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新境ブラックボックス  作者: 錆雪
第三章 悪の秩序、その疑念
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 通りの先。

 混乱から少し離れた場所に、小柄な人影が立っていた。

 白銀の長髪に、透き通るような白い肌。白を基調とした装いに包まれた細い身体。その白さの中で、瞳だけが光を塗り潰したかのように黒かった。

 どこか浮世離れしたその姿に、一瞬だけ目を奪われる。

 だが、赤嶺(あかみね)はすぐに我に返り、舌打ちした。


「なに突っ立ってやがる! さっさとここから離れろ!」


 返事を待たず駆け寄ると、そのまま片腕で少女を抱え上げた。


「きゃっ──」


 小さな悲鳴を上げる少女。いきなり図体のでかい男に抱えられれば驚くのも無理はない。

 しかし、少女は驚くほど大人しかった。

 暴れることもなく、喚くこともない。一切の抵抗も見せず、ただされるがままに担がれている。

 あまりにも反応が薄いため、赤嶺は訝しむように眉を寄せた。

 肩に担いだ少女は赤嶺には目もくれず、異界化の元凶がいる倉庫の方を凝視していた。


「……おいガキ。お前、何者だ?」

「ん?」


 光すら吸い込んでしまいそうな黒い瞳が赤嶺に向く。


「キミが猩々緋のボスの赤嶺かい?」

「この街で俺を知らねぇ奴はいねぇ。余所者か」

「先日この街に来たんだ。いいところだね、赤地区は」


 担がれたまま、少女はどこか楽しげに笑う。


「観光なら日を改めろ。今日は最悪の日だ」

「いや」


 少女は即座に否定した。


「キミには悪いが、むしろ最高の日さ。街の本性が見える」

「……変なガキだな」


 赤嶺は吐き捨て、走る速度を上げた。

 影に呑まれ始めた通りを駆け抜ける。左右の建物は歪み、細い路地が増殖していた。つい先ほどまで存在しなかった曲がり角が口を開け、遠くでは悲鳴と建物の崩れる音が重なっている。

