78話 外の海
他の部屋はかなり荒れていた為、6人はそれぞれ3つの客室で休息をとる事にした。
あかりとクロキ、ペレゾとザルド、小森とジョン……という内訳である。
すでに十分な休息をとっていたので、小森は目を閉じることさえしなかった。
というより、ジョンのやかましいイビキのせいで寝られそうにもなかった。
代わりに、ひたすら飛竜の卵を撫で続けていた。
「――ふわぁ~。よく寝たが、頭がいてぇ……ん、お前さん、無事だったか。よかったよ」
「おはよう。あんたも無事そうで何よりだ」
「無事だとぉ? 裏切られたばっかりだぜこっちはよ。いや、おれが裏切ったのか? まあ、何にせよこの船を海に置いてきぼりにしちまうなんてのは、やっぱりおれには無理だったのよ。どんなに大金を積まれても、新しくて頑丈な船をもらったとしてもな。こいつとおれは二人で一つなのよ」
「おう、そうか。まだ飲み足りなさそうだな」
「いや、いいよ。もうあいつらの事はすっぱり諦める。また新しい人足雇えばよしだ。……生きて帰れれば、だがなぁ」
まだ海の音は聞こえてこない。
休憩を取り始めてから、かなりの時間が経過していた。
「そうだな。今の状況は、ちょっとやばいな……」
小森は軽度の空腹感を感じていた。
この感覚が長引けば、取り返しのつかない事になる。頭の片隅で警鐘が打ち鳴らされているような感覚が始まっていた。
そして、外の様子を見ようと部屋の扉を開けたところで、階段を降りてくるペレゾと鉢合わせた。
「小森っ、霧が晴れたぞっ!」
ペレゾは早く上がってこいと手をぶんぶんと振って、また階段を上がっていった。
小森とジョンを呼びに来ただけのようで、どうやら他の二人は既に甲板に出ているらしい。
「やっとか! よし、ジョン。立てるか?」
「おう。ちょいとふらつくが、だいじょうぶだ」
ジョンは義足をがんがんと床に叩きつけた後、杖も持たずに跳ねるようにして移動を開始した。
小森たちが甲板に出ると、ペレゾの言っていた通りに霧はすっかりと晴れていた。
太陽はちょうど真上の位置にある。
「むう。見たところ昼だな。おれの時計は壊れちまったから、お日様を見て時分を判断しなきゃなんねぇ。港を出たのが深夜0時だから、ちょうど36時間くらい航海したことになるな。つまり、予定していた時間の半分を使っちまったってことだ」
「残り36時間で到着できそうなのか?」
「おれはよ。操舵もできるし、海図も頭に叩き込んじゃいるけどな。大嵐の中で錨も下ろさずにめちゃくちゃに暴れ回った船の位置を特定できるような術は流石に無ぇよ。どっか陸でもありゃあ、見当がつくんだが……よっ、ほっ、と」
ジョンはそう言いながら、軽快な足取りでがんがんとマストを登っていく。
さっきまで呑んだくれていたとは思えないほどの軽業ぶりだった。
「おーい、ジョン。どうだー? なんか見えたかー?」
「――だぁめだー! どこ見ても、青・青・青ときた。しかもまだ凪が続いてら。波の一つも見えねぇよ。最悪だな」
ジョンの声は全員に届いていた。
全員といっても、この80×40メートルのずんぐりとした大きな船にはたったの6名しか乗っていない。
「さァ、どうすンだ? 俺様は昨日から何も食ってねェ。オマエらもそうだろ? とりあえずは飯をなんとかすべきだと、俺様は思うけどな」
ザルドは飛竜の卵への視線を隠そうともしない。
「それは賛成だが、この卵は絶対ダメだ。なにか別の方法を考えよう」
卵は現在、布を何枚も巻いた状態で小森の背中にくくりつけられている。
小森は背に受ける鼓動に愛おしさすら感じていた。
「魚がいねェんだぞ? この死んじまってるみてェな海で何ができンだよ」
「わ、わたし、潜ってなにか採ってきます! エビとかカニとかいるかも……」
あかりが海を覗き込んだところで、船長のジョンは慌ててマストから降りてくる。ほとんど滑り落ちるようにして、最後は尻から着地した。
「おおいてて……。海に入るのは絶対よしたほうがいい。思うに、こいつぁ普通の凪じゃねぇ。あまりにも長すぎる。海の外側……サルガッソにはじき出されちまったんじゃねぇかな。おれたちは……」
「さるがっそ? 大変なところなのですか?」
