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新境ブラックボックス  作者: 錆雪
第四章 悪の秩序、その共有
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 猿真似ハネ曰く、

「怪物になるのは簡単じゃ。人のまま壊れる方が、余程難しい」


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「……キミたちは随分と嫌われているみたいだね」


 赤地区から場所を移動し、灰地区の酒場までやってきた凰乃たち。

 酒場の扉を開けた瞬間、賑わっていた店内が嘘のように静まり返り、ひと呼吸を置くとまるで逃げるように客がいなくなった。


「人に聞かせるような話でもねぇんだ。邪魔がいなくていい」

「貸し切り状態じゃない」

「静かでいい」


 店内中央の席に座る赤嶺、愉快そうなミリア、鼻で笑う黒杭、無言で後に続く紅牙。黄にした素振りなど微塵もない四人を見やり、凰乃は肩をすくめて同じ席に着いた。


「邪魔がいない? 貸し切り? 静かでいい? ──ふざけるなよお前ら!」


 ドンッ、とテーブルを叩く酒場の店主が赤嶺たちを睨みつける。


「こちとら客がいなくなって迷惑してるんだ」

「ならちょうどいいじゃねぇか。俺たちは客だぜ」


 口端を上げる赤嶺を暫し見据えていると、店主は視線を凰乃へと向けた。


「……面倒な連中を連れてくるんじゃねぇよ」

「そんな顔しないでくれよ店主。ちょっと赤地区を観光してたら仲良くなってね。いい店を紹介したいと思ったんだ」

「仲良くなってねぇよ」「仲良くなってないわよ」「仲良くないだろ」「……ふん」


 赤嶺、ミリア、黒杭、紅牙とそれぞれ反応するなか、


「そうか、これからだったね」


 と凰乃は無垢な笑みを浮かべた。

 素で言っているのか冗談で言っているのかわからないほど無垢な笑みに、四人の大人は形容しがたい表情で口を噤んだ。つっこむことを野暮だと思ったのか、妙に大人な対応をする赤地区の有名人たちに、店主は気の毒そうに呟く。


「赤地区のギャングたちがガキのおもりか。随分平和な光景だな」

「ユーモアのある店主で居心地のいい酒場ね。今度ウチの連中も連れてこようかしら」

「金を落としてくれるなら大歓迎だ。たかが五人で店に居座られても困るからな」

「……ふん、減らず口も叩けるのね。ホント居心地がいいわ」


 嫌味を言い合うミリアと店主。

 それでも店主はこちらを客と認識してくれているのか、グラスを五つテーブルに置き、適当な酒をカウンター奥の棚から掴んで寄越した。それとは別に、凰乃の前には橙色の液体が入った瓶が置かれる。


「お前はコレにしておけ」

「オレンジジュースかい? そんなモノも置いてるんだね」

「特別だ。酒はもう少し年を取ってからにしておけ」

「嬉しいね」と凰乃は笑う。「だが、もう一つグラスを貰えるかい? 彼らと友達にならなきゃいけないからね」

「お前はずっと何を言ってるんだ?」


 黒杭が怪訝な顔で言う。


「共に酒を飲めば友達になるんだよ。せっかくの機会だ。関係を深めようじゃないか」


 赤地区の四人が顔を見合わせる。赤嶺と黒杭は面倒くさそうに、ミリアは呆れながらもどこか楽しげに、紅牙は無表情のまま、何も言わず凰乃の好きにさせていた。すごいなアイツ、と凰乃を一瞥する店主がカウンターに戻る。グラスを手に凰乃のもとに戻り、目の前に置く。


「……キミはそんなに私に酒を飲ませたくないのかい?」


 凰乃の前に置かれたグラスはお猪口だった。不満そうに頬を膨らませる凰乃は、お猪口を手に取って店主を睨む。


「私は別に彼らと盃を交わしたいわけじゃない。ただ同じ酒を飲んで仲良くなりたいだけだ」

「仲良くなるのに量は関係ないだろ。こういうのは気分の問題だ」


 凰乃はまだ不満そうだったが、それ以上相手にすることを面倒に思った店主はそそくさとカウンターへ戻っていく。

 小さくため息を吐くと、凰乃は酒瓶を手にし、それぞれのグラスに酒を注いでいく。自分のところにはジュース用に置かれたグラスに注ぎ、「いただくよ」と店主に見せつけるように掲げた。