 それでも少女の声色は変わらなかった。


「キミは面白いね」

「あぁ?」

「街が壊れかけているのに、真っ先に守ろうとするのが住人だ。支配者なら、自分の縄張りを優先してもおかしくないだろう?」

「うるせぇな」


 赤嶺は瓦礫を飛び越えながら鼻を鳴らす。


「街ってのは人がいてこそ成り立つんだよ。箱だけ残してどうすんだ」


 少女は数秒、黙り込んだ。

 その沈黙には、妙な重みがあった。


「……なるほど」

「何がだ」

「キミは優しい悪だね」


 赤嶺の足が一瞬止まりかけた。


「……捨ててくぞ」

「酷いな。褒めたんだけどね」

「気持ち悪ぃんだよ」


 少女はくすりと笑った。

 その笑い声には場違いなほどの余裕があった。

 赤嶺は眉間の皺を深くする。


「お前、怖くねぇのか」

「怖いよ」


 即答だった。


「けど、それ以上に興味深い」


 黒い瞳が、今も範囲を広げる異界を見つめていた。


「色々な国を見てきたけど、こうしてア(・)レ(・)を目にするのは初めてなんだ」

「あんなもん頻繁に見るもんじゃねぇよ」

「でも、決して珍しい出来事でもないはずだ。異能者は、割とどこにでもいるからね」


 少女は小さく笑うと、赤嶺を一瞥した。


「私もキミも、他人事じゃない」

「……お前、異能者か」


 少女は答える代わりに、にこりと微笑んだ。

 赤嶺は妙に納得していた。

 空間そのものが異質に変化する異界の中で、年の割に肝が据わりすぎている。口では怖いと言いながら、その態度からは怯えも焦りも感じられない。

 それだけではない。

 異能災害を前にして『他人事じゃない』と言えるのは、異能者が辿り得る末路を理解しているということ。

 同じ異能者でも、行きつく先に何が待っているのか知らない者もいる。

 だが、この少女は違う。

 それを理解したうえで、なお『興味深い』と言ってのけた。

 赤嶺は鼻を鳴らす。


「名前は」

「凰乃(おうだい)」

「ほう、顔に似合わず無骨な名前じゃねぇか」

「いい名前だろう?」

「ああ、悪くねぇ」

「顔に似合わずということは、キミは私の顔を可愛いと思ってるということかな?」

「あんま調子乗んなよクソガキ」

「照れなくてもいいのに」


 軽口を交わしている間にも、通りの先で影が盛り上がった。

 地面から伸びた黒い腕が、逃げ遅れた女の足首を掴む。


「きゃあっ!」


 悲鳴が響いた。

 赤嶺は速度を落とさず進路を変えた。


「掴まってろ!」

「キミが私を掴んでいればいいだけだよ」


 片腕で凰乃を支えたまま踏み込み、空いた拳を振りぬく。黒い腕が砕け散ると、女を抱え起こし、その背を避難する住民の群れへ押し出した。


「中心街へ走れ! 止まるな!」


 女は涙を浮かべながら何度も頷き、傍らにいた子供の手を引いて駆け出した。

 その背中を見送り、凰乃が静かに口を開く。


「私のときもそうだけど、本当に人助けに躊躇がないんだね」

「これは人助けじゃねぇよ。さっきも言ったが、ああいう連中がいなきゃ街が成り立たねぇんだ。俺が守るのは赤地区だ。住民を守るのも、赤地区を機能させるために必要だからだ」

「……そう。いいね」


 凰乃は茶化すことなく素直に言った。


「一般住民をきちんと保護すべき対象として見てる。やっぱりキミは、ちゃんと線引きができてる人だ」

「線引き? 何の話だ」

「こっちの話だよ」


 要領を得ない凰乃に、赤嶺は鼻を鳴らすだけでそれ以上は追及しなかった。

 そうこうしているうちに、二人は異界との境界を越えるた。

 そこでは、すでに避難誘導が始まっていた。

 紅狼鬼が住民を集め、薔薇悪鬼が安全な導線を作り、黒狗が怒号を飛ばしながら混乱した人の流れを整えていた。

 旧来勢力の三人も、自分たちの組織を動かしていたのだ。


「赤嶺!」


 紅牙がこちらを見やる。


「その娘は?」

「拾った」

「荷物みたいに言わないでくれよ」


 不満そうに口を尖らせる凰乃に取り合わず、赤嶺は地面へ降ろした。

 凰乃は乱れた服を整えると、何事もなかったかのように空を見上げた。青く澄んでいたはずの空が、異界の上空だけ灰色に染まり始めていた。影が雲のように広がり、陽光を喰らっていく。