あかりは海を覗き込むのをやめて、ジョンと向き合い座った。
「大変つぅか、墓場だなぁ。ザルドが言ってたけどよ、死んだ海とは言い得て妙だな! はっはっは!……はぁ。船乗りたちの噂でしか聞いたことなかったんだがなぁ。聞くか? 気が滅入るかもしれねぇけど」
「俺からも頼むよ」
小森もその場に座り込んだ。
いつの間にか、ジョンを中心にして皆が座り込んでいた。
「おう。サルガッソってのはな、普通の海と違くってな。ぜんぶの海の外側にある『外の海』なんだよ。その更に外側に世界の果てがあるらしいがようわからん。とにかく、この海に来ちまうと、もう戻れねぇ。普通は来れねぇようになってんのよ。大嵐の壁が邪魔してな。いろんな冒険家が『外の海』に挑戦して、大嵐に阻まれて、殆どの奴らはそのまま沈んだり逃げ帰ったりした」
「だが、サルガッソの存在がしれてるってことは、誰かが到達出来たってことだろ?」
「そのとおり。幸運にも大嵐を突破できたやつがいる。しかしな、大嵐の先にあるのは死んだ海。凪、凪、凪、だ。つまり、そいつは結局帰ってこれなんだ。いくつかの途切れ途切れのなぐり書きの航海日誌だけが、べちゃべちゃに濡れたラム酒の瓶に入って港に帰ってきた。たぶん、それよりも大量に書いたんじゃねえかなあ。日付はてんでバラバラで、なんなら、時代も差出人もバラバラだ。共通してるのはどうもよく手なづけたオウムを使ったらしい。いろいろあるが、内容はえぐいぞ。つねに食料について嘆いてた。オウムの使いみちで仲間と決闘したとかな。そのあと仲間がどうなったかは書かれてねぇが」
ジョンは饒舌に喋ったあと、少し気まずそうにして周りを見渡した。
そして、言外に『人食』をほのめかしたことについて、「すまん、細かい日記の内容については諸説あるから気にせんでくれ」と謝罪した。
「とにかく、サルガッソの存在はそうして半分おとぎ話みたいに知られていたわけだ。多少の脚色もある。しかし、絶対に無視はできないものだ。──そのおとぎ話のひとつに、あまりにも腹が減って海に飛び込んだ男の話があってな。ちょっと潜って、しばらくするとそいつは浮かんできた。必死の形相で、たすけてくれ! 引き上げてくれ! と頼んだ。仲間は浮き輪にロープをつけてよこした。そいつは必死にそれに飛びついた。引き上げていくと、そいつの両足にはびっしりと海藻が絡まってたんだ。そして、そいつは突然強い力で海に引っ張られた。あっという間に海の中に入ってしまったが、船員たちも黙って見ているわけじゃなかった。ロープを頑丈な柱に巻きつけた。しかし男と浮き輪を海に引きずり込む力は恐ろしく強くて、じわじわと船が傾いていくようだった。船長はすぐに決断する必要があった。……結局、男が二度と上がってくることはなかった」
ジョンは座ったまま、足で船板を叩いた。
「おれの話はこれでおしまい。必要以上に怖がらせるつもりはねぇが、素潜りなんてのは最後の手段にしねぇか?」
「そ、そうですね……この下に海藻のお化けがいると考えたら、わたし素潜りは無理そうですぅ……」
「だな。ザルドが飛び込むというなら俺は止めはしないが」
「じょっ、冗談じゃねェ! 俺様は泳げねェんだ」
「私も無理よ。重騎士だもの」
もしかしたら、小森やあかりの怪力なら海藻の一つや二つ引きちぎることは可能かもしれない。
しかし、必要以上に体力を費やすような行動を小森は恐れていた。船をひっくり返すような怪力と戦って、戦利品が海藻のみとなれば、体力の無駄遣いと言っても良い。一時しのぎにすらならない。
最終的には海のおとぎ話よりも、もっとファンタジィで現実的な惨劇が起こり得る。
頭に響く警鐘が、じわじわと身体の中心に寄ってきているような気がして、たまらなくなっていた。
ちらりとあかりの方を見ると、小森にしか分からないような冷や汗を浮かべていた。
ジョンが意図せず意識させた『人食』と、数時間前に嗅いでしまった血の匂いが、二人を苛んでいた。
「んー。ジョンの地下室ってまだ無事だったよな」
そして、今まで黙っていたペレゾが口を開いた。
まるで、新しいイタズラでも思いついたかのように。揚々と。




