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通りの先。
混乱から少し離れた場所に、小柄な人影が立っていた。
白銀の長髪に、透き通るような白い肌。白を基調とした装いに包まれた細い身体。その白さの中で、瞳だけが光を塗り潰したかのように黒かった。
どこか浮世離れしたその姿に、一瞬だけ目を奪われる。
だが、赤嶺はすぐに我に返り、舌打ちした。
「なに突っ立ってやがる! さっさとここから離れろ!」
返事を待たず駆け寄ると、そのまま片腕で少女を抱え上げた。
「きゃっ──」
小さな悲鳴を上げる少女。いきなり図体のでかい男に抱えられれば驚くのも無理はない。
しかし、少女は驚くほど大人しかった。
暴れることもなく、喚くこともない。一切の抵抗も見せず、ただされるがままに担がれている。
あまりにも反応が薄いため、赤嶺は訝しむように眉を寄せた。
肩に担いだ少女は赤嶺には目もくれず、異界化の元凶がいる倉庫の方を凝視していた。
「……おいガキ。お前、何者だ?」
「ん?」
光すら吸い込んでしまいそうな黒い瞳が赤嶺に向く。
「キミが猩々緋のボスの赤嶺かい?」
「この街で俺を知らねぇ奴はいねぇ。余所者か」
「先日この街に来たんだ。いいところだね、赤地区は」
担がれたまま、少女はどこか楽しげに笑う。
「観光なら日を改めろ。今日は最悪の日だ」
「いや」
少女は即座に否定した。
「キミには悪いが、むしろ最高の日さ。街の本性が見える」
「……変なガキだな」
赤嶺は吐き捨て、走る速度を上げた。
影に呑まれ始めた通りを駆け抜ける。左右の建物は歪み、細い路地が増殖していた。つい先ほどまで存在しなかった曲がり角が口を開け、遠くでは悲鳴と建物の崩れる音が重なっている。
それでも少女の声色は変わらなかった。
「キミは面白いね」
「あぁ?」
「街が壊れかけているのに、真っ先に守ろうとするのが住人だ。支配者なら、自分の縄張りを優先してもおかしくないだろう?」
「うるせぇな」
赤嶺は瓦礫を飛び越えながら鼻を鳴らす。
「街ってのは人がいてこそ成り立つんだよ。箱だけ残してどうすんだ」
少女は数秒、黙り込んだ。
その沈黙には、妙な重みがあった。
「……なるほど」
「何がだ」
「キミは優しい悪だね」
赤嶺の足が一瞬止まりかけた。
「……捨ててくぞ」
「酷いな。褒めたんだけどね」
「気持ち悪ぃんだよ」
少女はくすりと笑った。
その笑い声には場違いなほどの余裕があった。
赤嶺は眉間の皺を深くする。
「お前、怖くねぇのか」
「怖いよ」
即答だった。
「けど、それ以上に興味深い」
黒い瞳が、今も範囲を広げる異界を見つめていた。
「色々な国を見てきたけど、こうしてアレを目にするのは初めてなんだ」
「あんなもん頻繁に見るもんじゃねぇよ」
「でも、決して珍しい出来事でもないはずだ。異能者は、割とどこにでもいるからね」
少女は小さく笑うと、赤嶺を一瞥した。
「私もキミも、他人事じゃない」
「……お前、異能者か」
少女は答える代わりに、にこりと微笑んだ。
赤嶺は妙に納得していた。
空間そのものが異質に変化する異界の中で、年の割に肝が据わりすぎている。口では怖いと言いながら、その態度からは怯えも焦りも感じられない。
それだけではない。
異能災害を前にして『他人事じゃない』と言えるのは、異能者が辿り得る末路を理解しているということ。
同じ異能者でも、行きつく先に何が待っているのか知らない者もいる。
だが、この少女は違う。
それを理解したうえで、なお『興味深い』と言ってのけた。
赤嶺は鼻を鳴らす。
「名前は」
「凰乃」
「ほう、顔に似合わず無骨な名前じゃねぇか」
「いい名前だろう?」
「ああ、悪くねぇ」
「顔に似合わずということは、キミは私の顔を可愛いと思ってるということかな?」
