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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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第三の声

 夢は、三度目だった。


 炎の中に、女性がいる。


 白い衣。長い髪。穏やかな微笑み。壁画で見た——初代聖女に、似ている。いや、壁画よりも鮮明だ。顔の輪郭が見える。頬の形が見える。瞳の色が——見える。


 碧い目だった。深く、透き通った碧。湖の底のような碧。その目に——悲しみと、希望と、切実さが入り混じっている。


 一度目の夢では、炎の向こうにぼんやりと人影が見えるだけだった。二度目は声が聞こえた。けれど言葉にはならなかった。三度目の今夜は——はっきりと、見える。


 女性が手を伸ばしている。炎の中から——リーリエに向かって。白い手。細い指。指先が炎に揺れている。唇が動いている。声が——聞こえる。


「……方法が……ある……」


 断片的な声。炎のざわめきに紛れて、途切れ途切れに届く。風の中で蝋燭の炎が揺れるように、声が途切れ、また繋がる。


「……聞いて……あなたに……伝えたい……」


 リーリエも手を伸ばした。夢の中で、指先が熱くなる。炎が近い。女性の手が近い。あと少しで届く——指と指の間の距離が、夢を見るたびに縮まっている。


「……炉を……変える……方法が……一人じゃ……なく……」


 声が途切れた。炎が大きく揺れ、女性の姿が霞んでいく。リーリエが「待ってください」と叫んだ。声が出たのかどうかもわからない。夢の中では声は音にならない。叫んでも、風に溶けて消えてしまう。


 炎が収まっていく。女性の姿が薄れていく。最後に——碧い目だけが残った。悲しみと、希望と、切実さが入り混じった目。伝えたいのに伝えきれない——そのもどかしさが、碧い瞳に溢れていた。


「……お願い……覚えて……」


 夢が途切れた。


 ——目が覚めた。


 リーリエは寝台の上で目を開いた。天井が暗い。夜はまだ明けていない。窓の外に星が見える。額に汗が滲んでいる。心臓が速い。左胸の紋章が熱い——夢の後はいつもそうだ。紋章が反応している。炉との繋がりが、夢の間に強まるのだ。


「方法……」


 唇が勝手に動いた。夢の中の声を復唱している。


「炉を変える、方法……一人じゃなく……」


 三度目の夢は、これまでで最も鮮明だった。女性の顔が見えた。碧い目が見えた。声が——言葉として聞こえた。「方法がある」と。「炉を変える」と。そして——「一人じゃなく」。


 壁画のもう一つの炎と——繋がっている。一人の大きな炎ではなく、大勢の小さな灯火。壁画が示していたものと、夢の声が告げるものが——同じ方向を指している。


 リーリエは寝台から降り、部屋を出た。廊下は暗い。夜明け前の冷えた空気が肌に触れた。素足のまま、石の床を歩く。冷たい。けれど胸の紋章が温かいから、身体全体はそれほど寒くなかった。


 カインの執務室に向かった。


 扉を叩いた。


「カインさま」


 数秒で扉が開いた。カインは——起きていた。書庫の本を手にしたまま、リーリエの顔を見る。眠っていなかったのだろう。目の下に薄い隈がある。


「どうした。顔が白い」


「夢を——見ました」


「例の夢か」


「はい。今度は——声が聞こえました。はっきりと」


 カインの表情が変わった。緩んでいた目が鋭くなり、身体が一歩前に出た。リーリエを中に入れ、椅子に座らせた。自分は向かいに座り、身を乗り出す。


「何と言っていた」


「『方法がある』と。それから——『炉を変える方法が』と。そして——『一人じゃなく』」


「一人じゃなく」


 カインが復唱した。声に微かな震えがあった。


「はい。断片的で、全ては聞き取れませんでしたが——『一人じゃなく』という言葉は、確かに聞こえました」


 カインが椅子の背にもたれ、天井を見上げた。深紅の瞳が光を弾いている。思考が高速で回転しているのが、その目の動きからわかった。


「壁画のもう一つの炎。無数の小さな灯火。そして夢の声の『炉を変える方法』と『一人じゃなく』。——繋がるぞ」


「はい。あの壁画を描いたのが初代聖女なら——そして夢の中の女性が初代聖女なら——」


「初代聖女が、お前に何かを伝えようとしている。五百年前に見つけた——あるいは見つけかけた方法を」


 二人の目が合った。薄い青紫と深紅。夜明け前の暗い部屋で、二つの瞳だけが光を持っていた。


「初代聖女は炉に身を投じた。けれどその前に——別の方法を知っていた可能性がある。一人の命を犠牲にするのではなく、大勢の力で結界を支える方法。壁画に描き、そして今、夢を通じてリーリエに伝えようとしている」


「なぜ、私に」


「お前が聖女だからだ。炉と繋がっている。炉の中に初代聖女の魂が眠っているなら——同じ炉と繋がるお前に、声が届くのかもしれない。お前だけに」


 リーリエは手のひらを見つめた。左胸の聖女の紋章が、微かに温かい。紋章の光が、衣服の下でぼんやりと白銀に輝いている。


「もっと——聞けるでしょうか。次の夢で」


「わからない。だが手がかりにはなる。壁画と夢が呼応している。二方向から同じものが見えている。偶然ではない」


 カインが立ち上がり、書棚から古い文献を引き出した。


「初代聖女の研究記録を探す。壁画に描いた者なら、文字でも何か残しているかもしれない。五百年の間に散逸した可能性は高いが——一片でも見つかれば」


「私も手伝います」


「……お前は寝ろ。夢の後は消耗しているはずだ。紋章が光っている。炉との接続が強まった証拠だ。身体に負担がかかっている」


「大丈夫です」


「大丈夫じゃない。顔色が白い」


 カインがリーリエの額に手を伸ばした。熱を測るように。指先がリーリエの額に触れ——温かかった。いや、リーリエの額が冷たかったのだ。カインの手の温度が、氷のように冷えた額に染みた。


「……微熱がある。寝台に戻れ」


「でも」


「明日でいい。文献は逃げない。お前の身体は逃げる。無理をすると消耗が加速する」


 リーリエは反論しかけて——やめた。カインの声に、有無を言わせない力がある。心配の力だ。怒りではなく、恐れでもなく——ただ純粋に、この人の身体を案じている声。


「……わかりました」


 立ち上がり、扉に向かう。振り返って、言った。


「カインさま。初代聖女は——伝えたかったのだと思います。私たちに。ここに、方法があると。一人じゃなくて済む方法が、あると」


「ああ。聞いている。俺たちは——聞いている」


 リーリエが出ていった。


 カインは一人、執務室に残った。手のひらを見つめた。リーリエの額に触れた手。微かな熱が、まだ指先に残っていた。冷たい額と、温かい紋章の光。


「イリス」


 夜明け前の静寂の中で、初代聖女の名を呟いた。


「五百年遅れたが——聞こえているぞ。お前が残したものを、俺たちは見つける」


 窓の外が、白み始めていた。夜が明ける。新しい日が来る。手がかりを持って。


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