68話 変わる心、変わる体、変わらぬ想い
宿は昨日と同じところを使った。
高額の報酬を得たのでグレードの高い場所に変える事も可能だったが、新しく探すのも手間だし、紹介してくれたマルボズにも悪いという事で、しばらくは同じ宿を利用するという結論に至ったのだ。
そして小森が昨日と同じように横になっていると、昨日と同じように戸を叩く音がした。
「よう。小森。まだ起きてたな」
ペレゾは勝手に扉を開けて入ってくるなり、寝ている小森の横に座った。
「なあ、小森。お客さんが遊びにきたんだぞ。寝てて良いのか?」
「勝手に入ってくるやつは客じゃなくて泥棒だ」
「んー……。ノックはしたぜ?」
「返事を待たないノックに何の意味があるのか」
睡眠を邪魔された小森は少しつっけんどんな応対をしていたが、それでも相変わらず嬉しそうなペレゾを見て、渋々と起き上がった。
「……それで今日は何の用だ、お客さん」
「昨日のことは覚えてるか? 小森。ヌーのあれこれ教えてやるって言ったやつ」
「ああ……そういえばそんな事言ってたな。ありゃどういう意味だ?」
「ぬっふっふーっ」
ペレゾは悪戯っぽく笑うと、小森に背中を向けた。
尻尾の部分だけ綺麗に切り抜かれた特製のエプロンがペレゾ及びヌーの一張羅である。
そして、ペレゾは背を向けたまま、その一張羅をばさりと脱ぎ捨てた。
「おっ、おっおまっ…… なんで脱いでる!?」
「んー。オレの体はさ。ヌーとおんなじなんだぜ」
ふわふわサラサラの体毛に覆われた背中。
全体的に柔らかなベージュ色で、正中線に沿って綿毛のような繊細な白色のラインが伸びている。
白色は尻尾のあたりでまたベージュ色に戻り、大きな尻尾は先端に行くほど毛色が濃くなっている。
「きれいだろ? 小森」
「あ、ああ。明るいところで、しっかり見るのは初めてかも……」
人でもなく、獣でもない。あるいは両方。魅惑の肢体。
触れたら、どれほど心地がいいのか。
ヌーに初めて触れた時の絶妙な感触は、まだ小森の記憶の中にしっかりと残っている。
しかし、もう何日も触れることができていない。
「触りたいか。小森」
「……いいのか?」
目の前にいるのがヌーだったら、遠慮なしに抱きしめていただろう。
しかし、彼はペレゾなのだ。
「そこから手を伸ばせば、ほら。すぐに触れるぜ」
奇妙な抵抗感が小森の反応を重くしていた。
会って間もないはずのペレゾに対する緊張感なのか。
遠くで待たせているヌーへの罪悪感なのか。
あるいは両方か。
ペレゾは振り返り、背中越しに反応を伺っていたが、ふっと溜息をついて肩をすぼめた。
「……んー。元気無いな。 よし、毛づくろいのやり方を伝授するぞ。約束だしなっ」
「お、おう……」
ペレゾは何度か深呼吸をすると、少しずつ顔を赤く染めていった。
「ちょっ……ちょっと緊張するぜ」
「別に無理しなくても……」
「いや、やるぜ。小森にはよく知ってもらいたいんだ。ヌーのこと」
ペレゾは背を向けたまま、尻尾をゆっくりと持ち上げ始めた。両手は局部を隠すためにふさがっている。
「えっ!? おい、何のつもりだ? 新春隠し芸でもやるのか? ここは飲み会の席じゃないぞ」
「ちょっ……ちょっと静かに見ててくれ。これが一番やりやすいんだ。あと尻は見なくていいっ」
ペレゾは片手を空けて尻尾の上側、付け根あたりに触れた。
そして、羽毛のようなモコモコとした場所からゆっくり手を引くと、そこには体色と同じベージュ色の固形物が握られていた。
「なんだそれ? 石けんみたいだな」
「ん。言い得て妙だな。さあ、これが毛づくろいに使う特製脂だ。はい、どうぞ」
小森は脂と言われたそれを受け取った。
丸い結晶はサラサラとして透明感があり、光沢を帯びている。
脂というよりは宝石。琥珀のようだ。
「綺麗だが……排泄物だよな?」
「うんちじゃねーって! 今見てただろ? 尻尾の上の付け根あたりにそれが出る孔があるんだ。尻とは反対側だぜ。ほら、よく見てくれ」
ペレゾは尻尾を下ろして、白色とベージュ色の境目あたりの毛を両手でかき分けた。
「……おお」
「みっ……みえたか」
そこにはピンク色の小さな孔があり、奥の方に琥珀色の膜のようなものが見えた。
「もう新しいのは出ないのか?」
「さすがに無理だ。この短時間じゃ……その脂だって中々デカイやつなんだぜ」
小森が顔を近づけている間も、ずっと孔を見せていたペレゾだったが、次第にふるふると小刻みに震え始めた。
小森がそれを悟って顔を引くと、ペレゾはさっと向き直った。
「すまん、恥ずかしいんだったな」
「それもあるけど、さむい。毛が無いと普通の温度でもつらいんだ」
ペレゾはその場で尻尾を撫でたり、腕を舐めたりしはじめた。
「ヌーもよくやってたな。その動作」
