33話 再起追走
小森はぼんやりと目を覚ますと、テントの中で横になっていることに気付いた。
入り口越しに勢いよく燃える焚き火が見える。薪はまだ新しい。
「俺は──」
瀕死のあかり君を巨人のハヌゼベに預けた。そこまでは覚えている。
ここまでどうやって戻ったんだっけ。いつの間に寝ていたんだろうか。
とにかく、ハヌゼベを追いかけなければ。あかり君の身が心配でならない。
そう思って小森が起き上がろうとすると、身体を拘束されていることに気付いた。
拘束といっても縛り付けられているわけではなく、ふわふわの腕が背後から腹に回されているのだ。
「ヌー?」
「ぬぅ。ぬぅ。」
耳のすぐ後ろからヌーの声が聞こえてくる。返事なのか寝息なのかやっぱりよくわからない。寝言かもしれない。
「それは……寝ているのか……?」
意識してみれば、焚き火にあたっていないはずの背中側も暖かい。ふかふかとした羽毛に包まれているような安心感がある。
小森がそっと寝返りをうつと、眠っていたヌーがちょうど目を開いたところだった。
「ぬっ。ようやく目がさめたか。小森。」
「いや、ヌーも寝てたよな?」
「寝てない。」
「……そうか」
じっと見つめてくるヌーの瞳は以前から少しも変わらない。金色の澄んだきれいな瞳だ。
こんな状況になっても変わらないヌーの瞳を見て、小森は洪水のように溢れてくる気持ちが抑えきれなくなった。
「ヌーっ……!」
「んぬわっ。 急に抱きつくなよぉ。」
「俺、どうすりゃいいんだ……。どうすりゃよかったんだ。こんな、わけのわからない場所に飛ばされて、それでも頑張ろうって決めた矢先で、わけのわからない化け物に襲われて──」
ヌーの手が小森の頭の上に乗せられた。
「小森はしょうがないやつだな。」
そして、優しく撫ではじめる。
「小森は頑張りすぎだろ。なんでも一人で抱え込もうとするな。」
「……くっ」
いつか、平和だった日々のお返しとばかりに、ヌーはなおも撫で続ける。
震える小森を優しく包み込むように。
「我慢しなくていいんだ。辛いと思ったら辛いって言え。言いたいことは何でも言え。」
「ヌーっ……ヌーっ!」
「ぬおっぷっ。」
小森は今度こそ全力でヌーにしがみついた。
「ちょっ。こもり?」
「……やりたいと思ったから、やる」
「ぬあっ!? まて。そういう意味じゃっ。」
がっちりとヌーをホールドしたまま、全身をくねらせる小森。
ヌーのふわふわの体毛が小森の肌と摩擦し、至高の幸福が流れ込む。
「ふっ、ふおおっ」
「やめろっ。やめっ……へんたい小森っ。ぬわあああっ!」
たっぷり小一時間、小森は幸福を充電することになった。
ヌーは恥ずかしくて堪らなかったが、一瞬見えた小森の涙に気づき、大人しく事が終わるのを待った。
そして時が経ち、霧が張れていく。
『穴』の世界に朝が訪れていた。
二人はキャンプを片付けて、行き先の確認を始める。
現在、小森は衣服代わりに洗った毛布に穴を開けただけのマントを着用している。
事実上の裸マントである。
「よし、俺の調子はバッチグーだぜヌー! 心身ともにな!」
「……そうか。なら遅れを取り戻さないとな。」
「おうっ!」
「ぐぬぬぅ……。」
ヌーの皮肉は小森に届かない。
それほど小森は元気を取り戻していた。
「さて、このダイアルが道しるべになるらしいが……秘宝とか呼んでたな」
「ちょっと見せてくれ。」
こぶし大の楕円形をしたダイヤルの盤面はぼんやりとした輝きを放っている。
「オーレラクトだ。」
「それが何なのか知ってるのか?」
「うぬ。雌雄一組のアーティファクトだよ。」
ヌーは木陰に移動し、小森を手招いた。
「おお、よく光ってるな! これをどうするんだ?」
「これだけだよ。」
「えっ……」
「引き合う光。それがオーレラクトの役割だ。もう一方のアウレラクトに光を伸ばそうとする。」
