表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/74

解放という名の鎖

 レオンハルトの要求は明確だった。


 門前に立つ聖騎士団長の声は、城壁に反射してリーリエの耳にまで届いた。風が砂を巻き上げ、レオンハルトの白い外套をはためかせている。陽光が甲冑の肩当てに当たり、眩しい光の点を散らしていた。


「聖女と直接話がしたい。二人きりで」


 カインの表情が硬くなった。顎の筋肉が僅かに動き、深紅の瞳に鋭い光が走った。


「必要ない。リーリエは教会に戻る気はない。以上だ」


「それは聖女自身の言葉ではないだろう。魔王の言葉だ」


 レオンハルトの琥珀色の目が揺らがない。真っ直ぐな目だった。嘘がつけない目。この人は本気で、聖女の意思を確認したがっている。「魔王に洗脳された聖女」を「解放」するのではなく、聖女自身の口から聞きたいのだ。


 それは——誠実な態度だった。


 カインが歯を食いしばるのが見えた。言い返したいだろう。「リーリエの気持ちは俺が一番知っている」と。けれどそれは——嘘になる。リーリエの気持ちは、リーリエにしかわからない。


 リーリエは、城壁の階段を降りた。


 中庭に出ると、カインが振り向いた。「リーリエ、戻れ」と言いかけたが、リーリエはその前に口を開いた。


「話します」


「何を——」


「この人と。私の口で答えます」


 カインの深紅の瞳が揺れた。拒否したい。それは顔に書いてあった。この人は嘘が下手だ。表情に全部出る。出ていないと思っているのは本人だけだ。


 けれどリーリエが一歩を踏み出し、カインの隣を通り過ぎたとき——カインは腕を伸ばしかけて、止めた。握りかけた手を開き、拳を下ろした。


「……わかった」


 低い声だった。不本意を押し殺した声。


「ただし、俺はここにいる」


「構いません」


 門が半分だけ開かれた。リーリエが門前に出る。聖騎士たちが一斉に姿勢を正した。白銀の鎧が陽光を弾き、リーリエの目が一瞬眩んだ。教会にいた頃は毎日見ていた光だったのに、今は眩しく感じる。


 レオンハルトが進み出た。


 近くで見ると、記憶通りの顔だった。真っ直ぐな目、刀傷のある頬、日に焼けた肌。けれど以前会ったときより少し痩せている。目の下に薄い隈がある。行軍の疲れだろうか——それとも、この任務そのものに苦悩しているのか。


「聖女様」


 レオンハルトが片膝をついた。騎士の礼。甲冑が地面に触れる硬い音がした。頭を垂れ、剣を地面に突き立てる。古来の敬意の形式だ。


「ご無事で何よりです。教会に戻れば安全です。大司教猊下が聖女様のお帰りをお待ちです」


「安全、ですか」


 リーリエは静かに繰り返した。安全。その言葉が口の中で転がる。苦い味がした。


「はい。教会はあなたを守ります。聖騎士団が護衛を務め、以前のような——」


「以前のような」


 リーリエの声が、ほんの少し冷えた。自分でも意外なほどに。


「以前のような、とは何でしょうか。以前のように祭壇に座り、身体を焼かれながら結界を維持する、ということでしょうか」


 レオンハルトの口が止まった。片膝をついたまま、顔を上げた。


「あるいは、冷たい石の部屋で一人きりで朝を迎え、身体の芯が燃え続けるのを耐える日々に戻る、ということですか」


「聖女様——」


「教会が守ったことは、一度もありませんでしたが」


 言葉が、静かに刺さった。


 レオンハルトの琥珀色の目が見開かれた。リーリエの声には怒りがなかった。恨みもなかった。ただ事実を述べただけだった。それが余計に重い。叫びよりも、囁きのほうが深く突き刺さることがある。


「……聖女様、それは……」


「あなたは、聖女が何をされてきたか、知っていますか」


 レオンハルトが答えられなかった。膝をついたまま、拳を握っている。甲冑の手甲が軋む音がした。


 知らないのだ、とリーリエは思った。この人は何も知らない。教会が聖女に何をしているのか、知らずに「救いに来た」と言っている。正義は本物だ。けれど正義の土台が、砂の上に立っている。


 沈黙が長く伸びた。風が二人の間を通り抜け、リーリエの銀灰色の髪と、レオンハルトの白い外套を揺らした。


「聖女様」


 レオンハルトが立ち上がった。表情が変わっていた。困惑。動揺。そして——初めて浮かんだ、疑問の影。正義の鎧に、最初のひびが入った瞬間だった。


「あなたは……ここに自分の意思でいらっしゃるのですか」


 リーリエは一呼吸おいた。


「自分の意思かどうかは、わかりません」


 正直な答えだった。ここにいるのは、カインに拾われたからだ。自分で選んだわけではない。けれど——


「ただ、教会に戻りたいとは思いません」


 レオンハルトが息を呑んだ。


「なぜ——」


「理由を聞きますか」


 リーリエの薄い青紫の瞳が、レオンハルトを見つめた。穏やかで、けれど底のない目。教会にいた頃は虚ろだった瞳に、今は微かな意志の光が宿っている。レオンハルトはその目から視線を外せなかった。


「……いいえ。今は」


 レオンハルトが後退した。半歩だけ。


「しかし、聖女様。教会の立場として、このままでは引き下がれません」


「ええ。そうでしょうね」


 背後で、カインの気配が揺れた。静かな怒り。しかしリーリエが振り返り、目で制した。大丈夫です、と。


 カインが目を瞬いた。リーリエに制止されることが、初めてだったのかもしれない。あるいは——リーリエが「大丈夫です」と目で語ったことに、驚いたのかもしれない。


「レオンハルト殿」


 リーリエが名前を呼んだ。レオンハルトが背筋を伸ばした。


「あなたは良い騎士だと思います。正義を信じている目をしていますから」


「……光栄です」


「けれど——その正義の先に何があるのか、ご自身で確かめてみてください」


 リーリエは踵を返した。門をくぐり、魔王城の中に戻る。カインが黙って横に並んだ。


 門が閉じる寸前、リーリエは振り返らなかった。けれど背中に、レオンハルトの視線を感じていた。困惑と、痛みを含んだ視線。


 あの騎士は——正しい人だと思う。


 だからこそ、いつか気づくだろう。自分が「救い」と呼んでいるものの正体に。


 門が完全に閉じた。重い木と鉄の音が、中庭に響いた。カインがリーリエの隣に立っていた。何も言わない。ただ——肩が触れそうな距離にいる。


 リーリエは自分の口から出た言葉を反芻した。「教会に戻りたいとは思いません」。それは——ここに来て初めて、自分の意志で「拒否」を選んだ瞬間だった。「どうでもいい」ではなく。「どこでも同じ」でもなく。明確に——戻りたくないと。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