76話 嵐の後の幽霊船
三人の避難先である、床下の秘密の部屋は頑丈だった。
ペレゾが気を失うほど揺れたにも関わらず、他に目立った損傷はない。
「……んぅ」
「お、目が覚めたか」
「ペレゾさん! 大丈夫ですか?」
嵐は過ぎ去っていた。
小森とあかりでさえも、かなりの疲労を感じて、その場でぐったりと壁にもたれかかるようにしていた。
「ん。うぇ……大丈夫だけど、口の中がすっぱいぜ……」
「吐き散らかしてたからな、お前」
「皆さん、よくがんばりました……」
荒れている時はチカチカと点滅していた太陽灯は、さっきまでの大惨事が嘘であるかのように元通りに輝いている。
「それにしても、ずいぶんと静かになりましたねぇ」
「嵐の後の静けさってやつだな」
室内は静まり返り、揺れるどころか波の音ひとつ聞こえなくなっていた。
船板を歩く船員の足音すら無く、決して狭くない部屋の中でさえ、三人の衣擦れや呼吸音のみが支配していた。
三人は体力回復をはかるために、しばらく目を閉じて休んだ。
二時間ほどそうしていたが、ジョンの戻ってくる気配は無い。浸水した床がほとんど乾いてもなお、静寂は続いている。
「そろそろ上の様子を見るか」
「……ですね」
はしごの先に見えるハッチが異様な気配を漂わせている。
嵐の後という事とは関係なしに、この静寂そのものが気味の悪いものだった。
「よっ……と、簡単に開いたな」
ハッチはすんなりと開き、小森たちを船長室へと導いた。
上から押さえつけていたはずの絨毯は、部屋の端で丸くなっている。
船長室はかなり散らかっており、割れた酒瓶や木片が、今回の嵐の規模を物語っている。
「なぁ、小森。この点々とした赤いシミって……」
「こぼれたワインか何かだろ。ガラス片を踏まないようにな」
三人は足場をつくりながら、やっとの思いで甲板に出た。
久々の外の空気だというのに、ひどく淀んでいて、生ぬるい。
「うわ……なんだこりゃ」
「ほとんど前が見えません……」
船は濃霧に包まれていた。
それは欄干部から頭を出しても海面が見えないほどだった。
「嵐の後は濃霧+凪ってやつか。しかし、あいつらどこ行ったんだ? 」
あたりは完全に無風状態になっていた。
「うぅ……なんだかわたし、怖くなってきました……」
「……ふむ」
大した運動もしていないのに、肌にじっとりと張り付くような霧が、不快感を煽る。
「……」
「小森? 行かないのか?」
先を歩いていた小森が立ち止まる。
「なぁお前ら……さっきまでいた部屋が、実は聖域のような場所だったような気がしてこないか?」
小森は振り向かないまま、この霧のようにじっとりした口調で呟く。
「例えばァ……この霧は冥界によるものでぇ……俺たちはその中にすっかり踏み入ってしまったァ……」
「ちょっ小森さんっ! 怖いの禁止ですっ」
深い霧と、妙な姿勢のままで固まった小森がこれ以上無いほどの恐怖心を煽る。
少なくとも、あかりは半べそをかいていた。
「だってほらァ……海の気配なんか全然無いしィ……もしかしたら俺たちは嵐のせいで既に死んじゃっててここは幽霊船だったりィ……」
「なぁ、小森。急にどうしたんだ? さすがにこれ以上は――」
小森は突然振り返り、あかりに向かって指をさした。
「――お前ダァ!」
「ひぃぃぃぃぃっ!!」
「いや、何がだよ!?」
満面の笑みの小森と、困惑するペレゾと、とうとう涙を流してしまうあかり。
蒸し暑いはずの船上が一瞬だけ凍りついた。
「あれ。泣いてら」
「ふええええっ! 小森さんおかしくなったかと思いましたぁ……」
「いや、だいぶおかしかったと思うぜ……」
「うーむ……ダメだったか?」
首をかしげる小森。
「すまん、ちょっと場を和ませようと思ったんだがな」
「すべり芸か何かのつもりだったのか。あきれた……」
「だが堂に入ってただろ? 昔は演劇部をやってたんだ」
「時と場所を考えような、小森……」
あかりが落ち着くまで待って、三人は再び船の探索を始めることにした。
あれだけ騒いでも人の気配は未だに現れない。
小森は定期的にギャグ(下手)を挟みながら、あかりとペレゾを勇気付けようとした。
「――さて。残りはここだけだな」
結局、甲板の上を歩き回っても誰かと遭遇することは無かった。
残った箇所は、船室へと降りる階段のみ。
屋内に霧は無いが、かえって異常の中心部であるかのような気味の悪さを演出している。
「はぁ……本格的に怖くなってまいりました……」
「冥界の入り口がァ〜」
「い、いいです小森さんっ! もう大丈夫です行きましょうっ」
「ふむ。元気が出て何よりだ」
階段を降りていく。
三人分の船板の軋む音が異様に大きく聞こえてくる。
そして、その音に混じって、新鮮な音の気配を三人が耳にした。
「ん。この音は」
「ゴルゴンゾーラさんの鼓動、でしょうか?」
「卵を部屋に置きっぱなしだったんだ。ちょっと気になるから見に行くか」
小森の客室はそのまま廊下の突き当たりに存在する。
そこに歩いて近づくほど、飛竜の卵による鼓動の音が大きくなっていく。
そして、三人の足は自然と止まっていた。
「誰かいるな。向こうも三人か?」
「んー。そんくらいだな、二人は息を潜めていて、一人は……だいぶ荒い呼吸だ」
扉の前で聞き耳を立てる。
小森たちならではの探知方法だが、床板の軋む音で向こう側にも気取られている可能性は高い。
小森は扉に足裏をつけた。
「行くぞ。せーのっ……」
そして、思い切り扉を蹴破る。
部屋の中には変わり果てた船長……ジョンの姿があった。
「ジョンさんっ!」
机の上に突っ伏し、荒い呼吸を繰り返すジョン。新鮮な赤い液体が、ぼたぼたと机の端からこぼれ続けている。
そして、その両脇には血塗れの剣を持った二人の人影があった。
黒のレインコートは鮮血に染まり、頭には濡れた紙袋をかぶっている。
「あんた達……何者だ? 一体何が起きてるんだ」
小森はその場から動かないようにして、二人に尋ねた。
すると、二人は頭の紙袋を一気に引きちぎった。