ヌーがダイヤルをめちゃくちゃな方向に動かしても、光の筋は常に同じ方向を指し示していた。
「ハヌゼベはこの光の方向へ行けって事を言ってたわけか」
「そうなるな。――案外近いかも。」
光が指す方向は断崖の街よりもっと下、小森たちから見て70~80メートルほど上の対岸を指していた。
当初の目的通り、ぐるりと迂回することに変わりはないが、そう何周もしなくてはいけないような高さではなかった。
「よし、待ってろあかり君。これなら明るいうちに行けるかもしれない」
「小森ぃ……。この身体。足が短くてだな。」
小森の半分以下の足の長さは、そのまま移動速度に直結する。
それを見た小森は、意を決するかのようにキャンプ道具一式を木陰に下ろした。
「よし、乗れ! ヌー」
「えっ。」
小森は広くなった背中をぐいぐいとヌーに押し付ける。
「乗れって……。荷物置いてく気かっ。だめだろ。」
「目的地がすぐそこだとはっきりした以上、だらだら歩く必要はない。ヌーはよく見てなかったかもしれないが、俺は超人的な動きができるんだ。何より、あかり君が心配だろ?」
「ぬぅ……。そんなに早く動けるなら……一理ある。ダメそうなら戻ってくればいいしな。じゃあちょっとお試しで。」
ヌーは観念して小森の背中によじ登り、その肩に手を置いて身を預けた。
「これ大丈夫か。動きづらくないか。」
「ふへぇ……」
小森は裸マントなので、ヌーのふわふわハンドから伝わるモフモフ感に対する防御力は皆無である。
「おい小森。たるむな。」
「あ、ああすまんつい……。では行くぞ! しっかり掴まっておけよ! うおおおおっ」
「ぬおおっ。」
小森が動き始めると、ヌーの心配はすぐに杞憂だという事が分かった。
ヌーを背負ったまま、小川を一足で飛び越え、急傾斜の坂を駆け上がり、ついには木から木へと飛び移ってみせたりもした。
「ぬぅ……小森だけならすぐに『穴』から出られたんじゃ。」
「さあどうだろうな。昨日、俺が突然倒れたのはこの力のせいだと思ってるんだ」
「元気の前借り。みたいな?」
会話をしながらも、道無き道を飛び跳ねていく。
小森に息切れの様子は無い。
「多分そんなところだと思う。あと、言いづらいんだが……化け物を殺した後、めちゃくちゃ腹が減ってたんだ。餓死するかもってくらいに」
「ボクは何も見てない。」
「まぁ、そう気を使わなくていいぞ。自覚はあるんだ。何となく、だけどな」
吹っ切れたかのように異常行動を認める小森に、ヌーは驚いたような顔をした。
「イヤじゃないのか。」
「俺が化け物を食ったって事実だけ考えると、やっぱり嫌だけどな……。なんつーか、あの時の俺は白昼夢を見てて、ちょっとその辺のサボテンをかじって喉を潤したって感覚だったんだよ」
小森は、あかりがサボテンよりも魅力的な果実に見えた事は言えなかった。
とんでもない悪食を行ったことよりも、あかりに手を出さなくて良かったという安堵感の方が勝っていた。
「──ともかく、だ。俺がまたいつ燃料切れを起こすとも限らない。だから、全力で走らせてくれ。それでぶっ倒れたら介抱頼むよ。そうやって3人で支え合ってやっていこう」
「3人……。そうだな。あかりを早く迎えにいってあげよう。」
小森が返事代わりに大きく跳躍すると、周囲の木よりも、ずっと高く浮かび上がった。
二人分の黒い影が点となって木々を、岩場を、這っていく。
「ぬおおぉっ。鳥になったみたいだっ。」
「新しい層に着くぞ、舌噛むなよ」
そして、小森は上層の切り立った崖に足をかけた。
「うおっとと──いー……よっこらせー!」
「あっぶな。ギリギリすぎるぞ。小森。」
「何とかなったから良し。それにしても、なんだかちょっと寂しい場所だな」
新しい風景。新しい環境。明らかに今までいた森とは違う、荒れ放題の土地だった。




