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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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従者たちの覚悟

 その夜、従者たちが広間に集まった。暖炉に大きな薪が投じられ、橙色の炎が広間を温かく照らしている。窓の外は真冬の闇で、風が城壁を叩く音が低く唸っていた。


 結界の穴の一件を受けて——そして、教会の軍勢が近づいているという報告を受けて。ヴェルナーが全員の招集をかけた。城に暮らす従者の全てが、広間に集合している。


 ヴェルナーが地図を広げ、現状を説明した。眼鏡の奥の目は冷静だが、声には普段にない力があった。


「教会の軍勢が、魔王領の周辺に展開し始めています。南方から三百、西方から二百。まだ領内には入っていませんが、包囲の態勢を整えつつあります。加えて、本日の結界の穴のように、防衛上の負担が増加しています。二正面——教会と魔物の両方に対処しなければなりません」


 従者たちの顔が引き締まった。二十名ほどの魔族と人間が、広間の椅子や壁際に腰掛けている。マリカ、リュカ、そして城の雑務を担う小柄な魔族たち。フィルはマリカの膝の上で、不安そうに周囲を見回している。


「今後、戦闘の可能性があります。各自、備えを怠らないように。ただし——旦那様の力があれば、城の防衛は可能です。慌てず、指示に従ってください」


 ヴェルナーの説明が終わった。静寂が落ちた。灯火の燃える音だけが響いている。


 リーリエは広間の隅に立っていた。従者たちの表情を見ている。不安。緊張。けれど——恐怖ではない。何か別のものが、その顔にあった。覚悟のようなもの。この場所を守りたいという意志のようなもの。


 マリカが立ち上がった。


 小柄な女性が、広間の中央に歩み出る。エプロン姿のまま。料理の匂いがまだ漂っている。今日の夕食の煮込みの匂いだ。


「皆さん」


 マリカの声は、いつもの柔らかさだった。けれど——芯があった。鉄の芯だ。この人は普段は柔らかいが、大切なことを言うときには、誰よりも強くなる。


「私は戦えません。剣も持てないし、魔法も使えません。包帯を巻くのも下手です。でも——私は、この城の食卓を守ります。皆さんのお腹を空かせません。それが私の戦いです」


 従者の一人が笑った。角が三本ある大柄な魔族だ。「マリカさんの飯がなくなったら、俺ら全員戦意喪失だよ」。笑いが広がった。張り詰めた空気が、少しだけ和らいだ。


 マリカが笑顔で応え、それからリーリエに向き直った。目が真剣だった。


「リーリエ様」


 リーリエが目を瞬かせた。


「私たちは——あなたを守ります」


 広間が静まった。マリカの声だけが響いている。


「あなたは私たちの家族です。この城に来てくれて——私たちの毎日が、変わりました」


 マリカの声が、僅かに震えた。けれどすぐに持ち直した。


「旦那様が笑うようになりました。五十年仕えて一度も見たことがなかった笑顔を、リーリエ様が来てから何度も見ました。リュカが張り切るようになりました。毎日新しい料理に挑戦して、リーリエ様に食べてもらおうとしています。フィルが『お姉ちゃん』と呼べる人ができました。あの子にとって、リーリエ様は初めてのお姉ちゃんです」


 フィルがマリカの膝から身を乗り出した。「お姉ちゃん!」と声を上げた。


「聖女様は私たちの家族です。家族を——守ります」


 従者たちが頷いた。一人、また一人と。大柄な魔族が拳を握り、小柄な魔族が尻尾を揺らし、人間の従者が剣の柄に手を置いた。


 リュカが壁から身を起こした。いつもの軽い口調だが——目が違った。いたずらっぽい光ではなく、真剣な光が宿っている。


「俺もっすね。難しいことはわかんないっすけど——お嬢がここにいてくれるのが、俺は嬉しいっすよ。旦那様が変わった。城が明るくなった。俺がここにいる意味ができた。だから守りたいっす。それだけっす」


 ヴェルナーが眼鏡を押し上げた。レンズの奥で、琥珀色の目が光っていた。


「私は参謀として、この城の防衛に全力を尽くします。リーリエ様を——そしてこの城の全員を守る策を、必ず立てます。知恵で守れるものは、知恵で守ります」


 フィルが駆け寄ってきた。マリカの膝から飛び降りて、リーリエの手を握り、見上げる。金色の目が輝いている。小さな角がぴょこんと揺れた。


「お姉ちゃん、どこにも行かないでね! フィル、お姉ちゃんがいないとやだ!」


 リーリエは——言葉を失った。


 家族。


 その言葉を、こんなふうに向けられたことがなかった。


 教会で「家族」は存在しなかった。聖女候補たちは同僚であり、競争相手であり、聖職者たちは上官だった。両親は——リーリエを教会に引き渡し、それきりだ。「家族」は概念としては知っていたが、実感として知らなかった。教科書の中にある言葉だった。


 今、二十人の人間と魔族が、リーリエを「家族」と呼んでいる。名前を知っている。顔を知っている。好みを知っている。朝の寝起きが悪いことも、リュカの菓子が好きなことも、フィルの頭を撫でるのが上手なことも——知っている。


「……家族」


 リーリエの声が、掠れた。


 胸の奥で、凍結した何かがまた一つ——ひび割れた。音がするほどに。ぱきり、と。氷が割れる音が、胸の奥から聞こえた。


「ありがとう、ございます」


 頭を下げた。深く。目が——熱い。涙が出そうだった。けれど出なかった。まだ——泣き方を忘れている。涙の出し方を、身体が覚えていない。


「頭を上げてくださいよ、お嬢」


 リュカが笑いながら言った。


「家族に頭下げるのは変っすよ」


「……そう、ですか」


「そうっすよ。家族なんだから——堂々と、ここにいればいいんす」


 リーリエは頭を上げた。従者たちの顔を見た。笑っている。泣きそうな顔で笑っている。不安はある。恐怖もある。けれど——この場所を守りたいという意志が、それら全てを上回っている。


 カインは広間の入り口に立っていた。腕を組んで、壁にもたれている。何も言わない。ただ——見ている。


 深紅の瞳が、微かに——柔らかかった。


 リーリエはフィルの手を握り返した。小さな手。温かい手。


「どこにも行きません」


 フィルに向けて言った。フィルが「やったー!」と飛び跳ねた。小さな角がぴょこぴょこ揺れる。


 広間に笑い声が広がった。明日のことは、わからない。教会の軍が来るかもしれない。結界がまた裂けるかもしれない。


 けれど今夜——この城は、家族の温かさで満ちていた。


 リーリエは広間の隅に座り、その温かさを全身で受け止めていた。教会にいた頃、「家族」という言葉は痛みだった。引き離された両親の記憶。もう二度と会えない人たち。けれど今——この城の人たちが「家族」と言ってくれる。その言葉が——温かい。痛みではなく、温かさとして胸に落ちる。


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