「ガキか」


 と赤嶺に言われるも無視して、凰乃はテーブル中央に向けてグラスを差し出した。それぞれの顔を見やり、行動を促す。

 意外にも一番先にグラスを掲げたのは紅牙で、次いでミリアが愉快そうに続く。「案外ノリがいいんだな」と黒杭が紅牙に言うと、最後の赤嶺がつまらなそうにグラスを持ち上げる。

 その様子に満足そうに笑うと、凰乃はグラスを打ち付け合い、一気に酒を煽った。

 喉が焼けるような熱に顔を顰めるも、


「友達ができるのはいいものだね」


 と年相応の笑みを浮かべた。


          ※※※


「……まず確認だ。お前、穢主についてどこまで知ってる」


 凰乃が言うところの友好の儀式を済ませたあと、赤嶺が早速本題に入った。

 酒を注いだグラスを脇に避け、お猪口にオレンジジュースを注ぎながら凰乃は思案顔を浮かべる。


「うーん、異能が暴走した異能者の成れの果て。異能災害の元凶──まぁ、これは皆知ってるよね」


 凰乃はお猪口を口につけ、くぴっと一口含む。その際、赤嶺を除く三人に一瞬だが視線を向けた。


「……あとは、猿真似ハネによって異能書の破棄が行われた元主人公の姿」

「? なんの破棄が行われた?」

「元主人公?」

「凰乃って言ったっけ? アンタ、酒一杯でもう酔ってんの?」


 黒杭、紅牙、ミリアの三人が一様に疑問を呈す。彼らの反応を見るに、『猿真似ハネ』と『異能書』の言葉が聞こえなかったようだ。すでにわかっていることだったが、非異能者には認識されないらしい。

 その証拠に、凰乃は赤嶺を一瞥すると、わかりやすく首肯することはなくとも、彼が向ける視線だけではっきりと言葉が聞こえていたことを悟る。

 凰乃はわざとらしく頭を掻くと、


「ふふっ、あれだけ度数の強い酒は久しぶりでね」


 と誤魔化すように笑う。


「そんなに強い酒じゃないでしょ」

「お前はもう酒は飲むな」


 ミリアが呆れ、紅牙が店主に水を頼む。

 料理と一緒に運ばれた水を凰乃の前に置くと、「だから言っただろうが」と店主はため息を吐いた。

 水で一息つく素振りを見せながら、凰乃は考えを巡らせる。


(猿真似財団や異能書の知識がなくても、穢主についての情報は共有できるからいいか。赤嶺の反応から、彼も異能書が破棄されるのがトリガーであることは知ってるみたいだし、試すような真似はしないで話を進めようか)


 凰乃がわざわざ『猿真似ハネ』や『異能書』の単語を出したのは、非異能者である三人に対するちょっとした悪戯心だったが、『猿真似ハネが異能書を破棄した』というのは、同じ異能者である赤嶺への意地悪だった。

 知らないのなら脅かせられるし、知っているのなら同じレベルで情報を持っているということで多少なりとも精神的繋がりを感じさせることができる。

 すべては十代少女のくだらない子供騙しだが、凰乃は四人の反応に満足していた。


「それに、穢主を中心に空間が異界化すること。異界は穢主を倒せば元に戻ること。ただ、穢主を放置する時間が長ければ長いほど、異界から流れる空気や音、異界を目にしたときの視覚情報によって、精神を汚染された人が異界民になり、穢主を信仰するようになる」

「──穢主信仰だな」


 紅牙の呟きに、凰乃は頷いた。


「新境地では最大のタブーだが、ラディウムのような境外域ではない話でもないだろう。まぁそんなことが露呈すれば、『別天全席』が黙ってないけど」


 凰乃は皿の上で湯気を立てる肉に手を伸ばし、一口齧った。


「ただ、別天は新境地の秩序を守る組織だけど、異能災害が起これば非加盟国の境外域にも出向いてくる。このまま放っておけば、もしかしたら別天がきて穢主をどうにかしてくれるかもしれないよ」

