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新境ブラックボックス  作者: 錆雪
第二章 悪の秩序、その輪郭
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 それから凰乃(おうだい)は、街外れを中心に見て回っていた。

 屋台街にごった返していた一般住民の姿は減り、代わりにわかりやすいほど荒っぽい風貌の連中が目につくようになった。

 猩々緋以外のグループを見る、という当初の目的通りの光景に、治安の悪さなど気にも留めずに凰乃は満足そうだった。


「さすがに中心から外れると治安の悪さが目立つね」


 路地から路地へと歩を進め、人通りの少ない方を選んでいく。夜でも子供が出歩けると言っていたが、さすがにこの辺りでは無理だろうと思えるほど、奥へ進むにつれて空気が変わっていく。犯罪都市とは名ばかりに治安が良かった屋台街と比べれば、こちらの方が凰乃の思い描いていたラディウムに近い。

 歩みを止めずに、通りの隅を一瞥した。


「これで何度目かな? 怪我をした人を見るのは」

「……」


 凰乃の呟きに答えないモルは険しい顔で、地面に座り込む連中を見ていた。

 その反応に気づき、


「何か思うところでもあるのかい?」


 と凰乃は横目を向けた。

 怪我を負っている連中を肩越しに見ていたモルが、凰乃へ視線を戻す。


「アイツら、黒狗(くろいぬ)の連中だ」

「黒狗?」

「猩々緋(しょうじょうひ)との支配抗争に敗れた、赤地区の別勢力だ。他にも薔薇悪鬼(ばらあっき)の構成員がいたな。いずれも赤地区の裏じゃ、それなりに名前を聞く連中だ」

「ふぅん……」


 凰乃は改めて周囲を見回した。

 ここまでの道中で何人もの負傷者を見た。一般住民はおらず、誰も彼もが裏側に属す人間ばかり──そして、すれ違う猩々緋たちの疲弊した姿。立って歩いているのが猩々緋というだけで、負っている傷そのものは、道端で倒れている者たちと大差ないように見えた。

 むしろ疲労の色だけを見れば、猩々緋の方が濃い。

 猩々緋の暴力が秩序を作っている街だ。他勢力との小競り合いも日常茶飯事なのだろう──が、ラディウムにきて日の浅い凰乃でもわかる。

 これだけの数は異常なのだと。

 路地へ目を向ければ、そこにも壁にもたれて座り込む人たちがいた。血を流し、腕や腹を押さえ、荒い呼吸を繰り返している。


「薔薇悪鬼と黒狗?」モルが訝しげに呟いた。「互いにやり合って共倒れ、ってわけじゃなさそうだな」

「二組で共闘して猩々緋にやられたんじゃないかい?」

「見た感じ、そうだろうな」


 ただ、とモルの顔からは疑念は消えなかった。


「おかしいんだよ」

「何が?」

「赤地区にいるグループはどこも敵対関係だ。支配層の猩々緋が一番邪魔なのは間違いないだろうが、だからって他所と手を組んで仕掛けるなんてことはない。少なくとも、今まではな」


 凰乃も周囲へ視線を巡らせた。

 至るところにいる負傷者を見ながら、これまで目にした猩々緋の行動を思い返す。

 一般住民に危害を加えた者を制圧する。街の秩序を乱した者を止める。その際も、必要以上に痛めつけることはなく、あくまでその場を収め、反抗しても無駄だと理解させるための暴力。


「猩々緋は無駄な喧嘩はしねぇ。仮にどこかを潰すつもりなら、もっと綺麗に、徹底的にやる連中だ」

「ということは」と凰乃が小さく首を傾ける。「猩々緋が仕掛けているんじゃなくて、他の勢力が集まって猩々緋へ抗争を仕掛けてる?」

「……そうなるな」


 そこで凰乃は、先ほどの出来事を思い出した。

 黄地区の女性が襲われかけたとき、猩々緋は遅れてやってきた。しかも、すでに負傷していて、あの前にも何らかのトラブルを対処していたことがうかがえる。

 そのトラブルが他勢力との小競り合いだったのなら。

 凰乃は歩く方向を変え、目についた負傷者のもとへ近づいていく。


「おい?」


 モルの声には答えない。

 男たちの前まで行くと、凰乃は立ち止まった。


「どうして猩々緋を襲ったんだい?」

「……あ?」


 脈絡もなく問い掛けられた男たちは、揃って凰乃を睨みつけた。


「なんだテメェ?」


 凄む男たちに怯むことなく、ただじっと凰乃は見下ろす。

 小走りで駆け寄ってきたモルに「このガキの保護者か?」「しっかり躾けとけ」「ぶっ飛ばすぞ」と男たちは次々に悪態を吐く。しかし言われたモルは「……黒狗の構成員だな」とこちらも一方的に確認するだけだった。


