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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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消える輝き

 カインの目が——変わっていた。


 リーリエの視線が、カインの瞳に留まる。深紅の輝きは完全に消え、暗い褐色の瞳がそこにあった。穏やかな、普通の人間の目。五百年分の魔力も、初代聖女の炉の余波も、何もかもが消えた後に残った、素のカイン・ヴェルトールの瞳。


 カインはそれに気づいていなかった。鏡がないこの場所では、自分の瞳の色を確認する術がない。けれどリーリエの目に映る自分の姿が変わったことは——感じ取っているようだった。


「どんな色だ」


「え?」


「俺の目。どんな色になった」


 リーリエは少し首を傾げて、カインの瞳を覗き込んだ。近い。カインの顔がすぐそばにある。息がかかりそうな距離。


「……暗い褐色。深い焦げ茶色です。温かい色」


「そうか」


 カインが目を伏せた。長い睫毛が影を落とす。


「それが——元の色だ。五百年前の」


 聖騎士だった頃の。初代聖女エルシェの傍にいた頃の。まだ普通の人間だった頃の、若きカイン・ヴェルトールの瞳の色。教会の理想の騎士だった頃の、信仰心と正義感に満ちていた頃の。


 五百年ぶりに、それが戻った。


 カインは炉の壁から背を離し、立ち上がろうとした。


 足がもつれた。


「——っ」


 膝が折れかける。咄嗟に手をついたが、身体が言うことを聞かない。腕の筋肉が震え、支えきれずに肘が折れる。超常的な身体能力が消えた影響が、如実に出ていた。


 五百年間、疲れを知らない身体で動き続けてきた。一日中剣を振っても息が上がらず、徹夜で文献を読んでも目が霞まず、何日歩き続けても足が痛まなかった。人間の限界を遥かに超える動きを当たり前のようにこなしてきた。


 今は——立ち上がるだけで足が震える。


「やっと……普通に戻れた」


 カインは呟いた。


 悲しみはなかった。


 超常的な力を失ったことへの惜しみもなかった。むしろ——安堵に近いものが胸を満たしていた。


 五百年間、人間を超えた存在であり続けた。友を看取り、時代を見送り、世界が移り変わるのを眺めながら、自分だけが変わらずにいた。老いることも、弱ることも、死ぬことも許されなかった。普通の人間として当たり前に経験するはずの——疲れ、衰え、老い——そのすべてから切り離されていた。


 それは永遠の命ではなく、永遠の孤独だった。


 それが——終わった。


 カインは普通の人間になった。


 疲れやすい。壊れやすい。年老いていく。いつか死ぬ。


 それが——こんなにも解放的だとは、思わなかった。普通であることが、こんなにも贅沢だとは。


「大丈夫?」


 リーリエの声が聞こえた。


 カインが顔を上げると、リーリエが手を差し伸べていた。華奢な手。聖女の力を失った、ただの少女の手。紋章の消えた左胸から垂れる銀灰色の髪が、炉の光で淡く輝いている。


「ああ……すまん、足が」


「いいの。私が支える」


 リーリエがカインの腕を取り、肩を貸した。


 小さな肩だった。カインの体重を支えるには頼りない肩。しかしリーリエは踏ん張って、カインの身体を支えた。


 その体勢でゆっくりと立ち上がる。リーリエの身体に体重をかけるのが申し訳なかったが、今のカインの身体では一人で立つのが精一杯だった。いや、一人では立てないかもしれない。


「……情けないな」


「何が?」


「魔王が聖女に支えられてる」


「もう魔王じゃないでしょう。私ももう聖女じゃないし」


 リーリエが小さく笑った。炉の光に照らされた横顔が、穏やかだった。苦痛も諦念もない、素のリーリエの笑顔。


「ただのカインと、ただのリーリエです」


 カインは何も言えなかった。


 ただのカインと、ただのリーリエ。


 魔王でも聖女でもない。超常の存在でも人柱でもない。世界を救った英雄でも、犠牲になった聖者でもない。ただの——二人の人間。


 同じ速度で歳をとる。同じように疲れ、同じように眠り、同じように腹が減り、同じようにいつか——。


 それでいい。


 それが——望んでいた全てだ。


 二人で支え合いながら、炉の中に立っていた。


 かつてカインが一方的にリーリエを守っていた。崖から拾い上げ、魔王城に連れ帰り、食事を用意し、眠りを見守り、教会から守り、戦いから守った。


 今は——リーリエがカインを支えている。


 守る側と守られる側ではない。対等な二人が、互いに寄りかかっている。


「帰ろう」


 リーリエが言った。


「炉の外に」


「ああ。帰ろう」


 二人はゆっくりと、炉の出口へ向かって歩き始めた。


 リーリエの肩に体重を預けながら、カインは思った。


 こんなにも身体が重い。こんなにも足が頼りない。こんなにも——弱い。


 けれど隣に、リーリエがいる。


 それだけで。


 一歩ずつ、歩ける。


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