」


 小森は海を見ながら呟いた。

 昼の間は一つの絶望から救われたことで舞い上がっていたが、まだまだ何重にも問題が積み重なっているのだ。


「ここ。本当に海なんでしょうか……」


 あかりがそう言うのも無理はなかった。

 今夜の月は遠く小さく、ほとんど光を届けてくれない。

 海面は微動だにせず、夜空の暗い色をそのまま受けて、まるで固まったタールのようだった。

 タールはずっと昔から形を変えずにそこにあって、こんなところに船があることの方が異常なのだ。


 あかりだけではなく、皆がそのような妄念に取り憑かれていた。

 それほどまでに、静寂と無風は皆の精神を蝕んでいた。


「ヌーが待ってるってのに……くそっ」

「小森……。これ、持っておくか?」


 ペレゾは申し訳なさそうな顔をして、小森に『じょうろ』を手渡した。


「ああ……あいつ、これ大事そうに持ってたからな。形見代りにしておくか」

「死んだみたいに言うなっ!」


 小森はペレゾのツッコミを受けつつ、じょうろの匂いを嗅いでみた。ヌーの残り香なんかを期待しながら。


「鉄くさい……」

「そうだろうな……錆びてるし」


 いつもの漫才のようなやり取りも、どこかキレが悪い。ザルドたちはさっさと部屋に戻り、あかりが苦笑しているだけだった。


「音が無いというだけで、こんなに寂しくなるものなのですね……」

「ん。普通はどこに行っても環境音とかあるしな。最果ての駅だって耳をすませば迷人(おばけ)の息遣いが聞こえて少しは気が紛れたもんだ」

「環境音か……」


 音の発生源が自分たちしかいないという孤独。それは他に生き物がいない事を示している。

 小森は大嫌いだったセミの鳴き声を思い出していた。


 ただ暑さを増幅させるだけのように感じていたセミの声。

 彼らは次の命を育むために、自らの寿命を削って大きな音を出すことに尽くしていた。

 一匹一匹別の場所にいても、音で繋がっていた。

 もし、今その音が聞けたのなら。

 当たり前のように聞き流していた、その音が聞こえたのなら──。


「ああ! 聞こえてるじゃねーか!」

「うおっ。なんだいきなり」


 小森は背中の卵を床に下ろし、布を剥ぎ取った。

 飛竜の卵は船上のわずかな明かりを吸い込み、増幅させて発光している。まるで月が手元にあるかのようだった。


「ゴルゴンゾーラが居るじゃないか。ずっと俺たちに元気をくれていたゴルゴンゾーラが!」

「えっと……確かに、どくんどくんと鼓動はしていますね。そう考えると、完全な無音というわけでもないですけど……」


 だからどうした? とその先の台詞は出てこない。あかりは優しいのだ。


「ククク……」


 小森は薄気味悪い笑みを浮かべ、金色に輝く卵の上にじょうろを掲げる。


「こうだっ!」


 そして、じょうろを傾け水をかけ始めた。


「あー、小森。残念ながらそれは植物にしか効かねーんだ」

「む。そうなのか……。これだと思ったんだが」


 小森は諦めきれず、そう言いながらもまだ光る卵に水をかけ続けていた。

 包み込むように流れる水が絶え間なく光を屈折させて、きらきらと輝いている。


「でも、すごく綺麗ですね……これずっと見ていたいかも」

「たしかに。何だか気持ちが安らぐな」


 寂しい船上に現れた幻想的なイルミネーション。

 夜に見る焚き火のような暖かさと、まだ自分が形になる前から聞いていたかのような原初の音。

 三人は目が離すことが出来ず、しばらくの間ずっとそれを見続けていた。


「う、腕がしびれてきた……」

「小森さん。わたし、もうちょっと見ていたいです……」

「オレからも頼む」

「だれか変わってほしいな……」

「……」

「……」


 口数は少なくなっていき、三人は飽きるどころか、より一層卵に集中していた。


 そして、卵の鼓動が一瞬乱れ、ひときわ大きく振動した。

 卵を覆っていた水がパンッと弾けて小森たちに降りかかる。


「うおおお!?」

「こっこれは」

「きてます! きてます!」


 卵の鼓動が少しずつ大きくなっていく。

 心音のように穏やかだった音は、いつの間にか和太鼓を叩くような力強い音に変わっていた。


「はあっ、はあっ、どうしよっ、水このまんまでいいのか? もっと増やすか?」

「そのままが良いと思います! 増やしたらびっくりしちゃうかもっ」

「んん、こんなことあるのか……」


 卵が鼓動するたびに、水を浴びることになる。

 それでも三人はくっつきそうなくらいに卵に近づいていた。

 鼓動の音は雷が鳴っているかのように聞こえるほど。


「くっそー! がんばれーっ! がんばれーっ!」

「ひっひっふーっひっひっふーっ」

「あかりが息んでもしょうがないだろ……」


 卵は暴れるように動き始める。

 三人は示し合わせたように三方向に別れ、できるだけ優しく卵を抑えた。

 優しくといっても卵は力強く、気を抜けばそのまま転がって海に飛び込んでしまいそうだった。


 やがて、鼓動と同時にミシッミシッ、という新たな音が聞こえ始める。


「おいっ! うまれるぞ! ゴルゴンゾーラうまれる!」

「ひーっひーっひーっひひひ」

「ぐぬぬぬっ、すごいあばれるっ」


 ミシッ、ミシッ、メキッ。

 バリッ。


 バリバリッ。


『ピギャーッ!』


 卵の上半分がひび割れ、勢いよく飛竜のヒナが頭を出した。


「うおおおおおおやったーーーー俺がお母さんだぞおおおおゴルゴンゾーラああああ!!」

「私もお母さんですよー!!」

「えっ。じゃあオレもお母さんで」


 ゴルゴンゾーラは殻から這い出ると三人の顔を順番に見つめて、もう一声鳴いた。


『ピギャーッ!』


 ヒナと言えども、その大きさはあかりほど。故にそのいななきは船の帆を十分に震わせた。

 体色は朝日を受けて白銀に輝き、金色のたてがみは潮風になびいている。

 三日目の新しい朝が始まっていた。


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