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新境ブラックボックス  作者: 錆雪
第四章 悪の秩序、その共有
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 全員の視線が浮雲に集まった。

 浮雲は暫し黙り込んだあと、億劫そうに頭を掻いた。


「異能が暴走する前なら始末も楽。面倒も少ない」

「それはそうだが」と黒杭が眉を寄せる。「だからってお前がそこまで動く理由にはならないだろう」

「こちらに押し付けた時点で、これはすでに赤地区の問題」と紅牙。「灰地区での面倒事は避けられたんだ。わざわざ介入してくる理由がわからん」

「キミら三人、非異能者だろう。キミたちの実力ならば異能者が相手でも善戦できるだろうが、穢主は別だ。赤嶺が出張ったところで、最悪仕留めきれない可能性だってあった」

「舐めた口叩くんじゃねぇか」


 言葉とは裏腹に、赤嶺の表情には笑みが浮かんでいた。


「まぁ気に入らねぇが、経験者の意見には耳を傾けねぇとな」

「経験者?」

「数年前にあったのよ。灰地区で異能災害」


 疑問を口にする凰乃にミリアが答えた。


「実際に見たわけじゃないから詳しくは知らないけど、灰地区の半分が崩壊したらしいわよ」

「らしい、って……」


 苦笑する凰乃に黒杭が言う。


「所詮は灰地区での出来事だからな。異界の影響だろうが、遠目に空の色が変わってることが見えたくらいで、こちらに被害もなかったから傍観していたな」

「とはいえ、異能災害による惨状は聞いていた」と紅牙。「穢主、異界、異界民。話には聞くが実際に目にしたことがない以上、詳しい情報は知りたかった。灰地区で部下に聞き込みをさせたが、誰も詳しい内容を知らなかった」


 聞けば、どうやら聞き込みをしていたのは紅牙以外の三人も同様らしく、得られた情報も変わらないようだった。

 凰乃は店主を見た。カウンターを壊されたことによる不機嫌が態度にありありと表れていて、棚にもたれて酒を煽っている。

 凰乃の視線に気付いた店主は、小さく首を横に振った。


「俺も知らねぇよ。幸いなことに、異能災害があった場所は灰地区の端だった。この店が異界に呑みこまれることもなかったから、店の外から眺めてたくらいだ」

「逃げなかったのかい?」

「この店は俺の命だ。見捨てるなんてことはしねぇよ──だから赤嶺。ちゃんとカウンター弁償しろよ」


 凄む店主に赤嶺は鼻を鳴らすだけだった。


「誰も詳しい内容を知らないのは、無事な奴は異界に入ってねぇからだ」


 無事な奴。

 店主の言葉に凰乃は目を眇めた。


「無事じゃない奴……この場合、異界民になるのかな。彼らは今、何をしてるんだい?」


 問いはしたが、答えに察しはついていた。

 そして店主の言葉は、案の定、想定通りのものだった。


「死んだよ。浮雲たちが始末したらしい」

「おいおい、俺が相手したのは穢主だけだ。異界民にもちょっかいだしてたのは他の奴だ」

「誰も異界の中を知る奴がいねぇんだ。灰地区の連中は、お前ら第四勢力が始末した、って思ってるさ」

「その第四勢力っていうのやめてくれよ。俺たちはつるんでなんかない。あくまで個人だ。異能災害の対処も、別に共闘したわけでも協力したわけでもない。各々が好き勝手にやっただけだ。それに、誰も死体を見てないだろ?」

「消したんだろ? お前ら断四勢力が」


 浮雲は店主を流し見ながら、気怠そうにため息を吐いた。

 第四勢力。

 犯罪都市ラディウムで覇権を争う赤、青、黄の三色とは異なる、空白地帯に巣食うならず者の集団。

 一見するとだらしない中年のおっさんでしかない浮雲が、灰地区内に限らず、赤嶺たち赤地区の人間にも名が知られていた理由がわかった。

 凰乃は思い出す──モルが浮雲の存在を認識したときの驚きようを。

 突然、近くにいたことへの驚きもあるだろうが、異界民を一人残らず始末した、という噂話によって、必要以上に関わらない方がいいという空気が混じっていたような気がする。


(灰地区が半壊するほどの被害があったらしいし、生まれた異界民も数えられる人数じゃなかったはず。それらを一人残らず始末した、なんて噂が流れれば、確かに関わろうとなんて思えないな。ただ、死体を見ていないってどういうことだろう? 浮雲もその辺について何かある素振りだったけど……)


