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新境ブラックボックス  作者: 錆雪
第三章 悪の秩序、その疑念
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 吹き飛ばした構成員の身体が壁を突き破り、派手な音を立てて床を転がった。崩れた壁材が辺りに散らばり、舞い上がった土煙が倉庫内を薄く霞ませる。瓦礫を踏み砕きながら、何事もなかったかのように足を踏み入れた。

 土煙が晴れるにつれ、倉庫の奥にいた三つの人影が露わになる。

 紅狼鬼(こうろうき)の紅牙(こうが)。

 薔薇悪鬼(ばらあっき)のミリア。

 黒狗(くろいぬ)の黒杭(くろくい)。

 赤地区の旧来勢力を率いる三人が、まるで最初から赤嶺(あかみね)を待っていたかのようにそこにいた。


「相変わらず品のない入り方ね」


 最初に口を開いたのはミリアだった。ソファに腰を下ろして頬杖をつき、呆れ半分、愉快半分といった表情で赤嶺を見やる。


「扉があるのにわざわざ壁から入ってくるところ、本当に嫌いだわ」

「真っ当に入ろうと思ってたんだけどな……」


 と赤嶺は目の前に転がっている紅狼鬼の構成員を見下ろした。


「何故か道を開けてくれなくてよぉ。変な因縁もつけてくるもんだから、ちっとばかし躾も兼ねて派手にやってみた」


 そこで紅牙へ目を向ける。


「ああ、礼はいらねぇぞ」

「……」


 赤嶺の軽口に、紅牙は無表情を向けるだけだった。

 その反応を見て赤嶺はつまらなそうに鼻を鳴らす。


「まぁいい。そんなことより、テメェらだ」


 表情を引き締め、三人を視線で順に射貫く。

 こうして旧来勢力のボスが一堂に会している光景は珍しい。

 猩々緋(しょうじょうひ)が赤地区の支配者になって以降は初めてのことだろう。

 赤嶺にとってはいずれも昔から知っている連中だが、今もなお面倒事として赤地区の隅に燻り続けている古い火種だ。

 だが今回は、その火が少しばかり大きすぎた。


「仲良しごっこか?」

「そう見えるならお医者さんのお世話になりなさい」


 即座に返すミリアに、黒杭が鼻を鳴らした。


「お前が来た時点で、穏便に終わる場ではなくなったな」

「最初からそのつもりで集まってんだろ」


 赤嶺は崩れた壁の前で立ったまま言った。


「街のあちこちでテメェらの下っ端が騒ぎまくってやがる。黒狗も薔薇悪鬼も紅狼鬼も、好き勝手暴れてるじゃねぇか」


 黒杭が僅かに目を細めた。


「ほう。だから自ら出張ってきたと?」

「普段なら放っておく。だが、今回は目に余る」


 赤嶺は一歩前へ出た。

 それだけで、倉庫内の空気が僅かに重くなる。


「ウチの連中にも怪我人が出てる。理由を聞きに来た」


 その言葉に紅牙が口を開いた。

 低く落ち着いた声が、倉庫内に響く。


「……わかりきっていることを、わざわざご苦労なことだ。ならばその無駄に付き合ってやろう。聞きたいのはこちらも同じだ」

「どういう意味だ」


 紅牙は腕を組んだまま赤嶺を見据えていた。


「……ここ数日、紅狼鬼、薔薇悪鬼、黒狗の構成員が殺され続けている。お前のところだけが無傷だった」

「……だった?」


 赤嶺の声が少しだけ低くなった。

 ミリアが口元を歪める。


「ええ。昼前にその前提は崩れたわ」

「猩々緋の死体が三つ、俺たちの縄張りの境目に転がされてた──どういう意味かわかるか?」


 黒杭が問うが、赤嶺は答えなかった。

 だが、答える必要もなかった。

 わかるからだ──嫌というほどに。

 最初は猩々緋以外の勢力を殺し、赤嶺に疑いを向けさせる。

 次に猩々緋の死体を混ぜ、今度は旧来勢力へ疑いの矛先を向ける。

 やり口があまりにも露骨だった。


「……なるほどな」


 赤嶺は小さく息を吐いた。


「随分と趣味の悪い真似をしやがる」

「互いに疑う理由などいくらでも作れる。だが、それよりも気に食わんものが出てきた」

「俺たちの知らねぇところで、この街の均衡を弄んでる奴、か」

「理解が早くて助かるわ」


 ミリアが笑った。

 赤嶺は鬱陶しそうに鼻を鳴らすと、三人のいるテーブルのへ歩み寄った。


「つーかテメェら。俺を潰す気で集まってたんだろ?」

「そのつもりではあったわね」


 ミリアは悪びれもせず肩をすくめる。


「だって、猩々緋だけ無傷だったんだもの。疑わない理由もないじゃない」

「疑う理由はいくらでも作れるもんな」


 赤嶺は揶揄うように言った。


「で?」

「でも今は、少し考え直してる」

「遅ぇよ」

「そうかしら?」


 互いに手を伸ばせば届きそうな距離。

 しかし、その数歩の隔たりが妙に遠かった。


「じゃあどうする。ここで俺とやるか?」


 赤嶺の問いに、短い沈黙が落ちた。

 ミリアは薄く笑い、黒杭は目を細め、紅牙だけが真っすぐに赤嶺を見据えていた。


「それも一興だが、今はそれより先に片付けるべきものができた」

「……へぇ」


 紅牙の言葉に、赤嶺はほんの少しだけ口元を歪めた。


「珍しく意見が合うじゃねぇか」


 その瞬間だった。


 ──轟ッ!