 その光景に、広場の誰もが息を呑んだ。


「……チッ、思ったより早ぇな」


 顔を顰める赤嶺を見て、凰乃が薄く笑った。


「キミたちは、これからアレを殺しに行くんだろう?」


 その言葉に、周囲の空気が僅かに張り詰めた。

 紅牙が眉を寄せ、黒杭が凰乃へ探るような視線を向ける。ミリアだけは面白そうに口元を歪めていた。

 赤嶺は面倒くさそうに言う。


「殺すも何も、このまま放っておけば街ごと呑まれる。んなこと許すわけねぇだろ」

「そうか」


 凰乃は静かに頷いた。


「なら、私も行こう」

「……あぁ?」


 赤嶺は怪訝そうに目を細める。


「観光気分じゃ済まねぇぞ」

「安心してくれ。私は別に、キミたちに協力するわけじゃない」


 さらりと告げられた言葉に、ミリアが吹き出した。


「何、この子。状況わかってんの?」

「おそらく、キミよりは知ってるさ」


 凰乃はミリアに笑い掛けたが、視線を異界へと戻したとき、その表情から笑みが消えた。


「この街がどうなろうが知ったことじゃないが、アレを放置するのは不愉快だ」

「不愉快?」


 紅牙が低く繰り返す。

 凰乃は視線を異界に向けたまま頷いた。

 空間を侵食する影。

 歪み続ける街。

 人々の暮らしを、存在そのものから塗り替えていく異界。

 そのすべてを見据えながら、凰乃は淡々と言った。


「悪は構わない。欲望も暴力も、人間なら当然持っているものだ──けれど、」


 黒い瞳が、異界の中心を射抜いた。


「ア(・)レ(・)はもう、人間ではないナ(・)ニ(・)カ(・)だ」


 一瞬だけ風が止んだような気がした。

 赤嶺は凰乃を見つめる。

 細い身体。年齢だっておそらくは十代半ばくらいだろう。

 だが、その言葉には年齢にそぐわない冷たさがあった。

 異界そのものよりも底知れない何か。

 赤嶺は思わず眉を寄せた。


「……気味の悪ぃガキだな、お前」

「ありがとう。嬉しい褒め言葉だ」


 凰乃は笑った。

 その直後だった。


 ──ゴォォォォッ!


 遠くで轟音が響き渡る。異界の中心部から黒い影が噴き上がった。景色が揺らぐ。建物の輪郭が二重にぶれ、空間そのものに細かなノイズのような乱れが走っていた──そこが、もはや人間が暮らす場所ではなくなりつつあることを、否応なく思い知らされる光景だった。

 ざわり、と広場に落ちた影が一斉に蠢いた。

 悲鳴を上げて異界から離れる者たちが殆どだった。

 だが、その流れに逆らう者たちがいた。

 一人、二人、そしてまた一人。

 まるで何かに招かれるように、異界へ向かって歩き始めている。


「おい! 何してんだ、近づくんじゃねぇ!」


 赤嶺が叫ぶも耳に入っていないのか、歪んだ笑みを浮かべたまま足を止める気配がない。

 黒杭が駆け出し、一人の住民の襟首を掴んだ。


「戻れ! そっちは危険だ!」


 強引に引っ張ろうとした、その瞬間──住民が振り向きざまに拳を振るった。


「──ッ!?」


 黒杭は咄嗟に身を引いた。拳が鼻先を掠める。一発入れて黙らせようとした黒杭は拳を握った。しかし、住民が浮かべる表情を目にすると、振り上げた拳が止まる。

 恐怖の色は一切ない、明確な嫌悪。まるで、こちらが邪魔者であるかのような目で睨みつけている。


「邪魔するなよ。あの方が呼んでるんだ」

「……あの方?」


 黒杭の眉間に皺が寄る。

 そのやり取りを見て、赤嶺は即座に声を張り上げた。


「チッ……! 全員この場から離れろ! 少しでも異界から遠くへ走れ!」


 住民たちが慌てて駆け出す。

 だが、その中には赤嶺の指示とは逆に、異界へ歩み寄っていく者たちもいた。

 逃げる者と、向かう者。

 二つの人の流れが、広場の中で不気味に分かれていく。


「……共鳴しちゃったか」


 凰乃が呟いた。

 それは、目の前の現象を確認するだけのような、淡々とした声だった。

 赤嶺は苛立ちを滲ませ拳を握り締める。

 異界が徐々に範囲を広げていく。ゆっくりだが、確実に街を呑み込んでいく。

 赤嶺は隣に立つ凰乃を見下ろした。


「凰乃。テメェの持ってる情報を寄こせ」


 凰乃は赤嶺を見上げ、薄く微笑む。


「別にいいけど、キミが望むような情報はないかもしれないよ」

「構わねぇよ。俺だってすべてを知ってるわけじゃねぇ。だが同じ異能者として、俺とは違う視点もあるだろう」

「……この子、異能者なの?」


 ミリアが驚いたように目を見開いた。紅牙と黒杭も探るような視線を向けている。

 しかし、それらの視線を一切気に留めず、凰乃は踵を返した。


「あまり悠長にしている時間はないけど、今は情報を整理したほうがよさそうだね」


 異界の脅威は広がり続けていて、それに呑まれた人たちも異界民へと変貌している。

 それを目の当たりにしてもなお、凰乃は暢気に言ってのける。


「いい店を知ってるんだ。そこで話し合おうじゃないか」


 それはまるで、散歩にで誘うかのような、場違いなほど気軽な口ぶりだった。

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