 凰乃が思考を巡らせるなか、それに気づいたのか、浮雲が目を眇めた。


「何を考えてるのか知らないが、その辺のことを詳しく話すつもりはないよ」

「異界民を皆殺しにした、っていう噂が流れてるらしいけど、赤地区に噂を流したのも半分は八つ当たりなんじゃない?」

「そこまで幼稚じゃないさ。こう見えて意外と思慮深い人間だよ」

「第四勢力っていう呼称を随分嫌ってるんだね」

「どうして灰地区にいると思ってるんだい?」と浮雲が肩をすくめる。「そういう派閥や組織が煩わしいからだ。一人で自由にダラダラと過ごす。これが俺の理想さ。勝手にグループに纏められちゃ困る」

「気になるんだけどな~」


 ニヤニヤと笑う凰乃に、浮雲はひらひらと手を振ってあしらう。


「友達が嫌がってるんだ、勘弁してくれ」

「おっと、それもそうだね。ちょっとじゃれ過ぎたよ」


 凰乃はジュースで口を潤し、話を戻そうか、とわざと音を鳴らしてお猪口を置いた。


「そもそもだが、キミが影の穢主を早急に始末しようとする必要がない。さっき紅牙も言っていたがこれはもう赤地区の問題だ。赤嶺でも手に余るかもしれないと懸念していたが、そんな心配するほどキミは善人じゃないだろう? 実際、面倒事を赤地区に押し付けてるわけだし」

「ハハッ、相変わらず鋭いねぇこの探偵さんは」

「揶揄うなよ」と凰乃は真面目に言う。「キミの性格を思うに、理由は利己的なものだろう」

「探偵さんが思う答えはなんだい?」


 おちゃらけた態度を崩さない浮雲に一瞬眉を寄せるが、凰乃は少し考えるそぶりを見せてから言った。


「……赤嶺たちが全員やられて、赤地区全体が異界に染まったとき、影の穢主が次にキミをターゲットとして狙ってくることを危惧したから」

「……へぇ」


 浮雲は愉快そうに、それでいてどこか感心したように息を吐いた。


「俺が穢主に狙われることを恐れていると?」

「いいや。キミは自分の実力を理解してる人だ。相手が穢主だろうと、向かってくるなら容赦はしないだろう。その証拠に、過去にあったという異能災害も首を突っ込んでたんだろう? 別に灰地区から出ていけば異能災害の被害から逃れられるし、他所の地区が合わないならラディウムを離れればいい。それが一番面倒を避けられる。にもかかわらず、灰地区で起こった異能災害から見て見ぬふりをせず、解決に一役買った──だからキミが早急な解決を目指していたのは、自分が狙われる面倒臭さの回避と、灰地区に穢主の手が伸びることへの対処。これが美少女探偵の導き出した浮雲の動機だけど、どうだい?」


 揶揄う浮雲に合わせるように、凰乃はおどけてみせた。

 浮雲は楽しそうに拍手を送り、


「店主。あの美少女探偵に一杯差し上げてくれ」


 と酒を勧める。


「はしゃぐなおっさん。俺は今、機嫌が悪い」

「つれないなぁ」


 浮雲は肩をすくめ、凰乃に向き直った。カウンターにもたれ掛かり、頬杖をつく。


「流石の洞察力だよ、凰乃」


 笑みを浮かべる浮雲。ただ、そんな浮雲の様子に、凰乃は自分の考えが外れていることを悟る。


「……どうやら違うようだね」

「いや、大きく外してはいないさ。本当に感心するほどの洞察力だよ」


 割と自信があった推測なだけに、凰乃は外したという事実に思いの外ショックを受けていた。肩を落とす凰乃に黒杭が苦笑し、ミリアが「よかったわよ」と慰め、紅牙が黙ってお猪口にジュースを注いだ。

 ありがとう、と凰乃は三人に頭を下げる。

 その様子に、赤嶺は白けた顔をし、店主が「ガキのおもりじゃねぇか」と呆れていた。


「いやいや、そんなに落ち込まないでくれよ。俺が悪者みたいじゃないか」

「テメェは悪者だろう」

「結論から言おうか」


 赤嶺の言葉を無視して、浮雲は言った。


「すべては均衡を守るためさ」

「均衡?」

「三色が覇権を争うラディウムで、灰地区は俺の理想とする立ち位置にある」


 凰乃の疑問に、浮雲は頷きながら続ける。


「干渉されることのない無法地帯。街並みは寂れているが自由がある。どこにも馴染めない連中の掃き溜めだけど、息苦しくなくて、とても過ごしやすい。今の灰地区があるのは、ラディウムが一色に染まっていないからだ」


 浮雲の言葉には共感できるものがあった。

 凰乃が灰地区にやってきたとき、抱いた印象と重なる部分があった。様々な国を渡り歩いてきた凰乃は、人目を引く容姿から多くの注目を浴びてきた。歴史や文化を知るには手軽だったが、誰かれ構わず声を掛けられることに辟易していたのも事実。

