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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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赦されなくてはならないと思っていたのは

 涙が止まったあと、カインはまっすぐにエルシェを見つめた。


 暗い褐色の瞳——超常的な力を失い、本来の色に戻った目で。五百年前と同じ目で、エルシェと向き合っている。あの頃の自分に戻って——若き聖騎士として、初代聖女の前に立っている。


 エルシェは静かに微笑んでいた。金色の髪が炉の光に揺れ、翠色の瞳がカインを映している。五百年前の最後の夜と、同じ顔。あの夜——炉に向かう前夜に、二人きりで話した夜と同じ顔。


「カイン」


「……ああ」


「言いたいことがあるの」


 エルシェの声は穏やかだったが、どこか真剣だった。五百年の間、伝えたくて伝えられなかったことがある——そんな声だった。炉の中から微かな意識で世界を見つめ続けながら、ずっと溜めていた言葉。


「あなたが幸せになることが、私の願いだった」


 カインが目を瞠った。


「……何を」


「ずっとよ。五百年間、ずっと。炉の中から見ていて——一番辛かったのは、世界が結界を必要としていることでも、聖女が犠牲になり続けていることでもなかった」


 エルシェの声が、微かに震えた。


「あなたが、自分を赦さないこと。それが一番辛かった」


 カインは黙った。声が出なかった。


「私はね、カイン。あなたに救ってもらうことを期待していなかったの」


「——」


「私の選択だった。時間がなかったから、自分の命を使う方法を選んだ。あなたを巻き込みたくなかった。あなたに背負わせたくなかった。だから黙って炉に向かったの」


「それでも——」


「あなたは私を止めようとしてくれた。あの壁に何度もぶつかって、肩が外れても、血を流しても、やめなかった。それだけで十分だった」


 カインの拳が震えた。あの日の痛みが蘇る。炉の外壁に体当たりし、弾かれ、また体当たりし、また弾かれた。何度も何度も。肩が外れ、腕の骨にひびが入り、それでもやめなかった。


 それでも——間に合わなかった。


「十分なものか。俺はお前を——」


「救えなかった?」


 エルシェが首を横に振った。金色の髪が揺れる。


「救おうとしてくれた。それは——同じことよ。私にとっては」


 カインは黙った。五百年間、自分に言い聞かせてきた言葉が——「救えなかった」という言葉が、エルシェの声で否定されている。五百年間信じてきた罪が、その罪を犯した相手に否定されている。


「でも俺は……」


 声が震えた。


「俺は……赦されていいのか」


 五百年間の問い。自分を縛り続けてきた鎖。初代聖女を救えなかった罪。その罪を背負い続けることだけが、カインの存在意義だった。贖罪が終わったら——カインには何が残る? 罪がなくなったら——五百年の歳月に、何の意味がある?


 エルシェが——優しく笑った。


 あの笑い方だった。カインが馬鹿なことを言ったときの、少し呆れたような、でも温かい笑い方。


「赦されなくてはならないと思っていたのは、あなただけよ」


 その言葉が、カインの胸を貫いた。


 赦し。


 五百年間求め続けた赦しが——最初から、必要なかったのだ。


 エルシェはカインを恨んでいなかった。怒っていなかった。赦す必要すらなかった。なぜなら、そもそもカインに罪はなかったから。


 罪があると思い込み、赦しが必要だと信じ込み、自分で自分を縛り続けていたのは——カイン自身だった。五百年間の贖罪は、カインが自分に課した枷だった。エルシェが求めたものではなかった。


 膝が折れた。


 炉の床に膝をついたカインの身体を、リーリエが支えた。小さな手がカインの腕を掴み、倒れないように支える。


「カイン——」


「……ああ」


 声が出なかった。涙はもう枯れたはずなのに、また溢れてくる。五百年分の鎖が——一本ずつ、音を立てて外れていく。重い。重かった。こんなにも重い枷を、五百年間背負い続けていた。


 エルシェの視線が、リーリエに移った。


 金色の髪と銀灰色の髪。翠の瞳と青紫の瞳。健康的な佇まいと儚げな佇まい。対照的な二人の聖女が、初めて目を合わせた。


「あなたが——リーリエね」


「はい」


 リーリエが頷いた。その声は震えていたが、目は逸らさなかった。初代聖女を前にして——炉を通じてその存在を感じていた先人を前にして、リーリエはまっすぐに立っていた。


「この人を、よろしくね」


 エルシェの微笑みは、どこまでも穏やかだった。


「不器用で、心配性で、自分ばかり背負い込んで——でも、本当は優しい人。あなたはそれを知ってるわよね」


「……知っています」


「うん。知ってるよね。あなたはちゃんと、この人を見てくれた」


 リーリエの目から涙が溢れた。それでも——まっすぐにエルシェを見つめた。


「はい。必ず」


 かつて「どうでもいい」と言っていた少女が——「必ず」と約束する。


 カインは二人を見上げた。床に膝をついたまま。涙で滲む視界で、金色の髪と銀灰色の髪を交互に見つめた。過去と現在が、ここで交差している。


 エルシェがカインに振り返った。


「カイン。もう、苦しまないで」


「……エルシェ」


「あなたは十分に苦しんだ。十分に戦った。だから——もう、幸せになって」


 数百年の贖罪が、ここで終わった。


 鎖の最後の一本が、音を立てて床に落ちた。


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