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赤地区動乱編 悪の秩序、その胎動1

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 猿真似(さるまね)ハネ曰く、

「観られぬ物語は存在せんのと同じじゃ」


          1


 街灯の届かない場所に夜は集まる。

 涼しげな月光が膜を張るように、中心街からの喧騒や明かりを弾いていた。音や光の居場所はここにはないみたいに、静寂と闇が周囲に居座る。

 そんな場所に声だけ入り込んでくることは珍しくない。

 乱暴で、短気で、必要以上に大きい耳障りな声。

 心地よい静寂に混じるノイズに、少女は足を止めて振り向いた。音の方角を確かめると、そこは闇が溜まる路地裏。一度意識したからなのか、いやに鼓膜を叩く。少女は小さくため息を吐きながら足を向けた。

 わざわざ街の影へと身を隠しながら随分と自己主張の激しい騒音だな、と少女は呆れを滲ませ路地を覗くと、そこには察した通りの光景があった。

 ガラの悪い男三人。一人の市民を壁に押し付け取り囲んでいた。何が面白いのか、顔をにやつかせる三人。そのうちの一人が市民の腹に拳をたたき込み、くの字に折れる身体を髪を掴んで無理やり立たせた。

 目元だけを覗かせジッと眺めていた少女は、つまらなそうに目を細める。ただ暴力を振りたいだけなら相手などいくらでもいるだろうに、あえて善良な市民を選んで危害を加える光景に呆れが浮かぶ。

 ただ彼らの目的が別にあることも察していた──案の定、市民から金を巻き上げ始めたとき、少女は夜の路地へと歩みを進めた。

 場にそぐわない音はやはり異彩を放つ。こちらが耳障りな声をノイズと捉えたように、向こうも少女の足音がノイズだったのだろう。路地裏に反響する軽やかな足音に三人の視線が少女を捉えた。


「……ガキ?」


 突然の乱入者に警戒を浮かべていた男たちだが、現れたのが若い女だと気づき、先ほど同様のにやけ面をする。


「どうしたんだ? こんな時間に。女の子一人じゃ危ないぞ」


 言葉とは裏腹に親切など欠片もない下卑た表情と声音。すでに貰うものは貰ったから市民は用済みなのだろう。乱暴に突き飛ばすのは解放するのではなく、今から巻き起こる品性の欠片もない乱暴な行為に邪魔だからだ。

 逃げるなら今のうち。ここにいても何もできないのに、自分よりも酷い目にあうだろう少女が心配で立ち去れない。だからって男たちに立ち向かうこともできず、痛む腹を抑えて立ち尽くすだけ──それとも、目の前にいる少女に視線を奪われたからだろうか。

 月明かりを受けて浮かび上がる肌は、血の通った人間のものとは思えないほど白い。夜に紛れるはずの身体は、逆に闇から切り抜かれたように際立っていた。腰まで伸びる白銀の髪が微かな風に揺れる。その一本一本が光を含み、現実の色から僅かに外れている。膝上までのワンピース。肩に羽織るカーディガンはまるで羽衣のようだ。

 白を基調とした装い。

 それは清らかさというより、闇の中でも自己を主張するための色に思えた。

 ただ一つ。視線が離れなかったのは──その瞳だ。

 闇を限界まで磨き上げたような底の見えない黒。光を映すはずの場所には何も映していない。にもかかわらず、不純物をろ過し、穢れをすべて取り除いた、最高密度の夜空のような輝き放つ矛盾。

 市民はそこで、遅れて気づく──逃げるべき相手を間違えたかもしれない、と。

 少女に抱く感想が男たちは違うらしく、舐めるように全身に這わす視線は徐々に危ない色に染まっていく。

 少女の姿が男たちの背に隠れたとき、これまで息を止めていたことを肺が訴え大きく空気を吸った。しかし、思った以上に大きな呼吸音を出してしまったことに、咄嗟に口を手で押さえた。無意識の行動に困惑しながらも、息を潜めるように一歩ずつ後退る。一体何から逃げようとしているのか市民にはわからなかった──が、


「……どうして、あの人からお金を取ったんだい?」


 という声に足が止まった。

 その声は低くも高くもなく、夜に溶けるように静かだった。


「あぁ?」


 男たちが市民を振り返った。三人の視線を受け、矛先がまたこちらに向いたのかと肩をビクつかせた──わけではなかった。そもそも市民の視線は男たちなど捉えておらず、左右の壁や足元へと忙しなく乱れていた。