 という凄まじい衝撃音が、倉庫の横壁を内側へとひしゃげさせた。

 赤嶺の目が即座にそちらへ向く。

 次の瞬間、何かが壁を突き破って転がり込んできた。

 紅狼鬼の構成員──いや、もはや『だったもの』と呼ぶべきかもしれない。顔面は原形を留めず、脇腹には拳ほどの穴が開いている。地面を二、三度転がった身体は、赤嶺たちの手前で止まった。

 僅かな痙攣、からの沈黙。


「……」


 その死体を見た瞬間、紅牙の表情が初めて変わった。

 ミリアの笑みが消える。

 黒杭の目が鋭く細まる。

 赤嶺は無言のまま、崩れた壁の向こうを睨んだ。

 舞い上がる土煙──その奥に、一つの人影が立っていた。


          ※※※


 人影がゆっくりと前へ出てきた。

 穴の開いた壁から差し込む光が、その輪郭をぼんやりと照らす。

 痩せた男だった。年齢は二十代後半だろうか。ぼさぼさの長い髪は乱れ、はだけたシャツには乾いた血がこびりついている。顔色は悪く、目の下には濃い隈が浮かんでいた。息は荒い。肩も上下している。 

 しかし、疲労というよりは何かに追い立てられているような焦燥が窺えた。


「……あぁ」


 男はどこか感心したように声を漏らした。


「本当にここだったんだ」


 視線が紅牙、ミリア、黒杭の順に流れる。

 そこで一度、満足そうに頷いた──だが、赤嶺の姿を捉えた瞬間だけ、表情が僅かに歪んだ。


「……なんでアンタがここにいるんだ?」


 男は困ったように眉を寄せる。


「まだお呼びじゃないぞ」


 誰もすぐには口を開かなかった。

 倉庫内に先ほどまでとは異なる緊張が広がっていく。

 赤嶺は目を細め、紅牙は座ったまま男を見据えていた。黒杭の視線は鋭く、ミリアの顔からは完全に笑みが消えている。


「……テメェか」


 赤嶺は身体ごと男へと向き直り、一歩踏み出した。


「連日、赤地区を引っ搔き回してたゴミはよぉ」


 男は少しだけ首を傾げた。赤嶺の苛立ち交じりの声に疑問を感じたのか、暫し考える素振りを見せると、


「ああ、そうだよ」


 と、素直に頷いた。

 あまりにもあっさりとした肯定に、ミリアが僅かに眉を上げ、黒杭の眉間に皺が寄った。紅牙だけは何も言わずに男を見据えている。


「おい、舐めてんのかテメェ」


 と凄む赤嶺に、男はほくそ笑んだ。


「そんな怒るなよ。アンタならわかるだろ?」

「何がだ?」

「主人公の気持ち」

「……主人公?」

 ミリアが怪訝そうに聞き返す。

 男はそちらを見もせず、独り言のように呟いた。


「……いや、わからないか。赤地区の支配者。猩々緋のリーダー」


 男は赤嶺を見て、吐き出すように笑った。


「いいよな、アンタは。誰が見ても『主人公』だ。終わりが近い奴の焦りなんて、わからないんだろうな」


 憧れとも嫉妬ともつかない濁りが混じった声。

 その姿は奇妙なほど弱弱しかった。

 肩を落とし、今にも崩れそうな表情を浮かべる男からは、連日何人もの人を殺してきた人物とは思えないほどの悲壮感が漂っていた。


「何を言ってるんだ、コイツ」

「……命乞いのつもりかしら。まぁ、どっちにしろ許さないけど」


 怪訝な顔を浮かべる黒杭。

 ミリアの声からも、普段の軽さはない。


「違う」


 ミリアの言葉を男は即座に否定した。

 その声には、命乞いをする者特有の弱弱しさはなかった。

 むしろ、自分の言いたいことがまるで伝わっていないことに苛立っているようですらあった。


「勘違いするなよ。俺は別に助かりたいわけじゃない」


 男はそこで一度目を伏せ、乾いた笑いを漏らした。


「ただ、順番ってものがあるだろ」

「順番?」


 ミリアが怪訝そうに聞き返した。

 男はゆっくりと顔を上げる。その目は赤嶺に向いていた。まっすぐに、執着にも似た熱を宿して。


「主役は最後だろ」


 倉庫内の空気が一段冷えたように感じられた。

 誰も口を開かない。

 男はそんな空気に気づいていないのか、それとも気づいた上でどうでもいいと思っているのか、赤嶺から視線を外さないまま言葉を続ける。


「先に名前のある連中を潰して、街を荒らして、空気を作って……そうやって舞台を整えてからじゃないと意味がない──だってそうだろ? いきなり目立つ奴を殺したら、そこで終わっちゃうじゃないか」