「来る頃には赤地区が終わってる」


 赤嶺が即座に吐き捨てた。

 新境地。

 人類がまだ文明を維持できている生存圏の総称にして、最後の秩序圏。

 かつて世界では異能犯罪と異能災害が溢れていた。国が違えば文化も文明も価値観も異なる。そんな都市国家群が乱立する世界で、人々は自国を守るだけで精一杯だった。

 異能犯罪に潰される国。

 異能災害に呑まれる街。

 隣国が滅びようと、自分たちの生存圏を維持するだけで限界だった。

 故に世界は、一度ゆっくりと崩れかけた。

 そんな時代に現れたのが『別天全席』だった。


「別天全席ねぇ。名前こそ有名だけど、よく知らないのよねぇ。めっちゃ強いってことくらいかしら」


 ミリアは酒の入ったグラスを揺らしながら肩をすくめた。

 その言葉に、一口目の肉をまだ咀嚼している凰乃が頷いた。


「始まりはね、自警団だったらしいよ」

「そう、詳しいのね凰乃は。ただ口にモノを入れたまま喋るのはやめなさい」


 凰乃は笑みを浮かべたまま軽く頷き、呑み込んでから口を開く。


「国にも属さない異能者や非異能者たちが集まって、異能犯罪を狩り、異能災害に立ち向かった。ただ、──彼らは強すぎたんだ。犯罪者を制圧し、穢主を討伐し、崩壊しかけた街を救い続けた結果、人々は別天を恐れるようになったんだよ」

「頼らなきゃ生き残れない。でも、力を持たせすぎるのも危険ってわけね」


 ミリアが呆れたように呟く。

 凰乃が続ける。


「そういうこと。だから各国は別天を排除するんじゃなく、『利用する』ことを選んだ」


 異能対策を統一するため、複数の国家群が連邦を設立した。

 それが、新境連邦統合政府。

 加盟国同士で異能犯罪と異能災害へ共同対処し、共倒れを防ぐための巨大な秩序圏。

 そして新境連邦は、別天全席へ異能対策業務を委託した。


「新境連邦加盟国は別天の加護を受ける代わりに、支援金を払う。別天側はどの国にも属さず、中立を維持したまま戦力を提供する──要するに、人類圏最大の武装組織ってことだ」


 と黒杭が補足した。


「ふふっ、そう考えると、このまま穢主を放置してても別天は対処のために出張ってくるだろうけど、キミたちのような犯罪者も一斉に検挙されてしまうね」

「穢主の相手よりも面倒だな」


 紅牙がほくそ笑みながらグラスを煽った。

 ミリアがフォークで肉を転がしながら言う。


「わざわざ境外域にあるラディウムまでご苦労なことね」

「この世界での人類圏は新境地だ。世界地図にも新境地しか書かれてないだろ。境外域は新境地の外側であり、秩序の範囲外だ。とはいえ、異界を作り、異界民を増やす穢主を放置すれば被害は広がるばかり。いずれは新境地にまで危害が及ぶ可能性がある。だから管轄外でも連中はやってくるんだ──まぁ、目的は異能災害の解決であって、そこに住む人間を救うことではないがな」


 一般に世界といえば、連邦が管理する新境地のことを言う。

 少なくとも、新境地に生きる者たちはそう認識している。

 そして、その世界地図には空白地帯があり、世界の中に属されない向こう側。誰かが勝手に名付けた境外域。

 犯罪都市ラディウムは世界地図にも載らない、新境連邦の法的影響が及ばない非承認領域内の一つ。

 実際、新境地よりも境外域のほうが、国も、そこに住まう人々も多いと言われている。

 当然、異能者の割合も増える。

 異能書を渡された者は力を与えられる。そして、その力で『物語らしい人生』を歩かされる。退屈は許されず、停滞は忌避され、強制的に行動を促される人生。

 主人公としての義務。

 それは人のためになる使用方法もあれば、逆に人に危害を加える手段を取る者もいる。

 そういう連中にとって別天全席は大きな障害であり、必然、活動範囲を境外域に収める異能者も少なくない。

 数年間、色々な国を渡り歩いてきたが、こうして異能災害の現場に立ち会うのは初めてのこと。異界に侵食されている赤地区の住人である赤嶺たちの手前、多少の配慮もありわざわざ口には出さないが、内心ではこの状況を誰よりも楽しんでいた。

 この瞬間も異界の侵食は進んでいるにもかかわらず、暢気ともいえるほどに飲み食いしている彼ら四人を愉快そうに眺める。流石、赤地区で名を馳せるギャングのボスたちというのか、危機的状況の中にあって一切の動揺を見せないその胆力に感心する。