「なんなんだよ、テメェら……」


 ただ黙って見下ろす少女と、その背後で様子を窺う禿頭の男。

 突如現れた奇妙な二人組に、男たちは面倒くさそうに顔を見合わせた。

 やがて一人が唾を吐くように息を吐く。


「襲ったのは向こうだろ」

「向こう?」


 ああ、と男は足を投げ出し、壁へ深く背を預けた。


「昨日からやたらとウチの人間がやられてる。薔薇悪鬼もだ。最初は二、三人だったが、今日になって一気に数が増えた。しかもやられ方がエグい」


 別の男が身じろぎをし、痛む腹を押さえる。


「猩々緋が動き始めたって噂が流れたんだよ。『街の掃除を始めた』ってな」


 凰乃は男たちから視線を外し、周囲に倒れている者たちを見やる。

 そして、視線を目の前の黒狗の構成員たちに戻した。

 確認したのは傷の度合い。口の端や額から血は流れているが、目を覆いたくなるような傷ではない。殴られた拍子に皮膚が切れた程度だ。服の下まではわからないが、少なくとも大量の血が滲んでいる様子もない。恐らく打撲が中心だろう。


「……」


 暫し思考を巡らせていた凰乃は、男を見据えて淡々と言った。


「それで、先に手を出したと?」

「あ?」


 男たちの顔に苛立ちが浮かぶ。


「先に? お前、話聞いてたか?」


 疑問を浮かべているのはモルも同様で、「どういうことだ?」と問う。


「不思議に思わないかい?」


 凰乃は肩越しに振り返った。


「キミが言ったんだよ。猩々緋は無駄な喧嘩をしない、潰すなら徹底的に、だろう?」

「ああ」

「でも」と凰乃は再び男たちを見る。「彼らの傷を見ても大したことはない」

「テメェ……!」


 男の一人が声を荒げるも、凰乃は気にしない。


「血は流れているが、殴られた拍子に切っただけだ。鈍器で殴られた形跡もなければ、刃物で刺された傷もない」


 モルも男たちの傷を改めて確認し、納得するように二、三回小さく頷いた。


「……確かにな」

「彼らが負った傷は、これまで見てきた猩々緋の暴力と変わらない。喧嘩を売られたから買った。向けられた暴力を、より強い暴力で抑え込んだ。必要以上に痛めつけるわけではなく、反抗するのは無駄だとわからせるための最低限だ」


 凰乃は僅かに目を細めた。


「赤地区の秩序から、何も逸脱していない」

「……」


 凰乃の言葉に黒狗の男たちの顔が歪む。しかし、誰も声を発することはない。気に入らないだろうが、実際に殴られた彼ら自身が一番よく理解しているはずだった。

 力の差は歴然。

 本気で殺すつもりだったのなら、この程度では済まない。


「それに、猩々緋が街の掃除を始めたという噂──噂だろう? どうせ見てないんじゃないかい? 猩々緋の構成員が、キミたち黒狗や薔薇悪鬼を一方的に襲っているところを」


 話すほど、凰乃の表情には呆れが浮かんでいき、声音は冷めていく。男たちを見下ろす瞳は冷たく、つまらなそうにため息まで吐く始末だ。

 年下の少女からそんな態度を向けられることが癪なのだろう、男は歯噛みしながらも凰乃を睨みつけた。


「勘違いだって言いてぇのか?」

「違うのかい?」

「猩々緋以外のグループが軒並み襲われてんだぞ! 死人だって出てる! 赤地区の王様気取りが邪魔な勢力を片っ端から潰して、街を一色に染め上げる気なんだよ!」


 死人という言葉にモルは目をむいた。


「連中が殺し? 冗談だろ」

「そんなつまらねぇ冗談言うかよ」


 男の顔が苛立ちに染まる。


「殺された奴らの傷は酷いもんだった。手足が千切れてる奴もいた。肉を抉られた奴も。顔を潰された奴もいれば、腹に穴をあけられた奴もいる。辛うじて生きてた連中だって重症だ。ただ命を奪われなかっただけで、やられ方は死人と変わらねぇ」


 苛立ちが憎悪に代わっていく。

 凰乃を見据える瞳には殺意が宿っていた。しかし、その視線は凰乃に向いているだけで、見ているものは別の何かのようだった。


「──赤嶺(あかみね)」


 男がこぼした名前に凰乃は首を傾げた。モルに振り返り、表情で訊ねる。


「猩々緋のリーダーだ」


 とモルは答え、凰乃から男たちへ向く。


「だが、赤嶺がそんなことするとは思えねぇけどな」

「じゃあ他に誰がいる?」男が即座に返した。「同じことができる奴が」

「……」


 モルは口を噤んだ。否定したが、断言はできない。

 その僅かな迷いを、凰乃は見逃さなかった。

 思考へ沈んでいく。

 これまで見てきた猩々緋の行動には一貫性があった。暴力はトラブルを対処するための手段。自分たちから因縁をつけることはしない。

 必要最低限。

 モルの反応を見ても、猩々緋が殺しを常態化させている集団ではないことはわかる。水面下で他勢力との抗争はあるようだが、そういった場面でも相手の命を奪うことはしないのだろう──その証拠に、黒狗たちは『死人が出た』という事実そのものに憤っている。

