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赤地区の中心街は昼を迎えてなお騒がしかった。
屋台から立ち上る煙。鉄板の上で肉が焼ける音。通りを埋める怒号と笑い声。それらが混ざり合い、雑多で乱暴な熱気となって街を満たしている。
その中に割り込むように、僅かな揺れが通り抜けた。
──ドンッ!
腹の底に響くような重い音が、街外れの方角から遅れて届く。
通りの喧騒が一瞬だけ途切れた。屋台の主人が手を止め、行きかう人々が顔を見合わせる。
「……今の、何?」
誰かが小さく呟いた。
凰乃はゆっくりと顔を上げ、音のした方角へ視線を向ける。これまで街のあちこちでめにしてきた騒動とは明らかに質が異なる音に、凰乃は直感で察する。
ただの喧嘩ではない、もっと大きな争いの余波であると。
爆発とも銃声とも違う。もっと重く、もっと深く、どこか現実から浮いているような、そんな音だった。
「……面白くなってきたね」
ぽつりと呟いたときだった。
「そうかな?」
すぐ隣から、気の抜けた声が返ってきた。
凰乃は僅かに目を細め、声のした方へ視線を流す。
そこにいたのは、灰地区の酒場で見た男だった。
「──うおっ!? なんでお前がここに……!」
隣にいたモルが素っ頓狂な声を上げる。
「……浮雲、だっけ?」
凰乃が名前を呼ぶと、男は気怠そうに片手を上げた。
ぼさぼさの長髪を掻きながら、あくびをかみ殺すような顔で街外れを眺めている。壁にもたれた姿は、立っていることさえ面倒に感じているようだった。
「珍しいな、お前が昼間っから活動してるなんてよ」
モルが僅かに警戒を滲ませながら言う。
わざとらしく笑う浮雲は立っているのが怠いのか、壁に背を預けたままずるずると腰を落とした。
「そんなに警戒しないでくれよ、モル。友達じゃないか」
「そんな気心の知れた仲になった覚えはねぇぞ」
「つれないなぁ。一緒に酒を飲んだらもう友達だろ。だからキミとも友達だ」
そう言って浮雲は凰乃を指さす。
凰乃は一瞬目を丸くするも、すぐに楽しげな笑みを浮かべた。
「それは嬉しいな。たった数日で二人も友達ができたよ」
「もう一人は誰だ?」
「わかりきってるだろう? キミだよ、モル」
気取った仕草でウインクをする凰乃に、
「……一緒に酒を飲んじまったもんな」
とモルは半ば諦めたように言った。
「子供に酒を飲ませるなよ」
「言ってること滅茶苦茶だなお前。それに飲むも飲まないも本人の自由だ」
「本人の責任、だね」
凰乃が愉快そうに付け加える。
浮雲は笑い、モルは肩を竦めた。
それで、と一頻り軽口を交わしたところで凰乃が話を戻す。
「キミは私の友達だけど、生憎同じ酒場に居合わせただけで、席も別々で、互いに勝手に飲み食いしていただけだからね。残念だがよく知らないおじさん友達だ」
「なんか言葉に棘があるな」
浮雲のぼやきを無視して凰乃は続ける。
「それでも、キミがあの音の原因について何か知ってることはわかる。友達だからね」
揶揄うように言う凰乃に、浮雲も何度も頷きながら笑った。
「さすが友達だ。よく見てるじゃないか」
「なんだこの会話……? 知ってるならさっさと話せ」
呆れるモルが鬱陶しそうに先を促す。
「知ってるってほどでもないんだけどね。ただまぁ……、間に合わなかったんだな、って感じ?」
「何がだい?」
「何だと思う?」
「……おい浮雲」
モルの声が低くなる。
その苛立ちを楽しむように浮雲はわざとらしく笑った。
「そんな凄むなよ。友達だろ? 会話を楽しもうじゃないか」
「会話は賛成だが、面倒は嫌いだよ」と凰乃。
「気が合うね、さすが友達──そう。面倒は嫌いなんだよ俺。だからちょっと話をしてさ、場所を変えてもらったんだ」
そのとき、再び街外れから轟音が響いた。
浮雲はそちらへ目を向ける。
「……コイツとの会話面倒くせぇわ」
相変わらず濁すだけの口ぶりにモルは舌打ちをした。
しかし凰乃は考えるように顎へ手を添えていた。
友達だなんだと軽口を言い合っているが、浮雲との接点などたかが知れている。灰地区の酒場で居合わせただけ。同じ異能者であることを除けば、互いに知っていることもほとんどない。
