32話 四つ腕の巨人
ひどく喉が渇いている。
ひどく腹が減っている。
砂ばかりの不毛の地で、俺は今にも干からびそうになっている。
ふと、右手の上に赤い果実があることに気が付いた。
これを食べれば飢えも渇きも解決する。
しかしこれは、大切なものだ。
食べるわけにはいかない。
だから、少しだけ、舐めてみた。
生き返る心地がした。
砂漠は少し潤いを取り戻しはじめる。
でもまだ、足りない。
すぐ近くに、でっぷりとしたサボテンが生えていた。
それは腹のあたりから、とぷとぷと惜しげも無く水分を垂れ流している。
果実の代わりにサボテンを少しかじる。
だいぶよくなった。
砂漠はいよいよ潤い、肥沃な土へと変わっていく。
緑が芽吹き、絡まり合い、樹木となる。
樹木が寄り添い合い、小さな森となる。
いつしか、風景は濃霧の森へと変容し、俺が大切に守っていた果実は――。
「ぁ……」
あかりの出血は止まっていた。
毛布は乾き、すっかり黒色に染まっている。
「あかり君……?」
顔は少し色をなくしているが、まだ息はある。
目を固く閉じて、小さくうめくような呼吸を繰り返している。
上腕部から先は、やっぱり、無い。
「小森……。」
声の方へ振り返ると、ヌーがこわばった顔で立っていた。
そして、そのすぐ隣には、3メートルほどの巨大な人が立っている。
黒い鎧を着た、白髪の巨人。
先ほどあかりに凶行をはたらいた化け物と、特徴がよく似ている。
違うところがあるとすれば、顔全体を覆うガスマスクのようなものを着けている事と、二本の足で立っている他に、腕が四本あるところだ。
「……ヌーから離れろ」
「了解した。ところで、貴殿が彼をやったのか?」
巨人は流暢な言葉で返答し、質問を投げかけてきた。
表情はガスマスクのせいで読み取れない。
しかし、声色は凛々しく、不快さを洗い流すかのような、あるいは一流の詐欺師のような丁寧さがある。
「そうだと言ったら?」
小森は静かに怒りを見せている。敵意を見せれば、すぐにでも先程の化け物と同じように腹わたをえぐり出してやる覚悟ができていた。
「同胞が迷惑をかけた。申し訳ない。この通りだ」
巨人は両膝をつき、四つある手を合掌させて、こうべを垂れた。
「彼は寄生生物に支配されていた。傷口から入り込み、脳に至り、宿主の理性を食い荒らす厄介なモンスターだ」
「事故だって言いたいわけか。そもそもお前らは何者なんだ? 俺たちからすれば、お前らこそモンスターそのものだ。実際にあかり君も──ああっ、こんな事してる場合じゃない! くそっ」
いつまでも頭をあげない巨人を視界に入れたまま、小森はあかりに新しい毛布をかぶせていく。
あかりの唇は青白く変色し、全身の肌もひどい土気色になりはじめていた。
ひと目で分かるくらいに、身体が震えている。
「コモリ殿。私に償いをさせていただきたい」
巨人はなおも語りかけてくる。
「うるさい……今はそれどころじゃないんだ。 見てわからないのか! このままじゃ暖を取ったところで──」
「死んでしまうな。しかし、私には彼女を助けることができる」
「なんだって?」
「申し訳ない。言い方が悪かった。私には彼女の生命を守る義務がある。償わせてほしい」
ガスマスク越しに見える巨人の眼は青く、闇の中で輝いて見える。
「助かるのか!? どうやって!」
「間違いなく助かる。病院へ連れていき、適切な治療を受けていただく。我々の秘宝を使えば、失った左腕もなんとかなるはずだ」
「病院って……まさか、あそこに?」
小森は空を見上げた。しかし深い霧に支配されていて、示そうとしていた岸壁の街は見えない。
「その通りだ。迅速にケイヴァへ運ぶ必要がある。アカリ殿を私に預けてほしい」
巨人は丸太のような豪腕を二本、小森へと差し出した。
「何故あかり君だけなんだ。俺たちも一緒に行くぞ」
「もちろん、コモリ殿とヌー殿も招待するつもりだ。しかし、私が抱えて動ける人数には限りがあるし、あれだけの食事を終えたばかりの貴殿が私についてこれるとは思えない」
「食事……? 一体なにを──」
巨人は静かに小森の口を指差した。
小森が自分の口の周りを手で触れると、べったりと血糊がついていることに気付いた。
「これ……は」
「私がここに来たときには既に、同胞はこの有様だった」
巨人が草むらに入れた手を持ち上げると、そこには酷く損傷した化け物の姿があった。
しぼんだ風船のように縮み、ほとんど皮と骨だけの状態になっている。そして、あったはずの部位がいくつか無くなっていた。
「──俺が、食ったってのか」
「小森。ボクは何も見てない。」
実のところ、小森は腑に落ちていた。
先程の夢だ。
気をやり、飢えと渇きの砂漠に倒れる白昼夢を見ていた。
水気をたっぷり含んだサボテンの味は――。
頭で否定したくとも、身体が理解してしまっていた。
「もし。もし、私への不信感が拭えないのなら、この場で私の──このハヌゼベの腕を一本差し上げよう」
なかなか返答をもらえない巨人のハヌゼベは少し焦った様子で話し始めた。
「急いでほしい。腕一本で不服なら二本だ、アカリ殿と同じ半分の損失で手を打とう」
「おい、正気か?」
「貴殿こそ、今取るべき判断を迅速にするべきだ。アカリ殿がどんどん黒くなっていくではないか」
あかりの震えが止まっている。
しかし、それは体温を取り戻したからではなく、身体を震わせるほどの体力が残っていない事の証明だった。
「くそっ、腕なんか要らん! あかり君を頼むぞハヌゼベ!」
「承知した。この秘宝を渡しておくから、後から追ってきてほしい。光が道しるべになる」
ハヌゼベは楕円形のダイヤルを小森に握らせて口早に言うと、あかりを抱えて穴の中心側へと走っていった。
そして、強烈な閃光が一度瞬き、数秒おいて昨日見た巨大な光の柱が上がった。
「あの巨人。ハヌゼベ。ホタルを呼んだ。光の柱の力で上がっていくつもりか。」
「あれじゃ、ついていけるわけがねえよ……な────」
「小森。おい。ここで寝るな。しっかり────」
小森は今度こそ深い眠りについた。
夢を見ることのない、穏やかな眠り。
今まで無茶をしていたツケが回ってきたかのように、電池の切れた機械のように。




