41話 共有された呪い、あるいは祝福
ギュイヌは杭に刺さった牛へと駆け寄り、ぺたぺたと触ったあと、小森たちの方へ振り返った。
「もう終わってら――どゆこと?」
小森はあかりの手をとり、ゆっくりと天高く持ち上げる。
「開始7秒。左アッパーであかりのKO勝ちだ」
「やりましたっ」
「はあぁぁぁあ……」
ぺたん、とその場にへたり込むギュイヌ。今までの意気込みだとか、いざ戦闘になったらビビってしまったとか、この下層人どうなってんだとか、諸々の気持ちが単なる空気となってギュイヌの口から出ていった。
「ギュイヌ……へたれおって。アカリさんみたく強い女になってヴオルをとっ捕まえに行くくらいの気兼ねを持てや」
春爺がギュイヌの頭を乱暴に撫で回す。
「無理だろぉ……。春爺、規格外って自分で言ったくせに」
「口ばっかり達者なんだからもう……。そんなら、牛運ぶからさっさと立ち上がらんか。働かざるもの食うべからず、じゃ」
大きな身体を持つ二人は腕力も凄まじく、たった二人で巨大な牛を杭から引き抜いて持ち上げた。
牛の土手っ腹に空いた穴から真っ赤な鮮血がサラサラと流れ出ていく。
「う……」
小森の喉が鳴る。
一瞬『渇きの世界』がフラッシュバックしたが、今は白昼夢を見ることもなく、目の前で流れ出ていく血をただ現実として受け容れる事が出来ている。
しかし、その色がどうにも美味しそうに見えてしまうのだ。
こんなに美味しそうなものが、土にこぼれて汚い色に染まっていくのが見ていられない。
食べ物は粗末にすべきではない。
内なる獣性を自覚したまま冷静に振る舞おうとするあまり、理性のフィルターそのものが置き換わっていく。
「ちょ、ちょっとまってくれ。それは、あんまりだ。もったいない。血抜きはちょっと待っ──」
すべて言い終わる前に、小森の横をあかりが素早く駆け抜けた。
小森にはすべてが見えていた。彼女の口元は歪み、虚ろな目は流れ出る鮮血だけを捉えていた。
「がああァァァァァっ!」
あかりは魔牛の傷穴にかぶりついた。
まるで真夏の運動部員が、なりふり構わずに蛇口から出る水に顔ごとくっつけるかのように。
ただし、その蛇口から勢いよく吹き出ているのは真っ赤な血液である。
「アカリちゃん!?」
「ごめんな、ギュイヌ。あの状態になったら、おそらくは腹を満たすまで止まらん。そして、そこを譲ってほしい。俺にも……」
小森は冷静さを欠かずに状況を告げ、口周りが汚れないよう、冷静に魔牛の血を飲んだ。
口の中に広がる芳醇な香りに、自然と口元が緩んでしまう。
「なあ、これって実はかなりうまいんだ。お前たちもやってみないか?」
実に冷静に提案してみたが、誰も首を縦に振らなかった。
────
地獄のような食事が続き、しばらくして、あかりは糸が切れた人形のように倒れ、深い眠りについた。
「やっぱり寝た。小森は平気なのか。」
「ん……ああ。今回は何ともないな、むしろお目々ぱっちりだぞ」
「そうか。とりあえず口拭いとけ。」
小森はヌーから布切れを受け取り、自分とあかりについた返り血をよく拭ったあと、あかりをおぶった。
「下層人怖いんじゃが……」
「へ、ヘタれるな春爺! 怖くてもイイ人たちに違いねーんだからっ」
春の層はもう夜になろうとしていた。太陽が半分ほど隠れ、領域の大半に深い影を落としている。
来る際は足取りの軽かった一行だが、帰り道は大荷物という事もあり、遅くならざるを得なかった。既に霧も深くなり始めている。
無言が続いたが、それはあかりの暴走だけが原因ではない。
「ぜえ……ぜえ……」
「はあ……はあ……」
血抜きが終わった後とはいえ、魔牛は重かった。
「こんなデカイの、実は初めてなんじゃ……」
「人を呼んでくるんだった……」
非力なヌーは牛の尻尾の方すら持てなかったので、手伝いは諦めて行く先々で木の実を集めていた。
キャンプ地に帰る頃には、ヌーのエプロンのポケットはぱんぱんに膨らんでいた。
「とうちゃーく。」
