75話 暗雲
朝になってもなお、船は風を受けて順調に進んでいた。
天気はよく晴れており、海鳥がじゃれつくようにして船と並走している。
「わー! 風が気持ちいいですねー!」
「順風満帆ってやつだな」
「んー。でもちょっと、不安になんね?」
ペレゾは積まれた箱の上に立って周囲を確認した。
360度、どこを見渡しても青い海が広がるばかりで、陸の影は一つもない。
「俺たちは海の知識なんか無いからな。いくら心配したって、出来ることなんか無いぞ。専門家に任せるしか……ないな」
小森の歯切れの悪い言葉尻に、全員思うところがあった。
昨晩、船長のジョンが言っていた『誰も信じるな』という忠告が頭から離れないのだ。
そして、先ほどから怪しい二人組が甲板をうろついている事が不安に拍車をかけていた。
「……なあ、小森」
「ダメだ、ペレゾ。向こうを見るな。海を見て気付かないフリをしろ」
怪しい二人組は、明らかに他の船員とは出で立ちが違った。
全身を覆う厚手の黒色レインコートを着ており、頭には茶色の紙袋をかぶっているのだ。
異常者としか言いようが無かった。
しばらくそのままでいると、船長室の扉が開き、ジョンが顔を覗かせた。
「おぅい……! お前さんら……! こっちへ……!」
ジョンは声を潜めたいのか、大声を出したいのか、いまいち要領を得ない様子で小森たちを手招きしていた。
小森たちが船長室に入ると、ジョンは用心深く扉を閉めた。
「おい、見ただろう? あの怪しいやつらをよ」
「ああ。いかにもって感じだったな」
「お前さんらは、今日は客室に戻らん方がいい。いつ寝首をかかれるとも分からん」
「ここなら安心できるのか?」
「ここもダメだ」
ジョンは目玉が飛び出そうなくらい、大きく目を見開いて口元に指を当てた。
「魔法使いが、いるかもしれねぇ。声は抑えろ」
「お、おう……」
真剣なジョンの声に、三人は従う他なかった。あまりにも鬼気迫る表情なので、「今はお前が怖いよ」というツッコミさえ、ついに小森から出ることはなかった。
ジョンは木製の足で物音を立てぬよう慎重に移動し、部屋の中央に位置する絨毯をめくった。
すると、そこには鉄製のハッチがあった。
「おお、隠し部屋だ!」
「しーっ」
「……」
ジョンがハッチを開けると、狭い入口から風が吹き込んできた。
人ひとり分の入口に、ジョンが指をさした順から、ペレゾ・あかり・小森といった具合に隠し部屋へと降りていった。
部屋内は船長室よりも遥かに広く、10メートル四方はありそうだった。巨大なプランターが設置されており、その真上には、ひときわ強い光源が垂れ下がっていた。
太陽のような輝きをもつ球体のそれは、豆電球をさらに大きくしたもので、暖かさを感じるほどの熱を放っている。
「なんだこりゃ……なんの部屋なんだ?」
「おれの趣味だよ。元は農夫やってたんだ。太陽灯には触らんでくれな」
ジョンは上から顔だけを覗かせて、続けた。
「暗殺者はおれが何とかしてやるから、今日一日はそこで我慢してくれ。食料は干し肉がたくさんあったはずだ。プランターの野菜や果物はそのまま食える」
「……まじで狙われてんのか、俺たち。なんだか迷惑かけてすまんな」
「いいや。おれも悪いんだ」
「どういう意味だ?」
「いや……いや、まずい。誰かが近づいてきてる! 悪いが話は明日だ。静かにしてろよ!」
そう言うと、船長はさっさとハッチを閉めてしまった。
そして、すぐさま怒声めいたやり取りが聞こえてきた。
「船長! 海鳥がいなくなっちまったよ!」
「そか。嵐が来るな。だが、下手に針路は変えるなよ。残されてる時間が少ねえ。ギリギリまで帆を張っておけ」
「……なんでそんな指示を?」
「おれたちは魔王城にいくんだ。てめぇの船長は誰だ? 黒騎士じゃねぇだろ。 目ぇ覚ませ」
「……本気なんですかい?」
「おう! 皆にもそう伝えろや! さっさと行けウスノロ!」
それきり、ハッチの上から漏れ聞こえる会話は無くなった。
「嵐だってよ」
深い溜息をついたあと、小森は続けた。
「あの船長の頭がおかしいのかと思ってたんだが、会話を聞いた限りでは、もっと大事になってるらしいな」
「黒騎士さんがどうとか仰ってましたね……」
「んー。派閥があるとかか? 船長派とか黒騎士派とか」
「船長派、かなり不利っぽい気がするぞ。そして、俺たちは否が応にも船長派という事だ」
「ということは、オレたちの命を狙ってるのは黒騎士ってことか?」
「で、でも仲良しの握手が……」
「これ以上何を話しても仕方ないな。とりあえず、今できることを考えよう」
小森はプランターから伸びている果実の木から、リンゴをひとつ捥ぎ取り、口にした。
「おお、悪くないな。全部食っちまおう」
「船長。悲しまないか?」
「俺とあかりは食える時に食っとかないとやばいからな。ジョンには涙を飲んでもらおう」
それから三人は、ある種天然の食料庫とも言える部屋で時間を潰した。
食事の後、会話数も減り各々が自然と昼寝を始める。
そして、小森が夢の中へと漕ぎ出すか漕ぎ出さないかというところで、船が大きく揺れ始めた。
「んー。嵐ってやつか? けっこう揺れるな。でもこれくらいなら、なんとか……」
あっという間に船の軋みが激しくなり、何か巨大な生き物が船体めがけて際限無くぶつかってきているような衝撃が繰り返し襲い来る。
余裕そうにしていた三人をあざ笑うかのように、その激しさは加速していく。
「ぬわーっ! やっぱムリだ! やばいだろこれっ」
「高波です! ひぃぃぃ」
「くそっ、端に寄るぞ。木箱につかまれ」
幸い、部屋内の荷物はしっかりと固定されており、めちゃくちゃに暴れまわるようなことはなかった。
それでも、急上昇と急降下を繰り返す船体の揺れは、人間の内臓に大きな負担をかけていく。
「おっ……おえっ……」
「大変です! ペレゾさんがっ」
「まずい、吐くならプランターだ、こっち向くんじゃない!」
船のあちこちで爆発が起きているのかと思うほどの大轟音が鳴り響き、部屋の中は何処から漏れ出たのか分からない水が足元に少しずつ溜まっていく。
ただ耐えることしか出来ない地獄が、何時間にも渡って続いた。