「毛皮のコンディションは命に関わってくるからな。のんびりやってるように見えるかもしれないけど、大真面目にやってるんだぜ。――なあ、ところでそれを使いたいんだけど」
小森が手の中でころころと転がしている脂を見て、ペレゾが言った。
「あ、悪い悪い。これを使うんだったな。ほれ」
「んー。……せっかくだし、小森がやってくんね?」
渡そうとした脂を、ペレゾはそのまま押し返してきた。
「まじか……どうやって使うんだよこれ」
「優しく、すりすりする感じでたのむ」
ペレゾは再び背を向けて、毛づくろいを促してきた。
小森は言われた通り、その背中に脂をあてて滑らせていく。
「こう、か?」
「んぅっ……いい感じだ。なかなかうまいな。小森」
脂は少しの粘り気もなくサラサラとしていて、それを滑らせた部分からふわっとした毛並みになり艶が出る。
確かめるためにその部分に触れてみれば、羽毛のような繊細で優しい感触に、思わず溜息がこぼれた。
そして、何よりも独特の匂いが小森を魅了していった。
「ペレゾ。どう動かすのが気持ちいいんだ? こうか?」
「んぅ……ぜんぶ」
最初は恐る恐るやっていた小森だったが、魅惑的な匂いと手触り、そして気持ち良さそうなペレゾの反応のおかげで夢中になっていた。
「答えになってないな」
ペレゾの反応を見ながら、撫で付ける強さを調整していく。
どう動かしてもペレゾは「いい感じだ。小森」としか言わないので、反応をしっかり観察する必要があった。
小森は強化された五感をフル稼働させる事にした。
擦る力が強すぎれば、わずかに眉をひそめる。弱すぎれば、切なそうに体が揺れる。
ちょうど良ければ、心音が安定する。呼吸が穏やかになり、よく聞き慣れた寝息のような音を一定のリズムで出していた。
気付けば、脂は半分ほどの大きさになっていた。代わりに、琥珀色の艶はペレゾの背や尻尾全体に行き渡り、それは小森に大きな満足感を与えた。
「んなぁ……小森。後ろはもう十分だ。前もたのむよ」
ペレゾは力が抜けたようにベッドに倒れ込むと、仰向けになった。
「全部やらせる気か」
「んぬぅ……だめか?」
夢心地のような、惚けた顔で見つめてくるペレゾ。
黙っていればヌーにしか見えない。
しかし、ここまでヌーが気を許してくれたことはあっただろうか。
ペレゾを観察していると、たびたび複雑な思いが去来する事について、小森はどうしたらいいのか分からなかった。
「……まあ、最後まで付き合おう」
「さすが小森。やさしいなぁ」
まずは無難な腕から手にかけて擦り込んでいく。ペレゾの腕は柔らかく、ふわふわの毛皮の下にはあまり筋肉がついていなさそうだった。
不思議な肉球のついた手は、一見すると猫のようだが、爪の代わりに五本の指が収納されている。
両腕が終わり、いざ体の中心へ――と、顔を動かしたところで、ペレゾと視線が合った。
「……ずっと見てたのか」
「おう。やさしい小森をな。目に焼き付けておこうと思って」
「恥ずかしいからやめろ。普通のマッサージだろこんなの……」
「んふっ。今度、ヌーにもやってあげるといいぜ。めちゃくちゃ気持ちいいんだ」
ペレゾは恍惚とした表情を隠すこともせず、真正面からこちらを見ている。
逆に恥ずかしくなったので、小森はペレゾの身体の方に視線をずらした。
「……あいつ、嫌がるんだよ。さわんなーって。ここまでやらせてくれないぞ」
「照れてるだけだ。わかんだろ、小森。本当はすごく嬉しいし、もっとやって欲しいと思ってんだ」
ペレゾのなで肩は首から続く傾斜の変化が少なく、ふわふわの毛皮も相まってその骨格を曖昧にしている。
触れてみても、ただ柔らかいだけで関節がどのようになっているのかは分からない。
もう少し力を入れれば分かるかもしれないが、首に近いこともあって、好奇心を優先させることは躊躇われた。
今、こうしてマッサージをしている相手が奇跡のような存在なのだと、触れるたびに思い知らされる。
一輪の花の朝露だけを集めて作った氷細工のような、儚い存在。
大切にしたい、たからもの。
実際に相手にしているのはペレゾなのに、遠くにいるヌーへの思いがじわじわと積もっていくような思いがする。
「なあ。小森。外側もいいけど、もっと真ん中をたのむよ」
「真ん中……」
肩から胸の方へ視線を移す。
よく見ると、背中に伸びていた筋のように、毛色が胸元から腹のあたりまで白くなっている。
まるで人が服を着ているかのように見えた。人が寒さから身を守ったり、弱点を守ったり、そういったものを彷彿とさせるような模様がペレゾの腹部に表れている。
毛皮が無いと寒いとペレゾは言った。服と同じという事なのだろう。
では、首から下が、よりふわふわの毛に守られているという事は?
