51話 奈落の底
真っ暗な霧の中をずっと落ちていく。
どちらを向いても暗黒ばかりで、右も左も分からない。
いつまで経っても地面とぶつからないものだから、落ちている方向が上か下かもわからなくなってくる。
それでも、隣にはあかりがいて、背中にはヌーがいる。
位置がわからずとも、自分を見失う心配はどこにもない。
それに気がつくと、今度は大きな安心感に包まれた。
どこまでも続く穏やかな闇が心地良い。
もはや落下しているというより、浮遊しているかのような感覚。
先ほどまで体にぶつかり激しい気流を作っていた霧たちも、今はふわふわと全身を包み込む綿のよう。
なるほど。これを楽園と呼ぶのなら、誰も異論はないだろう。
そう頭の中で考えていると、視界の下方が柔らかい緑色に輝きだした。
真っ暗で何もなかった世界に上と下がつくられる。
そして、何の衝撃もなく、緑色に輝く土地の上に小森たちは降り立った。只々、静かに。
「ヌー、あかり。大丈夫か? ここが天国なんてオチはないよな?」
「うぬぅ……。普通に死ぬかと思ったけど。なんともない……。」
「わたしも大丈夫ですけど、ここは――天国だと言われたら、信じてしまいそうです」
地面からは小森のひざに届かないほどの背の小さな植物が生え、深層世界の光源となっていた。
植物は小さな樹木のような形をしており、放射状に伸びた枝の先端が丸い球体となって、緑色に輝いている。
「ああ、綺麗だな……クリスマスの飾り付けみたいだ」
「的確だけど……。なんか即物的だぞ。小森。」
「ではわたしが。……こ、これはっ! 深海にこぼれ落ちた宝石のようですっ!」
「ぬぅ。風情あり。あかりの勝ち。」
「宝石か。確かに真珠に見えないこともない。グリーンパールにホワイトパール。ブラックパールにレッドパール」
光源植物は辺り一帯、見渡す限りに生えていて、歩けばうっかり踏み潰してしまいそうなほど繁茂していた。
少し遠くを見れば、緑色の他にも青色のものや、黄色のものもある。
どれも淡い色で、隣の色によっては綺麗に混ざり合い、その土地だけの色を浮かび上がらせている。
「もう大きな穴は見当たらないが、ここが最下層なんだろうか──ん?」
色から色へ目を移ろわせていくと、少し離れたところに、こんもりと盛り上がった土地を発見した。
よく目を凝らすと、ところどころに金属特有のつるっとした質感のある部分が露出している。
「なあ、あれ。なんだと思う? 建物みたいに見えないか?」
「あっ! 本当ですね。ただの丘かと思っていましたが……よく見ると、窓みたいなものがついていますっ!」
「よし。行ってみるか」
正体不明の建物に近づき反対側にまわってみると、形状が明らかになっていく。
それは頂点が10メートルに達するほどの大きなドーム状の建物だった。
つるんとした窓は仄かに輝いているが、スモークがかかっているようで中の様子を伺うことはできない。
扉のようなものは見当たらないが、比較的小さい長方形の建物がドームの土手っ腹から伸びて、出入り口の用途を担っているようだった。
いずれも小森たちの足元と同じように光源植物や苔などの自然のベールに包まれている。
まるで『地面から直接生えてきた建物』だと言われたら納得してしまいそうなほど、環境の一部としてそこに存在していた。
「見ろ。入り口付近に道がある。生き物がいるかもな」
建物の近くには光源植物の生えていない、踏み固められたような道があった。それはぽっかりと口を開けた遺跡の中まで続いている。
「入るのか。小森。」
「ここまできてビビっても仕方ないだろ。がんがん行こうぜ」
「わたしが後ろを守ります! ヌーさんの位置は一番安全! 無敵なのですっ」
「ぬぅ。もう歩けるんだけど……。」
コンテナのような玄関は横幅があまり無いので、一列になって進む他なかった。
内部は光源植物があまり生えていないので、だいぶ薄暗い。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
「どちらもご勘弁願いたいですね……」
コンテナの玄関の足場は金属で出来ており、静かな空間にこつこつと足音が反響する。
扉や仕切りのたぐいは無く、少し先には明るいドームの内部が見えていた。
「俺たちなら大丈夫さ──」
大部屋に進入し、視界が大きく開ける。
暗がりから一転。
そこは、眩しいほどの星明かりに満ちた、プラネタリウムのような世界だった。
「わあっ! 宇宙の中にいるみたいです」
「すごいな……」
ドームの内面に光源植物が張り付き、七色に輝く玉の枝をそこら中に伸ばして、大きな銀河を形成していた。
天井にも光源があることで建物の外よりもはるかに明るく、小森たちの頭上は幻想的な光の数々に彩られている。
「上ばかりじゃないぞ。小森。前。前。」
「んん……? なんだこれ、ロボ?」
ぐずぐずに崩れた操作盤のようなものに寄りかかるようにして、ロボットが置かれていた。
サイズは小森たち人間と同じくらいで、寸胴型のボディからは、しめ縄のような形状をしたアームが一本生えている。頭部は存在せず、代わりに大きな光源植物が生えていて、機械ながらグロテスクな印象を与えてくる。
「んん……。動くのかな、こいつ」
「やめとけって。小森。爆発でもしたら大変だ。」
ヌーの制止が決定打となり、小森はロボットを触り始めた。
そして、寸胴ボディを何度かノックすると、ロボットは全身を振動させ始めた。
「ヴヴヴヴヴヴヴヴ。起動開始」
「うわあ。しゃべった。」
「だっ、大丈夫でしょうか!?」
「わからん……」
ロボットは身を震わせながらヴヴヴヴヴヴヴと発声を続けている。
「ヴヴヴヴヴ……ヴ……」
15秒ほどヴヴヴヴヴとやったあと、ロボットは静かになった。
「なんだ? どこか壊れているのか?」
「どっちにしろボクたちじゃ直せないな。行こう。こも──ひっ。」
ヌーの言葉を遮るように、ロボットの頭代わりの光源植物が激しく明滅する。
そして、
「──すみません、燃料を取ってきてもらえませんカ?」
ロボットはとても落ち着いた声で、流暢に小森たちへ話しかけた。
「しゃっ。しゃべっ。」
「落ち着けヌー。暴れんな。悪い人じゃなさそうだぞ」
「人じゃない。ロボットだろっ。」
「ロボットかもちょっと怪しいけどな……」
小森はとりあえず、ロボットの頭部へ話しかけることにした。唯一変化が起こっているのが、チカチカと輝く光源植物だったからだ。
「その、お前の言う燃料はどんなやつだ? ここにあるのか?」
「クリオネで良イ」
「そこら中に浮かんでるやつか。それならお安い御用だ」
「9個で良イ」
「あ、ああ……わかった。……なんか図々しい?」
「滅相も無イ」
そして、小森たちはクリオネを採取すべく、荷物をその場に置いて一旦ドームの外に出た。