 その言葉に、紅牙の目が僅かに鋭さを増した。


「……終わる?」

「そう。終わっちゃ困るんだよ」


 頷いた男の口元の笑みが少しだけ崩れた。

 焦り。苛立ち。追い詰められた人間特有の張り詰めた何かがその表情に滲む。


「まだ足りないんだ。全然足りない」


 掠れた声。男は自分に言い聞かせるように繰り返した。


「もっと愉快にならないと。もっと盛り上がりを作らないと。もっと、ちゃんと相応しい話にならないといけない」


 言葉を重ねるたび、声に熱がこもっていく。最初は独り言のようだったものが、徐々に自分自身を追い立てるような響きへと変わっていく。


「これが最後のチャンスなんだ……! こんなところで終われるかよ……!」


 その言葉に赤嶺の顔から苛立ちが消えた。

 代わりに浮かんだのは、冷たい無表情だった。


「……終わるってのは、どういう意味だ」


 男は一瞬だけ黙った。それからゆっくりと笑う。まるで、その問いをまっていたかのように──けれど、今にも壊れそうなほど不安定に。


「アンタならわかるだろう? 主人公には終わりがある。面白かろうが、つまらなかろうが、そんなことは関係ない──続けさせてもらえるかどうかは、『主人公』が決めることじゃない」


 胸元を押さえるその指先が微かに震えていた。焦燥、嫉妬、恐怖、そして諦めきれない執着。男の表情には、いくつもの感情が入り乱れていた。


「だから決めたんだ。この街の主人公を殺して、俺がその座を奪う。そうすれば、また新たな物語を紡ぐことができるはずだ」


 男は赤嶺を見据え、一歩前へ出た。

 その瞳に、異様な熱が宿る。


「悪いが、もうらうぞ。お前の物語」

「……気持ち悪ぃな」


 低く、吐き捨てるような声。

 男が目を細める。


「……何?」

「テメェの事情なんざ知るか」


 赤嶺は一歩前に踏み出した。


「正直な話、お前が殺した連中は全員が悪人だ。ウチの連中にも手をかけたようだが、まぁウチも変わらず悪人。何されても文句は言えねぇよ。それに一般住民には手を出してねぇみたいだしな。……なら問題ねぇ。悪人同士の殺し合いなら、許容範囲だ」

「……おい赤嶺」


 黒杭が凄む。紅牙もミリアも無言で赤嶺を見据えている。

 当然だろう──自分たちの仲間が殺された。それを許容範囲だと言われて面白いはずがない。

 だが、赤嶺は気にも留めなかった。


「街が荒れたきっかけは確かにお前だ。だが、実際に街中で騒いでんのはコイツらの部下だ。一般人まで巻き込みかけてる。どっちが問題かなんて、考えなくてもわかるよな?」


 赤嶺は紅牙たちを一瞥した。その視線には明確な敵意があり、赤地区の秩序を乱す異物を見るような冷めた目だった。

 紅牙の眼光が鋭くなる。

 黒杭は無言で赤嶺を睨みつけた。

 ミリアもまた、笑みを浮かべることなくその言葉を聞いている。

 四人を取り巻く空気が一瞬で張り詰めた。誰かが動けばすぐさま戦闘が始まりかねない、そんな息苦しい雰囲気を、鼻で笑う赤嶺が霧散させる。


「……まぁ、ケジメはつけさせるさ。だが、今じゃなくていい。放っておいてもコイツらは逃げねぇだろうしな」

「俺が逃げるとでも?」


 愉快そうに問い掛ける男に、赤嶺は頭を掻きながら言う。


「裏でコソコソしてたような奴だろ? いつ逃げるかわかったもんじゃねぇ──お前の罪はシンプルだ。連日やってた殺人は、悪人を相手にしたものだ。俺のルールじゃ、それ自体を裁く理由にはならねぇ。だがなぁ、身内を殺られて黙ってるわけにもいかねぇだろ」


 獣染みた眼光が男を射抜く。

 その声には、先ほどまでの苛立ちも軽口もなかった。

 ただ、剝き出しの敵意だけがあった。


「気に入らねぇから潰す」


 赤嶺は口の端を釣り上げた。


「十分だよな?」


 男の目が僅かに見開かれた。

 怒ったわけでもなく、傷ついたわけでもない──ただ、嬉しそうだった。


「……あぁ、そういうのだよ」


 男は堪えきれないみたいに肩を震わせた。


「そういうのが、欲しかったんだ」


 次の瞬間、男の足元から黒い影が一気に広がった。

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