「あんま調子乗んなよクソガキ」
「照れなくてもいいのに」
軽口を交わしている間にも、通りの先で影が盛り上がった。
地面から伸びた黒い腕が、逃げ遅れた女の足首を掴む。
「きゃあっ!」
悲鳴が響いた。
赤嶺は速度を落とさず進路を変えた。
「掴まってろ!」
「キミが私を掴んでいればいいだけだよ」
片腕で凰乃を支えたまま踏み込み、空いた拳を振りぬく。黒い腕が砕け散ると、女を抱え起こし、その背を避難する住民の群れへ押し出した。
「中心街へ走れ! 止まるな!」
女は涙を浮かべながら何度も頷き、傍らにいた子供の手を引いて駆け出した。
その背中を見送り、凰乃が静かに口を開く。
「私のときもそうだけど、本当に人助けに躊躇がないんだね」
「これは人助けじゃねぇよ。さっきも言ったが、ああいう連中がいなきゃ街が成り立たねぇんだ。俺が守るのは赤地区だ。住民を守るのも、赤地区を機能させるために必要だからだ」
「……そう。いいね」
凰乃は茶化すことなく素直に言った。
「一般住民をきちんと保護すべき対象として見てる。やっぱりキミは、ちゃんと線引きができてる人だ」
「線引き? 何の話だ」
「こっちの話だよ」
要領を得ない凰乃に、赤嶺は鼻を鳴らすだけでそれ以上は追及しなかった。
そうこうしているうちに、二人は異界との境界を越えるた。
そこでは、すでに避難誘導が始まっていた。
紅狼鬼が住民を集め、薔薇悪鬼が安全な導線を作り、黒狗が怒号を飛ばしながら混乱した人の流れを整えていた。
旧来勢力の三人も、自分たちの組織を動かしていたのだ。
「赤嶺!」
紅牙がこちらを見やる。
「その娘は?」
「拾った」
「荷物みたいに言わないでくれよ」
不満そうに口を尖らせる凰乃に取り合わず、赤嶺は地面へ降ろした。
凰乃は乱れた服を整えると、何事もなかったかのように空を見上げた。青く澄んでいたはずの空が、異界の上空だけ灰色に染まり始めていた。影が雲のように広がり、陽光を喰らっていく。
その光景に、広場の誰もが息を呑んだ。
「……チッ、思ったより早ぇな」
顔を顰める赤嶺を見て、凰乃が薄く笑った。
「キミたちは、これからアレを殺しに行くんだろう?」
その言葉に、周囲の空気が僅かに張り詰めた。
紅牙が眉を寄せ、黒杭が凰乃へ探るような視線を向ける。ミリアだけは面白そうに口元を歪めていた。
赤嶺は面倒くさそうに言う。
「殺すも何も、このまま放っておけば街ごと呑まれる。んなこと許すわけねぇだろ」
「そうか」
凰乃は静かに頷いた。
「なら、私も行こう」
「……あぁ?」
赤嶺は怪訝そうに目を細める。
「観光気分じゃ済まねぇぞ」
「安心してくれ。私は別に、キミたちに協力するわけじゃない」
さらりと告げられた言葉に、ミリアが吹き出した。
「何、この子。状況わかってんの?」
「おそらく、キミよりは知ってるさ」
凰乃はミリアに笑い掛けたが、視線を異界へと戻したとき、その表情から笑みが消えた。
「この街がどうなろうが知ったことじゃないが、アレを放置するのは不愉快だ」
「不愉快?」
紅牙が低く繰り返す。
凰乃は視線を異界に向けたまま頷いた。
空間を侵食する影。
歪み続ける街。
人々の暮らしを、存在そのものから塗り替えていく異界。
そのすべてを見据えながら、凰乃は淡々と言った。
「悪は構わない。欲望も暴力も、人間なら当然持っているものだ──けれど、」
黒い瞳が、異界の中心を射抜いた。
「アレはもう、人間ではないナニカだ」
一瞬だけ風が止んだような気がした。
赤嶺は凰乃を見つめる。
細い身体。年齢だっておそらくは十代半ばくらいだろう。
だが、その言葉には年齢にそぐわない冷たさがあった。
異界そのものよりも底知れない何か。
赤嶺は思わず眉を寄せた。
「……気味の悪ぃガキだな、お前」
「ありがとう。嬉しい褒め言葉だ」
凰乃は笑った。
その直後だった。
──ゴォォォォッ!