そして、ようやくキャンプ地へと到着する。すでに疲れ果てていた各員は荷物をおろし、調理などの支度は後回しにして一息つくことになった。
ギュイヌと春爺はテントに入るなり大の字になり、ヌーは拾った木の実を片っ端からかじっている。
あかりの変化が気になっていた小森がじっと彼女の寝顔を見つめていると、そのまぶたが震え、ゆっくりとひらかれていった。
「んん──はっ。おはようございます、小森さん。 あれ! お菓子の家はっ」
「起きたか。っていうかすごい子どもじみた夢見るんだな……」
あかりは大きな目をぱちぱちとしばたいて、周囲を見回した。
「ここは――緑のテントのようですね。抹茶味でしょうか?」
「いいから、お菓子から離れろ……。そんなものは無かった」
「それは残念です……でも、なんだかわたし、満腹感がすごいです」
あかりは自分の腹を撫で回して不思議そうにしている。
「その事については──ちょっと言いづらいんだが、驚かないで聞いてくれ」
「えっ……あ、はい。分かりました! 驚きませんっ」
「結論から言うと、俺とあかりは吸血鬼になった」
「な、な──」
──案の定、テント全体の空気を震撼させることになった。
あかりの雄叫びを聞いた春爺とギュイヌは、「短い休憩だった」と愚痴をこぼしながら外へ出ていった。
「わたしにも、闇の力がっ!? どうしましょう、眼帯も包帯もありません!」
「まあ大声出すのは想定してたが、驚き方がズレてんだよな……」
あかりはカッコイイポーズの練習を始めていた。
「気持ち悪かったり怖かったりしないのか? 血飲むんだぞ血。しかも無意識にがぶがぶ飲んでたんだぞ? がぁぁぁっとか言って」
「たしかにちょっと怖いかもです。でも、小森さんとお揃いなのでわたしは楽しいのですよ。……はあ、あのチョコレートの噴水は牛さんの血だったのですねぇ」
あかりはどこか夢見心地で楽しそうにしている。
以前の自分を見ているようだが、客観的に見れば、なるほどこれはサイコパスだなと小森は思った。
ヌーの心境も今では理解できる。
「一応言っておくが、俺たちからすれば幸せな食事だが、他人から見ると壮絶な光景だから気を付けた方がいい。おそらくだが、空腹を限界まで我慢すると、あんな風に忘我状態に陥るんだと思う。加えて、身体能力が上がってる分かなり燃費が悪くなっていて、かつ激しい運動をすればするほど腹が減っているように思う」
「なるほどですね……。これからは、食事にも気を付けないと、ヌーさんあたりをガブってやっちゃうかもしれませんね」
あかりは吸血鬼化の事実をあっさりと受け入れ、あまつさえ小森が恐れていたことをサラリと言い切った。
まるでそんな事態に陥るのは、冗談の中でしかあり得ないというように。
「あかりは俺なんかより、よっぽど強い心を持っているな。尊敬するよ」
「むむ。何度でも言いますが、わたしは小森さんと一緒だから全部平気なのですよ。逆にわたし一人だったらもっとぎゃーぎゃー騒いじゃってます!」
「ありがとう、あかり。めちゃくちゃ肩の荷が降りた気持ちだよ。この先何でもやっていけそうな気がする」
事実、小森は呪いとも祝福ともとれない、この奇妙な能力を持て余していた。
それをあかりと分かち合う事で、しっかりと現状へ向き合うことができる。能力を大きなプラスの力にできると確信した。
「その通りですよ小森さん。悪いことばかりじゃないです。わたしたちの力ってすごいんですよ? ご飯さえあれば、何だってできちゃいます!」
「そうだな。逆境ばかりと思ってたが、どうやら違うらしい。俺たちはもっと貴重で重要なチャンスの中にいるのかもしれない」
あかりは常に現状を楽しんでいると言っていたが、小森はここに来て、ようやくその心境を知るに至った。
「――おぉーい、小僧らぁ。肉焼くぞーい」
気付けば、テントの外では大きな火が上がっていた。
焚火の明かりに照らされたギュイヌと春爺とヌーは、二人を笑顔で迎え入れた。




