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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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墓標のない聖女たち

 カインは、名簿を一行ずつ読み上げた。蝋燭の炎が揺れるたびに羊皮紙の上を影が走り、文字が明滅する。書庫は静まり返っていて、カインの声だけが石壁に反響している。古い紙と蝋の匂いが空気に溶け、時間の重みを纏わせていた。


 リーリエの前で。灯火の下で。一人ずつ、丁寧に。死者に対する敬意を込めて。消された名前を、声に出して蘇らせるように。五百年間沈黙させられてきた聖女たちの名前を、この書庫の中に響かせた。


「……第五代聖女ゾフィー。十五歳で覚醒。十七歳で死亡。在任二年」


 リーリエが静かに復唱した。


「十七歳」


「第三代聖女アネリーゼ。十五歳で覚醒。十九歳で死亡。在任四年」


「十九歳」


「第二代聖女エルゼ。十五歳で覚醒。二十一歳で死亡。在任六年」


「二十一歳」


「第四代聖女ブリギッテ。十五歳で覚醒。二十四歳で死亡。在任九年」


「二十四歳」


 その数字が積み重なっていく。


 十七歳。十九歳。二十一歳。二十四歳。二十歳。十八歳。二十三歳。十九歳。二十二歳。二十歳。二十一歳。


 全て覚醒は十五歳。聖女の覚醒年齢が十五歳に固定されていること自体が、制度の設計を示している。十五歳——子供でもなく大人でもない年齢。自分の運命に抗えるほどの力はなく、炉の燃料としての出力は十分に高い。教会はそこまで計算していたのだろうか。計算していたに違いない。


 リーリエの声は淡々としていた。数字を読み上げる声に感情はない。まるで帳簿を確認するように、一つずつ、正確に。


 その淡々さが——逆に痛かった。


 泣くならまだいい。怒るならまだいい。けれどリーリエは、自分と同じ運命を辿った聖女たちの死亡年齢を、まるで天気を読み上げるように復唱している。それは感情の欠如ではなく——感情が深すぎて表面に出てこないのだ。水底に沈んだ叫びは、水面には波を立てない。


 カインは名簿を閉じた。


 拳を握りしめた。指の関節が白くなるまで。


「何人、殺した——教会は」


 声は低かった。低く、深く、喉の奥から絞り出すような声だった。書庫の空気が振動した。


「十二人。わかっているだけで十二人。実際はもっと多い。五百年の間に、何十人もの聖女を炉に投げ込んだ。十五歳の少女を覚醒させ——命の火が消えるまで燃やし続けた」


 カインの声が震えた。怒りで。


「『崇高な犠牲』だと。『世界を守る使命』だと。笑わせるな。あれは——殺しだ。組織的な、計画的な、何百年も続いた殺しだ。一人殺して、次の燃料を調達して、また殺す。それを繰り返してきた。制度として。伝統として。《《正義として》》」


 拳が机を叩いた。名簿が跳ねる。灯火が大きく揺れ、影が壁に踊った。インク壺が倒れかけたのを、ヴェルナーが素早く押さえた。


 リーリエは、泣かなかった。怒りもしなかった。


 ただ——静かに、問うた。


「……墓標はあるのでしょうか。この人たちに」


 カインの怒りが、一瞬止まった。


 リーリエの目が、名簿の上で止まった。


「墓標」


「はい。この人たちが死んだ後——お墓は作られたのでしょうか。花を手向ける場所は。名前を刻んだ石は。この人たちがここにいたと——証明するものは」


 カインは答えられなかった。


 五百年の間、カインは歴代聖女の墓を探したことがあった。教会の聖地、各地の墓所、記念碑——どこにもなかった。聖女の死は「崇高な昇天」として記録され、遺体は炉の中で灰になる。灰すら残らない。骨も残らない。墓を建てる必要がない——教会はそう判断した。聖女は「役目を終えた燃料」にすぎないのだから。


「……ないだろう」


 カインの声が、掠れた。怒りとは別の感情が、喉を締め付けていた。


「教会は聖女の死を『崇高な犠牲』として片づけた。個人の墓は作らない。名前は記録から消す。聖女は——最初から、人間として扱われていない。生きている間は燃料として使い、死んだ後は存在ごと消す」


 リーリエが名簿を見つめた。十二の名前。十二の短い人生。十二の消された墓標。


「覚えていてほしかったでしょうね」


 リーリエの声が、僅かに——ほんの僅かに——揺れた。水底の叫びが、一瞬だけ水面に触れたような。


「自分が生きていたことを。名前があったことを。苦しかったことを。誰かの隣で笑ったことを。好きな花があったことを。——誰かに、覚えていてほしかったはずです」


 カインがリーリエを見た。薄い青紫の瞳が、名簿の上に注がれている。乾いた目。涙はない。けれどその瞳の奥に、微かな光があった。共感の光——同じ聖女として、同じ苦しみを知る者としての。


 この少女は、名簿の聖女たちの中に——自分を見ている。


「覚えていてやれ」


 カインが言った。声は低いが、柔らかかった。


「お前にしかできない。同じ聖女として——この人たちの名前を覚えていられるのは、お前だけだ」


 リーリエが顔を上げた。カインの深紅の瞳が、真っ直ぐにリーリエを見ている。怒りはまだ燃えていた。けれどリーリエに向ける目は——柔らかかった。怒りの炎の中に、温かな灯火がある。


「……はい」


 リーリエは名簿を手に取った。丁寧に折り畳み、胸に抱えた。


「覚えています。この人たちのことを。名前を、忘れません」


 灯火が静かに揺れた。


 十二の名前が、リーリエの胸の中に収められた。消された頁から掘り起こされ、ようやく誰かに覚えてもらえた名前。五百年の沈黙が——少しだけ、軽くなったような気がした。


 カインは書庫の窓から外を見た。夜空に星はなく、雲が重く垂れ込めている。


 教会は何人殺した。この先、何人殺す気だ。


 五百年。十二人。一人当たり四十年に一人。四十年ごとに一人の少女が炉に送られ、命を搾り取られ、死に、名前を消された。次の聖女が見つかるまでの間、結界は弱まる。人々は不安に怯える。そして新たな聖女が見つかり、炉に繋がれ、また同じ循環が始まる。終わりのない、犠牲の連鎖。


 リーリエはカインの横顔を見た。カインの拳は白くなるほど握りしめられていた。顎の筋肉が硬く浮き出ている。深紅の瞳に、炎のような怒りが灯っている。この人は——怒っている。リーリエの代わりに、リーリエがまだ感じられない怒りを、代わりに感じてくれている。


 その怒りが——リーリエの胸の奥で、小さな火種になった。怒りの形はまだ明確ではない。けれど凍結した感情の下で、何かが確かに熱を持ち始めていた。怒ることは——感じることだ。感じることは——生きていることだ。


 カインが名簿を静かに畳んだ。「覚えていろ。この名前を。忘れるな」——声は低かったが、揺るぎなかった。


 答えは決まっている。


 これ以上は——一人たりとも。決して。


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