 まだこの場にいることに顔を顰める者、挙動不審な態度を鼻で笑う者、ただ市民のことを話題に出され振り返った者。三者三様の反応を見せるが、すぐに少女へと向き直り、一様に口元を吊り上げた。


「盗ったんじゃねぇよ。アイツがくれたんだよ。なぁ?」

「そうそう、友達なんだよ俺ら」


 ニヤニヤと笑い合う男たち。

 そんな彼らを見上げながら、少女はコクコクと小さく頷いた。


「はぁ……。わかっていたけど、しょうもないね、キミたち」


 白けたような嘆息。あからさまな嘲弄。わかりやすい侮辱。

 自分たちが何を向けられたのか一瞬で理解した彼らは、眉間にしわを寄せ、怒気を含んだ声で少女を威圧した。先ほど市民を殴った男が少女の胸倉を掴もうと手を伸ばす。


「おいガキ。あんま調子乗んな──」


 男の手から逃げるように一歩後ろ下がる少女。しかし、少女の小さな歩幅ではすぐに距離を詰められるだろう。それでなくても相手は三人。自分よりも身体の大きい大人だ。最初の一手を逃れても、続く二手三手からは避けられない。

 ──それが普通の少女だったらの話だが。


「うおっ!?」


 伸ばした手を躱され、逃がさぬように一歩踏み出そうとした男は、そのまま無様に倒れ込んだ。咄嗟に両手で受け身を取ったから地面に顔を打ちつけることはなかったが、驚きと困惑を浮かべ、自分の足へと振り返った。


「何やってんだお前?」

「ダサすぎだろ!」


 とうつ伏せに倒れている男を見て笑う二人──だが、


「ちょっ、なんだよこれ!」


 という男の怒号に笑みが消えた。

 すぐに立ち上がるわけでもなく、悪態を吐きながら腕立て伏せの体勢で身じろぎを繰り返す。あまりにも必死なその姿に、ようやく他の二人も異変に気付いた。地面についている男の両手がなくなっていた──いや、なくなったように見えているだけ。暗い路地でわかりにくいが、両手が真っ黒な何かに覆われていた。

 そしてそれは両手だけでなく、両足も同じだった。


「な、なんだこれ!」


 倒れている男だけでなく、他の二人も膝から下が黒に染まっている。まるで地面に埋まっているかのようにびくともしない両足。感覚はあるのに視認できない気持ち悪さに、覆っている何かを振り払おうと手を伸ばしたとき理解する──両足のみならず、地面までもが闇に覆われていることに。そしてその闇は、周囲の壁にまで至っていることに。

 固体なのか液体なのか気体なのか。質感すら定かじゃない漆黒に地面や建物も飲み込まれている。街灯も届かないとはいえ、路地裏の細い空からは月明かりがぼんやりと差し込んでいるのに、一切明るさを感じない不安。

 そんな中、まるで宇宙空間に輝く天体のように、少女の姿だけがハッキリと浮かび上がっていた。

 彼らはようやく気付く──少女の異質さ、異常さに。

 少女が一歩踏み出すと、二人の男は反射的に下がろうとした。足元が動かない状態では当然下がることなどできない。すでに畏怖の対象となっている少女への怯えが大きかったらしく、それだけ勢いよく後ろに下がろうとしたせいで上体が漆黒の地面へと吸い込まれる。頭や背中を打たないよう背中越しとはいえ手を突き出す。それでもある程度の痛みは覚悟していたが、倒れたときに感じた衝撃は皆無だった。

 まるで衝撃が吸収されたかのように感覚がない──だからといって安心できるわけもなく、腕や腰に纏わりつく闇によって一切の身動きを禁じられた。

 倒れる二人に目を向けず、少女はうつ伏せ状態の男の傍で屈み、ポケットから奪った金を取り出した。そのまま市民の元へと歩みを進める。地面を覆う闇の上を歩くときは一切の音や振動すら起きないのに、石畳の地面になった途端、世界が正常に戻ったみたいに軽快な音を奏でる。

 いっそ可愛いらしいほど軽い足音。にもかからず、鼓膜をうるさいほど揺らしていた。

 自分より背が小さく身体も細い少女が近づいてくるたび、その存在感の大きさに気圧される。思わず後退ってしまった市民は、怯えを見せてしまったことに気を悪くさせたかもしれない、と不安になったが、少女は気にした素振りもなく握っている金を差し出した。


