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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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聖女制度の終焉

 最後の回路が——切り替わった。


 リーリエの指先が回路の最終結節点に触れた瞬間、炉の中を満たしていた光が大きく揺れ、そして——静まった。


 赤い光が消えた。


 五百年間、聖女の命を喰らい続けてきた一点集中型の回路が、完全に停止した。最後の赤い脈動が消え、回路の紋様から赤い色が抜け落ちていく。五百年分の犠牲の痕跡が、光と共に消えていく。


 代わりに——穏やかな白い光が、炉の全ての回路に灯った。万の灯火。世界中の人々の祈りが、無数の小さな光となって回路を流れている。一つ一つは微かだが、集まることで炉全体を満たす光になっている。


「……終わった」


 リーリエの声は掠れていた。身体中の力が抜けて、立っているのがやっとだった。指先が震え、足が笑い、視界がぼやけている。


 けれど——終わった。


 橋渡しが完了した。一点集中型の仕組みが終わり、分散型の仕組みが動き始めた。聖女の命を燃料にする必要は、もうない。回路は不可逆的に書き換えられた。


 もう誰も——犠牲にならない。


 エルシェの魂が、穏やかに微笑んでいた。金色の髪が炉の光に溶けるように揺れ、翠色の瞳に安堵の色が浮かんでいる。


「ありがとう」


 その声は、どこか安堵に満ちていた。五百年間、炉の中で世界を支え続けてきた——その重荷が、ようやく下ろされようとしている。


「これで——私も、休めるわ」


 エルシェの姿が、光に溶け始めた。


 輪郭が薄くなっていく。金色の髪が光の粒子になって散っていく。翠の瞳が淡く輝き、やがて透明に変わっていく。


 五百年間。炉の中に留まり、世界を支え続けてきた魂が——ようやく解放される。


 カインが、かすれた声で言った。


「……さよならだ」


 エルシェが微笑んだ。あの——カインの記憶の中で永遠に消えなかった微笑み。けれど今度の微笑みには、あの日の悲しみがなかった。涙はなかった。炉に向かう前夜の、あの切ない微笑みではなかった。


 安らかな微笑みだった。


「さよなら、カイン。幸せにね」


 最後の言葉。五百年前に言えなかった言葉。


 光が強くなる。エルシェの輪郭が薄れていく。手を伸ばせば触れられそうで——触れられない。魂が光になって、炉の空間に溶けていく。


「——ありがとう」


 最後に呟いたのは、カインだった。


 エルシェの姿が光に溶けて消えた。


 五百年越しの別れ。今度こそ——本当の別れ。けれど五百年前のそれとは違う。あの日の別れは、叫びと絶望と無力の中にあった。今日の別れには——安らぎがあった。


 エルシェが消えた場所に、微かな光の粒子が舞っていた。金色の光。エルシェの髪の色に似た、温かい光。それが消える前に、リーリエは小さく呟いた。


「おやすみなさい、エルシェさん」


 炉の中の空気が、変わった。


 エルシェの魂が去ったことで、炉に縛られていた他の気配も——動き始めた。


 微かな光が、一つ、また一つと浮かび上がる。


 歴代の聖女たちの魂。


 エルシェの後を継ぎ、一人また一人と炉に命を捧げてきた女性たちの魂が——五百年の間、炉の中に留まっていた。初代聖女が作った仕組みの中で、燃え尽きた命の残滓として。名前も顔も、もう誰も覚えていない聖女たち。歴史の中に埋もれた犠牲者たち。


「ありがとう」


 微かな声が聞こえた。最初の一人。若い女性の声。


「おやすみ」


 二人目。少し低い、落ち着いた声。


「やっと……」


 三人目の声は、途切れた。泣いていた。


「がんばったね」


 四人目。


「もう大丈夫なのね」


 五人目。


 リーリエの目から涙が溢れた。


 何人もの声が、光と共に消えていく。一つ一つが微かで、名前も顔も分からない。けれど確かに——かつてリーリエと同じ苦痛に耐え、同じ重荷を背負い、同じように消耗していった聖女たちの声。同じように——死にたいと思ったかもしれない声。


「おやすみなさい」


 リーリエは一人一人に向けて、声をかけた。


「おやすみなさい。もう——大丈夫です。もう誰も、犠牲にならなくていい」


 光が消えていく。一つ、また一つ。温かい光が、炉の空間に溶けて消えていく。


 最後の光が消えるとき、リーリエは静かに告げた。


「みなさんの分まで——生きます」


 かつて死を望んでいた少女の口から出た言葉とは思えない、強い声だった。


 歴代聖女の魂が全て去ったあと、炉の中は静寂に包まれた。


 穏やかな白い光だけが、回路を流れている。万の灯火。誰一人犠牲にしていない光。


 聖女制度が——終わった。


 世界の結界が安定した。各地で揺らいでいた結界が回復し、災厄の気配が消えていく。万の祈りが結界を支え、世界を守っている。空が晴れ、大地の揺れが止まり、人々が安堵の息を漏らす。


 もう聖女は必要ない。


 もう誰も、人柱にならなくていい。


 カインがリーリエの傍に立った。力を失った身体をかろうじて支えながら。


「終わったな」


「はい」


 二人は炉の穏やかな光を見つめた。


 五百年の犠牲の連鎖が、ここで途切れた。


 リーリエの胸の紋章が——まだ微かに光っていた。しかしその光は、もう弱まり始めている。


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