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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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人柱

 カインがすべてを話したのは、その日の夕方だった。窓の外が茜色に染まり始めていた。


 場所は執務室。先程の会話の続き——ではなく、仕切り直しだった。カインはリーリエが「薄々知っていた」ことを受けて、なお正式に伝える必要があると判断した。知っていることと、言葉にされることは違う。曖昧な感覚を放置するのは不誠実だ。リーリエには、正確な言葉で伝えなければならない。


 リーリエを呼び、席に着かせた。


 今度はカインも座った。机を挟んで向かい合う。蝋燭に火を入れ、窓のカーテンを閉めた。外の世界を遮断する。この話は、二人だけのものだ。冬の日が短い。もう外は暗くなり始めている。


 カインは一つ息を吐いた。


「改めて話す。全部だ」


「はい」


 リーリエが頷いた。穏やかな表情。背筋を伸ばして座り、両手を膝の上に揃えている。教会仕込みの姿勢だ。「話を聞く」態度として叩き込まれたもの。リーリエ自身はもう無意識でやっているのだろう。


 カインは一つずつ、順を追って語った。


「聖女とは——人柱(アンカー)だ」


 その言葉を口にしたとき、カインの声が僅かに掠れた。何度も反芻した言葉のはずだ。書庫でヴェルナーに語ったとき、一人で反復したとき、何度も口にした。しかしリーリエの前で言う重さは、まったく別のものだった。


「世界の結界を維持する装置——聖なる炉サンクトゥス・フォルナクスがある。教会の最深部に。炉は聖女の命を燃料にして稼働し、結界を生み出している。お前の命は、今この瞬間も消耗し続けている。結界が世界を守り続ける限り——お前の命は燃やされ続ける」


 淡々と。感情を排して。事実だけを。カインなりの誠実さだ。美しい言葉で包まない。教会のように「崇高な犠牲」とは言わない。燃料は燃料だ。人柱は人柱だ。


「教会はこの仕組みを知った上で、歴代の聖女を炉に繋いできた。聖女が命を削り、結界を維持し、やがて力尽きて死ぬ。死ねば次の聖女が選ばれ、また炉に繋がれる。何百年もの間、それが繰り返されてきた。それが——聖女制度の正体だ」


 カインは言い切った。声は最後まで平静を保っていた。しかし机の下で——拳が握られていた。


 沈黙が落ちた。


 蝋燭の炎が揺れている。影が壁の上で踊る。リーリエの銀灰色の髪が炎の光を受けて、淡い金色に見えた。静かな部屋。静かな時間。しかしその静けさの下に、途方もない重さがある。


 リーリエは黙っていた。長い沈黙だった。十秒。二十秒。三十秒。蝋燭の芯が「ぱちり」と音を立てた。壁の影が揺れた。カインは急かさなかった。待った。リーリエが言葉を見つけるまで。水面に石を投げた後、波紋が広がるのを待つように。


「やはり、そうでしたか」


 リーリエの声は——穏やかだった。


 驚きはなかった。怒りもなかった。ただ、確認するような声。天気予報を聞いて「やはり、そうでしたか」と頷くような。


「それだけか」


 カインが問うた。声を抑えて。


「驚いていないわけではありません」


 リーリエが窓のカーテンに視線を向けた。外は見えない。暗い布が窓を覆っている。


「ただ——言葉にされると、重いですね」


 重い。


 その一語に、リーリエの感情の一端が覗いた。「重い」という感覚を言葉にしたこと自体が、リーリエの変化の証だ。以前なら「そうですか」で終わっていただろう。


「薄々知っていることと、はっきり言葉にされることは違うのだと、今わかりました。知識が重さを持つ瞬間というものがあるのですね。曖昧なまま抱えていたものが、言葉になった途端に——手の中で形を持って」


 リーリエの声は変わらず穏やかだった。しかし——言葉の選び方が、いつもより丁寧だった。慎重に言葉を選んでいる。崩れないように。一語ずつ、自分に確認しながら。


「カインさん」


「何だ」


「教えてくれて、ありがとうございます。隠すこともできたのに」


「隠す気はなかった。お前には知る権利がある」


「権利、ですか。教会では、知る権利などありませんでした。与えられるのは『崇高な使命』だけで。知識は隠され、真実は美しい言葉で覆い隠され。聖女は何も知らないまま命を削られ続ける——そういう仕組みでした」


 リーリエが微かに笑った。笑い——ではなかった。唇の端が僅かに上がっただけ。しかしその表情は、皮肉でも自嘲でもなかった。何かを確認するような——小さな安堵のようなもの。


「あなたは、隠さないのですね」


「ああ」


「それが——少しだけ、嬉しいです」


 嬉しい。


 リーリエの口からその言葉が出たのは、カインの記憶では初めてだった。


 リーリエが立ち上がった。


「少し一人になります。——心配しないでください。窓から飛び降りたりしません」


「……冗談で言うな」


「半分は冗談です」


「半分は冗談じゃないのか」


 リーリエが答えずに部屋を出ていった。足音が廊下に消えていく。軽い足音。華奢な身体が立てる、小さな音。


 カインは追いかけなかった。今はリーリエに時間が必要だ。受け止めるための時間。消化するための時間。一人で静かに——重さを量る時間。


 その夜。


 リーリエは自室のベッドに座っていた。蝋燭は消してある。月明かりだけが窓から差し込み、部屋を青白く照らしている。


 人柱。


 聖女とは人柱。命を燃料に世界を支える装置の一部。教会はそれを知りながら、歴代の聖女を送り込み続けてきた。「崇高な犠牲」と言い、「世界のため」と言い、少女たちの命を——。


 手が震えていた。


 リーリエは自分の手を見た。膝の上に置いた両手が、微かに——しかし確かに——震えている。月明かりの中で、白い手が震えている。


 知っていたはずだ。薄々、感じていたはずだ。カインに言われて驚いたわけではない。新しい情報ではない。


 なのに——手が震えている。


 「知っていた」と「言葉にされた」の間には、深い溝があった。曖昧な感覚のまま抱えているときは、まだ否定の余地があった。「気のせいかもしれない」「考えすぎかもしれない」と。


 しかしカインの声で告げられた瞬間、否定の余地が消えた。


 自分の命は燃料だ。今この瞬間も燃やされている。教会はそれを知っていた。


 事実だ。覆せない事実だ。


 涙は出なかった。感情が凍結しているから。泣くための回路が閉じている。しかし身体は正直だった。手が震える。唇が微かに震える。目の奥が——熱い。


 泣けない。泣けないのに、身体だけが泣こうとしている。


 リーリエは震える手を握りしめた。ぎゅっと。爪が掌に食い込むほど強く。


 誰にも見せない。この震えは、誰にも。


 月明かりの中で、リーリエは一人、手を握り続けた。


 長い夜だった。


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