31話 襲撃
「トイレだったのか。すごい顔してたぞ。あかり。」
「ヌーが入り口を占拠するから、ずっと遠慮してたんだろ。かわいそうに」
「それは悪いことをした。」
あかりに対してはとても素直なヌーだった。
「しかしヌーは毛布無しで寒くないのか? 」
「自前の毛皮があるから。でもさっきよりだいぶ冷えてきたみたい。」
ヌーはあかりの去って行った方向を心配そうに覗いた。
「む……確かに一人じゃ危険だな。迎えに行かないと――って、うおお寒ぃ!」
「毛布かぶったまま行った方がいい。」
二人がテントを出ると、周囲の霧はかなり濃くなっていた。
暗闇も深くなり、視界は極端に悪い。
「やっぱり『穴』の世界は毎晩こうなるのか」
「小森。何か……聞こえてこないか?」
ヌーの耳がぴくりと反応する。
小森も注意深く耳を澄ませると、かすかに低いうなり声のようものを感じ取った。
そして、
「――ッッ」
うなり声がした方向。強く短い悲鳴が小森たちの鼓膜に衝撃を与えた。
「あかり君の声……! 行くぞヌー!」
小森は矢のごとく駆け出し、強化された身体能力に全力を注ぎ込んだ。
一歩踏み出せば、瞬時に5メートル先に移動するような極端な加速力。それが身体に与える強烈な負荷をものともしない耐久力。
全身のあらゆる筋肉をフル稼働させて、全速力で川の方へと跳んでいく。
そして、あっという間に惨状が起こっている現場へとたどり着いた。
「こ……こもり、さん」
「大丈夫か! あかり君!」
小森は対峙する脅威よりも先に、崩れ落ちる寸前だったあかりの方へと駆け寄り、抱きとめた。
──彼女の左側が真っ赤に染まっていたからだ。
「わたし……ヘマしてしまいましっ……た……う、うで」
「喋らなくていい、 じっとしていろ……包帯が必要だ……圧迫しないと……うううっ」
強烈な血の匂いに頭がくらくらする。
叫び出しそうになる気持ちをこらえて、自分のシャツを引きちぎり、真っ赤な傷口に当てがおうとした。
「腕……? こ、これ……嘘だろ」
あるはずの感触がない。
あかりの左腕は、二の腕部から先が全て消失していた。
「ぐうっ、とりあえず圧迫だ……圧迫止血を──」
「G r r r rァァァアアアアア!!!」
背後からの咆哮。窮地に追い打ちをかけるがごとく、轟音が鳴り響く。
小森は振り返り、驚異の正体をようやく確認した。
鎧をまとった、灰色の巨大な四足獣。
揺れるたてがみが闇の中で光を反射している。
長い手足と黒光りする金属鎧は、見ようによっては巨人の戦士が獅子の真似事をしているようにも見える。
全長は2メートルを超えているだろうか。
まごうことなき化け物だった。一目でわかる、既存の頂点捕食者たちを一段下へと追いやるポテンシャル。
しかし、そんな事よりも、小森の注意を大きく引いたのは真っ赤に染まった化け物の口だった。
「お前がやったのか」
「G r ッ!」
化け物は返事代わりと言わんばかりに、口の中から固形物を発射した。
「なるほど」
小森の視力は弾丸のごとく迫り来るそれが何なのかを瞬時に理解し、受け止める。
鮮血で赤く染まった、あかりの指だった。
そして、弾丸とほぼ変わらない速度で化け物も飛びかかってきていた。
「――遅い」
だが、小森には全てが止まって見える。
見えるどころか、化け物の腹のなかにある、あかりの腕のにおいすら感じ取れるほど。
「G r r r r ァァアァァアッッ!!」
化け物は口を開いて小森に襲いかかる。
あかりの腕を一噛みで切断したに違いない、名刀のように鋭く光る牙。
尋常ではない速度で迫り来るその刃は、常人ならば目瞬きをする間もなく両断されてしまうだろう。
しかし、
「――返してもらうぞ。化け物」
しかし、小森はすでに常人ではない。
止まって見える景色の中で、無造作に右手を伸ばす。
禍々しい化け物の、大きく開かれた口内へ。
「G r r r――」
小森は身体が異常に熱くなっているのを感じていた。
こんなに寒い夜なのに、火傷しそうなほど全身が熱い。
――それなのに、心はひどく冷え切っている。
あかり君を、なんとかしなければいけないのに。
もっと焦るのがヒトとして正しい反応なのに。
――それなのに、顔の筋肉が言うことを聞かない。
「r r ァ……ぁガッ」
既に化け物は絶命していた。
口の中に突きささった小森の右手が引き抜かれる。
「ぁガッごポッ」
化け物の亡骸が、間の抜けた音をたてて地に伏した。
「……あ」
右手にのっている『戦利品』を見て、靄がかかっていた思考が少しずつ覚醒していく。
「う、腕……あ、あかり君の……あぁあ」
戦利品――あかりの腕だったモノはひどく損傷している。これではもう取り返しがつかないと、一目で理解してしまう。
振り返ると、毛布の上に横たわるあかりと、がたがたと震えるヌーがいた。
「あかり君……あかり君!」
「血が……っ。血が止まらないんだっ。」
あかりの欠損した上腕部から大量の血が流れ出し、毛布が赤黒く染まっている。
「くそっ……諦めないぞ、俺はっ……! ヌー、テントへ戻って救急箱をもってきてくれ!」
「わかったっ。」
小森はシャツを全て脱ぎ、あかりの流血部に押し付けた。
「んっ……ぎぃぃぃッッ痛いっ……痛いいたいいたい」
「すまない……! すまない……!」
これ以上血が流れ出ないよう、万力のように強く冷徹に、一定の圧をかけていく。
痛みのあまり暴れ出すあかりを、もう片方の手で毛布に押し付ける。
「ギアあぁッ……ぐっ……ごもりざッ……ん……こわいっ……くらい……ぎいぃッ」
凄惨極まりない現状に頭がうまくついてこれなくなるのを感じる。
俺は何をやっているんだ?
家族同然だったあかり君に、なんて仕打ちをしているんだ?
さっきまでしていた、恋人のような会話は?
これは現実なのか?
こんなのはあまりにも――。
視界が明滅し、思考がばらばらになっていく。
まずい。いしきを保たないと。
このままでは、手がはなれてしまう。
てがはなれると
めのまえの
赤い――――。




