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新境ブラックボックス  作者: 錆雪
第四章 悪の秩序、その共有
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 浮雲は悪びれる様子もなく言った。

 薄ら笑いを浮かべる浮雲は、睨む赤嶺に臆さず視線を合わせる。

 しかし、視線は赤嶺に向いているが、意識は他の三人に向けられていることを凰乃は気付いていた。

 話の流れを考えれば、浮雲の暴露によって悪感情を抱くのは旧来勢力の三人だ。浮雲が影の穢主に紅牙たちの居場所を教えたことで、三人は命を狙われた。赤嶺もゆくゆくは同じ展開になる予定だったらしいが、何かの手違いか、それとも当てが外れたのか、タイミング悪くその場に居合わせたことで巻き込まれた形になっただけ。

 事実、浮雲の口から真実を聞かされたことで、先ほどまであった怒りの感情が赤嶺の表情から抜けていた。怒りが鳴りを潜め、思考に意識が向いたのか、推し量るような視線が浮雲を捉えている。

 それでも、浮雲を見据える瞳には不快や嫌悪といった負の感情はあるが。

 赤嶺の表情の変化を、凰乃は愉快そうに眺める。それから紅牙たちに視線を向けた。

 紅牙は腕を組んで目を瞑っていて、ミリアはグラスを片手に揺らし、黒杭は片肘をついて虚空を見つめていた。

 誰も怒鳴らない、

 誰も席を立たない。

 その様子に凰乃は意外そうな顔をした。

 もっと怒りや苛立ちを露わにしていると思っていたのだが、三人とも意外なほど落ち着いている。赤嶺ほど暴力的とは言わないが、嫌味や文句の一つくらいは出てくると思っていた。

 それは浮雲も同じだったようで、


「……静かだね。グラスや酒瓶でも投げつけられるかと思ってたのに、身構えてた自分がバカみたいじゃないか」


 と三人を見て苦笑する。


「投げても避けるでしょ?」

「もちろん」

「なら無駄に物を壊すだけで店主が可哀そうだわ。ただでさえ、どっかのバカにカウンターを壊されてるのに」


 ミリアが揶揄うように赤嶺と店主を見やった。


「今更グラスの一つや二つ割られても大差ねぇよ」

「あら? じゃあ試しに投げつけてみようかしら」

「やめろ」


 グラスを揺らすミリアに、店主は睨むように顔を顰めた。赤嶺はミリアの言葉に取り合わず、体勢を崩してカウンターにもたれかかるだけ。

 もうひと悶着を想定していた凰乃は、和やかとは言えずともどこか弛緩した空気に小首を傾げた。


「意外だね。私もキミたちが浮雲に悪態でも吐くと思ってたよ」


 凰乃の言葉に、黒杭がつまらなそうに言った。


「気に入らないのは確かだ。面倒事を赤地区に押し付けたくせに、場を掻き回すみたいに裏で動いて影の穢主を唆す。部外者面した愉快犯だ」

「これは手厳しい」


 浮雲は肩を竦めながらも、その評価を面白がるように笑う。

 にやつく浮雲を不愉快そうに睨みながら、黒杭は続ける。


「だがそれだけだ。ウチの連中も何人か殺られたが、俺たちは悪人。命を狙われても文句は言えない」

「まぁねー。厄介な奴を赤地区に連れ込んだのがウザいだけで、私たちの居場所を教えたのは、むしろこっちからすれば探す手間が省けて好都合だったし」

「初めから俺たちの元に寄越せば尚良かったがな」


 ミリアが言い、紅牙が鼻を鳴らす。


「そうすれば、無駄な被害もなく、お前が嫌う面倒も最小限で抑えられた」

「俺は最初から教えたさ。言い訳に聞こえるだろうけど、もっと早くに解決すると思ってたんだ。キミたち旧来勢力の情報を与え、現支配者の赤嶺の存在を教える──追い詰められた異能者だ。いくらキミたちが実力者だろうが、一人や二人は悲しい結果になるだろうと思いつつも、最後は赤嶺が始末しておしまい。それが俺の予想だった」


