44話 地上の天使
小森たちは断崖の街へと戻り、地上にあるエルダーの基地を目指していた。
「しまった」
よく手入れされた岩のスロープを歩きながら、小森が呟いた。
「ギュイヌと春爺に挨拶しておくの忘れたな。世話になったのに」
「ふむ。それなら今度、私から言っておこう」
ハヌゼベは行く先々で住民に挨拶をされ、一人一人に対して律儀に礼を返しながら歩いている。その度にぴったりと歩行を止めるので、やや進行が遅い。
「なあ、ハヌゼベ。急いでいるんじゃなかったのか?」
「何度も立ち止まって申し訳ない。寄生虫の件はすぐにでも着手していただきたいが、しかし、住人とのコミュニケーションも私にとっては大切な事なのだ」
現実世界でひきこもり生活を行なっていた小森にとって、なんとなく、説教をされているような気分になる言葉だった。
「コミュニケーションね……。ところで、前々から思ってたんだけど、ハヌゼベってここの住人と明らかに別の生き物じゃね? 目とか腕多いし、ハネ生えてないし」
誰がどう見ても別の種である。それでも、うまくやっているのが小森にとって不思議なことだった。現実の人間社会では、浮いた人物はいわゆる『いじめ』の対象になるか、『畏怖』される存在となるかのどちらかだからだ。
しかしハヌゼベは違った。この辺りの領主ということを差し置いても、皆がフレンドリーに話しかけてくる。
「それこそ、コミュニケーションを普段から怠らないからではないかな。もし、そうする事を止めてしまえば、この異形の身体だ。コモリ殿の考える通り、すぐに忌避されるようになるだろう。──我々がこれから会おうとしている存在は、私のように気さくな態度を取ろうとしない。ただ畏怖されるだけの存在だよ」
ハヌゼベの言う『気さくな態度』について、その場にいる全員が心の中でツッコミを入れた。
しかし、冗談なのか真面目なのか本当にわからないので、誰も口に出さずに言葉が通り過ぎるのを待った。
「元はといえば、私はあちら側の存在だった。この地に降り、『楽園』に身体を馴染ませて進化したのだ。さあ、このリフトに乗れば地上の基地――『エルダーの家』へと出る事ができる」
ケイヴァのはるか奥。何人かの門番を通り抜けたあとに、ハヌゼベが秘蔵しているものと同じタイプのリフトがある部屋に出た。
「お、これは回さなくていいやつだな」
「その通り。全自動なので、話をしながら上までいけるね」
ハヌゼベの巨体がある分かなり窮屈だが、四方に鉄製の手すりが設置されているので、途中で落ちるような心配はなかった。
全員が乗り込んだあと、じゃんけんに勝利したあかりがレバーを引いてリフトは緩やかに上昇を始める。
「地上がどんな世界なのか楽しみだな」
「前にも言ったが、何も無いよ。住人の中にも地上を自分の目で見たいという者が出てくるが、見たあとでショックを受けているようだった。だから期待しないでほしい」
リフトが進む空間は、ほとんど岩壁の中にすっぽりと収まっている。光源はリフトに設置されたものと、天然の岩で出来た窓から差す日光のみである。
「何も無いってのがいまいち分からんな。『楽園』と比べてという意味なのか? ……何かあるだろ、流石に」
「この縦穴に世界のすべてが集約されてしまった。本当に何も無いのだよ」
「へえ……。まあいいや、それはそれで楽しみだよ」
まだ窓からは地上が見えない。遠くに見える景色は、こちら側へせり出している人工物ばかりだ。
穴の内部から見る建造物の多くは大小の差異はあれど、水泳の飛び込み台のようなものが据え付けられている。
「バンジージャンプの名所みたいな風景になったな」
一度そういう目で見ると、まるで本当に穴の底へ飛び込む為に存在しているかのように見えてしまう。
