初代聖女の声
光の中から——彼女が現れた。
炉の変容が進む中、分散型の光が旧い回路を塗り替えていく渦の中心に、一つの姿が浮かび上がった。
金色の髪。深い翠色の瞳。質素な麻の聖衣を纏った、凛とした佇まいの女性。リーリエとは対照的な——銀灰色ではなく金色、儚さではなく芯の強さ、青紫ではなく翠。
初代聖女エルシェ。
五百年の間、炉の中に留まり続けた魂が——今、二人の前に姿を見せた。
カインは息を呑んだ。
言葉が出なかった。喉の奥で何かが詰まり、声にならなかった。手が震えた。膝が震えた。超常的な力を失った今、その震えを隠す術もなかった。
五百年。
五百年間、この瞬間を——恐れていた。
エルシェと再び向き合うことを。あの日、救えなかった人の目を見ることを。怒りを向けられることを。恨まれることを。「なぜ救えなかったの」と問われることを。あるいは——何も言わず消えていくことを。
五百年間の悪夢の中で、何度もエルシェの姿を見た。そのたびにカインは「すまなかった」と叫び、エルシェは背中を向けて光に消え、カインは汗だくで目を覚ました。何百回も。何千回も。同じ夢を。
しかし——目の前のエルシェは。
微笑んでいた。
怒りも恨みもない。苦しみの影もない。ただ穏やかに——懐かしそうに、カインを見つめて微笑んでいた。五百年前の春の日、城の中庭で花を摘んでいたときと同じ笑顔で。
「お前……」
掠れた声が、ようやく出た。
エルシェが小さく首を傾げた。五百年前と変わらない仕草。カインが何か不器用なことを言ったときに見せていた、少しだけからかうような首の傾げ方。カインの記憶の中にだけ生きていた仕草が、今、目の前にある。
「久しぶりね、カイン」
声も変わっていなかった。穏やかで、知的で、どこか温かい声。炉の中でくぐもってはいるが、間違えようがない。五百年間、夢の中でしか聞けなかった声。
「五百年は……ちょっと長すぎたわ」
「……ちょっとどころじゃないだろう」
「そうね。だいぶ、長すぎた」
エルシェが笑った。微笑みではなく、声を出して笑った。あの——カインが冗談を言うと少し呆れたように、でも楽しそうに笑う笑い方。
その笑顔を見た瞬間——カインの中で、何かが崩れた。
五百年間、押し殺してきた感情の堰が。
コップの水がついに溢れるように。静かに、しかし決定的に。
「エルシェ」
「ん?」
「俺は——」
声が震えた。唇が震えた。
五百年間言い続けてきた言葉が、喉の奥からせり上がってくる。毎夜の悪夢で叫んでいた言葉。墓標のない墓の前で何度も呟いた言葉。
「俺は、お前を——救えなかった」
エルシェが静かにカインを見つめた。微笑みは消えなかった。翠色の瞳に、怒りは一片もなかった。
「ずっと——見ていたわ」
エルシェの声は優しかった。
「あなたが苦しんでいたことも」
炉の中から。五百年の間ずっと。微かな意識を保ちながら、炉の中からカインの五百年を見つめていた。
「あなたが一人で戦い続けたことも」
古代の文献を探し、世界を放浪し、魔王の汚名を着て。誰にも理解されず、誰にも頼れず、たった一人で。
「あなたが——誰かを、愛し直したことも」
カインの視線が一瞬、傍らのリーリエに向いた。銀灰色の髪の少女が、静かにカインの手を握っている。
エルシェはそれを見つめ、微笑みを深くした。
「嬉しかった」
「……嬉しい、だと」
「ええ。あなたがまた誰かを愛せるようになったこと。あの子の手を握れるようになったこと。私は——嬉しかったの」
カインの目から、涙がこぼれた。
止められなかった。止めようとも思わなかった。五百年分の涙が、堰を切って溢れ出す。
声が出ない。言葉が形にならない。ただ涙が——五百年分の後悔と自責と、そしてエルシェの微笑みへの感謝が、全部ごちゃまぜになって頬を伝っていく。
初代聖騎士が。魔王と呼ばれた男が。五百年の孤独を耐え抜いた男が。
今——ただの人間として、泣いている。
傍らで、リーリエの手がカインの手を握った。
小さな手。華奢な指。しかし確かな温もりのある手。第一話ではカインがリーリエの手を掴んだ。今はリーリエがカインの手を握っている。
カインは泣いた。
五百年間泣けなかった分の涙を、今、流した。
エルシェは黙ってそれを見つめていた。穏やかに微笑んだまま。怒りもなく、恨みもなく——ただ、温かく。母が子を見守るように。いや——かつて共に歩んだ人が、長い旅を終えた人を迎えるように。
三人の時間が、炉の光の中で静かに流れた。
二人と、一つの魂。
五百年越しの再会。