 言葉とは裏腹に、浮雲の表情や態度に思いやりは感じられない。紅牙、ミリア、黒杭の誰かが殺されようが、それは想定内の出来事と割り切っていた。

 自分たちが死ぬことを想定していたと言われた三人も、特に反応は見せない。

 そんな彼らに、凰乃は小さく口元を緩める。

 どうやら赤地区の実力者たちは、思っていた以上に大人らしい、と。


「予想外だったのは、影の穢主が想像以上に自己顕示欲の強い奴だったということかな。初めからキミらのアジトに乗り込んで暴れると思ってたのに、まさか構成員を襲って互いを疑心暗鬼にさせるなんて。猩々緋に疑いの目を向けさせたのだって、奴なりの演出だったんだろう」

「浮雲」


 と凰乃が口を開いた。


「キミは数日前に旧来勢力のアジトの場所を教えていたんだよね」

「ああ」

「その上で、今日もわざわざ赤地区まで足を運んで、影の穢主の元へ行き、彼ら三人が会合として使っている場所を教えた」

「そうだね」

「教えたタイミングで彼らが集まっていることも把握していた」

「その通り」

「そして──その場に赤嶺がいることも知っていた」

「……」


 凰乃の言葉に、浮雲はすぐに返事をしなかった。ただジッと凰乃を見据え、楽し気に笑っている。

 全員の視線が凰乃に向く。誰もが怪訝な顔で凰乃を見るなか、赤嶺だけはつまらなそうな顔を浮かべていた。

 凰乃が浮雲から赤嶺に視線を向ける。目が合った赤嶺は特に反応を見せなかったが、その無反応から彼が同じ答えに辿り着いていることを察した。


「その沈黙が答えよね。アンタ、どんだけコソコソ動いてんのよ」


 ミリアが呆れ顔で言った。


「黒杭が言ったように、まさに愉快犯じゃない」

「何故、凰乃はわかったんだ? 見たところ、赤嶺も気づいているみたいだが」


 紅牙の指摘に赤嶺は鼻を鳴らすだけだった。

 赤嶺に話す気がないことを態度から読み取り、凰乃が口を開く。


「ただの愉快犯を演じるには、あまりにも面倒なことをし過ぎていると思ってね。浮雲なりに意味があるんじゃないかと考えたんだ」

「光栄だね。さすが友達」

「無駄なことを」


 浮雲が笑い、ミリアが吐き捨てる。

 凰乃が続ける。


「これまでの話を聞いて、浮雲が少しでも早く影の穢主を始末しようとしてることに違和感があった。時間が経つにつれ赤地区の被害は大きくなるけど、そんなこと灰地区の人間である浮雲には関係がないはず。にもかかわらず、わざわざ面倒な暗躍をしてまで早期解決へと誘導していた──その一つが、猩々緋が『街の掃除を始めた』という噂だ」


 凰乃は浮雲を見ながら言う。


「ずっと引っかかってたんだ。私が黒狗の構成員に聞いたのは、旧来勢力が襲われ始めたのは先日──私が赤地区に来た前日からだと。猩々緋がやったという噂が流れるにはあまりにも早すぎじゃないかい?」


 凰乃の話に、浮雲は目を瞑ったまま聞いていた。特に返答はせず、小さく何度か頷くだけ。

 赤嶺を除く三人の視線が浮雲に向けられる。

 つまり、と黒杭が言った。


「猩々緋が街の掃除を始めたという噂を流したのは、浮雲だってことか?」

「どうなんだい?」


 凰乃が問いかけ、浮雲は笑った。目を開け、軽く拍手を送る。


「正解だよ凰乃。さすがだね」

「くだらねぇことしやがって」と赤嶺が言う。

「あの時点でキミが動いてくれればよかったんだけど、これは俺の過失だな。キミは赤地区内の問題には基本的に不干渉だ。青か黄の連中のせいにすれば動いたかもしれない──が、その場合、影の穢主とかの話じゃなくなる可能性もあったし、慣れないことはするもんじゃないね」