「穴の入り口付近は断崖絶壁なのでね。最初は、とにかく出っ張りを作ることが潜るための近道だった。先人たちの苦労がこうして、まだ形を残しているわけだ」
「なら、壁から生えた先人の墓標みたいなもんか」
「それだと私の墓がたくさん存在することになるな」
小森の軽口に真面目な調子で返すハヌゼベ。
あかりとヌーは聞いていて消耗するような気分を味わっていたが、いつしか小森はハヌゼベという人柄を理解した気持ちになっており、リラックスしていた。
リフトは再び長い暗闇を進んだあと、静かに停止した。
「地上基地に着いた。さあ、降りて」
ハヌゼベが先導し扉を開けると、そこはケイヴァとはまるで違う光景が広がっていた。
白い岩でつくられたエレベータールームを一歩向こう側へ踏み出すと、今度は黒色の広々とした廊下に出たのだ。
「白の次は黒か。目がいたくなるな」
「今のうちに言っておくと、エルダーは全身が真っ白だ」
「うへえ。サングラスでも用意しておくんだったな」
廊下は途中から更に広くなり、透明なガラスのような壁が向こう側とこちら側の道を二等分していた。
特に装飾品の類はなく、ただただ黒い通路が続いていく。
つるつるとした床と壁ばかりで、窓も無ければ置物も何も無い廊下。それをひたすら歩き、何度目かの角を曲がったところで、ようやく扉が見えてきた。
「一人で歩いたら気が狂いそうな場所だな……」
「未知の場所というのは空間認識能力が低下するものだ。やけに長く感じたり、方角が一切わからなくなったりする。楽園下層はここの比ではないと思うよ。──さあ、気を確かに。ここがエルダーの部屋だ」
扉を開けた先は大部屋になっていた。
今までの通路と同じく、向こう側とこちらを隔てる透明な壁があり、向こうの部屋の奥は壁が無い。砂漠のような外の世界と繋がっている。
そして、輝くような四つの翼と肌を持つ天使が直立不動でこちら──というより、宙空を見ていた。
体躯はハヌゼベほどに大きく、裸体。しかし、男とも女とも判別のつかない体つきをしている。
「会いにきたぞ、エルダー。旧き友人、ガラティナよ」
「こんにちは。無翼公、ハヌゼベ」
エルダー・ガラティナは遠くで鐘の音が鳴っているかのような声色をしている。その顔には口というパーツが存在せず、どこから音を発しているのかは分からない。
ただ、とてつもなく聞き取りやすい音である事は確かだった。
「おお、天使様だ。なむなむ」
「こんにちは。異形のヒト。──テンシとは?」
拝む小森にガラティナが問いかけた。
「こちらの火のような眼をしたヒトがコモリ殿。日のような眼をしたヒトがアカリ殿。月のような眼をしたヒトがヌー殿だ。テンシというのは、背に翼がある者の事を言うそうだよ」
ハヌゼベは丁寧かつ独特な紹介をした。それだけでガラティナにはよく伝わったらしく、なるほどとしきりにうなずいた。
「しかし友よ。今何をしていた? 石になろうとしていたのではないか?」
「考え事だ。私には無限の時間がある」
「良くない兆候だぞ、ガラティナ。石になる前は皆、そのようにぼうっと突っ立っていた。……他のエルダーはどこへ?」
「動かなくなった」
ガラティナの返答を聞くなり、ハヌゼベは地の底を鳴らすかのような重々しい唸り声をあげた。
「醜いな、ハヌゼベ。不死性を捨てた獣の声だ」
「違う……。違うぞ、ガラティナ。私は定命を得たのだ。生きることも死ぬこともできなくなる前にこちらへ来い! 友よ!」
「断る。私はここで良い」
白熱する二人。悪魔のようなハヌゼベと天使のようなガラティナ。
そこへ割って入っていったのが──
「んがあああああ!! やい悪魔天使族! 俺たちを蚊帳の外にするな! 特別ゲストだろうが!」
元ひきこもりの小森である。