遠くで轟音が響き渡る。異界の中心部から黒い影が噴き上がった。景色が揺らぐ。建物の輪郭が二重にぶれ、空間そのものに細かなノイズのような乱れが走っていた──そこが、もはや人間が暮らす場所ではなくなりつつあることを、否応なく思い知らされる光景だった。
ざわり、と広場に落ちた影が一斉に蠢いた。
悲鳴を上げて異界から離れる者たちが殆どだった。
だが、その流れに逆らう者たちがいた。
一人、二人、そしてまた一人。
まるで何かに招かれるように、異界へ向かって歩き始めている。
「おい! 何してんだ、近づくんじゃねぇ!」
赤嶺が叫ぶも耳に入っていないのか、歪んだ笑みを浮かべたまま足を止める気配がない。
黒杭が駆け出し、一人の住民の襟首を掴んだ。
「戻れ! そっちは危険だ!」
強引に引っ張ろうとした、その瞬間──住民が振り向きざまに拳を振るった。
「──ッ!?」
黒杭は咄嗟に身を引いた。拳が鼻先を掠める。一発入れて黙らせようとした黒杭は拳を握った。しかし、住民が浮かべる表情を目にすると、振り上げた拳が止まる。
恐怖の色は一切ない、明確な嫌悪。まるで、こちらが邪魔者であるかのような目で睨みつけている。
「邪魔するなよ。あの方が呼んでるんだ」
「……あの方?」
黒杭の眉間に皺が寄る。
そのやり取りを見て、赤嶺は即座に声を張り上げた。
「チッ……! 全員この場から離れろ! 少しでも異界から遠くへ走れ!」
住民たちが慌てて駆け出す。
だが、その中には赤嶺の指示とは逆に、異界へ歩み寄っていく者たちもいた。
逃げる者と、向かう者。
二つの人の流れが、広場の中で不気味に分かれていく。
「……共鳴しちゃったか」
凰乃が呟いた。
それは、目の前の現象を確認するだけのような、淡々とした声だった。
赤嶺は苛立ちを滲ませ拳を握り締める。
異界が徐々に範囲を広げていく。ゆっくりだが、確実に街を呑み込んでいく。
赤嶺は隣に立つ凰乃を見下ろした。
「凰乃。テメェの持ってる情報を寄こせ」
凰乃は赤嶺を見上げ、薄く微笑む。
「別にいいけど、キミが望むような情報はないかもしれないよ」
「構わねぇよ。俺だってすべてを知ってるわけじゃねぇ。だが同じ異能者として、俺とは違う視点もあるだろう」
「……この子、異能者なの?」
ミリアが驚いたように目を見開いた。紅牙と黒杭も探るような視線を向けている。
しかし、それらの視線を一切気に留めず、凰乃は踵を返した。
「あまり悠長にしている時間はないけど、今は情報を整理したほうがよさそうだね」
異界の脅威は広がり続けていて、それに呑まれた人たちも異界民へと変貌している。
それを目の当たりにしてもなお、凰乃は暢気に言ってのける。
「いい店を知ってるんだ。そこで話し合おうじゃないか」
それはまるで、散歩にで誘うかのような、場違いなほど気軽な口ぶりだった。