「逃げていいよ。でも、次は自分で考えて」


 ジッと市民を見上げる少女。

 その真っ黒だが妙な輝きがある瞳に釘付けになっていると、


「……いらないのかい?」


 と小首を傾げた少女にハッとし、金を受け取って視線を外す。これ以上少女を見てはいけない、接点を持っては危ない、と市民は何度も頭を下げ、お礼を言って走り去っていく。

 市民の姿が見えなくなるまで眺めていた少女は、踵を返して男たちの元へと近づいた。

 これから自分たちはどうなるのか。

 息を呑んで少女を見つめる男たちは、反省や後悔ではない、保身のために謝罪を口にしようとした。その時──自分たちに纏わりついていた闇が蠢き、少女の身体へと吸い込まれていった。壁や地面を覆っていたものも少女の元へと還っていく。その小柄な体躯では抱えきれないだろう質量の闇がしかし、余すことなく吸収されていった。

 すべての闇を吸い込んだとき、小さなうめき声とともに少女の顔が僅かに歪んだような気がした。

 ただそんなことよりも身体の自由が戻ったことに意識が向き、勢いよく立ち上がって少女から距離を取る。

 ここで一目散に逃げださないのは、少女に背を向けることを恐れてだろうか。異質な存在である少女と向き合うのは恐ろしいが、それ以上に視界から外すほうが危険なことを本能で感じているからだろうか──どちらにせよ、すでに少女はこの場から興味を失っていたから、その警戒も無意味だったが。


「ん?」


 警戒心を露わにジッとこちらを見据える三人に、少女は怪訝な表情を浮かべた。

 暫く視線を合わせていると、何か思いついたように口を開く。


「脅した。殴った。奪った」


 数えるように一つひとつ指を折って少女は言った。


「悪いことをしたからって特別になれるわけじゃない。それはただ、楽なほうを選んだだけ。悪は否定しない。善と同じくらい大事なことだと私は思ってる──でもね、向けちゃいけない相手がいることを理解しなきゃいけない」


 指を折る手を見つめていた少女は、男たちへと視線を向ける。


「キミたちは、線を越えた」


 ゾッとするほど冷めた瞳と声。決して大きな声を出したわけじゃないのに、腹の底に響く重たい言葉。

 恐怖によって固まる男たちに、少女はひらひらと手を振った。


「逃げていいよ。でも、忘れないでね」


 許された。そう思った。

 言われた通り男たちは逃げ出す。背中を向けた瞬間、少女の存在も、闇の名残も、思考の外へと弾き出される。生き延びるための衝動だけが、彼らの足を動かしていた。

 その背中を一瞥し、そこまで必死に逃げるなら暴力なんかやめればいいのに、と少女は呆れ混じりに苦笑する──と、そこで少女は人影に気づいた。

 路地と通りの境目。道を塞ぐように立っている。隠れるでもなく、避けるでもなく、最初からそこにいたみたいに。

 路地を駆ける男たちは減速しない。このままではぶつかるだろうし、その前に道を塞いでいることに対して一悶着ありそうだ。まぁ、少し怖い目にあわせた直後だし大丈夫だろうけれど、この後あの人影がどう動くのか気になり、少女は壁にもたれて行く末を見守った。

 人影が微動だにせず、男たちも止まる気配がない。

 ──ぶつかる。

 そう確信した瞬間、少女は面倒臭そうな顔を浮かべていたが、すぐに表情が切り替わった。

 乱雑な足音が路地裏から消え、遠ざかっていく。それ以外の音はなく、徐々に静寂が場に満ちた。

 ──ぶつからなかった。

 完全に正面衝突の軌道だったのに、まるで蜃気楼を抜けたみたいに通り抜けていった。


「……はぁ」


 驚きに目を見開いていた少女だったが、億劫そうに溜息を吐いた。

 その場で屈み、壁に背を預けて、人影へと視線を向ける。

 こちらに向かって歩いてくる人影。一度目にすれば嫌でも忘れないだろう奇抜な身なり。にもかかわらず、妙に存在感がない。まるでこの世界とは別のレイヤーにいるような希薄さ。

 先ほどよりも静かな路地裏を、僅かばかりも足音を立てず、少女の眼前で立ち止まる。

 穏やかな表情──少なくともそう呼ぶしかない表情を浮かべるその男は、小さく拍手をして言った。


「やあ、凰乃(おうだい)。いい導入だったよ」

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