「何故そこまでして早々に影の穢主を排除しようとしたのか──申し訳ないが、会合の場に赤嶺がいた理由を私は知らない。浮雲の行動から、影の穢主を会合の場に誘導した際、その場に赤嶺もいてそこで今回の事件を解決させようとしていたんだろう、と考えただけだ」

「おやおや、探偵が真相を当てずっぽうで語るのはどうなんだい?」


 揶揄う浮雲に、凰乃は似た笑みで答える。


「私は探偵じゃない、キミたちと同じ悪人だよ」

「はははっ、そうだったね」

「真相はお前が語ればいい」と紅牙が浮雲に言った。「あの時点で赤嶺が動く出来事は起こっていたが、それを赤嶺は知らなかった」


 紅牙の言葉に凰乃は首を傾げた。


「赤嶺が動く出来事?」

「猩々緋からも死体が出たのよ」とミリア。「しかも、ウチらの縄張りが交わる境界線に捨てられてた」


 へぇ、と言いながら凰乃は赤嶺を見た。

 凰乃の視線に気づいた赤嶺は、「んだよ?」と眉を寄せる。赤嶺の凄みに一切ひるまず、視線を合わせたまま凰乃がいう。


「キミが動いた理由はなんだい? 部外者の私でもわかるくらい赤地区は荒れていたが、キミが動くのに必要な被害があのレベルということかな」

「何かやらかす気かテメェは」と赤嶺が顔を顰めた。「ウチの連中が泣きついてきたんだ。普段、赤地区のトラブルは任せきりだからな。頼られれば応える」


 へぇ、と含みのある笑みを浮かべる凰乃に、赤嶺がカウンターに転がっていた木片を投げつける。首だけ動かして避ける凰乃は、「照れるなよ、いいリーダーじゃないか」と笑う。

 舌打ちをする赤嶺は、浮雲が据わっている椅子を蹴る。


「さっさと話せ」

「わかったよリーダー」

「……」

「おっと、暴力はもうなしにしようぜ」


 睨む赤嶺を宥めながら浮雲が言う。


「まず言っちゃうけど、猩々緋の構成員の死体を旧来勢力の縄張りの境界線上に置くよう提案したのは俺──」


 言い終わる前に赤嶺の蹴りが浮雲の顔面に打ち込まれた。片手で受け止めた浮雲は、「暴力はもうなしにしようぜ、って言っただろ?」と肩を竦める。


「ちゃんと話を聞けよ。俺は死体の置き場所を提案しただけで、俺がキミの部下を殺ったわけじゃない」

「聞いた上でのプレゼントだ。悪趣味なサプライズにお返しせずにはいられなかったわ」

「そうかい。素敵なお返しだったよ」

「じゃれてないで続きを話しなさいよ」


 呆れたミリアに促され、浮雲は手を払ってからハンズアップをした。


「さすがに自分のところから死体が出れば赤嶺も動くだろうと思ったけど、念には念をでね。どうせ死んでるんだし、演出の一部として使って煽るような真似をすれば、キミも黙ってないだろうと愚行したんだよ。まぁ、そんな必要もなくキミは、助けを求める部下の声に応えて動いたわけだけど」

「随分とキミは赤地区を奔走してたんだね」と凰乃が呆れる。「赤嶺が動いたのを知って、影の穢主のところに行ったんだろう?」

「いいや」と浮雲は首を横に振った。「影の穢主に会合の場所を押したのが先さ」

「……どういうことだい?」

「旧来勢力たちの縄張りを教えたとき、会合の場所も一緒に伝えてたんだよ。そのあとに赤嶺を動かしたんだ。猩々緋の構成員が赤嶺に話を持っていくように仕向けた──俺だとバレないように適当な服で全身を隠して、騒動を止めてる猩々緋を襲ったのさ。旧来勢力のどこにも属さない奴が現れれば、赤嶺に話がいくと思ってね」