 もし日常的な出来事なら、ここまで騒ぎにはならない。

 猩々緋という組織が持つ思想は、悪が悪を引き受ける、凰乃が考える悪の秩序に、どこか近いもの。

 故に彼らの暴力を美しく思っていた──けれど、潰すときは徹底的にやるというその『徹底』が、相手の命まで奪うところへ踏み込んだのだとしたら。


「……」


 そこまで思考が進んだとき、凰乃はふと眉を寄せた。

 ──おかしい。

 視線を巡らせる。右、左、路地の裏、壁際、負傷者、負傷者、負傷者、そして。


(──死体がない)


 ここまで何人もの傷ついた人間を見た。なのに、一人として死んでいない。血を流す者や顔を腫らしている者、歩けないほど痛めつけられた者もいる。だが、どれも喧嘩の延長にある傷だ。

 黒狗の男が語ったような、手足を千切られ、肉を抉られ、顔を潰され、腹に穴を開けられた人間など、どこにもいない。

 猩々緋の行動。

 黒狗たち証言。

 他勢力の被害。

 並べられた情報が綺麗に繋がらない。

 死人が出ていることは事実なのだろう。猩々緋以外の勢力に被害が出ていることも事実──ならば、一体どの要素が不実なのか。

 あるいは、どこにも虚実がないのだとしたら?


「……赤嶺」


 凰乃は無意識にその名を口にしていた。

 猩々緋のリーダー。

 今起きている抗争の始点となった──いや、始点だと思われている人物。

 ならば、本人に会うことが一番手っ取り早いだろう。


「その赤嶺という人はどこにいるんだい?」


 凰乃は黒狗の男たちへ訊ねた。

 はっ、と鼻で笑う男は通りの向こうを一瞥し、吐き捨てるように言った。


「猩々緋のアジトにでも引き籠ってんだろ。俺たちだって奴に用があんだ。だから猩々緋の連中を襲って、赤嶺を引っ張り出そうとしてる」


 ──それで返り討ちにあってるんだね。

 と凰乃は思ったが声には出さず、


「これだけ騒ぎになってるのに、リーダーは出てこないんだね」


 代わりに別の疑問を口にする。

 それにはモルが答えた。


「赤嶺は基本街には出てこねぇよ」

「そうなのかい?」

「ああ。アイツが動くのはデカい案件の時だけだ。他所の組織──蒼月会(そうげつかい)や黄金楼(おうごんろう)との抗争くらいじゃないか」


 ふぅん、と凰乃は通りの向こうを見やった。

 どうやらこの先に猩々緋のアジトがあるらしい。


「お前、まさか行く気じゃないよな?」


 アジトの方向を見据える凰乃に、モルは呆れたように言った。

 問いかけではあるも、答えはすでにわかっているのだろう。

 振り向いた凰乃の微笑が、何よりも雄弁に物語っていたから。


「……だよな」


 モルが頭を抱える。


「おいおいクソガキ」と黒狗の一人が嘲笑うように声を上げた。「お前赤嶺に会いに行くのか?」

「そのつもりだけど」

「だったらやめとけ」

「おや?」と凰乃は目を丸くした。「心配してくれるのかい?」

「んなわけねぇだろ」


 男は吐き捨てた。


「邪魔すんなっつってんだよ。これからデカい抗争が起こる」

「デカい抗争?」


 言葉をなぞったモルに、男は目を向けた。


「おっさん、裏側のことに詳しいみてぇだが、やられてる奴ら見て、何か気付かねぇか?」

「……」


 男は周囲にいる負傷者を見回した。凰乃も視線を追って眺めたが、問われたモルは左右を一瞥するだけだった。

 問われるまでもなく疑問に思っていたことなのだろう。

 様々な勢力の構成員が負傷し、道端に倒れていた──が、とある一つの集団だけは負傷者がいない。

 いや、そもそも姿がなかった。

 凰乃はモルの表情から、すでに答えが出ていることを察する。


「モル」


 名前を呼ぶと、モルは小さく息を吐いた。


「……紅狼鬼(こうろうき)の姿が見えねぇな」

「紅狼鬼?」

「ああ。赤地区にいる最後の一組だ。黒狗、薔薇悪鬼といる中で紅狼鬼は一番勢力がデカい。赤地区を支配する猩々緋が頂点なら、紅狼鬼はその次──かつて猩々緋との抗争に敗れた、赤地区の元支配者だ」

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