「申し訳ないが、穢主について語れる情報はこれくらいかな」

「アンタ、異界を前にしたとき『キミよりは知ってる』とか言わなかった?」


 ミリアが怪訝そうに言った。


「ほとんど一般常識じゃない」

「どうやらキミたちを舐めてたみたいだ。それすら知らないと思ってたんだよ」

「うわ、うざっ」


 言葉とは裏腹にミリアは楽しげだった。

 赤嶺がグラスをテーブルに置く。


「真新しい情報こそなかったが、知っておくべき知識はあるのがわかっただけで十分だ」

「どういうことだい?」

「お前も異界に入るんだろ? いくら異能者だからって、大した知識もねぇガキに踏み込まれても迷惑だからな。間違って異界民にでもなられちゃ鬱陶しい」

「異能者でも異界民になるのかい?」

「知らねぇ。お前が初の実例になるかもな」


 揶揄うように笑う赤嶺に、凰乃も似た笑みを返す。


「その名誉はキミに譲ってあげるよ。赤地区の支配者さん」

「ハッ、言うじゃねぇか」


 凰乃が赤嶺のグラスにオレンジジュースを注ごうとして、「いらねぇよ」と額を小突かれていると、酒場の扉がギィ、と軋んだ。

 誰も入ってこないと思われていた店内へ、一人の男が姿を現した。

 長い黒髪はぼさぼさに乱れ、無精髭も整えているとは言い難い。気だるげに半分閉じられた目は覇気がなく、サンダルを地面に擦りながら店に入ってくる。前面を開けたシャツから覗く割れた腹を掻くその男は、店内を見回すなり露骨に顔を顰めた。


「……おいおい、マジでいるじゃん」


 面倒事を見つけた人間の声。


「浮雲か。いいところに来た」


 店主がほくそ笑みながら言う。ただその声には微かだが安堵の色が窺えた。

 浮雲は苦笑を浮かべる。赤嶺たち四人が揃っている光景を見ても驚いた様子はなく、ただ本気で嫌そうな顔をしていた。

 凰乃たちが据わる席を通り過ぎ、浮雲はカウンターへ向かいながら店主へ気怠げに片手を上げる。


「店主さぁ。赤の連中が店を占拠してるって聞いたんだけど」

「占拠はしてねぇ。ただ居座られてるだけだ」

「十分迷惑だろそれ……」


 深いため息を吐きながら浮雲は椅子に腰かけ、カウンターにもたれかかって足を組んだ。一人ひとりの顔に視線を這わせ、最後に凰乃を見て苦笑する。


「よくもまぁ、これだけの有名人たちと知り合えるものだ。恐ろしいな、キミは」

「一緒に酒を飲んだ。彼らもキミと同じ友達だよ」

「そうかい。友達に友達が増えて嬉しいよ」


 笑い合う凰乃たち。ミリアが浮雲を見て呆れ交じりに言う。


「……アンタもあの謎儀式の被害者なのね」

「失礼だな」と凰乃は目を眇める。「私は浮雲に教わったんだよ」

「アンタの仕業か」とミリアは浮雲を睨む。「子供に変な知識教えるんじゃないわよ」

「いいじゃないか。友達は何人いてもいい」


 肩をすくめる浮雲は、そこで表情を改めて赤嶺たちを見据えた。


「で、こんなところで暢気に飲んでる場合じゃないだろうに、わざわざ灰地区まで足を運んできたのはあれか? 俺への文句かな?」

「ああ? 何のことだ?」


 赤嶺が顔を顰める。他の三人も似たような表情を浮かべる中、浮雲はきょとんとした顔で凰乃を見た。

 凰乃は一瞬首を傾げるも、その視線が意味することに合点がいき、にやりと笑う。

 その笑みを見た浮雲は、自分が要らぬことを口にしたことを悟り、天井を見上げてため息を吐く。


「そうだ、大事なことを話すのを忘れてたよ。ミリア。私は確かに『キミよりは知ってる』よ」

「……何のことよ」

「現在、赤地区で猛威を振るってる穢主──」


 凰乃はそこで一度笑った。


「彼がまだ影の異能者だったとき、何故赤地区で暴れ回っていたと思う?」


 訝しむミリアから視線を外し、凰乃は浮雲の隣へ歩み寄る。楽しげな表情の凰乃に、何やら口を滑らせたらしい素振りの浮雲。二人の様子から、赤嶺たち四人だけでなく、カウンターにいる店主ですら察していた。


「……おい、まさかだけどよぉ」


 赤嶺が凄むように浮雲を見据えた。

 それを受け、凰乃は浮雲の肩に手を置き、まるで紹介でもするようにもう片方の手をかざした。


「影の異能者が赤地区を選んだのは、なんと浮雲の差し金だったんだよ──」

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