 しかし、灰地区ではそれがなかった。

 視線を感じることはあれど、接触はしてこない。

 街並みから抱く印象とは異なり、浮雲がいうように過ごしやすい街だと思った。

 一人頷いている凰乃に笑みを浮かべ、浮雲は言う。


「だがもしも、影の穢主によって赤地区が堕ちたとき。旧来勢力が潰れ、赤嶺がやられたとき。必ず青と黄の連中が赤地区を取りにくる。三つ巴だからこそ拮抗しているラディウムが、赤色が消えることでその均衡が崩れる。赤地区を手中に収めた色が力を増し、残る色も染め上げるだろう──そうなれば、今は放置されている灰地区だって戦場になる。ここもラディウムの一部だからな」


 実際にその状況になったときを想像しているのか、浮雲の口調は心底面倒臭そうだった。

 深いため息を吐いたあと、浮雲は凰乃たちを見回し、芝居染みた仕草で両手を広げた。


「これでわかったか? 善意なんて御大層なものは持ち合わせちゃいない。好きな時に酒飲んで、好きな時に寝て、起きたらまた酒を飲む。すべては俺の自由のため、赤地区には潰れられちゃ困るんだよ。だから解決を急がせた」


 主人公を強要されているとは思えないほど自堕落を求める浮雲に、凰乃は思わずくすりと笑った。

 盛り上がりに欠ける主人公の末路を理解したうえでの発言。

 凰乃はこの酒場での出来事を思い出す。浮雲と影の穢主が向かい合い、言葉を交わしていた光景を。あのとき凰乃は、影の穢主が浮雲に格を思い知らされたと感じたが、その想像は間違っていなかったと気づく──こんな考えで日々を過ごしている異能者が、どうしてまだ猿真似ハネに人間でいることを許されているのか。

 思い当たる答えは、一つしかない。

 猿真似ハネもまた、浮雲という存在に面白みを感じているからだろう。

 出会って数日しか経っておらず、交わした言葉も少なく、人となりもまだまだ知らないことだらけだ。

 しかし、この数日で得られた浮雲という人間に、凰乃は愉快な気持ちで一杯だった。

 過去の異能災害も、今回の赤地区での暗躍も、面倒を嫌う人間の行動には見えない──だが、ようやく腑に落ちた。

 面倒だから動く。

 面倒だから穢主を倒す。

 面倒だから均衡を守る。

 矛盾しているようで、その実どこまでも一本筋が通っている。

 特に凰乃が面白く感じたのは、過去の異能災害の話だった。


(絶対に街を出たほうが面倒も少ないだろうに、それをわざわざ穢主を倒してまで灰地区での自由を死守するなんて。灰地区を守ろうとか、灰地区の住民を救おうとか、そういう善意は一切ないのがわかるから余計にいいよね)


 凰乃は楽しげに浮雲を見ていた。

 その視線に気付き、


「可愛い顔で見つめられると、おじさん照れちゃうぜ?」


 と浮雲は茶化した。


「キミらしい理由で安心したよ。変に格好つけられても反応に困るからね」

「自由を守るために動くっていうのは、十分格好いいと思わないかい?」

「それで他人が被害を受けなければね」

「おや、ちょっと怒ってる?」


 少し棘のある言い方に、浮雲は片眉を上げる。

 凰乃としてはそんなつもりがなかったのだが、確かに胸の内には薄っすらとモヤモヤが広がっていた。

 その正体が何なのか、吐いた言葉と返ってきた反応によって理解する。


「私が目指す秩序に反する。嫌いではないけどね──でも、そのために他人を巻き込むのは美しくない」

「秩序?」


 反芻するミリアは怪訝な形に眉を歪める。反応は様々だが、誰もが訝しむような視線を凰乃に向けていた。

 そんな中、浮雲だけは口端を上げる。


「それがキミの美学かい?」

「ああ。私の生きる理由だよ」


 一切の穢れがない微笑みを浮かべる凰乃に、浮雲は僅かにだが気圧された。

 十代の少女が笑っているだけ。平穏で穏やかな光景のはずが、妙な気味悪さや不気味さが滲み出ている。一瞬、言葉に詰まった浮雲は、背筋を這う寒気を振り払うようにシャツを摘まんで揺らした。

 形容しがたい寒気を覚えているのは何も浮雲だけではないようで、不意に生まれた沈黙に張り詰めたような空気が流れた。

 その空気を敏感に感じた凰乃は、きょとんとした表情で小首を傾げる。


「急に無言になって……。ふふっ、変な顔で見つめられると、美少女笑っちゃうぜ?」


 先の浮雲の発言をなぞってふざける凰乃によって、空気が緩む。


「美少女探偵に動機を丸裸にされてしまったな。結局、穢主は生まれちゃったし、虚しさで一杯だよ。名探偵からの謎解きを食らった犯人ってのは、こんな気持ちなんだろうね」

「丸裸? ホントに全部かい?」


 前のめりになり、内心を見透かすように片眼を閉じる凰乃。

 まるで入れ替わるように、今度は浮雲たちがきょとんとした。

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