ラディウムへやってきた新顔の異能者に興味を持ったから話しかけてきた、というには浮雲の気怠そうな振る舞いを見る限り、単なる好奇心で動く人物には思えなかった。
そもそも、こうして赤地区にいること自体、偶然ではないのだろう。
浮雲は自分に会いに来た──そう考えるのが自然だった。
ならば、理由は何か。
灰地区。酒場。異能者。
数少ない接点を辿ったとき、一つの出来事が脳裏を過った。
「……酒場で暴れてた彼か」
凰乃の呟きに浮雲はにやりと笑い、モルは怪訝な表情を浮かべた。
「いたなそんな奴。あのヤバい異能者だろ。……そういえば、あれからどうなったんだ? 他の客に引っ張り出されてたから袋にでもされてるのかと思ってたけど、生身の人間が異能者に勝てるはずもねぇし」
凰乃と浮雲の視線が重なる。片や無表情、片やにやけ顔。
そんな二人の様子を見て、モルは何か察したように街外れへ顔を向けた。
「……まさか、あれが?」
そのときだった。
空気を震わせるような重い音が再び通りを駆け抜けた。微かな耳鳴り。屋台の軒先が揺れ、人々の顔に不安の色が濃くなる。
浮雲は面倒くさそうに立ち上がると、反るように腰を伸ばした。
「あんなのに灰地区で暴れられたら堪ったもんじゃないからね」
「彼が暴れてる理由はなんだい?」
凰乃は音の方を見つめたまま尋ねた。
「また誰かに主人公であることを貶されたとか?」
「はははっ、それならまだ人間味もあるんだけどねぇ。あれはもうそんな次元じゃないでしょ」
「……間に合わなかった、って言ったよね。それって──」
その理由に一つ思い当たることがあった凰乃だが、モルを一瞥すると途中で口を噤んだ。
非異能者であるモルには、説明しなければ伝わらない話だった。
しかし、そんな凰乃の様子から察した浮雲は、
「主人公であることを強要された者の末路だよ」
と肩を竦めて言った。
軽い口調だが、その言葉は妙に冷たく響いた。
「面倒ごとを赤地区に押し付けはしたけど、一応救いの手は差し伸べたつもりだよ。ただ彼はそれを掴めなかった。それか、努力の甲斐もなく終わらされただけなのか──それに赤地区に対しても同じさ。この街には名のある連中が何人かいる。その中でも頂点の赤嶺は同じ異能者だ。だから手遅れになる前に対処してくれると思っていたんだけどね。赤嶺が動くのが遅かったのか、それとも先に財団が手を下したのか」
「財団?」
モルが聞き返したが、浮雲は構わず続ける。
「どちらにせよ、あれはもう終わりだ。灰地区にまで被害が出ないことを祈るばかりだよ」
「まるで赤地区はもう終わるみたいな口ぶりだね」
「そこまでは言わないけど、でも意味合いは同じかもね。あとは赤嶺たちの頑張り次第かな」
肩をすくめた浮雲は、改めて凰乃へ視線を向ける。
「キミはどうするの?」
短い問いだった。
凰乃は答えず、ただ街外れの方向を見つめている。
先ほどよりも音が近く感じられた。騒ぎの中心で何が起きているのかはわからないが、少なくとも赤地区の秩序を揺るがしているものが、ただの抗争ではないことだけは確かだった。
「……面白いね」
小さく呟くその口元、、僅かな笑みが浮かんだ。
その呟きが聞こえたのか、モルは嫌そうに顔を顰めた。
「本気かお前。死ぬぞ」
「キミも来るかい?」
「行かねぇよ。異能者同士の争いだろ? 死にに行くようなもんだ」
「そうか。残念だ」
言葉とは裏腹に、凰乃は少しも残念そうではなかった。
一切の未練もなく歩き出す。
「じゃあね、モル。また会おう」
「お、おい!」
背後からモルの声が届くが、凰乃は振り返らなかった。
また一つ、轟音が鳴る。
今度は音だけではなかった。街外れの空気が、目に見えない力で揺らいだように感じられた。通りの喧騒が途切れる。人々がざわめき、屋台の火が不自然に揺れた。
凰乃は足を止めない。
歩みを進めるにつれ、赤地区の満たしていた熱気が少しずつ質を変えていくのがわかった。賑わいでもなく、喧騒でもない。もっと濁った、もっと深い『何か』が、街外れから滲み出すような不穏な気配。
「……へぇ」
凰乃は僅かに口元を歪めた。
「悪ですらないモノが混ざり始めたか」
その呟きを最後に、凰乃の白い背中は人混みの向こうへ消えていった。
残された浮雲が、小さく笑う。
「だから言ったろ。もう、面倒なだけじゃ済まない段階なんだって」