それは、そこに弱点が隠されているという事なのではないか。
ヌーだって元は人間だった。ペレゾはヌーと同じ身体をしているという。
それは、つまり、人間と同じように隠すべきパーツがそこにあって――
「小森。ぼーっとしてきたな。考えごとか? 相談にのるぜ」
「ああ、いや。悪い、手が止まってたな……」
妄想の世界に突っ込んでいた片足を引き抜いて、今一度、ペレゾの胸部と向き合う。
オフショルダードレスのようだと思った。
儚い存在に似つかわしい。花嫁が結婚式に着るような。純白の――。
極力、別方向に想像する事でおかしな考えを相殺しようと試みたが、逆効果だった。
一度意識したイメージは払拭されず、ペレゾの胸元に伸ばした手が固まってしまう。
「――なあ、小森。ヌーは男だと思う? 女だと思う?」
「なっ……!?」
電流が走るようだった。
全てを見透かしたかのような、ペレゾの問い。
慌てて取り繕う間も無く、両脇からペレゾの手が伸びて、頭をつかまれた。
もう、視線を逸らすことすら叶わない。
「小森はさ。男と女……どっちがいいと思う?」
「なっ、何を訳の分からんことを……」
いつのまにか、顔同士が極端に近くなっていた。
もう少しでくっついてしまいそうなほど。
お互いの呼吸が分かってしまう距離。
ペレゾの吐息が、ひどく甘い香りに感じる。
「シェイプシフターってやつだよ。変身能力。ヌーの身体の秘密だ」
「それは……変身したのは、異世界に飛ぶときに起きた現象なんじゃなかったのか?」
「その通り。あってるぜ。だけど、そんな事をしなくても、ゆっくり変わることもできるんだ。小森が望むならな」
「どういう意味だ」
「んー……。わかんね? ヌーが何でこんな風に小森に好まれるような形になったのか」
ヌーは隠れて本を読んでいた。
ケモナー垂涎もののマニアックな本だ。
「そうか……。あれは俺の好みを探ってたのか。つまり、あいつは俺の気をひきたくて……それで」
「よしよしっ。大きな前進だな、小森。抱きしめてやる」
「!」
ペレゾは我慢ができなくなったかのように、両手をこちらの後頭部にまわした。
視界は一瞬でふさがり、代わりに柔らかい感触と、小さな鼓動が顔越しに伝わってきた。
「むぐ……ちょっと苦しいぞ、ペレゾ」
「……今は。ヌーだと思っていいぜ」
同じにおいがする。ヌーとまったく同じにおい。
声だってそうだ。
「小森。たくさんがんばったな。えらい。えらい。」
普段絶対言わなさそうな台詞なのに、本当にヌーに言われているようだった。
「人一倍臆病なのにな。本当によくやってるぞ。小森。」
褒め倒そうとしているらしい。
小癪な、とは思うが、本当に嬉しかったので水を差すこともできなかった。
「それから。それから。」
もう褒める言葉が尽きたらしい。はやい。
「……ボクに。会いにきてくれてありがとう。」
ペレゾの声が震えていた。
どういう意味なのかと聞くために、顔を上げようとしたが、かなかわなかった。
強い力で抱きしめられて、息苦しさよりも、華奢な体の負担が気になってしまう。
「小森……っ。ボクの……っ。」
「ペレゾ? 大丈夫か……?」
絞り出すような声。激しい心音の影に、むせぶような呼吸が隠れている。
「泣いてる……のか?」
「……っ!」
「うおっ」
どこからそんな力が出たのか。
下にいた小さな獣人は一回りも大きい小森をベッドの上に払いのけて、素早く玄関へ移動した。
「すっすまん、小森。ちょっとやり過ぎた。また明日なっ」
「あっ、おい!」
追いかけようと立ち上がるも、すぐに扉が閉められた。
「ええ……どうすんだよ、これ」
右手に残された、残りわずかになったペレゾの脂。
なんとなく嗅いでみると、太陽のにおいがした。
「……もらっておくか」
まだ宝石のような輝きをもつ脂を、空になった「まるっこ動物」の缶にしまい、再びベッドに倒れ込む。
少しだけ濡れていたベッドがひんやりと心地よく、熱くなっていた顔から熱を逃してくれるようだった。
そして、今度こそ小森は深い眠りへと身を投げ出した。