「アンタ、面倒くさがりのくせに随分動いたわね。結局、面倒なことばかりしてるじゃない」


 ミリアが呆れたように言った。

 浮雲は肩をすくめる。


「これでも一番手数が少なく済む方法だったんだよ──ただ、猩々緋を襲ったのだけは、正直に言うと憂さ晴らしの側面が強かったかな。情報を流したり噂を撒いたり、そういう手間のかかることは心底面倒だったが、すべては早急に影の穢主を始末させるため。にもかかわらず、赤嶺は一向に動く気配がない。だから猩々緋を襲った。ちゃんと考えはあっての行動だったけど、半分は八つ当たりだよ」

「迷惑な話ね」

「全くだ」


 悪びれる様子もなく言い捨てる浮雲から、凰乃は赤嶺に視線を向けた。

 すると、


「事あるごとにこっち見んじゃねぇよ」


 と、赤嶺は凰乃の方を見ずに言った。

 凰乃はニコッと笑う。


「気になるんだよ。どんな反応してるのか──それで? 実際にキミのところに話は行ったのかい?」

「……ああ。妙な奴が絡んできたってな」


 赤嶺はつまらなそうに言った。

 その態度にどこか違和感を覚え、凰乃は小首を傾げる。


「……詳しい状況は知らないが、猩々緋は黒狗や薔薇悪鬼とのトラブル対処に手を焼いていたはずだ。そんな時に旧来勢力のどこにも属さない者、それもかなりの実力者が現れれば、赤地区を荒らす殺人鬼かもしれないと思うんじゃないかい?」

「かなりの実力者、か。光栄だね」


 浮雲に取り合わずに凰乃が続ける。


「それなのにキミはその妙な人物ではなく、紅牙たちがいる会合の場へと向かった──もしかして、キミは知ってたのかい? その妙な人物が浮雲だって」

「ハッ。途中までは良かったけどな、その結論は俺を買いかぶり過ぎだ」

「……確かに、浮雲が赤地区の問題に関与してることを知ったのはここに来てからだったね」


 忘れてたよ、と凰乃はバツが悪そうに頬をかいた。

 そんな凰乃を一瞥し、赤嶺は冷めた目を向ける。


「簡単なことだ。絡まれた連中の被害を聞いたとき、ただ怪我を負った、と報告を受けた。殺人鬼……影の穢主が襲ってきた場合、その程度じゃ済まねぇだろ」


 そうだね、と凰乃は頷く。


「だから俺は青か黄の連中だと思ってた。この騒動に乗じてウチの戦力を削ろうとしてると。赤地区の問題は基本スルーだが、他所との問題は俺の仕事だ。だから一旦預かって、先に赤地区の問題を解決しようと思ってたが、まさかテメェが犯人とはな」

「すべては迅速な解決を望んでのことさ。ただそれもすべて空しく終わったけどね」


 窓の外から赤地区方面を眺める浮雲。どこか憂いを帯びた横顔。異界によって染まった薄暗い空を眺めるその瞳は、ここではない遠いナニカを眺めているようだった。

 浮雲が赤地区で暗躍した理由が、その顔色に表れているのだろう。


「……今更だけど、いいのかい? こんなところで暢気に喋ってて」


 億劫そうに浮雲が言う。

 ただ、疑問を投げかけるような口ぶりだが、特に不思議がっている様子はなかった。ふと思いついたことを聞いただけで、答えはどうでもいいと言わんばかりだ。


「先に異界の様子を見に行かせてるわ」とミリア。「ウチの子だけじゃなく、他もそうでしょ?」


 赤嶺たちは誰も反応しなかったが、その沈黙こそが答えだった。

 ここまで一緒に来た凰乃も知らなかった事実に「へぇ、やることやってるんだね」と感心していると、意外にも浮雲も同じ反応を見せていた。


「?」


 さっきまでの表情が一変、愉快そうに口端を上げている。

 まるで予期せぬ幸運でも巡ってきたかのように笑う浮雲に、全員が怪訝そうにしていた。

 浮雲の変化は気になったが、それ以上にまだ知らなければならないことがあった。

 それを知るため、凰乃は話を戻す。


「なるほど。ここまでは理解したよ。でも、一番肝心なところが残ってるね──どうしてそこまでして解決を急いだんだい?」

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